このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
『赤いシェルパに憧れて』がこのときのテーマ。首都圏では見られない赤い交流電機、その中でも板谷越えのために開発されたEF71は交流機のロクサンのような存在でした。
上野発23:55急行<あづま2号>仙台行き(福島からは普通)で出発。455系の6両編成、うしろだったか前だったかにはそっくり同じ編成の<ばんだい6号>会津若松行き、郡山までは併結運転です。お盆のピークは外してUターンの始まる日を狙ったはずでしたが結構混雑していた記憶があります。
それにしても福島県へ行く夜行列車があったとは・・・。
駅名に惹かれて訪ねた峠駅。乗ってきた秋田行き421列車がスイッチバックから本線へ退行してゆくところです。
駅周囲に人家はほんの数軒、それも全員国鉄関係者と助役さんに伺った記憶があります。峠の力餅は売れたでしょうか。
赤岩まで戻り撮影開始。まずは山形始発の<やまばと1号>から。肌寒い小雨模様でした。
赤岩から始まって、板谷、峠、大沢まで4駅、スイッチバックが連続してありました。
鈍行ではありません。普通車だけの編成ですが上野発の急行列車です。旧盆輸送はありったけの車両をかき集めての物量作戦でした。
臨時特急<つばさ51号>。ぼくは「真昼のブルートレイン」と呼んでいました。なんとゴージャス!EF71の重連です。
こんにちコイツが走っているならば、コイツを軸に計画するところですが・・・やはりガキでした。
福島駅にて。
また1本、奥羽本線から臨時急行が峠を下ってきました。EF71は任務を終え、こんどはED75が黒磯まで先頭に立ちます。黒磯から上野へはEF65かゴハチか、それとも垂涎のゴシチか。動力近代化が達成されたとはいっても、EF81やEH500が青森だろうが北海道だろうが直通してしまう今日に比べると、目的別に造られた機関車が次々リレーしてゆく情景には蒸気機関車時代に通ずるものがありました。
機関車交換のための長めの停車時間は格好の気分転換でもありました。窮屈な座席から立ち上がってエコノミークラス症候群(そんなコトバはありませんでしたけど)にならぬよう、運動がてらに駅弁売りや蕎麦のスタンドをひやかす…長時間のつらい旅だからそうした時間が貴重であり、たのしかったように思えてきます。
ところで客車にご注目!「千サク」ってまさか千葉鉄道管理局の佐倉? 客車が佐倉に配備されていたのも驚きですし、旧盆輸送を遂行するための苦肉の策にせよ千葉のクルマが奥羽本線の臨時急行に投入されていたのにもびっくりです。さっきスキャンして30年目にして気づいた新事実でした。
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