このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

 

都電の面影〜〜7000型未だ健在

 

 

 

■幼き日に

 私が初めて都電という存在を知ったのは幼稚園のころだった。王子駅前において、急な角度で二方向に分岐する軌道の造作に驚いた記憶がある。赤羽方面に向かうのは旧27系統で、神谷橋に伯母宅があったので、乗車する機会はあったはずなのだが、乗らずじまいに終わった。何度目かに伯母宅を訪れる際、赤羽方面の軌道はアスファルトに埋まっており、さらに時を経ると、分岐器そのものが撤去されてしまい、痕跡はすっかり失われていた。

 都電はそのネットワークを失い続けている時代だった。いつしか、旧27系統(三ノ輪橋−王子駅前…〈この区間廃止〉…赤羽)及び旧32系統(荒川車庫前−王子駅前−早稲田)だけがとり残された。この両系統はつなぎあわされ、都電唯一の路線となった。ただし、これとて「本領安堵」されたわけでは決してなく、なお廃止に至る可能性もあったのだが、紆余曲折の末に存続が決まった。

 末の叔母に連れられて、初めて都電に乗りに行ったのは、存続がほぼ確定した時のことだったはずだ。確か昭和50(1975)年、私はまだ小学4年生で、三ノ輪橋から早稲田まで乗り通したことを覚えている。路面電車といってもほとんどの区間が専用軌道で、普通の鉄道と変わらないなあと失望してみたり、急行運転がないことにひどく違和感を覚えたり、要はこどもの感覚で都電というものを見ていた。

 その時の写真が下で、三ノ輪橋で撮ったものである。ガラス窓に外の風景が写りこんでいて、その内側にいるはずの私や、後に叔母の旦那になる人(どうも私はデートのダシにされたらしい)の姿は、よく見えない。車両の全体像も見えないから、如何にも中途半端ではある。ただ、これは私の手許にある唯一の都電7000型原型の写真であり、その意味ではおおいに気に入っている。

  三ノ輪橋にて(昭和50(1975)年)

 

 

■革命的なリニューアル

 それから僅か二年後、都電には革命的なリニューアルが施された。小改造にとどまった7500型にはなお路面電車の風情が残されたものの、7000型はピカピカの新車として生まれ変わり、停留所は段差がないように嵩上げされ、ほとんど鉄道のような近代的な姿へと大変貌を遂げた。

 都電の変革はこども心にも衝撃だった。カメラ趣味は当時薄かった私が、山手線改札の中からとはいえ、何葉かの写真を撮ったという事実そのものが、衝撃の大きさの証である。ハーフサイズのカメラで、距離も遠く、解像度も発色も今ひとつではあるが、当時の情景はそれなり伝わるものもあるだろう。

  大塚駅前にて(昭和53(1978)年)

 時が経つのは早い。さらに四半世紀が過ぎ去った。都電は小刻みなマイナーチェンジを繰り返し、新鋭だったはずの7000型もようやく旧型車に分類されるようになった。7500型は元の車体を捨て、角張った姿に更新されている。交通機関としての進歩こそ未だ遂げていないとはいえ、荒川線から路面電車の面影は遠い彼方に去っている。多少の感傷を覚えないでもないが、利用者としては歓迎すべき状況であって、むしろさらなる発展と改良を期待したいところだ。

  宮ノ前にて(平成16(2004)年)

 

 

■7000型未だ函館に健在

 そんな都電の面影が、思わぬところで生き残っている。

  左:函館どっく前 右:五稜郭公園前(平成17(2005)年)

 前面窓の配置などに多少の改造が加えられ、また広告塗装がうるさいとはいえ、7000型が往時の姿のままで函館市電を走り回っている。車内は木造の床のままで、やわらかく、そして古くさい雰囲気が今日にとどまっている。

 
1008の車内(平成17(2005)年)      1008の運転台(平成17(2005)年)

 前面窓からの展望は広々としてあんがい素晴らしく、コンパクトにまとめられた運転台の様子には、人間が手ずから動かしてきた時間の積み重ねが感じられる。

 ただし、ここ函館においてさえ、車両の近代化は急速に進んでいる。稼働している車両の大半は更新車で、VVVF制御の最新鋭車も少なからず存在する。それらと比べ、この1008らの製造年次は昭和30(1955)年、実に半世紀を経た老朽車なのである。くたびれた風情になるのも道理だ。新鋭車に伍して第一線に立つためには、たとえ無粋な改造になっても、当代のニーズにかなう設備を身につけなければならない。

  1008の車内(平成17(2005)年)

 もっとも、いくら改造が加えられても、根本的な資質までは改まらない。奥行きがなく段差のあるステップなどは、設計思想の古さが歴然としており、手を加えることさえ困難だ。都電7000型の原型が今日も残されているのはうれしいことだが、「古き良き」と呼ぶことはできない。そもそも、この設計では危険でさえある。

 感傷と利用者ニーズのどちらを優先すべきかは、論じるまでもないことである。私個人は1008を見て、かつ乗車し、心を満たすことができた。しかし、かくも前時代的な車両が未だ矍鑠として運用に就く状況は、利用者にとって好ましいとはとてもいえない。都電の面影をなつかしく思いつつ、新型車を敢えて車庫で休ませながら、何故この車両を今日も動かしているのか、その理由を見出すことはついに出来なかった。

  1008のステップ(平成17(2005)年)

 

 

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執筆備忘録

都電初見 :昭和44(1969)年頃
都電初乗車:昭和50(1975)年
都電初利用:平成14(2002)年
函館再訪問:平成17(2005)年初頭

本稿の執筆:平成17(2005)年初頭

 

 

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