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※都合上横書きにしてあります。
その年の夏は例年通りだった。
太陽は休むこと無くギラギラと照りつけ、幻想郷中が蒸し暑い熱気に覆われている。蝉たちは狂ったように鳴きつづけ、人里では梨や西瓜が飛ぶように売れていた。
道行く人々は暑さにうんざりしながらもどこか生き生きとしており、とりわけ子どもたちは、まるで太陽から力を貰っているかのように元気に外を走り回っている。それは妖怪たちの方も例外ではなく、夜ともなれば多くの魑魅魍魎が湧き出て来ては我が物顔で幻想郷を闊歩していた。
さらに、ここ暫くはこれといって大きな異変も起こっていなかった。
紅い霧が出て来たりも満月が欠けていたりもせず、温泉が湧いたり宝船が飛んでいたりもしない。季節がら妖怪による被害が多いと言うことを除けば、幻想郷は静かなものだった。人間も妖怪もここぞとばかりに、全力で束の間の平和を楽しんでいる。
そう、この平和は束の間の物でしかなかったのだ。「平和は人間にとって自然な状態ではない」などという古い言葉があるが、それは妖怪にとっても同じ事。日常より最も遠き場所、幻想郷では尚更の事である。目に見えない、音も立てない、無論匂いも味もない、異変は誰にも気づかれないまま、ひっそりと彼女へ忍び寄っていた。
その年の夏は例年通りだった。そう、異変が起こってしまう事まで、例年通りだったのである。
「へいっくしょん! うぁ……」
幻想郷の外れにあり、幻想郷を覆う博麗大結界の境目となっている博麗神社。その裏手にある母屋の居間で、博麗神社の巫女、博麗霊夢は大きなくしゃみをした。
「何だ霊夢、風邪か? 噂か?」
簾がかけられて日陰になった縁側に寝転がって新聞を読んでいた、魔法使いの霧雨魔理沙が振り返り、卓袱台に向かって作業をしている霊夢に問いかけた。霊夢はちり紙で口を拭うとそれに答える。
「何でも無いわよ。ちょっと鼻がむずむずしただけ。この忙しい時に風邪は勘弁して欲しいわ。噂なら余計にね」
霊夢はそう言うと、手元の紙の山に視線を戻した。紙には収支報告のようなものが書かれており、霊夢はそれを一枚一枚確認しながら筆を走らせたり判を押したりしている。
「今日中にせめて半分は片付けないと、明日はもう屋台の設営が始まっちゃうんだから……」
「なはは、この光景も例年通りだな。ご苦労なこって」
「あんたも暇なら手伝ってよ。どうせまた例年通りに騒ぎを起こすんでしょ? いつも後始末は私の役目なんだから……」
硯にものすごい勢いで墨を擦りつけて墨汁を量産しつつ、霊夢はそうぼやいた。
博麗神社では、まもなく夏祭りが行われようとしていた。
元々は妖怪が活発になる夏の間の平穏を願って行われたものらしいが、起源ははっきりとしていない。
そもそも祭りの起源を気にするような人間は一部の老人を除いて皆無であり、霊夢自身、気にしてなどいなかった。前者は単純に祭りを楽しむため、後者は祭りの準備に忙殺されるためである。
三日間続く祭りの初日を明後日に控え、霊夢は猫の手も借りたい程の忙しさだった。
次の日、祭りの前日を迎えた博麗神社の境内では、屋台の設営が始まっていた。屋台の店主達も霊夢同様余裕が無いのか、皆鬼気迫った表情であくせくと準備を進めている。
それは場所を提供している霊夢にも言える事で、疲れの見える顔に無理やり笑顔を貼りつけて挨拶回りをしていた。空は曇りがちで夕立ちでも来そうな天気だが、おかげで出歩くのは苦では無い。
「はい、今年もよろしくお願いします。祭りの定番なんですから頑張ってくださいね」
「おう、任しときなって、ほらよ、持ってきな」
綿菓子店の主人から綿菓子を手渡され、霊夢は深々とお辞儀をしながらその屋台を後にする。霊夢は綿菓子を一口だけ頬張ると、残りを後ろへと手渡した。霊夢に追随していた萃香がそれを受け取り、残りの綿菓子を一飲みにする。
「ん〜、あそこの砂糖は上品でいいね。最近のお菓子は甘けりゃいいって風潮があるから良くないよ。昔の砂糖菓子といえばそりゃあ……」
「あんたの昔って何百年前よ……ほら、さっさと次行くわよ」
「うん、次は何食べさせ……じゃなかった、何の屋台に行くの?」
「次は……そうね、ガラス細工の店にしましょうか」
萃香が漏らした本音を聞き逃さなかった霊夢は、わざわざ食べ物を売っていない屋台を選ぶ。萃香は顔を膨らませて文句を言い始めた。
「え〜、やだよ〜。私この前店に行った時に商品壊してから店主に目ぇ付けられてるんだから……」
「あんたの責任じゃない。嫌ならついて来なくていいわよ」
「それに霊夢、その屋台もう通り過ぎたよ」
「……え?」
「え、じゃないよ。ガラス屋の屋台は綿菓子屋の屋台より前に通り過ぎたじゃない。ちゃんと地図見てよ」
「悪かったわね。魔理沙が昨日その地図を持ってっちゃったせいで屋台の配置がわかんないのよ!」
昨日魔理沙が自分の屋台の出店場所を調べるために屋台の配置が書かれた地図を持ち帰ってしまったため、霊夢は屋台の場所を把握出来ていなかった。しかたなく、道なりに歩きながら目についた店に挨拶をしていたのだ。
「ん……あれ?」
意識がゆっくりと覚醒してゆく。視界には見慣れた天井が写り、頭の中の靄が晴れて行った。
霊夢はゆっくりと体を起こし、開け放された縁側から外を見る。既に日は高く登り、境内の方からは活気に満ちた声が聞こえてきた。
「やば! 寝過ごした?」
霊夢は慌てて布団をはねのけ、慌てて身支度を整え始めた。
寝間着を脱いで巫女装束に着替え、顔を洗って髪を梳かす。朝食替わりに何か摘もうとして戸棚の扉に手をかけるが、菓子類は一昨日紫に持って行かれてしまった事を思い出した。
「ちっ!」
霊夢は舌打ちをしながら開きかけた扉を勢いよく閉じ、腰を上げる。その時、壁にかけられた日めくりが目に入った。日付は八月十一日、祭りの前日になっている。
「あれ? 私昨日……ああ、寝る前にめくっておいたんだっけ……」
霊夢はほっと溜息をつくと、改めて身支度を整え、神社の境内の方へと向かって行った。
祭りの前日を迎えた博麗神社の境内では、屋台の設営が始まっていた。屋台の店主達も霊夢同様余裕が無いのか、皆危機迫った表情であくせくと準備を進めている。
それは場所を提供している霊夢にも言える事で、昨日よりは幾分かやる気の入った表情で屋台の主人達に挨拶をして回っていた。日差しは強く、立っているだけでも汗が吹き出てくる程蒸し暑い。
「どうもこんにちは。巫女の博麗霊夢です。今年はご出店頂いてありがとうございます」
「……………………」
無口なたこ焼き屋の店主は、黙って二人分のたこ焼きを差し出してきた。霊夢はそれを受け取ると、一つを後ろに居た萃香へ渡し、深々とお辞儀をして屋台を離れる。
「気前がいいねあそこの屋台。付き添いの私にもくれるんだから」
「そうね。あそこは今年が初参加なんだけど、来年以降も頼もうかな……」
「うん。それで、次は何食べに……じゃなかった、何の屋台に行くの?」
「とりあえず、魔理沙の店を探しに行くわ。地図を持って行かれちゃってせいで、挨拶に行く屋台の場所がわからないのよ」
「でも、それじゃ魔理沙の屋台の場所だって分からないでしょ」
「まぁね。でも確か『道に迷った酔っぱらいしか来ない』って言ってたから端っこの方よ。境内の周辺から回りましょう」
「う、ん……」
意識がゆっくりと覚醒してゆく。視界には見慣れた天井が写り、頭の中の靄が晴れて行った。
霊夢は顔を横に向け、開け放された縁側から外を見る。既に外は明るくなっており、境内の方には人が集まって来ているようだった。
「え? ああ、もう朝か……」
霊夢は布団から這い出し、大きく伸びをする。寝間着を脱いで巫女装束に着替え、顔を洗って髪を梳かすと、昨日の残り物を適当に温めて朝食にした。
「いただきます…………ガツガツもぐもぐ……」
幸い寝坊には至らなかったものの、あまり余裕があるわけでもない。霊夢は急いで朝食をかき込むと、外に出て境内の方に向かって行った。
祭りの前日を迎えた博麗神社の境内では、屋台の設営が始まっていた。ある意味祭りの主役とも言える店の主人達は、稼ぎ時だとばかりに張り切って作業をしている。
霊夢もまた例外ではなく、各屋台や団体への挨拶回りに追われて神社中を走り回っていた。空は暗く、厚い雲が立ち込めている。暑くないのは嬉しいが、今にも雨が降り出しそうだった。
「はい、今年もよろしくお願いします。祭りの定番なんですから頑張ってくださいね」
「おう、任しときなって、ほらよ、持ってきな」
綿菓子店の主人から綿菓子を手渡され、霊夢は深々とお辞儀をして屋台を後にする。
霊夢はその後暫く境内を歩き続けたが、目的の屋台がなかなか見つからない。どの屋台に挨拶に行くかは把握していたが、魔理沙が屋台の地図を持って行ってしまったので場所がわからなくなってしまっていたのだ。
「あむ……仕方ないわね。先に屋台を出してない所から回ろう……」
霊夢は綿菓子を完食すると、屋台の探索を諦めて本殿の方に引き返して行った。
祭りには協力してくれているが、屋台を出していない団体も幾つかある。どこの関係者もみんな本殿の近くに居る筈だった。
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