このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
群馬県の西部に鬼石町(おにしまち)がある。18年1月1日に、東側に隣接している藤岡市に編入合併する。この町が年間を通じて外来者で賑わうのは、12月1日である。ずばり桜山の冬桜が、とみに有名になったからだ。僕達は何回か行っているが、今年も訪問した。地元の人達のたゆまぬ努力によって、名実ともに内容が充実して、つい再訪したくなるのである。 この日の空は、快晴。真っ青な空にジェット機が飛んでいるが、飛行機雲を噴出しても直ぐに消えてしまう。高気圧に覆われている証拠である。 湯原さんは、奥さんの荒木由美子さんをも同伴された。結婚後すぐに母の介護に付き、20年間お世話になった。奥さんに対する感謝の念が強く、この日も盛んに奥さんを立てていた。奥さんは義母を看取った後、その介護経験をもとに2004年「覚悟の介護」を出版すると共に、芸能界に荒木由美子として復帰した。現在は、あちこちと講演に招かれて多忙を極めているという。
桜山へは、上信越自動車道の藤岡ICから県道を南下する。埼玉県境に接する辺りで、国道462となる。4km程走って分岐し西へ進路をとる。後は「桜山」の案内看板に従う。9時半頃に入山するつもりで行動しないと、駐車場待ちの渋滞で不快な思いをするので念のため。
<リンク>鬼石町のホームページ<
冬桜
> 僕が仕事の関係で、栃木県宇都宮市の近郊から群馬県前橋市に引っ越したとき、一つの不安感が付きまとった。仕事に対する不安とは違う。地域社会の人付き合いのそれとも違う。一体何がそうさせているのかと直ぐには分からなかったが、そのうちに不安を感ずるときの傾向が次第に掴めてきたのである。
以前から地理には興味があったので、群馬県内をあちこち見たり、郷土史を紐解いたりするうちに、気が付いたら不安感は消えていた。
実際の話、国道50号あたりから南側はその昔、利根川が乱流を繰り返していた地域である。その痕跡はいろいろの角度から今でも検証できる。いまだに畑の表面に風紋のできる畑があったり、何よりも乱流域には古墳は皆無である。いま現在名残を残している数mの台地に古墳が列をなしているのである。 神社の由緒書きによれば、この地に創建以来400年は経っているとのこと。先ほどのエノキを見ても古木の域に達しているから、もうこの地に洪水はなさそうだ。気象の観測史上、群馬県が洪水の被害を受けたのは、戦後のカスリン台風である。このときに下流の埼玉県は甚大な被害を受けているが、群馬県の場合は、赤城山を水源とする河川の被害は大きかったが、利根川本流はそれ程の被害は受けていない。 ところで、駒形神社の社殿改築百年祭が10月16日盛大なうちに挙行された。当時を知る人はこの町にはいない。この11月に101歳になるお婆さんはいるが、よそからお嫁にきた人であれば、勿論知らないことになる。
午後は、まむれ太鼓の奉納。1988.4.1、今は亡き島田明子氏により、女性だけの太鼓クラブとして発足した。「まむれ」とは、「群馬」をさかさにして「馬群」とし、「うまむれ」を【まむれ】と称したことによる。
神楽の奉納は、沢山の演舞が更に続いた。吊り竿で鯛を釣る場面の合間に、スナック菓子が糸先に付けられ、ヒョイヒョイと上下に揺らせると、子供たちが競って飛びつく余興には大きな歓声が揚がった。
この日の大祭は、10:00〜16:00まで穏やかな日和のもと、盛大かつ和やかなうちに終了した。氏子の皆さん、ご苦労さま。 |
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