このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
* I am afraid I might handle all Railways on our planet! |
Returned! with 星港鉄道観測会 |
Sistem Pengangkutan Gerak Cepat Tipe 151 Kerera Api. |
地球は鉄道に満ちあふれています。 昔は東南アジアにピンポイントだったけど、 こんどは浅く広くぬるくやっていきます。 |
・・・ヘタレでサーセン ><。 |
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○ マレー鉄道跡地 | file: //Ruins of Malaysian Railways/ |
シンガポールはタイ国鉄友の会の始まりの地だったりする。そうでないかも知れないけど。 タイへの移住=4度目のタイへの侵入を敢行するならば・・・ 日本から直接ではなく・・・ マレー半島を縦断してタイのバンコクまで鉄路で向かうのが玄人っぽくてカッコヨクね? 実はそんな突然の思い付きをそのまま実行したという過去があるんでね。 HISで買ったUA便の片道チケットを握りしめて、タイではなくシンガポールに到着してしまったわけだ。 その時点では、海外鉄道旅の分野では目立った実績は持ち合わせていなかった。せいぜい一人旅、行き当たりばったりで、反時計回りインド一周鉄道旅の経験があったくらい。 旅仲間の雑談で、国際列車による国境の通過を未経験というのでは格好が悪かった。 その辺りがちょっとコンプレックスだった都合もあって、早々に通過儀礼を果たすという高度な政治的判断を下したという裏事情もあったりして。 あの頃は、シンガポール上陸初体験で、そのままマレー半島縦断の鉄道旅を敢行するなんてマジでカッコイイ! とか中2病的にムネアツだった。 ( ´,_ゝ`)∵:.プッ まだ若かったなぁ。いろいろなことにまだ真剣な年頃だったんだよ。今思えばマレーシア西部鉄道の旅なんて難易度はゼロなんだけど。 でも頑張るの仕方ないかも。あの頃はまだ英語という国際標準語しか話せなかったんだ。いや、移住なんて考えずに南の島で遊んだら、さっさと日本に引き返すべきだったんじゃないか? 時は1996年、アメリカの経済制裁に根を上げたビルマが、何と観光元年『ビズイット・ミャンマー・イヤー』を宣言した年である。 何というか・・・民主政治至上主義勢力からの外圧に強気で構えていたのだが、気が付いてみると外国企業がほとんど資本を引き上げてしまってた。呆然としている間に金銭的なやりくりが付かなくなってきたので、観光業でも初めて小銭を集めて破産危機を乗り切るしかないじゃん! と政策を転換したタイミングだったわけだ。 そう言えばシンガポールがOECDだったかな、の援助対象国から外された翌年でもあった気がする。あの頃は「国際経済の三龍」とか言って東南アジアの発展途上国への投資を米メディアが煽っていた。おかげで東南アジアは、ミャンマーを除いてどこも奇妙に好景気だった(でも翌年に嘘が世界的な経済破綻が起こるんだけど)。 当時からすでにマレーシアとシンガポールはマレー鉄道の領土的な取り扱いで烈しく協議中であった。 星「オラ、さっさと出て行け!」 馬「嫌だね。線路は俺が管理すんだよ!」 この応酬があと一世紀は続くと思っていた。 しかーし、シンガポールが押し切って意外と早く決着が付いた。長い歴史を誇るマレー鉄道の始発駅たるタンジョン・パガー駅(=シンガポール駅)がケッペル・ロード脇から立ち退きを宣告されて、コーズウェイ近くのウッドランズ・トレイン・チェックポイントまで後退させられることとなった。 こればかりは想定外だった。だって、伝統があるじゃん。ソ連崩壊以後、停止していた歴史が再び動き出したということを考慮してなかったんだ。 まあ、確かにシンガポールとしては自国領内に主権の及ばない借地が存在し続けるのは気分が悪いよね。しかも、マレー連邦から分離独立した歴史を持つだけに、何か都合が悪いことがあればマレーシアが併合してこないとも言い切れない。その時の大義名分なんかにされたら目も当れられない。馬鹿なことかと思うかも知れないけれど、国際政治の世界では太陽が東から昇って西へ沈むのと同じくらい常識だったりする。 シンガポール駅だけど、タンジョン・パガーにあるとタンジョン・パガー駅は一代前のシンガポール駅。タンジョン・パガーの前はタンク・ロードにあったので二代前はタンク・ロード駅。で当代のシンガポール駅は移転してコウズウェイ手前のウッドランズ・トレイン・チェックポイント駅がその大役を担っている。 さらにマレー鉄道の前進は英領マレー連邦の植民地鉄道(F.M.S.R=Federated Malay States Railway)で、現在はマレーシア政府資本の鉄道公社(KTM=KTMB=Keretapi Tanah Melayu Berhad)と頭使わないとこんがらがる身分。めんどくさいなあ。 ついでに大日本帝国的には昭南島内にあったブキッ・ティマ駅(信号場列車交換駅)も路線が廃されてしまったので同時に廃止されたことも記しておく。 兎にも角にも、タイ国鉄友の会の活動が、タンジョン・パガー駅から開始されたことは間違いない。最初の一歩はシンガポール〜KL(クアラ・ルンプール)までの移動だった。なんかずいぶんしっかりとしたサービスでつまんなかったな。KTMの長距離列車の車両にはあれ以来まったく御世話になっていないなあ。 でも列車は朝、日の出前のに出発だったのでまったく写真撮影をしていなかった。それを悔いて、でも面倒くさくて・・・あれから間違いなく二回はシンガポールに出張していたのに再訪問できていなかった(イロイロと忙しかったのよ)。 しかし、2011年の7月にシンガポール駅の完全移転が決定したことで焦った。で、2012年になって出張の機会キター! やっと再訪・再会を果たせたー! おお、懐かしいタンジョン・パガー駅。建物が東向きなので無理して午前中に来て正解だったよ! F.M.S.R.の文字が一つずつはめ込まれた柱で支えられた歴史的な駅舎の正面玄関は最高だ。でも中には入れない。あまり近づくことも出来ない。現在旧駅舎がシンガポール政府管理下で保存されて再開発計画に備えているのだ。 右上に続く→ |
→ 印度系シンガポーリアンの警備員が常時監視! おかげでグラフティーとか言う若い雄の中でも一際アホな連中が好む落書き被害から完璧に守られている。ありがとう! で、中は言っていい? 駄目? やっぱし(笑 とりあえず、ちょっと離れて観察させてもらった。まあ、面倒な嫌いな人はフェンス越し隣にある公共駐車場からゆっくりと眺められるよ。 でも良いこともある。駅が機能していないので、駅舎前の駐車場に車の影がないので、駅舎そのものをストレートに撮れた 昔はタンジョン・パガー駅駅舎の正面向かって右端で乗車券を購入して、中央の改札の次に入国審査をくぐったものだ。駅の出発ホームは事実上はマレーシア領扱いだったのを覚えている。乗車券を買うのにマレーシア・リンギットを用意して行ったら・・・シンガポール・ドルで払えと言われてショックだったなあ。 でも、すでに列車がやってこない旧駅舎は閑散としていて、かつての繁栄の面影は残されていない。国債荷物輸送の取り扱い窓口あった駅舎脇のドアには近づくこともできない。というか、レールも早々に取り外されてしまっているので、プラットホーム周辺には芝生が植えられていて、想い出として脳みそに焼き付いている光景とは物凄く別物になっている。 何時の日かこの素晴らしい駅からイースタン・オリエンタルエクスプレスに乗り込むのが夢だったのに。もう絶対無理と諦めた。 変わっていないないのはプラットホーム先の信号所の建物が残されていることぐらいだろうか。その先で貨物ヤードとの分岐があったなんてもう信じられない。時の流れは本当に残酷だ。 |
○ 星港地鐵 (MRT) | file: //Sistem Pengangkutan Gerak Cepat/ |
2012年現在になってから振り返るとMRTも1996年と比較して格段に便利になっている。当時はクラークキー駅は工事中だったし、チャンギ空港とも繋がっていなかったんだ。1999年にシンガポールに行ったときも市バスを使って街に入ったよ。 今では環状線だけでなく盲腸線も複数延びて、さらにLRTまで連接している。変わっていないのはロンドン・チューブのイメージの天井が円い第3軌条集電方式の電車くらいなものだ。 LRT=Light Rail Transitとは早い話ガイドウェイ方式の新交通=無人制御だ。写真にあるのはSMRT Light Railが運営している方のブキ・パンジャン線。垢抜けない車両、加奈陀ボンバルディア製のCX-100を採用しているが特徴だ。 マス・ラピッド・トランジット、略してMRT。インドネシア語というかマレー語だと、Sistem Pengangkutan Gerak Cepat。地鐵=地下鉄と言われつつも、半分くらいは高架を走っている。 実際、ちょこっとシンガポールでタイ行きの準備をしていた頃は、先入観で地鐵と思いこんでいた。で、お使いでジュロン工業団地方面に行ったときに高架部分を初体験してビックリ。地球の歩き方くらいは暇なときに読んでおくべきと思い知った(普通のビジネスとか旅行だけなら地鐵部分以外に行く機会なんでほとんどないんだけれど)。 全エリアのほとんどをSMRTトレインズが運営している。軌道は生意気にも標準軌の1435mmを採用して、現在の営業区間はほぼ130km。でもまだまだ拡張中。 シンガポールのすごいところはタイとかインドネシアと違って机上の空論的な都市計画でないところ。こんな安定的な路線拡張を1987年から休むことなく続けている。問い合わせれば否定はするだろうけれど、このMRTこそが近隣諸国の都市鉄道のアイデア的な出発点になっているとも思う。 そうそう、北東線だけはMRTでも特別な存在だ。運営組織もSBS Transitと通常のMRTとは別物。システムが根本的に異なり架線集電方式を採用している。共通点は標準軌の1435mmを採用しているくらい。 さらにLRTのプンゴル線とセンカン線を支線として擁する。これもSMRTトレインズの車両と違って、日本の三菱が輸出したAPM車両=クリスタルムーバーを専用車両としている(ただし集電方式は第3軌条集電方式)。 これはチャンギ国際空港のターミナル間の無人輸送システムにも採用されている車両とほぼ同一車両だ。 |
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