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闇の者





 周辺の村々ではまだ稲の刈入れが終わっていないというのに、城内は急速に冷え込んでいる。長く城に住む者によれば、秋からこれほど冷え込むことなど初めてだという。とにかく、寒い。昨冬の一番寒い時期よりもまだ寒いほどで、通りを行き交う人は似合わぬ厚着を重ねている。街には木枯しが吹きすさんでいる。時折、通りに転がっているごみが風に巻き上げられ、がしゃんと派手な音をたてて落ちる。昼のうちはとにかく、夜に聞くとぎょっとするような音だ。

 仕事を終えて、夜の街を歩く。外町とは思えないほどの静けさだ。いつもの賑やかさはまるでなく、人通りは滅多にない。冷え込みが厳しい、というだけのことではない。

 向こうからナトラが歩いてくる。おれの姿を認めたナトラは飛び上がりそうな顔をする。

「よかった。行き違いにならずにすんだわ」

「迎えにきてくれたのか」

「ええ。この頃の城内は物騒だからね」

 確かに、この頃の城内は物騒だ。夜の一人歩きは避けるようにとの触れさえ出ている。

 人殺しが跳梁しているのだ。殺された数は昨日までに十一人。その数以上に城内の人々を恐慌させているのは、殺し方だ。全身を滅多切りにするという凄惨な手口で、害を被った者の死体は挽肉のように切り刻まれていたという噂も流れている。殺された人どうしに一切つながりがないことが、恐怖を一層煽っている。人殺しの下手人は通りがかりの人を見境なく殺しているらしいのだ。殺される側にとってこれほど迷惑な話はない。

 下手人の目星はついている。元外衛府師範のキッツァという男だ。師範を務めていただけに、武芸の腕は人を超えるものがあったようだ。だが、武芸の腕に人柄がついていかなかったらしく、キッツァには部下を虐待して喜悦する傾きがあったという。先頃も鍛錬と称して何人かの部下を死に至らしめ、牢の中で沙汰を待っていたそうだ。人殺し騒動が端を発したのはキッツァが牢を破って逃げ出した直後のことだから、キッツァが十一人殺しの下手人と目されるのは当然だろう。

 内警府は総力を挙げて下手人の追捕にあたっている。それでもなお、下手人の行方は明らかになっていない。そればかりではない。実は、下手人が誰かということさえ判明してはいないのだ。キッツァらしいとまではいえても、キッツァだと断定できるほどの証は得られていない。殺しの現場を目撃した者がいないことと、害を被った者が生きて発見されていないことなどから、追捕は一向にはかどらないままでいる。

 六人目が殺されたあたりから、内警府は魔法使いに下手人探しの援助を依頼している。城内の多くの魔法使いがその依頼にかかりっきりだ。ところが、下手人は魔法使いたちを嘲笑するかのように人殺しを重ねていく。魔法使いたちは口を揃えて下手人の気配がわからないと言っている。追跡してもあっさりと逃げられ、居場所を占ってもでたらめな結果しか出ないというのだ。

 ナトラは下手人探しには加わっていない。過去に何度も対立してきた内警府の手足になるのは面白くないだろうと、魔法使いたちが気を遣ってくれたからだ。荒事が好きなナトラにとっては痛し痒しというところだ。

 風が通りを吹き抜けていく。今宵は一段と寒い。いつ人殺しが出てもおかしくない風情だ。

「出そうだな」

「出る、と思う」

「わかるのか」

「十一人殺しの下手人が誰か、占ってみたのよ。結果は『不吉』と出たわ。わたしの予知の魔法は漠然とした結果しか示さないから、どんな風に不吉なのかはわからない。もし、ハリヤの身に不吉が降りかかってきたらと思って、迎えにきたのよ」

 おれは少しく身構える。ナトラがいるからといって安心はできない。ナトラが不吉に襲われることだって考えられるのだ。油断してはなるまい。ナトラも周到にあたりの様子を探っている。あやしげな気配はどんな小さなものでも見逃すまいという姿勢だ。

 びゅっと風が吹きつけてくる。ばあんと激しい音がする。振り向いてみると、路上に出ていた看板が転がっていく。おれはほっと一息をつく、まさにその隙に。

 音もなく闇が降ってくる。

「危ないっ」

 ナトラがおれを突き飛ばす。闇かと思ったのは黒い人影だ。人影は手に握った短刀をナトラの背に突き立てる。あっと悲鳴をあげ、ナトラは倒れる。

「このやろうっ」

 おれは人影に殴りかかる。人影はさっと身を退き、短刀を握り直して向かってくる。かわす間もない。一瞬にして、おれの体には幾筋もの傷が刻まれている。力量がまるで違う。立っているのが精一杯という窮地にいきなり追い込まれてしまった。

 こいつが十一人殺しの下手人か、そう気づいた時には、さらに傷が増えている。奴に手加減というものはない。ひたすら執拗に、おれという獲物をしとめるべく、短刀をふるってくる。

 おれは奴に手も足も出ない。受けに回るだけで攻めることができずにいる。それでも、ナトラの息を整えさせるだけの時間は稼げたようだ。かすれた声でナトラは絶叫する。

「雷よ。邪悪なる者を討ち滅ぼせ」

 閃光が奴を直撃する。一瞬、奴の顔が浮かび上がる。人相書通りのキッツァの顔だ。いくら腕が立つとはいえ、所詮は人間、ナトラの魔法を受ければひとたまりもない−−はずなのに。

 信じられないことに、キッツァは倒れない。全身が焼け爛れていながら、なおも死から免れている。キッツァは目だけをぎょろつかせている。なにが起こったかを確かめようとしているようだ。不意にキッツァはおれを捨て、ナトラにとどめを刺そうとする。そんなこと、させてたまるか。おれはキッツァにすがりつく。キッツァはおれの腕に短刀を食い込ませてくる。互いに死力を尽くしての力比べだ。

「あのあたりよ。ナトラの雷が落ちたのは」

 通りの向こうから魔法使いたちが駆けつけてくる。キッツァはおれをふりほどき、闇の中へと跳躍する。なんというばねだろう。キッツァはただのひと跳びで三階の屋根にまで到達している。

 息を切らして現われたのはリルキを先頭とする魔法使いの一団だ。おれとナトラの様子を見て、リルキたちの顔色が変わる。

「あなたたちまでやられたの」

「気をつけて。奴は強いわ」

 うずくまったまま、ナトラは荒い息をついている。

「しゃべらないで。今、手当するから」

 来てくれたのがリルキたちで助かった。魔法の使い手が集まってこなければ、おれもナトラも命を落としていたかもしれない。



 おれとナトラはバルクの宿に担ぎ込まれる。バルクはいきなりのことで驚いたようだ。ナトラは重傷、おれは血まみれ。驚くなという方が無理だろう。

 しかし、ナトラの姉はやはり頼りになる。一時の驚きから立ち直ると、ナトラの背に右手を、おれの額に左手をあて、魔法の力を送り込んでくる。たちどころにナトラの脂汗は退き、おれの傷口は塞がっていく。リルキたちの魔法とは効きが格段に違う。

「これは、凄い」

 思わずつぶやくと、バルクはにこと微笑んでみせる。

「わたしにはこれしかないのよ。わたしがナトラよりも優れているのは、病と傷を癒す魔法だけですもの」

 手当はおれの方が早く終わる。一方、ナトラの背中の傷はなかなか塞がらない。両手を傷口にあてながら、バルクは首を傾げている。

「おかしいわねえ。これくらいの傷なら、とっくに塞がってもいいはずなのに」

「たぶん、この傷はそう簡単に治らないと思うわ」

 うつ伏せのナトラは細い声で言う。

「治らないはずはないわ。いくら深いとはいえ、ただの刀傷ですもの」

「わたし、力を少し吸われてしまったのよ」

「なんですって」

 バルクは驚愕する。まわりに集まっている魔法使いたちの顔にも驚きの色が浮かんでいる。

「まさか、奴の短刀に魔法の力を吸い込む作用があるなんて思わなかった。ほんの僅かだけれど、わたしの力は奴の中に取り込まれてしまった。奴はてだれ。しかも賢い。奴はわたしの力を理解し、展開し、完全に己のものにすることさえできるかもしれない。一撃で殺しておくべきだった。奴はわたしの雷を受けても死ななかったことで、新たに備わった己の力を認識しているところだと思う」

「それでは、奴は」

 リルキはがたがたと震えている。ナトラは努めて抑えた口で言う。

「そう、奴はもはや人間ではない。伝説にいう闇の者と化しつつある」

「闇の者ですって」

 魔法使いたちは一様に顔色を蒼白にする。気を失う者さえ出る始末だ。闇の者。厄介な相手だ。まだ幼い時分、おれはアルジュばあさんに闇の者の話を聞かされたことがある。その晩、おれは恐くて眠ることができなかったものだ。

 魔法が魔法である以上、ただの人間が魔法使いに勝つことは決してない。人間はどんなに弱い魔法使いにもかなわないのだ。例えば、おれとジンが喧嘩をしたとする。腕力の勝負ならばおれとジンはまず互角だ。だが、ジンが魔法を使えば、おれは百戦して百敗する羽目になるだろう。それくらい、魔法の力は人間の力を超越しているものなのだ。

 ところが、偶然に偶然が重なった結果、ごくごく稀に、人間が魔法使いに勝てることがある。その人間に邪な意志があり、魔法使いを殺すにまで至った時、闇の者が誕生する。魔法使いの力は悪しき方向に純化され、闇の者に移される。闇の者の脳髄は邪悪に満たされ、人を殺すという衝動しか残されない。闇の者はただただ人を殺し続ける。己が滅ぼされるその時まで。

 キッツァはナトラを傷つけただけだから、闇の者になりきったとはいえない。だが、ナトラの力を知ったからには、その全てを己のものにしようとするだろう。奴は再びやってくるはずだ。ただでさえ武芸に秀でている相手に魔法の力が加わるのだ。苦しい闘いになることは間違いない。

「みんな、救ってくれてありがとう。この災いはわたしたちの未熟が招いたもの。これから先はわたしたちだけで闘います。わたしたちだけで、奴と闘い抜いてみせます」

 ナトラとしてはそう言わざるをえまい。キッツァが手に入れたのはナトラの魔法。キッツァを相手にするということは、即ち、ナトラの魔法と闘うようなものなのだ。イェドゥア城広しとはいえ、ナトラの力に対抗できる魔法使いなど絶無に等しい。キッツァと闘いえるのはナトラ以外にはありえない。

 青ざめた顔を並べている魔法使いたちを横目に、ナトラは冷たい表情をしている。この世の中に頼りにできる者などいないのねと諦めるかのように。



 夜が明けて、傷がすっかり癒えたナトラは闘いの準備に忙しい。倉庫から様々な小道具を取り出している。礫、矢、油。これらのものが闇の者と闘うのに必要にして欠かせないという。

 おれは仕事を休んでナトラを手伝っている。おれはただの人間にすぎない。魔法の力を持つ者を相手にできるとは思えない。だが、どんな些細なことであれ、おれはナトラの力になりたい。たとえ倒されることになっても、おれはナトラとともに闘いたい。

 もうすぐ陽が暮れる。闘いの時は目前だ。扉の前で、ナトラは最後の身支度をしている。おれはナトラの前に膝を着く。

「ナトラ。おれを連れていってくれ。おれはおまえの役には立てないかもしれん。そればかりか、かえって足手まといになるかもしれん。だが、おれは、おれは、それでもおまえの傍らにいたい。お願いだ。連れていってくれ」

 深く頭を下げる。ナトラは涙声で語りかけてくる。

「ハリヤ。面を上げて」

 おれはナトラの顔を見上げる。ナトラの目からは今にも涙がこぼれてきそうだ。

「一緒に闘いましょう。わたしたちは、決して離れることなどありません」

「ナトラ」

 不覚にも、おれは泣き出している。命をかけた闘いの場におれを伴ってくれるナトラの信頼の篤さに、涙せずにはいられない。ナトラは広間に飾ってあった刀を渡してくる。

「あなたにこの刀を捧げます。これはわがフォイエルンベルゲルスの遠い先祖より伝わる宝刀で、銘は碧炎といいます。碧炎には斬るもの全てを炎に包む魔法が籠められています。碧炎はあなたの強き助けとなってくれるでしょう」

 鞘を払ってみれば、素晴らしい輝き。この刀ならば、山をも両断できそうだ。

「奴との闘いは魔法の力を尽くしたものになるはずです。そんな闘いの場にあなたを生身のままで連れていくわけにはいきません。立って下さい」

 おれが立ち上がって姿勢をただすと、ナトラは両手をおれのこめかみにあててくる。

「わが名はナトリャッカチ。天翔ける雷炎の名にかけて、わがいいなずけの力を引き出せ」

 ナトラは深く息を吸い、小さく力強く言葉を唱える。

「玻璃矢」

 なんということだ。おれの全身に力がみなぎってくる。体の奥底から力が湧いてくるようだ。しかも、軽い。全ての動作が滑らかになり、なにをするのも素早くできる。

「ナトラ、これはいったいなんの魔法なんだい」

「魔法ではありません。あなたに言霊の力を籠めただけのことです」

「ことだま、か」

「わたしの名に魔法使いのことばで天翔ける雷炎の意があるように、あなたの名にも言霊の力を吹き込むことによって、あなたの肉体の奥に眠っていた力を全て引き出せるようにしたのです。あなたが碧炎を携えれば、並の魔法使いでは匹敵できません。十分、奴と闘いえるはずです」

「なにからなにまで、すまない」

「礼には及ばないわ。むしろ、わたしの方が感謝したいぐらい」

「なぜ」

「あなたはわたしを命をかけた闘いに導いてくれたのですもの。こんな血沸き肉踊るような思いは久々よ。あなたにはいくら感謝しても足りないほどだわ」

 本気で言っているところが凄い。まったく、底抜けに荒事が好きなじゃじゃ馬娘だ。

「行こうか」

 外に出れば、バルクが闘いの装いで待っている。

「まさか、あなた、この姉を置いてきぼりにするつもりじゃないでしょうね」

「ねえ様は闘いに向いているとは思えません。城内に居残っていた方が身のためですよ」

「確かにあなたは闘いの申し子みたいなものよ。攻めの魔法だけなら天下無双でしょう。でも、あなたは攻めばかりで、守りがおろそかだわ。攻めるだけでは勝てません。力があなたより弱いとはいえ、わたしがいれば守りは鉄壁になります。守るべきを守ってこそ、初めて攻めが生きるとこの姉は思うのですが、いかがかしら」

「死ぬかもしれないわよ」

「あなたたちの心中につきあう気なんかないわ。必ず、生きて帰りましょう」

「うふふ。そうね」

 姉妹はしかと手を握り合う。

 陽はまさに西の彼方に沈もうとしている。城を離れること一里。広闊な野の真ん中に居場所を定めると、ナトラは闘いの準備を始める。相手はただ者ではない。いかなる罠を仕掛けておいても、決して安心はできないのだ。おれたちの回りには礫と矢と油が所狭しと配置される。

 近頃では珍しく風のない夜だ。空の星々はのんきにまたたいている。近くの梢では梟が鳴いている。この先に凄絶な闘いが待ち構えているとはとても思えない雰囲気だ。

 奴は必ずやってくる。奴はナトラの力を知ってしまった。奴には並外れた力がある。より強い力に憧れないわけがない。ナトラの力の全てを手に入れるべく、奴はこの場に現われるはずだ。

 梟が梢から飛び立つ。闇の果てに黒い人影が浮かび上がる。来た。奴だ。顔かたちがすっかり変わっている。既にキッツァの面影はない。ナトラの力はそれだけ大きいということだ。ナトラの力のごく一部に影響されただけで、奴は人ならぬ者と化している。

 闇の者。まさにその名にふさわしい。醜怪な容貌。総身からほとばしる闘気。人を殺す欲求に満ちた目。直面するだけで気が遠くなってくる。

「雷よ」

 ナトラが叫んだのが口火となる。魔法の応酬だ。たった一日で奴はナトラの魔法を身につけたようだ。ナトラの魔法がことごとくかわされていく。

 礫が舞う。炎が踊る。矢が飛ぶ。風が走る。雷鳴が轟く。光芒が尾を引いて流れていく。命をかけていなければ、否、命をかけているからこそ、美しく眺められる光景だ。

 ナトラにはおれを顧みる余裕はない。必死の形相で次々と奴に魔法を叩き込んでいる。バルクも大汗をかきながら魔法の言葉を唱えている。この姉妹が揃って、ようやく互角に闘っているのだから、奴の力量には底知れないものがある。

 おれは立ち上がり、奴の許へと歩を進めていく。奴に気づかれればおれは死ぬ。だが、こわくはない。礫が頬をかすめていく。一筋の傷がつき、血が流れ出す。気にしてなどいられない。奴をしとめることこそが、先だ。

 おれは奴と三歩の間合いに立っている。奴の目にはナトラしか映っていない。やるなら今だ。

「やっ」

 抜打ちに、奴の体を斜めに斬り上げる。碧炎は奴のみぞおち付近にとどまる。奴の目がおれを見る。信じられんとでも言いたそうに。碧炎の周囲から火が噴き出してくる。奴はおれに指先を向ける。おれを攻めて碧炎の呪縛から逃れるつもりだ。

 万雷が奴に殺到する。奴の体は粉微塵となって消し飛ぶ。奴がおれに目を注ぐことによって、力の均衡が一時に崩れたのだ。その隙を見逃すようなナトラではない。ナトラはありったけの力を振り絞って奴を撃滅したに違いない。

「ハリヤ、大丈夫。怪我はない」

 ナトラが駆け寄ってくる。

「この通り無事さ」

「よかった」

 涙を浮かべてナトラが飛び込んでくる。おれはナトラを抱きとめる。

「バルクはどうした」

「ねえ様も無事よ。へとへとになって座り込んでいるけどね」

「おまえはまだ元気があるな」

「あんたを守るためなら、いくらだって元気を出してみせるわ」

 ナトラは軽やかに笑ってみせる。

 一陣の風がわき起こり、黒々とした灰が舞い上がる。奴の残滓だ。恐ろしいほどの武芸の腕前も、今はむなしく、全てが虚空へと消えていく。殺人の衝動に身を委ねた闇の者の末路らしく、キッツァは恐怖の他にはなにものをも残さずに、この世から消滅する。





次章に続く

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