このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
工作室便り
最近、HPの更新が滞り気味で、ご覧いただいている皆様に失望を与えているのではないかと思っております。時間が無くなってくると工作時間が優先され、コンピュータ作業は後回しになってしまいます。そこで、工作状況を気軽にUPするためのこのページを作りました。失敗作や製作中気がついたことなど気ままに書き連ねて行こうと思っています。
珊瑚丸瀬布雨宮21号 (2013.11.13)
2013年7月に珊瑚模型店発売された、丸瀬布雨宮21号です。8月に着工して先ごろようやく生地完成。なかなか作りがいのあるキットで、何度も部品をつけたり外したりしていたのでハンダまみれになってしまった。
特に下回りと上回りの位置関係がよくわからず、キャブ床板の下側に付けるL字型の帯板は何度も付け直しました。後から考えるとこれを先に付けたのが間違いで、フレームと合わせてからつければよかったと組みあがってから気づいた。
ボイラーとキャブ、サイドタンクはすべはんだ付けしまって一体化しているが、この時に各部の直角を出すのも一苦労だった。
動力調整も試行錯誤が続いた。全体的に動輪の上下動が大きく、車輪がスムーズに回らないため、フレームの第3動輪受けがはまる四角形の欠き取りの上側に0.8×0.4mmの帯板を張ったり、イコライザーのV字型の部品を押し広げて軸受の上下動を制限した。それでもロッドが引っ掛かり”く”の字型に曲がるので、第1、2動輪受けの四角形の欠き取りの第3動輪側も少し削った。これで車輪はスムーズに回ったが、モーター装着後にブレーキシューが当たりショートするので、角度を調整した。
これで完成かと思ったが、よく見ると心向棒の角度がおかしく、後方に吊り上っている。補足説明書の指示通りだと、モーションプレートの位置が高いようだったので、2mm位下げた。モーションプレートが付く梁も左右の長さが足りず、手持ちのアングル材で作りなおした。もともとの部品にはフレーム内側にはまる下側に部品が伸びていたが、これはギアボックスのバネの受けになるので、ここに相当する部品も真鍮片から作った。
集電版は上への立ち上がりがあったが、これもカットして導線を直接はんだ付けした。これでようやくスムーずに走るようになったが、もう一度ばらしたら動くか自信がない。分解して余計なはんだをキサゲで取らねばならないが、もう少し走らせて楽しんでからキサゲ作業を行う予定。
以上の調整方法は正しいのか自信はない。特に軸受に当たる部分を削るのは禁じ手のような気がするが、時々やっている。やりすぎて走行時の揺れが大きくなってしまったこともあるので、お勧めはしません。
以上、生存報告を兼ねて。
日車客車の手すり (2012.5.10)
実物の軽便の車両はほとんど実見したことはないのですが、わずかに見ることのできた車両や、写真でみる木造車達は実に優雅です。中でも優雅に感じるのが一部の日車製の客車に取り付けられたデッキの手すりです。この手すりを付けた車両はいつか模型化したく、前々からスケッチや組み立て図を描いていましたが、この連休中にようやく形にすることができました。もちろんこれを1両分4個組み立てる気力はなく、ロストの原形にしようと思っていますが、うまくいくでしょうか?写真の手すりは仙北の客車の原形用に作成したものです。
仙北鉄道ハニ1402 とニフ1405 (2010.12.25)
仙北の2両の客車が生地完成!今年はこれで工作終了です。
九十九里鉄道 ケハ107 生地完成。次回作は仙北1402 (2010.11.13)
九十九里ケハ107は生地完成です。内装も組み立てましたが、車内に無造作に放り込んだのみ。
自分としては合格点の出来です。
年内にあと3台組み立てられれば・・・なんて無謀なことを考えています。時間に追われるように次回作仙北ハニフ1402に着手。今日夕方の突貫工事のおかげで3日目にしてここまでできました。あとは下回りのみと思い見直していたら、妻板の腰板両側に帯板の付け忘れがありました。この次の予定は軽便には珍しいボギー全室荷物車のニフ1405か1409。先に1402を仕上げるか、荷物車の車体を先に作り、下回りの工作は2台一緒にするかは明日以降の気分次第です。
九十九里鉄道 ケハ107(2010.11.3)
九十九里鉄道ケハ107です。鋼板張りになる前のハフ107や同系のハフ108の制作ができるよう、妻板を2種、側板を3種同時に作りました。
これからキサゲがけをして手すりを付けます。
なお、ハフ107と108では妻板の形態が異なるのですが、今回は共用ですので、108の方はタイプになりそうです。
毎度のことですが、今回も高井薫平氏や湯口徹氏、白土貞夫氏などの著書を参考に制作しました。また、 ノーブルジョーカーのHP の中には、廃止後幼稚園に保存されたケハ107の詳細な写真が多数あり、大変役に立ちました。特にこの車両では妻板の窓が写真によって3枚とも同じ幅に見えたり、中央だけ異なって見えたりするのですが、ノーブルジョーカーのサイトには妻板を拡大した写真があり、おそらく中央窓は両脇の窓に比べて大きかったのだろうとの結論に達しました。
このような貴重な写真を公刊あるいは公開してくださる皆様にはいつも感謝しております。
静岡鉄道駿遠線 ハ2,ハ3(2010.4.25)
レイル71,72に刺激されて、静岡鉄道ハ2,3を仕上げました。例によって自作エッチング板による製作です。両車とも満足のいく出来でした。ハ3はハ1も製作できるようにしました・・・・が、両車は妻板の形態がだいぶ異なることに湯口さんの本を見て気づきました。また、ハ4も作りたいものです。
デジカメ内部に埃が入ったようで、写真の影が写るようになりました。また、屋根は乗っけているだけですが、エッチング板を修正データを取るので細かい寸法を測ってから固定します。
私鉄紀行レイルNo.71-72(2010.2.7)
遅ればせながら、湯口徹氏の最新刊、レイルNo.71-72、私鉄紀行/黒潮と小さな汽車の通い道を、ようやく手に入れました。目当てはもちろん駿遠線です。こちらも最近駿遠線の車輌を製作しているところでしたので、製作中の車輌の写真は、まさに穴の開くほど眺めていました。
下の写真が現在製作中(半分放置中ですが)の車輌で、手前からハ3,ハ2,ハニ1です。ハ2についてはなぜかどの書籍にも良く写真が載っているのですが、今回も鮮明な写真が2枚載っていました。この車輌、高井薫平氏の「軽便追想」では、「数度の改造で扉は付いたが、晩年、スタイルはずいぶん悪くなっていた・・・」と書かれているので車体の外側にドアが付いたのかと思っていましたが、今回もそのような写真はありませんでした。ここで言う「ドア」とは、デッキ仕切のドアのことのような気がしてきました。その割にスタイルは悪くなく、私好みの車輌です。また、デッキのステップが昭和40年前後に改造されて、やや高くなっていることがわかりました。
ハ3については資料が少ないので鮮明な写真を期待していましたが、残念ながら1枚もなし。ただし、ハ4の写真を初めて見ました。ハ1についても上巻の17ページの写真で、妻板の窓の下辺が側面窓に較べてずいぶん下がっているのがわかりました。ハ1とハ3は窓の違いくらいと思っていましたが、ずいぶん違いがあります。
蒙古の戦車の写真では、603と604の鮮明な写真が数枚あり、これまた大変参考になりました。特に603についてはネコパブリッシングの「消えた轍」シリーズに掲載された1枚しか見たことがなかったのですが、スタイルがよいものの廃車が早かったのですね。604についても写真が少なく、特に後部の写真はそれらしき写真が機芸出版の「軽便探訪」の新三俣構内の写真に小さく写っているだけで詳細がわからなかったのですが、下巻に鮮明な写真が掲載されていて、ディティ−ルがはっきりわかりました。これで604の製作に取りかかれます。また、上巻の20-21に見開きで大きく604の写真が掲載されていましたが、キャプションでは607になっているのは残念でした。蒙古の戦車シリーズは書籍やインターネットでも車番を間違えている例が多く、特に604と607はよく似ているので「軽便追想」でもミスがあり、模型化の時にこの写真に悩まされ、もしかして車体の振り替えがあったのかと思っていました。
さて、私の模型の方は、ハ2,3とも自作エッチング板による制作で、屋根もエッチング板の重ね合わせです。ただ、ハ3の方は設計ミスで真鍮角線を下に足し、かなり削って形を整えています。この作業は継続中で、100円ショップのヤスリ(草軽のページ参照)はすっかりへたってしまいました。この製作方法にこのヤスリを使うと2,3台が限界のようです。このほか細かい間違いが多いのはいつも通り。修正の原板を作成していますが、作り直すかは未定です。台車は草軽シリーズと同じ車軸距離1067mmを使っているようですが、草軽のものより華奢なようで、大きく感じます。
静岡DB609(2009.2.11)
いまでこそあまり見かけなくなりましたが、オレンジカンパニーDB608は5年ほど前まで、結構あちこちの店にの在庫がありました。中にはかなり割引かれて売られているのを見かけることもあり、すでに1両持っているにもかかわらず、何台か購入してしまいました。もちろん、DB608以外の「蒙古の戦車」に改造するためです。そのころは各車の違いについてあまり把握しておらず、フロントグリルの変更ぐらいで済むだろうと思っていました。ところが写真をよく見てみると、608の改造で何とかなりそうなのはDB604、DB607、DB609だけであり、しかも細かい差異が考えていた以上に多岐にわたっていました。
前回のハニ1を製作したときに、エッチング板をハニ2との共通部品と各車の固有の部品の2枚に分けたため、スペースに余裕が出来ました。空いたスペースを活用してDB607とDB609そしてDB604の部品を作りました。とはいうものの、あまり難しいことはせず、最初からお手軽改造で済ますつもりでしたので、軸距離の変更などは大がかりな改造を伴うためあっさり断念、雰囲気重視で設計しました。
今回製作したDB609とDB608との大きな違いは、フロントグリル、後部ボンネットの側面、エアータンクの位置などです。なお、全長もやや長くデッキの前部も広いようで、全体にゆったりした印象受けます
このほかエアータンクがDB608とは逆の右側に付いており、ブレーキてこも反対側に付きます。そのため、左側のフレームにブレーキてこ用の穴を開け、元の穴は埋めておきました。ブレーキシリンダーからてこ、フレームに付く軸はロスト一体の部品になっていますが、方向が逆なのでそのままでは付きません。そこで、てこをシリンダーから取り(おおまかに切り取ったあと、ヤスリで削った)、新たにエッチング製のてこを逆向きに付けることによって取り付けました。この改造は思ったより簡単でした。
下の写真は改造に使ったフロントグリル、後部ボンネットの部品などです。ボンネット先端はキット付属のものを使いましたが、ロスト部品のタイフォン(?)はドリルで穴を開けて削り取り、そのあとを真鍮丸棒を差し込んで半田付けしました。DB609に限らずフロントグリルの下に丸いくぼみがあるのですが、これは何でしょうか?また、このへこみは609では608より位置が高く大きいみたいですが、位置と大きさは修正できませんでした。
ボンネットを作り終わって正面の静岡鉄道のエンブレムを付けるときに気づきましたが、ボンネットの天板カーブが609では緩いようですね。そのせいか、ボンネットが幅広に見えるのでますが、これも修正できないのでそのままです。
床板(厚手の方)は裏表をひっくり返して使い、オリジナルのエアタンク用取り付け穴を生かしました。この上に付くエッチング板の床板は本来の方向で使います。前面窓の傾斜は608より大きいので、部品を作りました。このためキャブが1mmほど長くなり、キャブ側面板も新製することになりました。この傾斜はもう少しきつい方が良かったかもしれませんが、あまりキャブを延長するとフロントデッキが狭くなりすぎます。全長をのばせばよいのですが、そうするとフレームや床板も作らねばならないので、これもそのままで妥協しました。
後部ボンネットのグリルの数や配置も異なるので、部品を新製しました。
いきなり完成写真。前回製作のDB607とともに撮影しました。
DB607-609の3台の並び。フロントグリルの形が異なります。
DB607→608→609と前面窓の傾斜が大きくなってゆきます。ひさしも短くしました。(屋根が嵌ってない・・・。)
607と609のサイドビュー。609のエアタンクは反対側にあるため、こちら側にはブレーキてこがあります。
3台の後部。グリルの数が異なるほか、607にはライトが2つ埋め込まれています。エンドビームや排障器も三車三様なのですが、キットの部品そのままで手抜きしました。
DB607はワールド工芸さんから製品化されていますが、後ろの窓は2枚窓になっていました。時期によって変化があるのかもしれません。また、床下の標識灯はついていなかったようなので、外します。
と言う訳で、かなり妥協しながらも蒙古の戦車軍団のうち3台が揃いました。
あとオレンジカンパニーのキットをベースに製作できそうなのはDB604です。
ハニ2を製作するときに製作するつもりです。
さて、次は頸城単端の改良版を製作します。ジ1、ジ2と原型(客ドア拡張前)の3両を同時に進める予定です。
試作車と改良エッチング板。
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