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保存理念未だ確立せず〜〜日鉱羽鶴1080梅小路へ





■平成21(2009)年 7月23日付JR西日本発表より


蒸気機関車「1080」号の受け入れについて

 当社では、社会文化活動の取り組みの一つとして、梅小路蒸気機関車館・交通科学博物館の運営を行うなど、鉄道の歴史や文化を攻勢の伝承するための取り組みを進めています。
 そうした中、平成20年 7月に日鉄鉱業株式会社様から蒸気機関車「1080」号を寄贈する旨の申し入れがあり、当社では、同機関車を“明治期に製造された点のほか、同形式のものとしては現存する唯一の蒸気機関車である点”について大変貴重であると考え、梅小路蒸気機関車館にて保存・展示することとしました。



◇「1080」号蒸気機関車の受け入れについて

1 受け入れ車両
 1070形式「1080」号蒸気機関車

2 「1080」号蒸気機関車について
<略歴>
明治34年にイギリスで製造され、わが国へ輸入された明治時代の官設鉄道を代表する機関車です。また、当時の旅客列車高速運転化に貢献し、主に東海道本線を走行する急行旅客列車の牽引機として活躍しました。
・導入時は、「1080」号という名称ではなく、D9形式 「651」号という機関車でしたが、大正15年に改造が施され1070形式「1080」号という名称となりました。
・改造後の同機関車は、地方線区や入換用の機関車として昭和13年まで国鉄で活躍しました。その後、日鉄鉱業株式会社の私有機関車となり、主に鉄鉱石や石灰石を運搬する貨物列車の牽引機として昭和54年 6月まで活躍しました。

<その他>
・同系の蒸気機関車は、合計 135両が輸入されましたが、現存するのは今回受け入れる「1080」号のみです。
・現在、梅小路蒸気機関車館で保存・展示している蒸気機関車で最古のものは、大正 3年に製造された9600形式「9633」号および、8620形式「8630」号です。このため、「1080」号の受け入れ後は、同機関車が最古のものとなります。
・今回の受け入れで梅小路蒸気機関車館では、明治・大正・昭和の三つの時代にかけて製造された蒸気機関車が揃います。
・明治34(1901)年に製造され、本年(2009)年で製造から 108年目を迎えました。

(以下略)

注:太字部分は原文記事どおり表記した






■日鉱羽鶴1080

 日鉱羽鶴1080といえば、昭和50年代前半まで稼働し続けた蒸気機関車として高名である。昭和50年代前半といえば、国鉄から蒸気機関車が全廃され、大井川鉄道などでの動態保存が軌道に乗り始めたばかりの時期であった。その一方、国鉄制式機が稼働している専用線が当時はまだあった。ラサ工業C108(現在は大井川鉄道で動態保存)・C11247と日鉱羽鶴1080がその代表格である。うち、日鉱羽鶴1080は首都圏周縁の立地ということと、明治期の古典機ということで、注目される存在だった。

 ただし、1080が第一線の現役車両だったかといえば、必ずしもそうではない。当時既に車齢70余年に達しており、相当な老朽車両だったはずだ。そんな車両が生き残っていたのは、ディーゼル機関車の予備車としてたまに動けばいい、という程度の扱いをされていたものと想像される。運転日が極めて限られていたという事実を踏まえれば、あるいは会社側には保存の意志があったのかもしれない。

 日鉱羽鶴専用線から1080が退いてもはや久しく、さらには日鉱羽鶴専用線じたいも廃止された今日、1080が再び脚光を浴びる舞台に戻ってくるとは想像もできなかった。1080がようやく安住の地を得たことは、素直に慶賀できる。

1080
梅小路蒸気機関車館に保存された1080
(平成21(2009)年撮影・以下同じ)




■保存の理念が見えてこない

 しかしながら、受け入れるJR西日本側の理念がどうにも見えてこないのである。今回の件は日鉄鉱業側からの申し出ゆえに、受け身の対応にならざるをえなかったとしても、既存保存車との平仄をどのようにとらえているものか。

1080
梅小路蒸気機関車館に保存された1080


 前掲プレスリリースのうち、太字部分はJR西日本が1080保存に価値を見出した要素と考えてさしつかえなかろう。このうち前半部分はよく理解できる。「わが国へ輸入された明治時代の官設鉄道を代表」し「当時の旅客列車高速運転化に貢献し」たという鉄道史における位置づけが明示されており、さらに「合計 135両が輸入された」ほどすぐれた車両で(※1)、かつ「現存するのは今回受け入れる『1080』号のみ」であるとの由。即ち、保存するにふさわしい価値があり、さらに現存機ごく稀少であり保護対象とすべきことが明確に定義づけられているわけだ。

 しかし、「(梅小路蒸気機関車館で)同機関車が最古」で「明治・大正・昭和の三つの時代にかけて製造された蒸気機関車が揃」うことになんの意味があるというのか。明治期の蒸気機関車といえば、より古く(というより現存する鉄道車両中の最古級)、保存する意義が明白な車両が交通科学博物館にも収蔵されている。1080もこちらに受け入れた方がよほど素直であると思われ、敢えて梅小路蒸気機関車館に収蔵する理由が納得できない。

表 JR西日本系列の蒸気機関車保存
JR西日本系列の蒸気機関車保存


 梅小路蒸気機関車館にはもともと、 過去の記事 で論考したとおり、保存機材の選定基準にいまひとつ不明確な部分がある。これはおそらく、昭和40年代後半の(ほとんど熱狂に近い)蒸気機関車人気に流されたものと想像される。梅小路蒸気機関車館には「価値ある車両」というよりむしろ、「人気があった車両」が多いように思われてならない。

 例えば、 C10を採らずに C11を採ったのは、ほぼ同形式の車両で完成度は後者が上、という点から首肯できる。では、同様の関係にあるはずのC55・C57が両形式とも収蔵されたのはなぜなのか。国鉄最後の新製形式 E10がとりこまれなかったのはなぜなのか。既存車のパーツを組み合わせたにすぎない C62(ボイラー:D52/足回り:C59)が 2両もあるのはなぜなのか。……これらの点に代表されるように、梅小路蒸気機関車館の保存機材選定基準には理解に苦しむ点が多すぎるのである。

1080
1080前頭部のクローズアップ


 ただし、「昭和40年代後半に人気があった」という基準を当てはめれば、保存機材選定基準はすっと綺麗に見えてくる。燕マークを除煙板に張り付けただけのC622が選ばれたのも(のち C621が加わる)、 C57とほぼ同型ながら性能の劣る C55が選ばれたのも、人気があったゆえと考えれば腑に落ちてくる。そして「人気」の継承はきわめて困難である。一世紀とはいわない、せめてあと半世紀先の将来に、保存機材選定基準は万人に納得されうる堅固さを備えているのだろうか。





■JR東日本系列との対比

 鉄道博物館を擁するJR東日本系列での保存機材選定基準は明瞭である。鉄道博物館には鉄道史に画期を刻んだ車両のみ収蔵し(※2)、青梅鉄道公園には鉄道博物館の選から漏れるものの重要と思われる車両を置いておく、人気のある車両は実際に線路上を動かす、という姿勢が鮮明にうかがえる。

表 JR東日本系列の蒸気機関車保存
JR東日本系列の蒸気機関車保存


 これに対して、JR西日本系列の不統一ぶりは、逆の意味において際立っているとしか評しようがない。特に同形式の機関車(それも大型のD51・C62)が梅小路蒸気機関車館と交通科学博物館にそれぞれあるというのは、いったいどういう見識なのだろう。しかも、これから1080を梅小路蒸気機関車館に収蔵するのでは、不統一も甚だしい。保存の理念がどこにあるかすら、疑わしく思えてくるほどだ。

 交通科学博物館は空間的制約が厳しい面があるから、批判するだけでは公平を欠くかもしれない。それにしても、どのような車両を保存するのか、その理念を明確にしないままただ収蔵だけを続けていては、いずれ持て余す時がやってくるはずだ。1080の梅小路蒸気機関車館収蔵は慶事ではあるが、単純に喜べる話とはいえない(その意味で紙面に「幻のSL復活」とうたったマスコミはあまりにも無邪気すぎる)。運営するJR西日本はもとよりとして、観覧するわれわれの見識もまた問われている。

1080
1080第一動輪周辺のクローズアップ


 かなり堅い表現になってしまったが、要するにこういうことだ。車両は単純に古ければいいというものではない。まして1080が最古級の車両ではない以上、その価値の定義には客観性と公平性が求められる。1080に如何なる価値を見出すか、保存に値するという価値体系を定義づけるのは、後世の客観に立つわれわれの仕事なのである。

1080
1080第一動輪周辺のクローズアップ




※1:鉄道車両は基本的には数が多いものほど価値が高い。その考え方については、拙稿 「『数は力』〜〜車種統一は鉄道の基本」 を参照されたい。

※2:唯一の例外は9856で、蒸気機関車のメカニズムを解説するため、開腹された状態で展示されている。確かにマレー式機関車は稀少であるが、価値が高いかどうかはまったく別次元の話である。





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※本稿はリンク先「交通総合フォーラム」とのシェアコンテンツです。





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