このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芸北高原鉄道の歴史

芸北高原鉄道開業から山陽東海軌道整備事業団譲渡までの沿革を

旧芸北高原鉄道のWEBサイトを復元し紹介します。
















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期待と共に

中国地方の陰陽連絡は、大動脈の山陰本線、特急運用のある伯備線、SL観光路線山口線などが主な路線ですが、中四国最大の都市である広島を基点とする路線は、中国山地に阻まれて川や谷筋を蛇行する単線非電化の輸送力の乏しい旧態路線のみとなっていました。この地において高速路線建設が戦前から計画があったのは当然のなりゆきと言えるものだったのでしょう。

しかし、20世紀後半のモータリゼーションの著しい発達とバブル崩壊により、各民間鉄道事業者は採算性の高い都市間輸送フリークエントサービスに注力する一方、採算の悪いローカル路線を廃止・縮小しており、JR西日本可部線可部以北(可部−三段峡間)においてもこの流れに抗うことができず、戦前の可部線浜田延伸の陰陽連絡建設計画実現はおろか、地域住民の存続要望もむなしく廃止の決定がなされたのです。

この廃止は平成大合併を控え過疎化や高齢化で衰退を強く懸念する沿線自治体や住民・経済界を強く刺激し、この路線廃止を逆手にとり、夢の高速鉄道実現にむけた自主的な積極策の議論が活発化しました。そして2000年7月、地元を中心としたPFI事業として、事業スキームの具体化作業に入ったのでした。

折りしも小泉改革路線にあった国では、『民に任せるものは民で』という政策方針に合致するPFI事業の中でも、この取組みを象徴的な案件として支援する事を閣議決定、世界遺産があり海外へのPR力の高い広島県・島根県に対し外国人観光客倍増政策『ビジットジャパンキャンペーン』を推進する施策のモデル県エリアとして、また21世紀最初の万博(愛知県で開催)のテーマである『環境・里山再生』のモデル地域として芸北エリアを指定するほか、国土交通省や経済産業省など平和・観光・環境・博覧会推進などに関わる一部首都行政機能の芸北移転を決定しました。

これに歩調をあわせ広島県・島根県は協同で歴史的観光地+風光明媚なレジャー大型観光開発による景気浮揚策を大々的に推進、さらには遠交道州政策で連携の強い愛知県とも協力しBIEから愛知万博プレイベント開催を芸北で決定させるなど成果につなげたのでした。(愛知万博プレイベントを含め『ようきんさったHIROSHIMA・SHIMANE GO GOキャンペーン』は2002年2月から2年間展開、芸北エリアを中心に広島への観光客数はこれまでの30倍を超える成果を残しています。)

更に、周辺市町村単位においても過疎化・高齢化阻止のための様々な人口増・流入、産業誘致施策を展開し、自然と共生しつつ広島市域北部や芸北エリアは人口が5倍以上に増加、大手企業の進出なども相次いだため、そのための鉄道アクセス充実の流れにも弾みがつく事になったのです。

こういった追い風を受けて、鉄道事業については具体的な動きに入ります。

運営鉄道会社の資本は、合併による行政コストダウンによる余剰財政の投入のほか、地元大型財閥を中心に、中国地方経済界の中心的役割を担う電力会社、芸北地盤のレジャー施設会社、大手乳業会社、芸北美術館設立の大手住宅会社、サッカー球団をもつ大手家電小売会社、IT企業など数十の有力企業の強力なスクラムによる支援を受け、さらには沿線農協、漁協、商工会などや一株運動による沿線住民個人の草の根的な出資まで、広くおこなわれました。こうして、官民一体の熱い期待を込め、夢の第3セクターによる第一種鉄道事業会社『芸北高原鉄道』が2002年2月誕生したのでした。

 

そして、会社としての芸北高原鉄道の最初の業務は、2003年度予算事業として認可された、単なる可部線可部以北復活だけでなく、新たな都市圏輸送の可能性も帯びた可部—浜田間複線電化高規格路線建設着手からはじまったのでした…

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