主として前橋・伊勢崎・玉村周辺の、平野部における田園地帯の季節の移り変りをお伝えします。 目次
1月 麦踏み - 上州の冬は空っ風が強い。関東平野の北部に位置する群馬県は、上越国境の山脈を越えて乾いた北風がモロに吹き抜ける。時には気まぐれに冬型の気圧配置が崩れて15cm程の降雪があったかと思うと、春のような日和があったりするが、圧倒的に空っ風のほうが多い。
- そんな中を田園では12月から3月の初旬まで、麦踏のローラー転がしが黙々と行われる。 これによって分蘖(ぶんけつ)を促がすためである。
ローラーによる麦踏
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2月 早春の花 - 2月中旬には、田んぼの畦道に沢山の野草が花開く。日が少し伸びて、農家の土蔵に当たる日差しも強くなってきたようだ。
オオイヌノフグリとホトケノザ
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農家の佇まい
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- 2002年は畜産農家にとって狂牛病に揺れた年であった。狂牛病という名称ははその後、牛海綿状脳症(BSE)と呼ぶようになったが、畜産農家のダメージは大きくその傷はなかなか癒えなかった。集落のあちこちには牛舎が散在しているが、心なしか牛達でさえ冴えない顔に見えて仕方がなかった。
和牛
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3月 菜の花 - 河川敷に自生する菜の花は、堤防の高みから見渡せるだけに圧巻である。サイクリングロードを走るほどに、遠くの山並みまで広がるワイドな景観に飽くことを知らない。しかも花の期間が3月初旬から4月の下旬まで、2箇月も咲いていてくれるのが嬉しい。
中州に咲く菜の花
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上越国境の連峰も、下旬になると少しずつ山肌が表れてくる。近くの造り酒屋の軒にツバメの来訪を見たのが3月28日。我が家には4月1日に訪れた。
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4月 花の競演 - 初旬、あらゆる花が一気に開花する。公園や河川の堤防には桜、果樹園には桃の花、まさに花の競演である。
桜咲く麦畑
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桃の果樹園
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- 続いて梨園の花が咲く。じゃが芋は燦々と日を浴びて、茎を太らせ葉を茂らせている。
梨の花
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じゃが芋
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5月 薫風
- ひばりのホバリングが盛ん。天高くさえずっていたかと思うと、突然落下するように麦畑に舞い降りる。それがあちこちで繰り広げられるのである。
- 下旬、二条麦が出穂し花を付ける。10日ほど間を置いて農林61号が後を追いかける。緑の平原を透明の風が駆け抜ける。穂は風にそよいで陽光を反射し、うねりとなって薫風を視覚化してくれる。
風にそよぐ二条麦 |
- 農家の人達は、冬の麦踏を終えてから後、しばらく姿が見えない。麦刈りの頃までは農機械もお休みである。農道はウォーキングの人達が独占しているかのようだ。
- 麦の緑と競演するように咲き誇っていた菜の花も、そろそろ終わりである。4月の中旬頃から屋敷の広い農家には鯉のぼりが青空を泳ぐ。遊休地にはレンゲソウが赤紫のじゅうたんを広げている。ミツバチが花から花へと盛んに蜜を集めている。どこかの親子が花摘みをしていた。童心に返る風景である。
レンゲ畑にて
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少なくなった鯉のぼり
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立夏
- 葱がしっかりと力強く葱坊主を支えている。茎の根元からおしょって、小便を流し込んで遊んだ子供の頃の記憶が甦る。
- 小麦よりも半月ほど早く大麦が色づく。風にそよいで穂がメトロノームのように揺れる。
葱坊主
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大麦の色づき
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- 牧草の刈り取りが始まる。たかが牧草というなかれ。牛の口に入るまでの過程は、結構な工程を辿るのだ。暇がないので、全工程を取材できないのが残念だが、おおざっぱに言えば次のとおりである。
- ディスクモアー(モアーコンディショナー)で刈り取る。
- 刈り取った牧草を、ロータリーテッターという機械で拡散して乾かす。
- 乾いた牧草をレーキという機械で畝状に集める。
- これをロールベーラーという機械で、直径150cm,長さ120cm,重さ350〜400kgのロール状にまるめ、白糸で巻かれて地上に転がり出る。
- 次に、ラッピングマシーンという機械でポリエチレンフィルムを巻きつけて、ラップサイレージが完成。
- この状態でその辺に転がしておけば、乳酸菌発酵が促進される。
- なお、良く乾燥できた場合は、ラップせずに乾草として保存できる。
ロールベーラーからゴロン
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ロールベールサイレージ
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ラッピングマシーン
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ラップサイレージ
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- なお、この牧草はイタリアン-ライグラスといい、今年の一番草で、放っておけば切り株から二番草が出てきて、また収穫できるそうだ。
- 「群馬歳時記」の取材においては、規模の大きい麦と稲の取材が多かった。なんと言っても、機械農業の面白さがあるからである。それに素人でも取材が楽なのだ。一々断らなくてもシャッターを切りやすい。
- しかし、機械を使わない作業風景の撮影はそうはいかない。撮影対象の中心が人物だからである。やはり断った上で撮らせて貰うのが礼儀である。
- そんなわけだが、農家の人達と顔見知りになるにしたがって、人物主体の作業風景も撮る機会が多くなってきた。
- 集落の周辺には菜園があり、この時期、玉葱の収穫に余念がない。「玉葱の出来が良くて結構ですね。」というと、「だけど今年は相場が安くて駄目だよね。」と返事が返ってきた。
玉葱
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玉葱の収穫
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- 前回、牧草の刈取り風景を取材したが、それはロールサイレージにする方法であった。今回、昔ながらのサイロに投入するための刈取り風景を取材できたので紹介する。
- ハーベスターという機械で刈取り、細断してホッパーに積み込み、畜舎まで運搬して、サイロに投入するのである。
ハーベスターによる刈取り
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牧草のトウモロコシ
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- 牧草には色々あるが、トウモロコシもその一つで、現在すくすくと育っている。1丈(約3m)程に生長し、実が付くと刈取るのである。写真の一番向こうが収穫後のサイレージ、若草の草原はイタリアン-ライグラスを刈取った後の2番草が伸長している状況、一番手前がトウモロコシである。これらの作業は、安定した晴天のもとで黙々と行われた。
- 二条麦の麦秋が5月中旬に始り、10日ほど遅れて農林61号の麦秋である。
農林61号の麦秋 |
群馬県の麦の作付けは、北海道、佐賀、福岡、栃木に次いで全国5位だ。二条大麦2割に対して小麦8割、このうちの大半がうどんの原料となる農林61号である。
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6月麦刈り
- 広大な関東平野は、圃場が区画整備されていて、その中を農業用水路が網の目のように敷設されている。
- 用水路には長い年月の間に中州ができて葦が生え、鳥の生息地になっている。魚を漁るサギや鴨などが多い。
- 初旬、集落の生活道路には、今を盛りとハナショウブが咲いている。僕らはあちこちと日をかえて、ウォーキングやサイクリングで花をめで、カッコウやホトトギスの声を聞いて楽しむのである。
農業用水路
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ハナショウブ
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- 梅雨入りは10日前後である。天気予報が当たるようになった現在、農家は農作物の収穫時期を決めるのに天気予報は欠かせないものになっている。これを頼りに麦刈りの時期を判断するのである。少し早いが乾燥状態で刈取るか、刈取り適期を梅雨の晴れ間に狙うか賭けみたいなものだ。
- 主力栽培種の農林61号の麦刈り時期は、概して10日〜20日頃である。梅雨期に重なるわけだ。刈取りの適期は穂の傾き度が50度であるという。これを手斧(ちょうな)の形にたとえて、「ちょうな首」というのだそうだ。下の写真を見るとまだほとんど傾いていない。まだ刈取りの時期になっていないということになる。
手前の白いのがツルピカリ、
向こうの茶色が農林61号
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- しかし、ある集落では刈り取りを始めた。そのように判断させたのには理由があった。5月の晴天が長く続いて干害があったらしい。このため風に揺らいで穂と穂がぶつかり、落実が起こっているのだそうだ。これ以上の被害を防ぐために早いうちの刈り取りを決断させたというわけだ。
コンバインで刈り取って
軽トラに移送
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- 一方、別の集落では梅雨に入っても刈取りをしないところもあった。実りの適期を優先したのだろうか。
霧雨に濡れる麦穂と蜘蛛の巣
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- この場合は、梅雨の晴れ間をねらっても、コンバインのキャタビラがめり込んで作業性が悪くなるが仕方がない。農家はよっぽど大降りにならない限り、農作業を止めることはできないのだ。スケジュールに沿って、田起こし・肥料撒きと余念がない。すでに屋敷の苗床では稲苗がスタンバイしているのである。
農林61号麦の刈取り |
- 麦刈りが終わると、脱穀後の麦殻を処理しなければならない。簡単な方法は燃やすことである。ところが群馬県は、平成12年に野焼き防止条例を布いた。これには農作物の廃材も対象となっている。以前は麦殻焼却の煙公害で、高速道路の道路情報版に「霧発生注意」の文字が点灯されるほどの笑えない風物詩の時代があった。
麦殻を燃やす
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- 条例施行後、焼却はかなり減った。今しばらくは罰則のない条例として運用されるようだ。
- 農業もいま資源循環型経営が求められる時代となった。焼却に代わるものとして、再び堆肥として畑に鋤き込んだり、脱穀後の麦稈(ばっかん)を牛舎の敷ワラに使用するようになった。
麦株を鋤き込む |
四角い麦殻がストンストン
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未来農業とは洒落ている
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早苗 - 集落の苗床では早苗が息づいていた。苗床は畑の一角を均してビニールシートを敷き、四辺を角材で囲って水張をする。苗箱を並べて籾(もみ)を蒔き、透明ビニールでマルチングをして保温と防風を行なって育つのだ。
稲苗も順調に育つ |
苗代
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- 案の定と言うべきか、前回、麦の落実のことに触れたが、その実が再び芽吹いてしまった。写真を見ただけでは、種蒔きと勘違いしてしまう程の様相を呈している。収穫の歩留まりは大変悪くなるに違いない。
- いっそのことなら、このまま二期作に持っていけないものかと、ド素人の僕は単純な発想をしてしまうのである。
- 中旬、農家の人達は、この畑に躊躇なく耕運機を入れた。雨に煙る遠くの森、畑が濡れて黒く沈んでいる。農夫は黙々として重い土と戦っているのだ。
落実した麦の芽吹き
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耕運機で耕す
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- 雨が止むと、麦を刈取られて巣を失った雲雀が、それでも天高く囀っているのは習性というものだろうか。やがて田園は、水鳥に取って代わる。遠くの森からは時折、澄んだカッコウの声が聞えてくる。
- 用水が利根川のダムから導水し、用水路が複雑に枝分かれして、上流側の田圃から逐次潤していく。
各所に堰を設けて分水
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代掻き
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田植え - 夏至のころ(20日前後)田植えが開始される。この季節あちこちの屋敷には紫陽花が咲いている。平地林の森から響いてくる力強い鳴き声はカッコウだ。
- 田植えが始まった。篠突く雨。雨雲が低く垂れ込めて薄暗い。農夫は菅笠と合羽を着けて田植機を動かしている。
田植えが始まった
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- 農道は軽トラが賑やかだ。苗箱を次々に運び入れ、農道の端に並べる。それを田植え機にセットして動き出すと、泥田は瞬く間に田んぼと化していく。
苗を田植機にセット
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人馬?一体、田植えも順調
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7月 無人ヘリ農薬散布
- 7月初旬、農道に面した田んぼの畦に白い札が立てられた。「無人ヘリ水稲防除確認立札」と書いてある。早い話がラジコンヘリコプターによる農薬散布である。
- 散布は年に2回実施される。次は20日頃、天候が良ければ5時から6時頃の凪状態の中で行なわれる。
- 作業チームの編成は指揮者1名、操縦者1名、農薬・燃料等準備係2名の他に、農家立会人1名という構成である。準備係は確認票をはずして指揮者に渡す。指揮者は図面にチェックしながら、プログラムに沿って操縦者に指示する、という具合である。チームの息はピッタリ合って、僕の目算では長方形のほぼ30aの田んぼを3往復、1分間程度のまさにあっという間の作業であった。
- 機体はYAMAHA、大きさは軽トラに載る程度のものである。
愛機とオペレーター
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颯爽と任務を果たす無人ヘリ
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- 農薬散布がすべて無人ヘリによるとは限らない。人力による方法もいまだに行なわれている。営農作業を委託すればコストが上がるが、自ら行なえばコストは抑えられる。その原則に基いて農薬散布を夫婦二人でできればそれにこしたことはない。
- 田圃のあっちとこっちの畦に穴の開いたホースを渡し、コンプレッサーから農薬を噴出させるのである。夜明けの風の弱い時間帯にマスクを着けて、風下から風上に移動して散布するのである。
人力による農薬散布
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土用 雷の襲来が多かったのは、高温続きと関係があるのだろう。地元紙を見ても、高温による異常現象のニュースで賑わった。熱帯のキノコが生えた。バナナの実がなった。80歳になるお婆さんがサトイモの花が咲いたのを生まれて初めて見たなどである。
サトイモの花
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- 土用の丑の日、こ頃、関東地方は梅雨が明ける。そして体温を超える日がときどきやってくる。
- 稲はすくすくと伸びる。植えたばかりの、なよなよした状態を脱して丈夫な株立ちになる
。その水の中をよく見ると、何やらうごめいている物がいる。カブトエビやホウネンエビである。あっちこっちの田圃を観察してみると、これらの水生小動物は半数の田に確認できた。
水の中で稲は伸びていく
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- 畦道の散策を続けていると、小学生姉弟を連れた親子と爺ちゃんがはしゃいでいた。先ほどの水生動物を捕っていたのである。布製の捕虫ネットで掬ってプラスチックの水槽に入れている。こういうときは爺ちゃんは張り切るもので、嬉々として捕り方を孫達に教えている。その成果は写真のとおりである。
カブトエビ
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ホウネンエビ
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- カブトエビもホウネンエビも水田の除草をしてくれるので、その意味からすると益虫ということになる。これらの虫が多く発生した年は豊作になるとの言い伝えがあるが、現実にはそう単純な話ではなさそうだ。農薬を使わない昔ならいざ知らず、現代農業の元では無農薬の営農は極めて困難だからである。
- 2週間後の20日頃、その後の水生動物たちがどうしているか観察に出かけた。すでに約半数以上の田圃で土用干しが行われていた。田が干上がっているのだから彼らの姿はない。水の残っている田にも姿はほとんど見られなかった。
- ふと用水路を見ると鴨の親子が泳いでいた。僕が近づくと右側のコンクリート壁に雛を押し付けて身じろぎをせずにいたが、さらに近づくとバシャリと一つ羽ばたいて上流へ向けて遠ざかって行った。驚かせてご免よ。僕にとってはなごみの瞬間だったのだ。
用水路を泳ぐ鴨の親子
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8月 落雷
- 7、8月は雷が多い。ある8月の初め、夕刻から始まった雷は広い範囲にわたって集中豪雨と疾風をもたらした。雷鳴はガラス戸を震わせて、しばしば停電が発生した。小さい子供のいる家庭は、そのつど恐怖の悲鳴を上げたに違いない。
- 雷様は延々と2時間も居続けた。豪雨の中をサイレンがけたたましく交錯した。二階の窓からカーテンを開けて暗い屋外を見ると、200m程向うの農道を赤い回転灯が何台も走って行く。これは農家に落雷があったのだなと察しが付いた。
- 翌日それは現実の被災事故として、上毛新聞の記事となった。事故はこれだけに留まらず、普段なら見通しの良い農道の交差点で、3台の乗用車の衝突事故があったのである。しかし、豪雨のなか警察もどうにもならずに、現場検証は翌朝カラリと晴れ上がった中で行なわれた。僕はたまたま通勤途上でその場を通ったのであるが、1台は路上、2台は仲良く田んぼの中に突っ込んでいた。農家のおじさんも、どうしようもない顔で立ち合っていたのである。
- 翌々日、ウォーキング中に2箇所に落雷の痕を見た。しめ縄の張られた田んぼである。稲妻とはよくいったものだと感心する。稲妻は稲の夫(つま)の意であり、古代の農民の間では、稲が稲妻によって霊的なものと結合し、穂を実らせると信じられていたのだそうだ。竹を立ててしめ縄を張る風習はその名残であろう。
茶色く焦げた田んぼ
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- 20日頃に出穂が確認されて、稲は順調に育っていく。落雷に遭った稲もこの頃勢いを取り戻す。25日には盛大に伊勢崎花火が打ち上げられて、農家の人達もしばしの憩いである。音の後追いであるが、見るだけならこの田園からもよく見えるのである。
伊勢崎の花火
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- 畦に「指定種子採種ほ(圃)」という札が立っている。群馬県の奨励品種「ゴロピカリ」の種子を採るための田んぼである。それらの田んぼはどのような管理がされているのか知らないが、稗などの雑草もなく、生育むらもない。
今は少なくなった案山子
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9月 敬老の日 暑い夏が過ぎて、農作物は順調に生育したようだ。10日頃稲の穂が垂れて、鳥よけの処置があちこちで行なわれた。他の穀物も勢いがいい。戦前戦後に栽培された高粱(コウリャン)が、いまだ健在で懐かしい。
鳥よけ
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高粱(コウリャン)
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- 高粱の隣には胡麻が植えられていた。これまた茎が真っ直ぐに伸びて、実がびっしりと付いている。昔は柿の木の下には、胡麻を作るなと言われていた。これには一理あって、柿の枝はもろくて折れやすい。実を取るために木に上って落っこちて、胡麻の茎で目を突くからだという。
- 古代米の栽培も近頃さかんだ。昔返りとでも言うのだろうか、蔵から骨董的な道具類が引っ張り出されて、何十年ぶりかで祭事が復活したなどの記事が新聞に載ったりする。
- 古代米も神事に使われるのである。僕も食べたことがあるが、中々の美味である。現代米に混ぜると、紅紫色に染まって、これがほんとの赤飯であろうか。現代米と比べると背が高く、粒は小さいが穂が長い。少々の風でも倒れないような力強い茎である。何と言っても焦茶色の姿が際立っている。
胡麻
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古代米と現代米
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今日、今年最後の公園の草むしりが終わった。もう草は伸びないのである。その代りに実が充実して来年に備えるというわけだ。ツバメも田圃の上を乱舞して南に帰るタイミングを計っている。
休耕田 - 減反政策が強化されて、わが駒形町の農業機械化組合は自ら範を垂れて、今年は稲作をやめた。
- そこで、何をしたかと言うと、広大な田園をお花畑にしたのである。新興住宅団地の東善町にも呼びかけて、地域住民へのサービスにこれ努めた。
- 夏も過ぎて陽が燦然と輝き、若いヒマワリが一斉に太陽に顔を向けた。団地の向こうには榛名山の連峰が青空を画している。
ヒマワリ迷路
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地域住民のみならず、ここを通りかかる車までが、思わず驚嘆して眺めて行くほどである。近くの保育園や幼稚園も、絶好の遠足コースに恵まれたのだ。
黄花コスモス
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コスモス
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コスモスは咲き出したばかりであるが、秋の収穫祭の頃には最盛期となろう。地域住民も願ってもない憩いの場の出現を大歓迎である。
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10月 稲刈り
- 多かれ少なかれ、毎年「被害表示立て札」が畦道に立てられる。農作物の収穫量は天候によるところが大きいが、稲も穂が垂れる頃に強風に見舞われると、倒伏被害が発生する。
- 初旬、群馬県の開発品種ゴロピカリは稲穂が黄色味を増し、葉の緑色と彩を成してまさに黄金色となる。収穫前の今頃がもっとも美しい時期である。
- 中旬、この頃は快晴の日が続く。適度な北風で、首都圏のスモッグを寄せ付けない。上毛三山(赤城山・榛名山・妙義山)を始め、栃木県・埼玉県の連山も至近の距離だ。
- あちこちでコンバインが活動を始める。短冊形の田んぼを四角の渦巻きを描くように、反時計方向に刈り取っていく。これはコンバインの構造上の問題である。車両の左側に刃がついているからだ。
- 脱穀後、籾は次の二通りの方法で集められる。一つはコンバインから、農道に待機している軽トラのホッパーに投入する方法。もう一つは、コンバインに収納袋をセットしてパックされる方法である。
脱穀米を軽トラに移送、後方赤城山
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脱穀米の袋詰、赤い屋根は牛舎
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- 刈り入れの取材に行くと、またあの少年に行き会った。またとは、田植えのときに顔に泥をとばして、こまねずみのように駆け回っていたあの少年のことである。
- 群馬県の平野部は二毛作を行っている。米と麦である。栽培の切換え期にブランクがないので、年二回の播種と収穫のときには、家族総出の農作業になるのが恒例である。
- この少年の家族も、爺ちゃん・婆ちゃん・父ちゃんが主戦力であり、それに少なからずこの少年が侮れない存在になっているようであった。田植機の運転は父ちゃん、軽トラによる苗箱の運搬は爺ちゃん、その苗箱を畦まで運ぶのは婆ちゃん、田植え機が条植えして戻ってくると、少年が苗箱を田植え機にセットするという具合である。
- その家族が今日は収穫の作業におおわらわであった。田植えのときと違って役割分担は少なくてすむらしい。というのは刈り取った稲はそのまま機械で脱穀し、その籾は畦道で待機している軽トラのホッパーにシュートすればいいからである。しかし田んぼの四隅だけは稲刈鎌で刈らなければならない。これは機械作業のできない部分であるからだ。この作業を婆ちゃんがやっていた。爺ちゃんは軽トラによる運搬作業である。少年はコンバインの助手席に乗って、父ちゃんの仕事ぶりをじっと観察していた。
少年と父
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- 子供が楽しい顔をして農作業をやっている場面を久しく見なかっただけに、僕は実に嬉しくなってしまった。戦前戦後から昭和30年代の復興期までは、どこの家でも子供は貴重な労働力であったのである。
- 今日は日曜日、この少年は小学生だろうから平日は手伝えないが、いきいきとした顔を見ると、なんとなく、いい営農家になれるのではないかと思ってしまう。
- 稲刈りの最盛期は中旬、日が短くなってきた長野県境の連峰は茜色に染まり、少年の充実した一日が終わった。
田園の夕闇
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- 今は農家も高齢化が進んで、農繁期にはお年寄り夫婦だけでは対応が難しい。そこで活躍するのが機械化組合である。オーナーの農家は組合に委託するのである。
- 稲の刈り取りは自営の場合は適正期に行えるが、依託している場合はスケジュールの関係で月末にまで亘ることになる。
- 依託された機械化組合は、脱兎の如く走り廻って、30アール位の田圃は15分程でそれこそアッという間に片付いてしまう。おそらく無駄のない機械操作がプログラムされているのだろう。下の写真は、コンバインが3台しか写っていないが、実際には4台でフル稼働していた。
刈取り三重連
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2台でホッパー投入
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- 平野部の稲刈りは13日頃から始まって20日頃がピーク、そして月末にはあらかた終わった。
- 脱穀後の稲藁の処理には二つの方法があるようだ。一つは細かく裁断し、燃やすか堆肥化する。二つ目は牛の飼料としてロールにするのである。
- ロールにも二通りの方法がある。ポリエチレンのフィルムで包む方法と、裸のままの方法である。ポリフィルムで包む方は、刈り取ったものをすぐに包み、乳酸菌発酵させる場合であり、裸ロールの方は乾燥させてロールにする場合である。
ポリフィルムロール
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裸ロール
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- 稲藁を乾燥している風景は秋の風物詩として懐かしい。背景の山は赤城山、中腹まで赤くなって行楽の車が多い時期である。
稲藁の乾燥
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月末に浅間山や谷川岳が初冠雪を迎えた。
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11月 立冬 - 初旬に浅間山や新潟県境の山々に初冠雪が輝いた。そして7日は立冬。田園からいつも見ている赤城山も、麓の方まで赤く染まってきた。まだ空っ風もやってこないので、温暖な日が続いている。たまには時雨もあって、そんなときには虹が発生する。
- 里では柿やカリンが収穫のさなかとなった。秋野菜も大根や白菜などがもうじきだ。ブロッコリはこれから大きくなる。玉葱は年を越して、春に収穫する。これらは農家の屋敷周りにつくられる。
柿のある農家
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カリンのある農家
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- 田園は稲刈りもすっかり終わり、稲わらは牛の餌とするためにロール状のサイレージにされる。耕運機があちこちで活動を開始した。そして苦土石灰を散布し、牛糞を撒いたあと土を均して麦撒きである。20日頃まで田園は賑やかとなろう。
農道に並ぶサイレージ
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土均し
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寒風 - 立冬の頃に続いた小春日和も、中旬、一転して冬型の気圧配置に変わった。等圧線が縦になって空っ風が吹き出した。
- 稲刈りの終わった田園は、脱穀を終えた稲藁が並んで初冬の風情をかもし出している。その農道で中学校の校内マラソンが行われていた。この季節、各校で行われる年中行事である。
脱穀の藁積みと榛名山
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校内マラソン
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- あちこちの集落にはたいがい牛舎がある。平成13年には、群馬県で国内3頭目の狂牛病の牛が発見されたのである。他県で狂牛が見つかったあと、群馬県の検査体制が確立し、学校給食の牛肉禁止が解禁された矢先の大事件となった。
- 集落の屋敷周辺では、収穫が終わって葉を落とした柿の木の剪定が行われていた。寒風の吹きすさぶ中を脚立に上り、盛んに剪定バサミを使っているのは、先月まで稲刈りをし、麦撒きをしていたお爺さんである。
- 僕も庭に柿ノ木が1本あるので、剪定と虫退治について少し教えを乞うた。話していて驚いたのは、70歳台だと思ったお爺さんが、明治44年(1911年)生まれだったことだ。90歳ということになる。剪定した枝を片付けている奥さんは、4歳下の86歳であるという。共に背筋がピンと伸びていて元気なものだ。
- おじいさんの整枝剪定は、実に鮮やかな手捌きのもとに行われた。混み合う枝を切り落とし、樹形の枝先が、ほぼ等間隔を保っているのである。
乳牛の日光浴
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柿の剪定
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麦蒔き - 稲刈り後、田んぼはコンバインで切断された藁を鋤き込み耕される。十分に堆肥化して圃場(ほじょう)としての表面を均斉にする作業に取りかかる。
麦蒔き
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- 麦蒔は、10日前後に小麦から始まり、20日前後に大麦でほぼ終わる。
- 機械の後部には、プラスチックのホッパーが五個から十個セットされている。それぞれのホッパーは二つに分割されていて、タネと化成肥料を入れる。その後ろにはローラーが付いていて、播種したあとを押さえていくのである。
- 20日頃には小麦の芽出しがあり、暮れまでには5cm程に育つのである。
小麦の芽出し
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毎年今ごろの季節になると、百舌のハヤニエがあちこちに見られる。蛙やトカゲが犠牲になる風景だ。けたたましくキーキイキイと縄張り宣言をする。「百舌の高鳴き75日」といって、鳴き始めて75日間ほど冬の餌捕りに終始するのである。
山椒のとげに、ハヤ贄のトカゲ
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田園地帯の周辺には、畜産農家が点在している。乳牛用ホルスタイン・食肉用和牛・鶏卵用の鶏などである。10年位前までは、養豚農家もあったが、団地造成のあおりを受けて、赤城山の中腹に追いやられて行った感じだ。臭いが特別強いのである。
乳牛の飼育
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12月 畜産
- 暮れも押し迫って、畜産農家の人達は牧草刈りに余念がない。燕麦である。ロールにした牧草を、ラッピングマシーンで包み込んでいるところである。この作業は息子さんがやっていた。牧草をロールにする作業は、別の機械で親父さんがやっていたが、刈り取りを終えると、次の牧草地に疾風のごとく走り去ってしまった。息子さんはというと、ラッピングを走りながら行い、牛舎に着くとすぐに荷降ろしするという寸法だ。このように処理そされた飼料をサイレージというのだそうだ。
牧草のラッピング
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