このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





Jetstarで札幌に行ってみる〜〜そのⅥ

サマリー(後編)〜〜LCCは世界的に定着する





■筆者における状況の整理

 本稿を書き始めてから 2年以上、前回の更新から 1年以上経過してしまった。それだけ筆者は多忙だったわけだが、記事を未完のままで終えるのは如何にも気持ち悪い。機会をとらえまとめておこう。

 ちなみに筆者はこの間、Jetstar 含め何社かのLCCに搭乗している。現実世界の本業では 2年で 7国に出張したところ、うち 2国にLCC搭乗で入国することになった。国際便でも、行先によってはキャリアも運行本数も多く、LCCが有力な選択肢になってきた、という状況が現にあったわけだ。

 前項に記述した筆者における Jetstar選択理由は下記三点である。

  ・旅費を節約したかった
  ・新サービスのLCCを実体験したかった
  ・空港までのアクセスが便利

 また、LCCの今後展望については下記三点にまとめている。

  ●LCCは今のところ観光目的など限定的な利用にとどまる。
  ●ただし、将来大化けし、遠距離交通の主役になる可能性がある。
  ●そうなるためには、大手キャリアになんらかの決断を要する。

 率直にいって、現実がすでに先に進んでおり、後者に関しては修正を要するところだ。LCCはもはやニッチでなく、需要をしっかりつかんでいる。日本国内にいるとなかなか見えてこないが、LCCは一つの独立した交通モードに等しく、地位を確立しつつある。また、筆者の認識も時間と経験を重ね熟成されてきた。そのため、LCC将来展望は下記のように修正したい。

  ●LCCは今のところ観光・私用目的などの利用が中心である。
  ●国際便や外国での国内便では、中間層のニーズを発掘し、航空需要を伸長させつつある。
  ●日本においても、将来はビジネス需要をとりこみ、遠距離交通の主流になる可能性がある。
  ●日本国内大手キャリアは、大衆路線と高価格(高収益)路線の分社化など将来戦略を模索している段階と推察される。
  ●LCC子会社は大手キャリアのいわば尖兵。会社規模をどこまで小さくできるかの実験場でもあり、会社リストラ過程の激変緩和措置でもある。

 ……答まで一気に書いてしまったが、いささか補足を要するだろう。以下に若干の解説を試みてみよう。





■新幹線の特性

 話題がいささか飛ぶが、新幹線の特性はなんだろうか。高速性、安全性、安定性、……いずれも間違いなく新幹線の特性ではある。ここで、筆者が挙げなければならない新幹線の特性は「大衆性」である。新幹線の本質も、日本社会の特徴も、大衆性を見落としては成り立たない、と筆者は考えるからである。

 東海道新幹線が開業する以前、国鉄の列車体系はきわめて階層的であった。「こだま」を代表とする昼行電車特急、「あさかぜ」を代表とする夜行客車特急、中距離区間中心の昼行電車急行、長距離区間の夜行客車急行、長距離を昼夜兼行で結ぶ普通列車。粗い分類だけでも五つのヒエラルキーが存在していた。利用者は、自らが属する階層と手持ち資金とを勘案し、列車を選択しなければならなかった。

0系
東海道新幹線開業当初から運行されていた0系電車
新大阪にて  平成20(2008)年撮影


 東海道新幹線開業後も同じ状況が続いたが、昭和45(1970)年の万国博覧会開催により状況が一変する。それまでも東海道新幹線の輸送実績は伸び続けていたが、昭和45年度はさらに急伸したのである。これは需要・供給両サイドの思惑が一致したのが大きい。需要(利用者)側は、高度経済成長を背景に可処分所得が増え、既往の古くさいヒエラルキーなど打破し、旅行に金を投じより高いステータスを実感したい、という「坂の上の雲」を目指すが如き力強い——むしろ荒々しいと形容すべきか——意欲に満ち溢れていた。もう一方の供給(国鉄)側は、東海道新幹線の絶大な輸送力を活用し、より大きな収入を獲得したかった。

 かくして新幹線は急速に大衆化していった。ほかにも要因があるかもしれないが、この時期に新幹線が大衆化したことはまぎれもない事実として認定できる。現在のJRの輸送体系はその延長線上にあり、中長距離を結ぶ列車は特急にほぼ絞りこまれている。

 その後昭和50年代に入り、国鉄側の失策と航空側の輸送力増強が重なり、今度は航空が大衆化していく(新幹線は約十年間需要が足踏みすることになる)。すなわち、日本では長距離旅行の大衆化が昭和50年代後半には確立したといってよいだろう。更にその後航空は、海外旅行のパッケージツアー提供、東京−大阪間シャトル便運行、早割制度導入などを通じて、航空利用の大衆化をより一層深度化させている。

JAL
輸送力増強と低廉運賃政策で大衆化した航空路線
関西空港にて  平成20(2008)年撮影


 しかしながら、その大衆化とは、あくまでも日本におけるローカルな現象にすぎない。世界的な標準からすれば、航空利用(特に国際便)はまだじゅうぶんに高嶺の花。気軽に利用できる交通機関とはいえない。しかも外国には新幹線が存在しない。高速交通の大衆化には大きな壁が存在していた。

 そこに風穴を開けたのがLCCである。政策的に異業種からの参入を促した国もある。LCC各社は既存キャリアを劇的に下回るチケット価格を提供し、各国で増えつつあった中間層の購買意欲を鷲掴みにした。日本における万博特需の再現ともいえる。近年日本にやってくる外国人観光客が増えているのは、LCCの需要喚起——航空利用の世界的大衆化——に依る部分が実は大きいのではないか。

indigo
インドでは国内航空へのLCC新規参入が積極的に推進されている
写真は筆者が搭乗したIndiGo航空/ほかビール会社のキングフィッシャーなど複数社が参入
インディラ・ガンディー空港にて  平成23(2011)年撮影


 上記の如き世界的趨勢を鑑みれば、前述した「一つの独立した交通モード」という表現にも納得していただけよう。LCCはすでに地位を確立しつつあり、個別具体の失敗事例が出るとしても、高価格政策への単純回帰はありえないと見るべきであろう。すなわち、大手キャリアが高価格政策を採るならば、LCCは低廉価格政策を維持し、二極(あるいは多極)を保ったまま推移するものと想定される。





■日本におけるLCCの可能性

 さはさりながら、日本には日本の事情がある。ガラパゴスと揶揄されようとも、個別の地域条件に応じて交通もまた違う発達段階を採ることになる。では今後、日本でLCCが発展を遂げていく可能性はあるだろうか。

 そのヒントとなる兆候はすでに顕在化している。日本航空の経営破綻および経営再建の過程がそれである。現状の日本航空と全日本空輸の役員数を比較してみればすぐわかる。日本航空は、破綻と再建を通じて、よりスリムな組織に変身することができた。

 LCCの会社組織は極限と形容しても良いほどスリムである。 Jetstarなどは開業当初、役員は代表取締役社長唯一名しかいなかったほどだ。業績を拡大していくにつれて役員数は増やさなければならないとしても、親会社とは比較にならないほどスリムな組織であることは間違いない。

 LCCの姿は大手キャリアの将来あるべきモデルケースともいえる。日本国内では今後、少子高齢化が深度化の一途をたどり、経済成長は停滞すると見込まざるをえない。つまり、利用者の絶対数が減るうえに、利用者一人あたり可処分所得も縮退する可能性が高い。これに加えて、新幹線ネットワークが北陸・北海道方面へ延伸され、競合環境も厳しさを増していく。

 特に北海道新幹線札幌延伸は航空の脅威となるだろう。東京−札幌便は世界的に見ても大幹線であり、キャリア各社の一大収益源である。その需要をいささかなりとも食われれば、経営の屋台骨が揺らぎかねない。

 日本国内を見る限り、交通需要の将来展望を楽観することは難しい。この近未来展望に対処していくため、LCCは一つの解となりうる。それは、低廉価格政策よりもむしろ、スリムな組織による運営がより有意な要素となるだろう。

 前述したとおり、大手キャリアはLCC子会社を尖兵として、将来に向けての瀬踏みをしている段階と思われる。ただし、高価格政策と低廉価格政策は必ずしも背反しない点に留意しなければならない。少なくとも、大手キャリアがどちらか一方に賭け、全てを失う危険を冒すはずがない。ポートフォリオを組んで、会社永続と利益の最適な組み合わせを探し続けるはずである。

かがやき505号
北陸新幹線は大成功をおさめつつあるが成功を永続するには更なる努力を要する
長野にて  平成27(2015)年撮影


 以上までの筆者の分析が正鵠を射抜いているかどうか、正直なところ確信はない。遺憾ながら、証拠を示すことができないのだ。とはいえ、国際情勢と密接に連動し、参加するプレイヤーが多く、意志決定も速い航空政策を見ていると、新幹線という「大鑑巨砲」に頼る日本国内の鉄道政策が心許なく思えてしまう、……といわざるをえない。

 新幹線には価格弾力性が乏しく、運賃政策を採ろうにも値下げ余地は限られる(紙幅の都合でこの解説は省略する)。その前提があるところに、航空が本格的に低廉価格政策を打ち出してきたらどうなるか。装置産業ゆえの鈍さが鉄道に伴うのはやむをえないとしても、航空の戦略・戦術に学ぶ面があまり見受けられないのは、将来に向けての実は最大の不安要素ではなかろうか。

 航空に対し圧倒的な競争力を有するJR東海やJR東日本はともかくとして、これから開業を迎えるJR北海道などは、まさに心許ないとしか評しようがない。せっかく国費を投じて新幹線を建設しても、航空との競争に劣後して閑散線化するおそれすらあるというのに、無策を貫きかねない危うさが散見される。

 ……この危機感と問題意識が、筆者が無理しながらも敢えてLCCに搭乗し続けた原動力である。かなり長い時間をかけてしまったが、かろうじて半世紀誕生日前に書き上げた(苦笑)。読者諸賢にその一端なりとも読みとっていただければおおいに幸いである。





元に戻る





このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください