このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



錦糸町駅周辺
下町の都電

城東電車砂町洲崎線は錦糸堀を始点にして水神森までは小松川線と軌道を一にし、水神森で大島方面に南下する路線で
ある。城東電車時代は洲崎(現:東陽町)を終点としていたが、市電に編入されてから38系統となり日本橋(末期は門前仲町
に短縮)を終点としていた。また、29系統 須田町〜葛西橋 は都電になってから延伸された路線である。

昭和43年11月 錦糸堀                         昭和45年1月 亀戸  元旦なので日章旗が付いている

昭和45年7月 亀戸駅前 歩道橋から電停の安全地帯に     昭和45年7月 水神森 
降りられる階段が付く                           ここで25系統とはお別れ(この時は既に廃止)
                                        左に使われなくなった信号塔と正面の信号には矢印信号が見える

昭和43年11月 北砂町付近                      昭和46年12月
この先の境川で38系統は直進して洲崎へ              大島1丁目 専用軌道から明治通りを向いて
29系統は左折して葛西橋を目指す

昭和46年12月 錦糸堀車庫前                    昭和46年12月 錦糸堀車庫
奥のきらびやかな建物が以前の楽天地

昭和45年12月 水神森付近  この辺りは現在、亀戸サンストリート脇の緑道公園となっている。
右の写真に建築工事中の首都高7号線が見えその下が竪川専用橋で、現在は人道橋となりピューゲルとレール・車輪のオブジェ
がある。

昭和46年2月 竪川専用橋                        

昭和43年11月 竪川専用橋                       昭和46年10月 竪川通
この頃は、首都高はまだここでは工事していない

昭和46年10月 錦糸堀車庫前
方向幕から察するに、これから折り返し
大型方向幕の6107

昭和45年12月 保線夫が都電を見送っている            昭和43年11月 大島付近
この先で新大橋通りを横切って大島へ                  この辺りは現在、ダイエー脇の緑道 

昭和45年3月 大島付近                        昭和46年12月 大島1丁目 
                                        大島4丁目団地の前から併用軌道にまた戻る

昭和45年7月 錦糸堀車庫境川派出所               車庫の片隅には、解体を待つ1500形が肩を寄せ合っていた
29系統専用の車庫で、無骨ながら鉄骨美があった

昭和43年11月 29系統 葛西橋 終点  今の葛西橋よりも上流に旧葛西橋があり、西詰に電停があった

昭和46年12月 葛西橋  25系統の西荒川 終点と比較して葛西橋は商店街であり人の往来があった

昭和45年12月 洲崎(東陽町)  錦糸堀で東に向かった38系統と南に向かった28系統(錦糸町駅〜都庁前)
が東陽公園で合流 日本橋まで一緒に走る  因みに左右の写真共に7000系の7008と7073 雰囲気が随分違う
38系統の方は早々と方向幕を錦糸堀に、28系統は洲崎で錦糸町駅への折り返しのようだ

左上 昭和46年2月 日本橋 左の建物が日本橋東急百貨店     右上 昭和46年2月 日本橋 38系統はここで折り返す
昔は白木屋で東急に買収され、今はCOREDO日本橋          先に見えるのが中央線・山手線のガード

左下 昭和46年2月 日本橋交差点                     この先、都庁前までの区間が既に廃止され、軌道が埋め
左右が永代橋通りの38系統                          られているのが分かる
交差する奥が中央通りの19・22系統の通三丁目

昭和42年12月9日をもって、通三丁目より先の銀座〜新橋〜三田〜品川のゴールデンルートは廃止されていた。1系統の
廃止の日に5501には乗っているものの、まだ鉄道写真を撮り始めてはおらず今更ながら悔やまれる。

昭和47年11月11日 錦糸堀 29系統さよなら              昭和47年11月11日 門前仲町 38系統さよなら
29・38系統共に、現:荒川線を除く都電最後の日まで残ってくれた

昭和44年9月 南砂2丁目
一方38系統は、南砂3丁目(城東電車時代は仙気稲荷前)から右へ専用軌道に入り、越中島貨物線の下をくぐって汽車会社の
脇を通り南砂2丁目から永代通りに出る。ここも現在は緑道公園となっており、レールと車輪のオブジェが見られる。また、汽車
会社跡には南砂団地が開発された。
この架線の補修作業に夢中になり、越中島貨物線とのアンダーパスの写真を撮り忘れる。架線の補修は竹の梯子に自動車の
タワー車であったが、後に出てくる早稲田の櫓車は木製であった。滅多に見られない光景である。

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください