このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





ジオシティーズの終わりに臨んで

——己亥年頭所感——





■ジオシティーズの終わり

 平成30(2018)年10月 1日、各ユーザーに来着したメールは、相応の衝撃をもたらしたはずである。まったく更新できなくなっていた私においてすら驚きが伴ったほどで、一つの時代の終わりを感じざるをえなかった。

 この平成30年度中を以て、ジオシティーズ(以下「ジオ」)が運営を停止するという。

 私がジオにて拙志学館を開設したのは平成12(2000)年のこと。以来、おおむね20年のつきあいになる。終わりは突然にやってきた。

 とはいえ、近年の更新状況からして、もう続けられないという予感は既にあった。仮に継続できるとしても、自らが世を去る日がいつか必ずやってくる。その時、ジオに記事を残したままでよいのか、という思いを持ち始めてもいた。いまから「終活」とは気が早いかもしれないが、そういうことを意識せざるをえない歳回りでもある。

 ジオの強制終了。思い切りが良く、かえってすがすがしいかもしれない。以下、20年間の活動を回顧しつつ、拙志学館の最終更新としよう。





■インターネットの入口「ジオ」

 私がインターネットに本格的にかかわり始めたのは前世紀末。「和寒」という名乗りで幾つかの掲示板に参加していた。当初は斬新に思えた掲示板なるメディア、実は意見表明には向かないと気づくまで時間はかからなかった。ある掲示板サイトの閉鎖を契機として、私は自らのHP立ち上げを模索した。

 受け皿になったのがジオである。無償でのエントリーが可能、アップ可能なデータ量がまずまず(後かなり拡大して私にとっては余裕があった)、ということなどから選択した。URLが自動車絡みという不満は残ったものの、これも後に解消した。実質的な開設日は平成12(2000)年 6月26日である。

 当時私はまだ若かった。三十代前半で、表現欲に満ちていた。自らにおいて「汲めども尽きぬ」はありえるのか、という思いもあり、書いて、書いて、書いてみた。結果は読者諸賢がよく御承知のとおり。近頃HP上での筆鋒が鈍ったとはいえ、計14MBものHTML文書を書いてきた。タグを含んでのサイズとはいえ、全角一文字2Bだから 7百万字、すなわちA4版換算で 5,000ページを上回るほどの文章を書いてきたわけだ。

 しかもまだ、私個人においては「汲めども尽きて」はいない。老いつつある今もなお、創作意欲は衰えていない。逆に、これだけ書いてようやく、洗練されてきた部分があるとも自覚する。積み重ねが大事、と感じる次第だ。





■インターネットでの活動総括

 私の(HP上でなく)インターネット上の活動は平成14(2002)年から平成16(2004)年前半に集中している。 「『のぞみ』シフトを検証する」 など、良質な記事を連発できた時期、と自覚している。

 しかしながら、現時点で回顧してみれば「労多くして功少ない」季節だった、と断言せざるをえない。悪い仲間に引き摺られてしまった、との悔いが残る。何かにつけて、所謂オフ会(オフライン・ミーティング)が催され、主催者の無目的な動きについていけなくなり、平成16(2004)年半ばから、私は(事実上)単独行動に戻った。その後 2年間をかけ、私は念願の学位(博士号)を獲得することになる。

 もう一点付け加えれば、当時の仲間とは疎遠になった点も見逃せない。今もなお接点が残る者があるとはいえ、現実世界での便宜と利害関係があればこそ。オンラインの関係を現実世界に展開しても、相応の関係を現実世界にて継続できなければ、詰まるところ雲散霧消する。

 現実世界で一度もお会いしたことのない、 Rail&Bike のH.Kuma様との関係が最も良好、というあたりに、インターネットと現実世界の本質が見出せそうだ。





■現実世界での活動総括

 では私こと和寒はどこに行こうとしているのか。実はすでに、しかも何度かに渡り明記している。最初の明記はここ。

   転機に臨んで  平成25(2013)年 3月17日

 上の記事中、私はこのように記している。



 転機のきっかけは「 貴志川線の利用者動向と経営判断 」を書いたことである。この記事は実は、現実世界において論文に仕上げ某学会で発表している。この取り組みを通じて、筆者はある失望を味わってしまった。筆者は Web世界でも相応に質の高い記事を提供している気でいたところ、いざ論文への変換を行ってみると、冗漫かつ論旨が一貫しない記述が異様に多いと自覚せざるをえなかった。この虚無感はかなり大きく、自分がやっていることは無駄ではないか、との疑念さえ浮かびかけたほどである。



 以降、毎年のように同主旨を記すことになるが、本旨はこの一文に尽きる。学術論文として高い評価を受けるための筆法と、HP上で読んでいただくための筆法は、全くとまではいわずともかなり異なる。これを両立できるほど私は器用でないのが実態で、それゆえ更新できなくなった面がある。更に私はこのようにも記している。昨年の数字を追記した表も併せて示しておこう。

   丁酉大晦日反省記  平成29(2017)年12月31日

年度ある数
241(1)
251(1)
261(1)
275(3)
286(4)
2910(4)
3013(5)


 この「数」の正体は、左右とも私の現実世界での活動実績を示している。左は学会等での論文発表回数(連名含む)、右()内は同レベルでのプレゼンテーション回数である。この 4年間の急伸的な実績はわれながら極端だと実感する。特に昨年は、それこそ書いて、書いて、書きまくった感がある。写真図表が入るとはいえ、合計 100ページを軽く超える論文の執筆は、決して楽な取り組みではなかった。

 しかも今は英文論文にも取り組んでいる。昨年は 1編(今年発表のため未カウント)。冬休みの宿題で 2編を概成させた。

 ……HP更新どころでなくなった事情、御理解いただければ幸甚である。





■鉄道趣味の限界

 私の鉄道趣味は素朴なものから入っているが、叔父の勧めで購読した鉄道ジャーナルに強く影響されることで、大きく変わりながら育った。

 購読当初は国鉄の蒸気機関車が全廃された直後。昭和50年代は鉄道ジャーナルの全盛期と呼べる時期だった。当時の全盛、のちの衰退、今にしてみれば容易に理解できる。当時の鉄道ジャーナルは、国鉄改革派の梁山泊、すなわち隠れ砦のような存在だった。執筆者連にはそもそも力量があり、しかも危機感や向上心に満ち、素晴らしい記事・特集が連発されていた。

 国鉄分割民営化を経て、鉄道ジャーナルは凋落した。上記を鑑みれば当然である。新生JRが発足すれば、隠れ砦にもはや用などないのが道理。JR各社の取材協力は国鉄時代と比べ通り一遍のものとなった。JRにて高位を得ながらもなお鉄道ジャーナルに義理を尽くす方もおられたものの、時の経過とともに彼ら大立者は退場し、鉄道ジャーナル誌面はすっかり形骸化してしまった。もぬけの殻、と形容してもよかろう。

 私における購読の最後は通巻 500号(平成20(2008)年 6月号)。凋落を知りつつよくぞ付き合ったものだ、と思う。

 鉄道ジャーナル購読をやめてはや十年。読み返す機会さえ乏しい実態は、各記事に価値や意義が乏しいことの証左である。バックナンバー保有はすでに重荷であり、いずれ処分するつもりでいる。

 鉄道関係のニュースを把握したいため、鉄道ピクトリアルの購読は今でも続けているが、こちらも近年は劣化が進んでいる。特にあきれるのはトラム礼賛記事で、交通現象の本質を理解していないとしか思えない。その程度の著者が重きをなしているのだから、何をかいわんやで、趣味は現実から遊離している。

  【参考記事】  需要構造の分析と対比 ━━都電荒川線と日暮里・舎人ライナーを比較する  平成23(2011)年 9月25日

 この著者は、鉄道趣味界でも相応の受賞歴があり、しかも所謂「中の人」らしいのだが、この程度とは暗澹とする。あるいは、読者に阿るあまり、筆を枉げているのか。いずれにせよ鉄道ジャーナル全盛期とは雲泥の差といわざるをえない。

 ほかにも夜行(寝台)列車礼賛派も根強い。趣味として語るぶんには害はないとしても、夜行(寝台)列車を交通権に絡めるのは「もの知らず」と指摘しなければならない。平成12(2000)年に需給調整規制が撤廃されており、以降、交通サービスの参入・撤退は事業者の裁量に属する原則となったからだ。夜行(寝台)列車は趣味の一領域にはなりえても、交通論の主題からほど遠いマイナー分野に過ぎない。主唱する方々が自ら気づけないのは哀れなものだ。

 詰まるところ鉄道趣味とは、開業廃止・新車廃車等のイベントを追うだけの機会主義に成り下がってしまった。かつて、趣味から交通論の芽が吹きかけているとの期待を持った時期があるだけに、残念でならない。趣味は所詮、趣味でしかなかった。





■終わりに臨んで

 これ以上の繰り言は控えておこう。ここで、私が鉄道趣味に辛い理由を正直に記そう。この志学館を世に出した理由の一つは、記事の出版もしくは執筆者としてスカウトされる下心があったのだ。ところが現実には「『のぞみ』シフト」が鉄道ジャーナルに模倣され(書いた本人としては模倣されたようにしか見えない)、天塩炭礦鉄道当初記事がネコ系某著作にパクられた(のちRMにお詫び掲載を確認)だけにとどまった。

 つまり、私の筆法は、鉄道趣味の世界から見れば、その程度の軽さでしかない、ということになる。私の力不足ではあろうが、割り切れない思いは残る。インターネットの広大な世界に埋没したのだとしても、軽んじられたのは遺憾である。

 私は現実世界に軸足を置き、余生を歩んでいくつもりだ。 Twitter、Facebook、LINE、 Instagramなどのツールは私の志向に合わず、HP代替にはならない。今の時代のツールに合わせられない以上、老兵は去るしかなかろう。

 ジオ発足初期にHPを開設した同志らが、約20年の時を経て、大部分の方が更新停滞に陥っている点も気になっている。それぞれ事情は違えど、人間は老いていく。皆様はジオ閉鎖を如何に受け止めているのだろうか。

 最後に一言。

 もっと書きたいこと、修正を要することごとが山積した段階でのジオ閉鎖は残念である。しかしながら、それに手をかけられなかった以上、強制終了にて終わるのはやむをえない。「今だったらこんなこと書けない」と思える低レベルの記事も残っているから、尚更だ。まさに今となっては、HP移転する気力すら湧いてこない。

 そもそも、この一文を書くにしても、土曜日の午前中をまるまる費やしてしまっている。かくの如き時間の「浪費」を続けるのは、私においてはかなり苦しい。現実世界に軸足を置き、現実世界での活動に価値を見出している以上、必然の仕儀と理解していただければ幸甚。記事のデータは残しておくものの、再び世に出ることがあるかどうかは微妙な線だ。引退後に著作全集が出るくらい偉くなれば別だろうが……。これは自ら頑張るしかない。

 この「以久科鉄道志学館」を長年お読みいただき、感謝申し上げます。読者諸賢の皆様とは現実世界にて(著作を介する形になると思いますが)再会する機会あればと望みます。ありがとうございました。






元に戻る





このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください