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序  7300・7800系のこと

 

■7300・7800系について

 私が物心つく頃、即ち昭和40年代前半、いわゆる旧型国電は姿を消しつつあった。山手線は全て 103系高運転台車に統一されていたはずだし、京浜東北線の73系は風前の灯火という状況であった。幼い頃の私には、旧型国電に乗車した記憶がない。山手線の車内から、京浜東北線に茶色い73系の姿を2〜3度見かけたにとどまる。73系はその後しばらく南武・横浜・鶴見線などに残存するが、私の視野からは消え去ってしまった。

 ところが、東武鉄道の旧型車、7300・7800系はしぶとかった。73系が駆逐されつつある一方で、おそらく全車が残存し、主力的輸送に就いていた。

 東武鉄道は−−当時の私鉄は一様にそうだったが−−輸送力増強に追われていた。新型の8000系を投入しても、これを7300・7800系の置換に充てるほどの余裕はなく、車両数の純増に向けなければならなかった。高度成長が続き、産業構造は変化し、人口は首都圏に集中した。通勤ラッシュの酷烈に利用者は翻弄されたが、鉄道会社も懸命に対処していた。日本の社会が姿を革めるなかで、誰もがもがいている時期だったといえる。

 7300系の原型は、ほかならぬ国鉄73系である。戦後、車両数が絶対的に不足する状況において、標準型車両として各地の私鉄に投入された。国鉄73系は、20m・ロングシート・4扉・3段窓・切妻非貫通の正面など際立った特徴を備えていた。しかし、東武7300系は前3項のみを採り入れ、2段窓・折妻貫通の正面としたため、別形式に近い印象を与える車両となった。7800系ではさらに、台車を独自設計としたため、実質的にまったく異なる形式の車両となった。

 7300・7800系は、オリジナルの73系よりもしぶとく第一線に踏ん張っていた。急行運用もこなしていた。藍より出でて藍より青い、そんな車両だった。

図−1 東武鉄道のピーク1時間あたりの輸送能力の推移
参考文献(01)より

 

 

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