このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





そのⅧ   鉾田(徒歩)新鉾田





 筆者にもTAKA様にも、鹿島鉄道でそのまま折り返すつもりなど毛頭なかった。鉾田から市街地を歩き通し、鹿島臨海鉄道の新鉾田まで歩いてみる。鉾田市街には由緒ありそうな神社が散見され、北浦の北端に位置する地の利もあり、古くから地域の拠点となっていた様子が窺える。ただし、今となっては殷賑を誇るほどの賑わいには欠け、地方都市に共通するうらさびれた雰囲気に包まれている。

 歩いているうちに模糊とした違和感を覚えてくる。市街地なのに市街地らしさが乏しいように思われるのだ。新鉾田に到着してその理由がわかった。新鉾田駅周辺には新市街地が形成されつつあるが、低層低密、即ち郊外型開発を中心市街地で展開するミスマッチを感じたのだ。これでは街に集積性など育つまい。利便性はいまひとつ、特徴と魅力に欠け、個性的でもないという、郊外型開発の典型的な通弊が認められる。

鉾田駅
さびれきった鉾田駅前の様子


 残念ながら、日本での開発は放っておけば必ずこうなる。それをコントロールするためには優れたノウハウが必要だが、地方の小さな街にそれを求めるのは酷というものだろう。逆にいえば、地域開発や街づくりという要素が薄い状況下では、ローカル鉄道の存在など過小に評価されがちで、鹿島鉄道の自助努力にも限界があったといえるのかもしれない。

 だからといって、鹿島鉄道の経営姿勢が最善、せめて次善であったかといえば、評価に値するほどのものではなかった点は苦しい。経営状況の厳しさは理解できるものの、それに甘えるあまりか、低水準のサービスしか提供できなかったことには問題が多い。さらにいえば、サービスが低水準だからといって、コスト圧縮には必ずしもつながっておらず、あるべき経営姿勢からは懸絶しているとすらいえる。

 古諺に曰く「負けに不思議の負けなし」と。廃止を控えた鉄道に鞭打つようで気が重くなるところだが、しかし将棋に喩えるならば、負け筋に焦るあまり悪手を繰り返し打ってしまい次第に詰んでいった、という線が真相ではあるまいか。

新鉾田駅
郊外型開発されつつある新鉾田駅付近


 冒頭に記したとおり、今日ではローカル鉄道じたいが稀少であり、沿線の中高生による存続運動が盛り上がった経緯もあって、鹿島鉄道の廃止を惜しむ声が多いことはいちおう承知してはいる。しかしながら、社会的価値を失った鉄道を存続させようとしても、広く賛同を得ることは難しい。鉄道はやはり実需があってこそ華があり、社会的価値がある。それを乗り越えようとしても、所詮は無理筋というものだ。

 お名残乗車の繁忙は一時の泡沫、祭のような瞬間最大風速にすぎない。ローカル鉄道に対する存続運動は、数例の良質な取り組みを除いて、地に足が着いているとはいえない。趣味的観点からお名残乗車を長期化させているようなものだと評しても、決して酷評ではないかもしれない。最後に、妻の知人から妻宛に送られてきたメールの一部を紹介しよう。

「三月いっぱいで廃線だからいろいろやってるんだね。私は高校が鉾田だったので三年間鹿島鉄道を利用してたの。鹿島鉄道沿線には高校が結構あるから高校生にとっては痛手だね。榎本もそうだけど無人駅が多いの。ふだんは見向きもされなかったのに廃線が決まった途端、注目されるって複雑な気持ち」

 近年の経緯に対してはややアバウトな理解ではあるが、鉄道趣味からはほど遠い市井の人の感覚の方が、本質をよほど鋭く衝いている。以て瞑すべしというべきか。

かしてつ応援団
「かしてつ応援団」を掲示したKR-501





元に戻る





このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください