このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
取材地域は、主として群馬県の前橋市です。 |
群馬県立文書館は、12月12〜16日まで、群馬県庁において「震災から復興へ—資料に見る災害—」と題する特別展を開催した。東日本大震災によって被災した、宮城県女川町からの要請により、土地台帳などの公文書の修復を行なったことがきっかけとなった。公文書は津波によって海水と汚泥にまみれていた。それを群馬県に移送し、各種の工程をへて修復し、無事9月29日公文書を女川町へ返還したのである。 このことから、同文書館は震災のみならず、火山・洪水・雹・霜・雷などあらゆる自然災害に対して、過去の資料がいかに大切であるかを広く知って貰うために今回の特別展を企画したという。 特別展の模様はNHKの総合テレビで放映されたこともあり、古文書・絵図・公文書・写真資料などのパネルを食い入るように見つめ、ときおり「こんなことがあったのか」とつぶやく来場者が多かった。比較的自然災害の少ない群馬県にも、長い歴史の中では記録的な災害があり、今後もあり得るものと認識を深めたような雰囲気であった。 —災害は忘れなくてもやってくる—
町内会文化祭<23.10.29-30記> 今年は町内自治会の文化部員を仰せつかった。誰もがやりたがらない自治会役割の一つだ。わが班は輪番で公平にその重荷を分担している。過去には隣保班長・会計班長・環境美化推進員・組長などを経験した。そして今度の文化委員を務めて、もしかしたらこれでご奉公は終りかもしれない。 文化委員を引き受けたのは、初めて経験する役柄であったからだ。ハードではあったがいい経験となった。部会のメンバーは、殆ど知らない顔ぶれだったが、回を重ねる月例会ごとに親しみを覚えていった。仕事をバリバリこなす部員仲間の足を引っ張らないようにと、ロートルの僕も何とか一生懸命やっている。 文化祭は夏祭りとともに、文化部がかかわる大きなイベントである。日程は二日間で、屋内では書道・絵画・手芸・工芸・菊花などの作品展示、屋外では和太鼓・フリーマーケット・福祉バザー・綿菓子・ポップコーン・かき氷、それに町で開発されたブランド米の販売など、各種イベントが行なわれた。二日目の夜は、独唱・合唱・演奏・吟詠・舞踊・ダンスなどの舞台発表会が行なわれ、喉と技を競い合った。
それにしても、日ごろ顔を合わせる人たちの中に、思いもしなかった芸術的才能の一面を発見した文化祭であった。 我家の孫8人も大きくなって、一番下のが今年は七五三を予定している。17年間遊ばせてきた我家の庭園も芝生を減らして、菜園に変更しようと耕していたその矢先、「11.3.11」の東日本大震災が発生した。東京電力の供給地域は計画停電が実施され、我家も3/16から3日間、3時間の停電を余儀なくされた。東電管内の大停電を防ぐ為、受給バランスを維持すべく、需要地域をメッシュに細分し、かわりばんこに停電させる措置だった。未曾有の大事故であることを認識し、消費者は冷静にこれを受けとめて、節電意識は急速に高まった。その後、大口需要家の停電協力が強化されて、一般家庭の計画停電は回避された。
芝生庭園から物干竿を2本立ててネットを張ったニガウリのグリーンカーテン。
梅の木にもニガウリをからませた。
築山の樹林を透して涼風が流れる。
門灯の蛍光器具を取り外して、LEDソーラー庭園灯器具に取り替えた。
玄関にメダカ鉢を置き、涼を呼ぶ。水草は田んぼから採って来たオモダカ。
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