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2013年

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取材地域は、主として群馬県の前橋市です。
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養蚕の研究者-高山長五郎

養蚕の研究者-高山長五郎<25.2.9記>

 所は群馬県藤岡市高山237番地。関東平野から山岳地帯へ移行する入会地である。そんな山間の一つに三名川の細流があり、その畔に「国指定史跡-高山社」がある。今でこそ周辺にはゴルフ場がゴロゴロしているが、かつては養蚕が盛んな土地で、外貨を稼ぐ生糸の生産地であった。数ある養蚕農家を束ねていたのは、高山長五郎という人物。嘉永元年(1848)に18歳で名主となった。先祖伝来の屋敷を養蚕に適した構造に替えて、養蚕技術を研究し、養蚕飼育法を確立した。明治3年(1870)に高山組を組織し伝習所を開校した。
 明治16年、その飼育法を「清温育」と称して、全国から集まった生徒を指導した。翌17年、「養蚕改良高山社」と改称し、明治19年56歳で死去し、副社長であった町田菊次郎が社長に就任した。翌20年、藤岡町に事務所と伝習所を移し、明治34年「私立甲種高山社蚕業学校」を開校した。全国から生徒が集まり、多くの伝習者を輩出して各地で活躍することになった。昭和2年に役目を終えて廃校となった。


国指定史跡-高山社



長屋門


蚕室

 200mほど離れた高みに菩提寺興禅院があり、左手奥に高山長五郎の墓がある。


興禅院


高山長五郎の墓

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