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哭  知





 私−−筆者ではなくあくまでも私−−にとって、一つの時代が終わった。恩師がこの世を去ってしまったのである。

 恩師は父と同い年だったから、長じてからの亜父を得たという感覚もある。とはいえ、恩師から享けた恩愛は実の父をはるかに凌ぐものがあった。こんなことを書くと叱られるかもしれないが、現にそのように実感できてしまうのだからしかたない。

 私はいま、電子空間にてさまざまな文章を著している。この「志学館」だけでも 2MBを超えるHTML文書を書き残してきた。 6年間の積み重ねはあんがい大きくなるものだ。印刷してみればおそらく、画像を抜いた字面だけでも軽々と 600ページに届く量になるだろう。勿論、文章の質にも自信と自負がある。電子空間で提供されているなかでは、特に鉄道に関するコンテンツのなかでは、最上のレベルを狙って書いている。筆頭研究として掲げた数編などは、仮説が多く残されているとはいえ、特に自信があるものだ。

 これだけの文章も、私が現実世界で著しているものと比べれば、昼の空に浮かぶ星々にすぎない。他者からの批判や指摘を受けながら、紙に印刷して何度も何度も推敲を重ねた文章とは、どうしても質が懸絶せざるをえないのである。その成果の一部、ひそかにこの「志学館」にもぐりこませているが、勘の良い読者諸賢ならばその根っこの違いが見分けられるだろうか。

 なぜ私はそのような文章を書けるようになったのか。端的にいえば、恩師にその力量を認めてもらったからだ。士は己を知る者のために死す、と古諺にもいう。知己の恩こそが人格を育てる根源になる、と私は思っている。いくら自信や自負があっても、現実世界で認めてもらえなければ、所詮は徒手空拳に終わるむなしさが伴うではないか。

 私の存在を認めてくれた恩師が、世を去ってしまった。なんだか私を支える柱が何本も失われたような心地だ。私とていつかは死ぬ身、悠久の時間から見れば遠からぬ先、恩師の魂魄に再会する機会があるかもしれない。だが、さしあたり直面する景色として、残りの人生を歩んでいく道筋に寂寥感・孤独感・不安感を抑えることができない。たぶんそれは私のみならず門下生の大多数が感じているところだろう。かような悲しみを乗り超えていかねばならぬのが、煩悩多き人間に与えられた人生の課題なのだろうか。

 平静を保っているつもりで、なんだかんだで動揺してしまい、あるいは狼狽したという方が正確かもしれないが、とんでもない失策を犯したりしている。級友と連絡をとりあいながら、涙がにじみ出てくるのを止められない時間帯もあった。人間はもろい。否、私という人間の感情はもろい。明らかに中年の域に達し、老いの坂をのぼりつつある毎日では、どうにも安定した感情を保てない。

 当面はこの状況が続くと自覚せざるをえないが、許して頂きたい。近頃ではそこかしこから、「おれを世に出せ」とばかりに材料が集まってきている。書くべき文章はまだまだ山ほどにある。否、この表現は正確ではない。文章の方が書かれることを待っているのだ。私はもはや、ヨリシロにすぎないとも自覚している。悲しみにくじけたまま筆を折るわけにはいくまい。





平成18(2006)年10月27日記す

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