このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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はじめに腰が痛みだしたのは、9月のことだった。
その頃はちょうど体を動かす仕事が多かったから、無理をしたかな、
という程度にしか思っていなかった。
体を使う仕事のピークを過ぎると、痛みも忘れた。

再び痛みを感じたのは、11月のことだった。
9月ほど体を動かす訳ではなかったと思うが、疲れのピークがたまる時期でもあった。
この時の痛みは、腰痛にとどまらず、左下肢にまで至っていた。
記憶にある痛みだ。7年前の椎間板ヘルニアを思い出さない訳がない。

7年前のヘルニアは大変だった。
病院選びは今から考えれば、全くいい加減なものだった。
腰痛がひどく、自宅近くの整骨医で牽引をしてもらっていた。
しばらく通い続けていたが、一向に改善に向かわない。

友人に相談すると、某医大でレーザー治療なることをしていて、切開せずにヘルニアを治療するのだという。保険が利かず、多額の治療費がかかるということだったが、この痛みを、それも切開手術なしで取り去ることができるなら、やるしかない。自宅から近いこともあり、迷わずそこへの紹介状を書いてもらった。

入院したのは7月の下旬。
職場にも多大な迷惑をかけることなくすぐに退院できると思っていた。
ところが。半身麻酔で治療してもらった。
モニターに、自分の体にレーザーの針が刺さっているのが映っている。
電子音が鳴る。
「この音が鳴っている時、レーザーで焼いている」と知らせれた。
おお、いい感じじゃないか。
どうなっているかわからなかったけれど、いいことしか考えていなかった。

病室に戻り、数日後、MRIを撮ってみると、ヘルニアが引っ込んでいない。
確かに焼かれた後はある(らしい)が、引っ込まなかった。

痛みはそのままだった。で、ここで決断を迫られる。
切開に切り替えるか。
さらに入院がのびる。
なにより、体への負担が大きい。
しかし、痛みはもう限界に近い。いや、超えている。

切開手術へ。筋肉注射を肩にした後のことは覚えていない。
天井を見ていて、ふと瞬きをしたかな、と思ったら、天井の線が少しずれている。
寝返りでもうったのかな、と思っていると、「大丈夫か?」の母の声。
なんと、ふと瞬きをしたと思っていた時間は実は、2時間も経過した後のことだった。
もちろん手術は終わって、元の部屋に戻されて、麻酔も切れている。
あっけないものだった。
手術自体はあっけないものだったが、その後の退院までの日々がつらかった。
寝返りをうってはいけない。
腰を切ったからうつぶせで寝るのかと思ったら、
腰部にウレタンマットを敷いて、仰向きに寝る。
寝るだけならよかったが、二日三日と経過していくうちにたまっていくものがある。
大便だ。
動けないから、トイレに行けない。
尿は管から出て行くので病床でも問題なかったが、大便だけはそうはいかなかった。
トイレに行けるようになるまで我慢しようと思っていたが、
我慢はできても許されないことだった。

「今日はもう出してもらいますよ〜」
なんて言われながら、カーテンを閉められ、浣腸挿入。
挿入後、すぐに便意を催す。
「5分間、待ってくださいね〜」と看護師は気軽に言うが、
とてもじゃないが、我慢できない。
唸りながら、「もう、だめぇ〜」
たまたま病室にはいい人がそろっていたので、
冗談まじりで声に出すことは許された(ことにしておこう)。
5分我慢できず、4分で脱糞。
と、こういう言葉だけならまだいいかもしれない。
詳細を述べると、病床で横向きなのだ。
数日間たまった大便が、液体となって出てくる。
通常、大便と言えば、肛門を離れればもうそこは自由空間であるはず。
そのまま自由落下して便器に収まるのが大便である。
しかし。病床で横向きなのだ。
自由落下はできない。
臀部に沿って垂れ流し。
これまで体感したことのない生暖かいものが臀部をくすぐりながら移動する。
強烈な異臭を放ちながら。
「で、出ましたぁ〜」
弱々しい声で看護師を呼ぶ。
「は〜い」と軽い返事。
このギャップ。
事前に用意していた消臭剤をまきまくる看護師。
いとも簡単に大便を拭き取る。

つらかった・・・・。
おまけに職場復帰は大幅に遅れた。
体力筋力は全く衰えておらず、
リハビリはあってないようなものだったが、
二度とヘルニアにはなるものかと、心に誓った。

ああ、それなのに。
筋力だって、そんなに衰えていないのに・・・。

1週間前、電話がかかってきた。
4日に来てください。詳しいことは、前日の3日にまたお電話でお知らせします。
とのことで、休みの手続き等をとり始めた。
休むには診断書がいる。
前にもらったものは、「3月の上旬から2週間程度」という表記だったので、
それでは休みを取れないそうだ。で病院に電話で問い合わせると、医事課に来てください、
とのことだった。
遅くにしか行けない旨を告げると、その日は残業するので大丈夫と言われた。
無理をさせたかな、と思いながら、できるだけ急いで5時半頃には病院に着けた。
けれども、担当者が来るには20分以上かかった。
どうやら残業はこちらがさせた訳ではなかったようだ。
まあ、させているとも言えるのだが。
医事課の人は、退院後に請求しているものだと勘違いしていたらしく、
なかなか話が噛み合なかった。
電話でも同じことがあって、電話で対応してくれた人は理解してくれたのだが、
肝心の担当者はなかなか理解できなかったみたいだった。
どうもびくびくしていて、いかに文句を言われずに済ませるか、
ということばかりを考えながら話していたみたいに感じた。
裏を返せば、これまでに幾度となく苦情を寄せられて疲弊していたに違いない。
どの職業でも苦情は大変だ。
どうしようもないことだってあるだろうし、
お互い様、で済ませればいいことだって、今では苦情の対象になってしまう。
世の中言いたい放題だ。
言ったからといって世の中がよくなる訳ではないのに。
言ってよくなる場合もあるから、あまり強くは言えないけれど。

診断書に具体的日付を書いてもらうだけで、1時間近くかかった。
そんなものなのだろうか。

そうしてやってきた3日。
かかってきた電話の内容は、
「男性のベッドが空いていないので、5日からでよろしいでしょうか」
職場ではもう、「明日から休みます」と宣言しているのに、
いないはずの朝にまさか出勤しようとは。
かっこ悪い。
まあ、迷惑をかける日が一日でも短くなっただけ、
ラッキーととらえてその日も仕事ができた。
その日は職場にいたい日でもあったので、前向きにとらえることができた。

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