このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


2010年

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取材地域は、主として群馬県の前橋市です。
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旧中島飛行機地下工場跡 の見学つつじが峰トレッキング高崎量子応用研究所赤城南麓文化財巡り野鳥観察会歴史博物館講座

旧中島飛行機地下工場跡 の見学<22.8.29記>

 その場所は、群馬県太田市西長岡(ながおか)町1661番地、八王子山公園の一角にある。北関東自動車道と東武桐生線が交差する辺りから北東部1kmほどの八王子丘陵の中腹だ。山麓には日本の原風景ともいえる集落が点在していて心を和ませてくれる。
 見学会を企画したのは、「中島飛行機太田地下工場跡を保存する会」通称をトンネルの会という。太田市の住民10人ほどで構成された小さなグループである。
 この日の集合地は高速道路の南側にある「強戸行政センター」であった。名前のごとく地域の利便を目的としたサービスと学習や催し物を行うコミュニティーを併せ持った施設である。


八王子丘陵


強戸行政センター

 行政センターのホールには、太田市を中心とする太平洋戦争に関する写真や図表がパネル展示されていた。この展示会は毎年行なわれていて、今年で18回を数えるという。
 ここで資料を貰い、企画実行委員会のメンバーが提供する車に分乗して地下工場跡へ移動する。移動した先は、墓地公園ともいえる八王子山公園である。園内の回遊式道路を時計回りに登ってゆき、園地の北西部が目的とする地下工場跡の坑口である。
 説明は「トンネルの会」の石塚代表である。この見学会は今年初めての企画だそうだ。


説明板


坑口を背に説明

 坑口の15mほど手前には、コンクリート擬木による柵が設けられている。いまは立入禁止になっているが、昔は自由に入れたそうだ。子供が基地遊びをしていて出口が分からなくなり、捜索騒ぎもあったそうだ。


坑口

 坑口からは湧き水が流れ出しており、公園内の池を潤している。先ほど車に同乗した地元の男性シニアが問わず語りに、ここはイノシシのヌタバになっているという。ヌタバとは泥浴場のことで、イノシシが身体についた寄生虫を駆除するために泥を浴びるのだそうだ。水が冷たいからさぞ気持ちも良いに違いない。足跡もあちこちにあった。

 話は脱線したが、中島飛行機太田製作所が飛行機を造っており、米軍の空爆から逃れるために地下工場の建設を始めた。この頃は全国で同じような地下要塞を建設した。有名なものには長野県の松代大本営がある。
 この建設は昭和19年(1944)11月に着工し、終戦によって挫折した。計画では東京ドーム4個分の規模であったが、2個分の総延長12kmを掘った時点で未完に終わった。掘削に従事したのは、朝鮮からの労働者や強制連行された中国人捕虜たちが多かった。過酷な労働と栄養失調で中国人捕虜50人が犠牲となった。

 この犠牲者を弔ったのが麓にある長岡寺(ちょうこうじ)である。昭和20年11月、地下工事を請け負った鹿島組が中国人殉難者墓碑を建立し、28世-満成和尚によって葬儀が執り行われた。昭和52年には日中友好協会群馬県連合会によって、中国人烈士慰霊之碑も建てられ、30代の酒井晃洋(さかいこうよう)住職になった現在でもその供養が続いている。


天王山長岡寺


中国人烈士慰霊之碑

 地下工場建設に強制連行された中国人-候潤五さんの生存が確認されており、「中国人強制連行藪塚事件群馬訴訟」が最高裁で審理されている。
 ところで、中島飛行機とは、戦前から航空機を造ってきた会社である。創業者は元海軍機関将校であった中島知久平である。高い技術力を備え、太平洋戦争終結までは三菱重工業をも凌ぐ、世界有数の航空機メーカーであった。群馬県尾島町(現太田市)に飛行機研究所があった。戦後は技術者たちによって富士重工(スバル)の自動車製造に技術移転された。

 見学会の参加者は150人ほどだったという。トンネルの会は今後、会員を増やし、行政にも働き掛けて、坑内見学を可能とすべく整備を重ね、戦争遺産として後世に引き継ぎ、平和を祈りたいという。


つつじが峰トレッキング<22.5.16記>

 前橋市がこのところ力を入れだしたのは、財団法人前橋観光コンベンション協会を核とした各種のイベントである。その一つの季節的催しに参加してみた。赤城山の何面に旧粕川村があり、その地域内で行われた「つつじが峰トレッキング」である。タイトルから分かるように、新緑とツツジのコントラストを楽しもうというものだ。天気は上々、100人を裕に超えたのではないかと思われる。
 赤城山の小沼から南に流れ出しているのが粕川。そこから外輪山の尾根筋を500mほど東側に、小さな鞍部を源流とする大猿川が流れている。川の標高810m地点には、「おおさる山乃家」という施設がある。
 ここを起点として上部の尾根筋を歩こうというものである。参加者は2組に分かれて、周回コースを相互に逆コースでまわる。指導員は5人、看護師2人、報道担当1人という物々しさだ。参加者の顔ぶれは中高年が多いが、小学生を連れた若いファミリーもあってほっとする。主催者の挨拶から始まって、指導員による注意事項の説明、次にラジオ体操を念入りに行ってから、9時出発の予定が20分ほど送れて出発。それでも出発地点への帰着は10分遅れの12時10分で無事終了した。
 昼食は握飯2個と、けんちん汁。なかなかの味で好評だった。参加費300円は、ちと安すぎるのではないのかな〜と、少し心配になってしまった。
 


おおさる山乃家


指導員による説明



新緑とヤマツツジ


分岐標識



分岐標識

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高崎量子応用研究所<22.4.4記>

 日本原子力研究開発機構・高崎量子応用研究所で、恒例の一般開放が行われた。子供たちが多いと思ったのだが、それは屋外のイベント会場のほうで、研究施設の見学はほとんど中高年だった。イオン照射研究施設・1号加速器棟・コバルト60照射施設・サイエンスプラザの4施設。いつもだったら閉まっている、放射能標識が貼られている厚さ2m程のコンクリート扉も、今日ばかりは開いていた。室内に入ると量子ビームを加速する装置が複雑に組まれている。

 全国に12箇所の施設がある中で、ここでは比較的生活に身近な研究を受け持っている。量子ビームの、先端医療・農業・工業・環境への応用である。思わず異次元の世界を垣間見たのであった。 


通路の解説パネル


高電圧発生装置



加速器


放射能標識

 珍しく風のない穏やかな陽気で、広い屋外のあちこちには各種のイベントが行なわれていた。ソメイヨシノは六分咲きといったところで、花見を楽しむファミリーが数多く見られた。


地元中学生の演奏


聴き入る聴衆

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赤城南麓文化財巡り<22.3.12記>

 前橋市文化財保護課の主催による文化財巡りが、赤城山の南麓で行なわれた。申込み抽選で、参加者は38人。バスツアーであるが、この日も高年ばかりで相変わらず女性が多く、終始おしゃべりしていて賑やかだった。風もなく気温も高めで絶好の日和に恵まれた。

<旧アメリカン・ボード宣教師館>前橋市小屋原町1120-5
 アメリカン・ボードという伝道師会社が、宣教師の住宅として建てたもの。元は前橋市の中心街にあったが、共愛学園が買い取り、その後、学園が現在地に移転したあと、中学・高校の校内に復元された。

<二宮赤城神社>前橋市二之宮町886
 赤城山の南面で、荒砥川と粕川という川の流域に根付いた人びとが多く、古くから赤城山を信仰していた。 


旧アメリカン・ボード宣教師館


二宮赤城神社

<旧関根家住宅>前橋市西大室町2510
 大室公園内の赤城型民家。木造茅葺2階建で中規模養蚕農家。


赤城型民家

<大胡駅舎及び関連施設>前橋市茂木町30-2
 上毛電気鉄道株式会社-前橋市と桐生を結ぶ路線25.4km。現在も現役で頑張っている。自転車を折り畳まなくても載せられるので、あっちこっちサイクリングができる。両ターミナル駅と、中間の大胡駅、赤城駅では無料のレンタサイクルもある。22.4.25(日)上毛電鉄-春のイベントが開催される。 上毛電鉄-春のイベント


大胡駅舎


大胡駅変電所



大胡駅電車庫


デキ3021

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野鳥観察会<22.2.21記>

 群馬県赤城山南麓の嶺公園で前橋市の野鳥観察会がお行われた。受付を行う集合場所では、北西から吹きつける冷風にタジタジとなったが、観察が始まった林の中に入ると、いつの間にか寒さを忘れてしまった。とにかく次々と飛び交う野鳥に目が離せない。間近の枝先でさかんに向きを変えたり、地表に群がって餌をついばんだり賑やかだ。参加者はおよそ60名3班に分かれて行動。参加者の中には、おばあちゃんに連れられた3歳の女の子もいた。

 指導してくれたのは、「日本野鳥の会群馬県支部」の方々であった。観察後、「鳥合わせ」を行った結果、40種を数えた。午前中3時間の観察会は盛況のうちに終了。気に入った鳥は、コゲラ・ルリビタキである。赤いマンサクや黄色いマンサクの花もきれいだった。尚、この季節わが家の庭に訪れるのは、メジロ・ジョウビタキ・ヒヨドリが常連である。 


開始前の説明


最も小鳥の多い場所



池の辺


マガモ

 受け付け時間前のことであるが、誰かが傷ついたトビを持ち込んだ。烏に追われたのではないかという見方をしていた。呼吸をしており、瞬きもしていているので、飛べないだけのことかもしれない。野鳥の会の人たちが何とか助けようと、携帯電話であちこち連絡をしていたが、その後の経過は不明。何とか飛べるようになってくれればいいのだが・・・。


怪我をしたトビ

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歴史博物館講座<22.2.20記>

 群馬県高崎市の南部に県立公園「群馬の森」がある。鬱蒼とした森と、芝生広場で構成されている。そして美術館と博物館が並んで建っている。この博物館で市民講座が行なわれた。「戦国領主横瀬氏の国づくり」という題目である。日頃の歴史観に馴染みがなかったので、参加してみた。内容は「渡良瀬川をまたいだ両毛地域に広大な政治領域を誕生させた横瀬氏」に関するもので、講師となった博物館の学芸員の研究成果を解説したものである。

 レジュメにしてはページ数が多かった。それも受講対象が群馬県民であるにもかかわらず、馴染みのない登場人物の解説が必要だったせいかもしれないい。
 しかし話はスペクタクルに富んでおり、その証拠に登場人物の多くが地名として現在に生きているのである。何気なく呼びなれている地名が、とたんに意味のあるものとして息づくことになったのだから大きな収穫だった。


市民講座の会場


群馬県立歴史博物館



春を待つ森


梅林は花盛り



棲息する野鳥の一部

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