このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
東武佐野線 渡瀬・佐野・葛生 その1
東武佐野線は、伊勢崎線館林駅から葛生駅までの路線です。
かつて、終点の葛生から石灰石輸送が行われていて、貨物列車が多数運行されていましたが
葛生〜北館林荷扱所までの区間は1997年までに廃止されてしまいました。
その後、北館林信号所〜久喜間の石油輸送は残りましたが、
結局こちらも2003年9月に廃止となりました。
今回は老いて27000様からお預かりしたお写真を中心に、渡瀬(わたらせ)、佐野、葛生周辺のぶらり旅をお送りします。
その1では、駅周辺の様子をご案内いたします。
館林を出発し、最初の駅はここ、渡瀬駅です。 以下4枚、撮影者 管理人 2008/1/3 この日は老いて27000様、D&GWP様と ご一緒させていただきました。 | |
駅前には、館林のシンボル、タヌキの置物が・・・ 館林市内にある茂林寺はぶんぶく茶釜の 舞台になった所です。 | |
渡瀬駅の北方の北館林荷扱所。 貨物列車は2003年に廃止され、現在は 渡瀬駅の留置線となっています。 ここで廃車になった東武電車の解体を行っています。 | |
ここに、かつて貨物列車を牽引していたEDが 留置されています。 | |
1998年01月の佐野駅。 明かり取りの窓があり、素敵な駅舎です。 以下9枚 撮影・文とも老いて27000様 | |
「ここは、どこの駅前でしょう?」 そのように問いかけたく なってしまうような風景です。 写真奥に見える赤色の屋根の建物が鉄道の駅舎。 それにしても、素晴らしいネーミングです。 怖〜い奥様に、「パチンコ行って来るから」ではなく 「ちょっと駅に行って来るから」と言えば良いのですから。 しかも、方角的にも鉄道の駅に行くこととなりますので、 もしも途中で近所の人に出会ったとしても、つじつまが 合います。 このパチンコ屋さんのオーナーは、非常にユーモア あふれる方だったのではないのでしょうか。 | |
しかし、残念ながら、素敵な駅舎は取り壊されてしまい、 橋上駅となっておりました。2003年07月に撮影の 佐野駅です。 2003年の時には未だ工事中でしたが、2008年現在 では、きれいになっていることでしょう。 駅前には、ロータリーや新しい道路ができてしまい、 東京駅の建物は残念ながら見られませんでした。 | |
1990年代及び2000年代前半、我が趣味は、鉄道と 言うよりも、街道宿場の民家がメインで、佐野(天明)も、 その観点から行きました。 「佐野」の町は古く、江戸時代前でも既に東山道の 宿駅だったようですし、江戸初期には春日岡城も ありました。 そして、江戸時代には、「天明」(「てんめい」、「てんみょう」 とも言う)と言う宿場が設置されております。 この天明宿は、例幣使(れいへいし)街道の宿場です。 例幣使街道とは、大まかに言えば、中山道の倉賀野宿 (高崎南方)と日光方面とを結んでおりました(正確には、 倉賀野〜楡木のようですが、一般的には倉賀野〜今市と 把握されるようです)。 そのように江戸時代には既に栄えていたからなのでしょう、 両毛線の佐野駅が設置され、東武佐野線も通ることと なっています。 1998年01月、本町交差点の風景。「本町」ということは、 この辺りが宿場の中心だったのかもしれません。 | |
江戸時代から栄えていたためと思われますが、佐野には 立派な町家があります。 と言っても、家の造りからすると、平成の時代に残っているのは、明治以降の建物かもしれません(私見)。 線が太く堂々とした関東風の建物(蔵造り風)が連なって おりました。1998年01月の撮影。 | |
旧街道と直交する通りの家並み風景。 軒の高さ、下屋の高さが揃っていると、非常にきれいな 家並みとなりますね。 背が高いことより、昭和以降の建物ではないかと 思われます(私見)。 軒下には梁材が等間隔で突出した、東日本風の 建物(出桁造りと言うこともある)が連なっています。 | |
2003年07月の葛生駅構内風景。写真手前が館林方面。 石灰石搬出の最盛期を知っている方ならば、ガランとした 風景に呆然となるものと思われます。 | |
葛生駅の駅舎。2003年07月の撮影。 駅舎は、妻面に出入り口がある「妻入り」となっています。 明かり取り窓がある結構凝ったもの。 1975(昭和50)年に訪れた時、写真右端の所に 自動販売機があり、 当時既に珍しくなっていた、透明半球ドームにジュースの シャワーを流し、紙コップで購入するタイプの販売機でした。 妙にこの販売機が記憶に残っております。 | |
葛生駅前のタクシー会社の建物。2003年07月の撮影。 レイアウトに設置したくなるような建物。残念ながら、撮影当時、既に使われておりませんでした。 |
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