このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





国主光臨





 虹金の不在中、鉱山に珍事中の珍事が起こった。突如として、国主豊志郎が鉱山を見学したいと伝えてきたのである。先触れから国主到着まで、一晩の余裕しかなかった。

 緊急に方頭たちが集まった。準備の指示が次々と飛び、最後に残った問題は、誰が国主を応接するかであった。虹金の代理として充分な風格を備え、国主とそつなく対話できる者は限られていた。衆目の一致するところ、それは灰神楽ただ一人だった。

 自分が鉱山の代表となることに灰神楽は怯みを覚えたが、他に適任者がいないことも争えない事実であった。精一杯勤めるしかなかった。

 幸いにして、灰神楽は豊志郎の人となりを知っていた。舞神女の誉れ高き灰神楽は、幼女の時から国主の前で舞う機会が多かったのである。ただし、かつての舞神女が鉱山の商方頭となっていると知られてはいけなかった。自分の過去が明らかになっては、敵を警戒させるだけで、復讐を果たすためには不利だった。

 翌朝、国主豊志郎がやってきた。灰神楽たちは正装して迎えた。豊志郎は老けこんでいたものの、齢まだ五十、若い時分の脂が抜け、鶴のような雰囲気をまとっていた。

 豊志郎は鉱山での仕事をひととおり見たいと希望した。掘方では坑道に深く入りこみ、粉塵にまみれながら切羽で汗を流す男たちの様子を見守った。坩堝方では熱風を浴びつつ精錬する工程を間近に見た。調方では多くの鉱石の標本を手にとり、新しい知識を獲得した。鍛冶方では鉄が刀剣になっていくさまに驚き、工房方では翡翠が磨き上げられていく様子に感嘆した。普請方や裁縫方や台所方や清整方は、これら一連の仕事を下支えしていることを知った。商方は静かで、帳面を繰る音以外は聞こえなかった。

 一日かけて鉱山の全てを見渡したのち、饗応の席が設けられた。一日の埃を落とし、盛装して臨席した豊志郎を、灰神楽たちも盛装して応接した。豊志郎は忍びで来ていたので、供回りの数も少なく、話しぶりは気さくで快活だった。接待しているはずの灰神楽たちが笑わされる場面もたびたびあった。

「ところで国主さま、どうして今日突然に、この鉱山を訪れる気になったのですか」

 灰神楽の問いかけは、誰もが持っていた疑問であった。国主が鉱山に光臨するなど、不思議を通り越し、異変と呼ぶべきであった。豊志郎は急に謹厳な顔になり、応えた。

「わが国は物産に富み豊かであるが、わけてもこの鉱山は柱石となる礎であり、国の要となっておる。わが国は平和を謳歌して久しいとはいえ、状況がいつ急変するか、わかったものではない。そうなる前に、国の宝たるこの鉱山をとくと見ておきたかったのだ」

 驚きの声をあげかけた灰神楽たちに、豊志郎は思わせぶりな笑みを見せた。

「しかし、それは実は建前にすぎぬかもしれぬ。女だてらに虹金の片腕となり、荒くれ男が揃う鉱山に君臨し、しかも神女のような舞いの名手と名高い、灰神楽の女ぶりを見てみたかった、というだけのことかもしれぬ」

 どっと座に笑いが湧き、灰神楽は照れうつむいた。豊志郎の一言は座を盛り上げるたわむれ、と灰神楽は思いこんだ。実は豊志郎が本気で言っていたと、ずっと後に知ることになるのだが、誰もがたわむれだと信じたほど飄々とした印象を残して、豊志郎は鉱山を立ち去った。





次章に続く

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