群馬学シンポジウム天明三年浅間焼け-復興と語り継ぎが育む減災文化-<24.12.15記> 玉村町の群馬県立女子大学でのシンポジウム。11.3.11東日本大震災を経験する中で、減災という考え方が浮かび上がってる。どんなに準備しても災害をゼロにすることはできないからだ。
起こった災害に対して、どうしたら被害を最小限に止められるのか。その一つとして、過去の災害に学ぶことが何よりも重要である。群馬県で大きな災害は天明三年の浅間山の噴火による災害である。巷では「浅間焼け」とよんでいる。土石流によって利根川筋が大被害を受けた。未だにその全貌は明らかになっていないが、道路工事や、下水道工事などの掘削時に思わぬ浅間焼け関連の遺物が発見されている。 パネリストは嬬恋郷土資料館名誉館長の松島榮治氏・高山村立高山小学校教諭の関俊明氏・少林山達磨寺住職の廣瀬正史氏・国立国語研究所時空間変異研究系特認教授の竹田晃子氏である。 松島氏は浅間山麓埋没村落の総合調査会のメンバーとして鎌原(かんばら)村の発掘調査に当たり、”災害考古学”の幕開けと評価された。 関氏は群馬県立埋蔵文化財調査事業団に勤務し、発掘調査を通して天明三年の浅間災害と関わり「浅間山大噴火の爪痕」を著している。 廣瀬氏は浅間焼けが天明の大飢饉の一因となって、それに苦しむ農民救済のため九代目住職の東嶽和尚が副業として達磨作りを指導した。今では高崎達磨として全国生産の8割を占めているという話を紹介。 竹田氏は11.3.11の震災時に、被災者の方言に救済者の医師らが意味がわからず、地元の通訳が必要だったという話を紹介。このため、遅ればせながら、「東北方言オノマトペ(onomatopoeia)<擬音語・擬態語 >用例集」の作成に携わっているという。
松島氏の基調講演
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発掘された老婆を負った女性のミイラ
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聴講者はほとんど群馬県民であり、浅間焼けのことについて知ってはいたが、関係者の生々しい話に固唾をのんで引き込まれ、改めて災害の語り継ぎが大切であることを覚った。
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世界遺産候補の一つ-田島弥平旧宅<24.10.27記> 群馬県は今、世界遺産の登録に向けて湧き立っている。「富岡製糸場と絹産業遺産群」である。それを構成する一つに「田島弥平旧宅」がある。場所は群馬県伊勢崎市境島村。地図を気をつけて見ないと分かりづらいが、利根川を左岸から右岸に越えた埼玉県側にある。利根川は人の手が加わらない頃は、洪水のたびに流れが変る氾濫原であった。大正時代に蛇行している河川を直線的に改修し、洪水の被害を防ぐことにした。このことによって県境が河川の両側に分断された箇所があちこちに発生した。中には平成の大合併によって土地交換された所もある。 それはさて置き、なぜ田島弥平かということであるが、一言で云えば「良質繭の研究者」ということになろう。彼は江戸時代末期から明治期にかけて蚕種を生産するため、空気の流れを重視した技法を確立した。それを公開し全国各地からきた研修生に伝授した。イタリアへ蚕種を直接輸出している。旧宅といってもそれ自体が養蚕工場であり、関連施設とともに、広大な面積を要している。周辺には江戸時代の民家が数多く現存しており、歴史散策が堪能できる。 世界遺産を目指すためには先に国史跡として指定する必要がある。そして手順通りことは運んで、田島弥平旧宅の記念式典が10月27、28日盛大に行なわれ、各種イベントが催されるこになった。式典とイベントは境島小学校の体育館で行なわれ、田島弥平旧宅が特別公開された。
県道295号を島村渡船で渡る
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式典・イベント会場
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田島弥平旧宅
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旧宅遠景
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さくらの里<24.4.29記> 場所は妙義山。関越自動車道の藤岡ジャンクションから上信越自動車道に入る。富岡インターチェンジの手前から峻厳な岩山が姿を現す。アクセスの多くは松井田妙義ICからだが、目的地の所在地に敬意を表して、僕達は下仁田ICを下りることが多い。道の駅で小用をたして、あとは標識に従って曲がり真直ぐで、すいた道中を楽しむ。鄙びた山間の風景が郷愁をよぶ。家の周りの花木や草花に住む人の優しさを想う。
行く手に岩峰が見え隠れし、高度を上げるにしたがって葉桜から若返りし、駐車場に着いたときには、微風の樹林に桜の花びらがチラホラと落ちているところであった。駐車場は上下に三段ある。松井田妙義ICからアクセスした場合、最上段の駐車場が満杯のときに、その陰に隠れて二,三段目の駐車場の存在に気がつかないことが多い。下仁田ICからのアクセスではその心配がない。僕達が後者を選ぶ理由の一つでもある。帰りは松井田妙義ICへの周回ルートにすれば、景色を充分に楽しめる。
穏やかな日和
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梢越しに岩山
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帰路の急斜面にはパラグライダーを楽しむ若者が次々と風をとらえて飛び立っていた。上空を見上げると、無数のライダーが乱舞していた。
パラグライダー
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上空で乱舞
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大胡城を囲む史跡めぐり<24.4.22記> 赤城山の南面山麓に前橋市大胡(おおご)町がある。城下町であり宿場町でもある。それだけに城址や寺社を中心にして往時を彷彿とさせる史跡が多い。この日、大胡歴史研究会の主催による標題の催し物があった。参加者は約30人である。 スタートは上毛電気鉄道の大胡駅である。今では採算に苦しむ地方電鉄であるが、かつては糸の街と云われた前橋と、織物の街と云われた桐生とを結ぶ重要路線であった。大胡はほぼ中間地点にあり、大いに栄えた。この鉄道も生糸の衰退と、モータリゼーションの影響をもろに受けてしまった。そこで、各種イベントを開催したり、車内に自転車を持ち込めるようにして、乗車率を高めようとそれなりに努力している。今日の史跡めぐりもその一環として共催された。 史跡めぐりのコースは3.9kmを2時間をかけて廻り、研究会の会員が引率しながら解説した。車の通る狭い道を縦長に歩くために20分ほど時間をオーバーした。それぞれの見学ポイントでは、鉄道会社の職員や僧職が解説してくれた。若干の肌寒さも、山道歩きにはむしろ快適であった。
大胡電車庫を見学
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長興寺
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大胡城跡
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大胡神社
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養林寺
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長善寺
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前橋公園の桜<24.4.13記> この3日間ほど暖かい日が続いて、昨年より5日ほど遅れていた桜の開花が一気に満開となった。どこもかしこも待ちわびていた人々の顔は明るい。明日は雨の予報だが、「花と緑のぐんまづくりー2012in前橋」のフェスティバルが4月14日〜5月13日まで開催される。
群馬県庁と さちの池
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さちの池
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グリーンドーム前橋
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臨江閣
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