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2005年

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取材地域は、主として群馬県の前橋市です。
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鬼石の冬桜社殿改築百年祭

鬼石の冬桜<17.12.1記>

 群馬県の西部に鬼石町(おにしまち)がある。18年1月1日に、東側に隣接している藤岡市に編入合併する。この町が年間を通じて外来者で賑わうのは、12月1日である。ずばり桜山の冬桜が、とみに有名になったからだ。僕達は何回か行っているが、今年も訪問した。地元の人達のたゆまぬ努力によって、名実ともに内容が充実して、つい再訪したくなるのである。

 この日の空は、快晴。真っ青な空にジェット機が飛んでいるが、飛行機雲を噴出しても直ぐに消えてしまう。高気圧に覆われている証拠である。
 今日は、桜もそうだが、お目当ては湯原昌幸の歌謡ショーである。2003年10月には「冬桜」を発売し、鬼石町の観光特使として各地で務めを果たされている。

 湯原さんは、奥さんの荒木由美子さんをも同伴された。結婚後すぐに母の介護に付き、20年間お世話になった。奥さんに対する感謝の念が強く、この日も盛んに奥さんを立てていた。奥さんは義母を看取った後、その介護経験をもとに2004年「覚悟の介護」を出版すると共に、芸能界に荒木由美子として復帰した。現在は、あちこちと講演に招かれて多忙を極めているという。


左から1,3番目がご夫妻


熱唱する湯原さん



ご夫妻でトーク


放送テントの荒木さん

 桜山へは、上信越自動車道の藤岡ICから県道を南下する。埼玉県境に接する辺りで、国道462となる。4km程走って分岐し西へ進路をとる。後は「桜山」の案内看板に従う。9時半頃に入山するつもりで行動しないと、駐車場待ちの渋滞で不快な思いをするので念のため。


桜山登山道


桜山南面



紅葉と桜


桜山から北側遠望

<リンク>鬼石町のホームページ< 冬桜

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社殿改築百年大祭<17.10.16記>

 僕が仕事の関係で、栃木県宇都宮市の近郊から群馬県前橋市に引っ越したとき、一つの不安感が付きまとった。仕事に対する不安とは違う。地域社会の人付き合いのそれとも違う。一体何がそうさせているのかと直ぐには分からなかったが、そのうちに不安を感ずるときの傾向が次第に掴めてきたのである。
 前橋市は上毛三山に代表される、赤城山・榛名山・妙義山を筆頭に、埼玉県-長野県-新潟県-栃木県の各県境の山々が一望できる位置にある。それは田園地帯に佇むと、何の遮るものもない平地の展望台とも言える景観に恵まれているのである。
 この景観は宇都宮市とは大きく違っていた。宇都宮市の場合は市内に八幡山がある。日光方面に向けて丘陵が続いている。ところが前橋市に居を構えた僕の周辺には山がないのである。
 不安の原因はこれだった。あよそあり得ない筈なのに、本能のなかに、洪水に襲われたらどうしようという、不安の遺伝子が作用していたのだ。


googleサテライト

 以前から地理には興味があったので、群馬県内をあちこち見たり、郷土史を紐解いたりするうちに、気が付いたら不安感は消えていた。
 その切っ掛けは、近くにある鎮守の森の駒形神社である。小さい社ながらそれなりの歴史を刻んでいた。とりわけエノキの大木には風格が感じられた。根っこの地表に出た襞のうねりには力強さがあった。年輪を重ねる中で、自然災害にも幾度となく耐えてきたに違いない。


駒形神社


エノキの根っこ

 実際の話、国道50号あたりから南側はその昔、利根川が乱流を繰り返していた地域である。その痕跡はいろいろの角度から今でも検証できる。いまだに畑の表面に風紋のできる畑があったり、何よりも乱流域には古墳は皆無である。いま現在名残を残している数mの台地に古墳が列をなしているのである。
 その意味からすれば、我が駒形神社は台地上にはない。乱流域の僅かな高みに過ぎないかもしれない。

 神社の由緒書きによれば、この地に創建以来400年は経っているとのこと。先ほどのエノキを見ても古木の域に達しているから、もうこの地に洪水はなさそうだ。気象の観測史上、群馬県が洪水の被害を受けたのは、戦後のカスリン台風である。このときに下流の埼玉県は甚大な被害を受けているが、群馬県の場合は、赤城山を水源とする河川の被害は大きかったが、利根川本流はそれ程の被害は受けていない。
 そんなこんなで、今はこの地に安心感をもって呑気な暮らしをしているのである。

 ところで、駒形神社の社殿改築百年祭が10月16日盛大なうちに挙行された。当時を知る人はこの町にはいない。この11月に101歳になるお婆さんはいるが、よそからお嫁にきた人であれば、勿論知らないことになる。
 参道はバス通りの十字路が起点である。大鳥居があって、神事はそこからスタートした。
牛頭天王(ごずてんのう)の獅子頭一対が、静々と担がれて神社に向かって参進した。宮司は整った端正な容貌の女性である。厳かながら艶っぽい空気をも醸し出す。
 神事の進行は、すべて宮司によって仕切られた。社殿前での修祓(しゅばつ)はご主人の禰宜(ねぎ)によって行なわれた。昇殿後の神事には、町や神社に功労のあった長老や、現職の自治会役員等が列席して行われた。この後、神楽殿において巫女さんによるお神楽の奉納に移る。そして、直会(なおらい)と呼ばれる酒宴で午前の神事は終了。


参進行列


巫女の式舞い

 午後は、まむれ太鼓の奉納。1988.4.1、今は亡き島田明子氏により、女性だけの太鼓クラブとして発足した。「まむれ」とは、「群馬」をさかさにして「馬群」とし、「うまむれ」を【まむれ】と称したことによる。


まむれ太鼓


氏子の式舞い

 神楽の奉納は、沢山の演舞が更に続いた。吊り竿で鯛を釣る場面の合間に、スナック菓子が糸先に付けられ、ヒョイヒョイと上下に揺らせると、子供たちが競って飛びつく余興には大きな歓声が揚がった。


氏子の愛嬌舞い


子供たちは大歓声

 この日の大祭は、10:00〜16:00まで穏やかな日和のもと、盛大かつ和やかなうちに終了した。氏子の皆さん、ご苦労さま。

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