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第3章 美濃町線利用者数減少の原因の検証


3.1 モ600 の数

3.1.1 原因としての重み

 2.2.2 に記したとおり、モ600 の数が6両にとどまったことは、様々な問題を惹起した。なかでも最大の問題は、ダイヤ構成を利用者便益に適うものにできなかったことで、そのために利用者数の大幅な減少を招いたといえる(参考文献(18))。

 この利用者数減少は深刻なダメージではあった。しかしながら、致命的なものとまではいえない。収益的な水準には届かずとも、一定の利用者数は確保されている。即ち、輸送改善策において問題点があったとしても、美濃町線の存続そのものに影響を与えるほどではなかった、と理解するべきであろう。

3.1.2 対策はあったか

 しかしながら、モ600 の数が6両にとどまったことが、利用者数減少を招き、その後の輸送改善の展開に歪みを生じさせた事実は無視できない。これらの悪影響は、可能な限り排除すべきである。

 それでは、なんらかの対策はありえただろうか。昭和45年時点において、下記の条件を満たしえる対策を考えてみよう。

   ◆複電圧車をなるべく多数用意する。
   ◆モ500 を置換する。
   ◆初期投資はできるだけ抑制する。

 かなり厳しい条件であるが、美濃町線だけで完結させず、揖斐・谷汲線まで巻きこめば、次のようなやり方もあっただろう。

   ■モ580 ・モ590 (計9両)を複電圧車に改造する。

   ■モ600 (6両)を 600V車として揖斐・谷汲線直通急行に投入する。

   ■揖斐・谷汲線直通急行に充てられていたモ510 +モ520 (計5編成)の
    うち、2編成のみを存置し、3編成を美濃町線に復帰させる。

   ■モ500 を廃車とする。

 これによれば、複電圧車は9両となり、利用者の便利に適いやすいダイヤを構成できたはずである。新車であるモ600 を美濃町線の新岐阜直通列車に投入しない点、揖斐・谷汲線に転属して間もないモ510 +モ520 を美濃町線に復帰させる点に、それぞれ若干の無理があるものの、ありえない選択とまではいえないだろう。

 この対策が実現していれば、昭和51(1976)年のモ870 投入時、モ510 +モ520 を再度揖斐・谷汲線に転属させることにより、揖斐・谷汲線の新岐阜直通列車の拡充もできた。平成 9(1997)年のモ780 の投入による輸送改善を、車両の質はともかく、20年以上早く実現できた可能性がある。さらにいえば、昭和56(1981)年のモ880 投入の際に必要数を抑制できたし、その分の余力をモ510 +モ520 の置換に充てることもできた。

 以上のように、後知恵の結果論ながら、昭和45(1970)年時点で異なる対策を採ることにより、美濃町・揖斐・谷汲線における輸送改善をより早い段階で実現に移すとともに、適切な車両置換を推進する(古い順から廃車する)ことが可能であったといえる。

 しかしながら、これらは費用削減に資する事柄であり、利用者数減少を抑制できるほどの効果があったか否かについては、なお検証の必要がある。

写真−6 新岐阜駅前−金宝町間を走るモ510

 いわずとしれた古稀電車。後知恵の結果論ながら、モ510をうまく転配すれば、車両の置換をより効率的・効果的に進めることが可能であった。

 

3.2 新関を境とする系統分割

 筆者には、新関を境とする系統分割が美濃町線新関−美濃間の凋落の真因、という予断があった。ところが、2.2.6 に記したように、減少した利用者は新関発着のタイプⅡ・Ⅳが主であった。両タイプとも系統分割による影響は本来受けえない層である。

 従って、新関を境とする系統分割は利用者数減少の原因でない、と断じてよい。

 

3.3 新関−美濃間毎時1本運行への移行

 2.2.7 に記したとおり、新関−美濃間毎時1本運行への移行は、同区間における利用者数減少に対応した措置である。従って、これが悪循環を導いた可能性は残るものの、利用者数減少の原因とまではいえない。

 

写真−7・8 新関−下有知間を走るモ590

 美濃町線では、線形・軌道・車両のいずれもがカレント・スタンダードに達しておらず、これは確かに問題ではあった。しかし、それ以上に、周囲の社会状況の変化が急だった。

 

3.4 運賃値上げ

 昭和56(1981)年の新関−美濃間の利用者数減少に関しては、新関を境とする系統分割よりもむしろ、運賃値上げの影響が大きいといえる。しかしながら、その後の利用者数は回復傾向を示しており、値上げの影響は一時的なものと考えられる。

 昭和60(1985)年の値上げも、時期といい値上げ率といい、利用者数への影響は限定的になるはずである。ところが実態は大幅な減少を示し、しかも回復傾向に転じていない。即ち、運賃値上げは利用者数の推移に関係がないとみなすべきであろう。

 

3.5 越美南線の長良川鉄道への転換

 国鉄越美南線は特定地方交通線の指定を受け、第3セクター長良川鉄道に転換された。もともと関−美濃市間で並行していることに加え、列車数が増加し、中濃西校前駅が新設されるなど、長良川鉄道と美濃町線と競合的な関係にあるとみなすことはできる。

 しかしながら、長良川鉄道の発足は昭和61(1986)年である。美濃町線新関−美濃間で利用者数が大幅に減少した時期よりも遅い。

 即ち、越美南線の長良川鉄道への転換は、美濃町線の利用者数減少の原因になったとはいえない。

 ただし、中濃西高前駅の設置は、その直接の原因にはならなかったにせよ、タイプⅡの利用者数減少の流れを決定的にした可能性はある。

 

3.6 社会条件の変化

 まことに陳腐ながら、美濃町線利用者数減少の真の原因は、社会条件の変化と認めざるをえない。即ち、下記の要因である。

   ■人口・商業の郊外化に伴う交通需要構造そのものの変化
   ■少子化に伴う通学需要の減少
   ■高齢化に伴う交通行動意欲の減退
   ■モータリゼーションの進展と深度化に伴う利用者の流出

 美濃町沿線個別のデータが手許にないものもあるが、これらはいずれも全国的な傾向であり、程度の差こそあっても当地だけが例外ということはありえまい。

 ただし、美濃町線沿線の人口は、1.3に記したとおりほぼ同水準を維持し、関市では増加傾向にある。過疎化などの人口流出はないといっていいだろう。

3.6.1 郊外化の影響

 美濃町線沿線はもともと「散村」に近い人口分布であることは既に指摘したが、これに加え、交通行動の目的地も郊外化する傾向にある。規模の大小を問わず、商業施設は既存の市街地を避けて郊外に立地する傾向が、近年とみに強い。

 魅力的な商業施設はことごとく美濃町線から離れた場所に立地している。美濃町線の駅至近には、なにもないに等しいのが実態である。

 新岐阜には至近距離に様々な施設があり、交通行動の目的地になりえる。しかし、新関や美濃は市街地の端部に位置しているし、そもそも市街地の既存商店街は相対的な魅力を減じてしまった(商業施設の郊外化は即ち既存商店街の魅力を削ぐ)。

 下有知・神光寺・松森の至近に商業施設はなく、交通行動の目的地にはなりそうにない。松森は案内が悪い立地であるし、神光寺に至っては人家からも遠く、交通行動の出発地としても不利である。

 かような郊外化は、後述するモータリゼーションの進展・深度化と不可分であり、交通行動の構造そのものを大きく変えるほど、影響力は強い。利用者は、自宅から郊外の目的地まで、公共交通機関を介することなく、ダイレクトな交通行動を起こすようになった。

 美濃町線の利用者数減少は、この観点からは当然の流れといえる。

3.6.2 モータリゼーションの進展と深度化

 1.5において除外すると明記した事柄であるが、極めて不本意ながらとりあげざるをえない。

 実際のところ、平日の日中に美濃町線沿線を歩いていても、生身の人物に会うことなどなかった。出会う人物は、そのほとんどが自家用車で身を鎧っていたのである。神光寺では、母親の運転する自家用車に送られて、美濃町線に乗車する女子高生もいた。

 この女子高生を見て、筆者の学生時代、交通アンケートに応じてくれた方の一言を強烈に思い出した。

「自家用車を持つと、交通手段にはそれしか使わなくなる。その先の角の自動販売機まで煙草を買うに行く時も、歩くよりもむしろ、ハンドルを握ってしまう」

 自家用車は、途方もない勢いで増え続けている。新車の売れ行きが前年を下回ることはあっても、登録台数は 200万台/年のペースで確実に増加し続けている。一家に一台との形容はもはや昔、一人に一台という領域に入りつつある。

 そして、自家用車は家具になり、靴と化してしまった。

 関−美濃間程度の短距離で、渋滞もなく、駐車場にも不自由しないとあれば、自家用車の利用を妨げる要因はまったくない。自家用車は初期投資負担を除き、運賃・所要時間・運行本数など交通機関の持つ属性の全てにおいて、公共交通機関を凌駕する。

 公共交通機関がサービス水準を少々向上したところで、自家用車の利便性には及ばない。たとえ新関−美濃間において毎時4本運行を行ったとしても、利用者は美濃町線を見限り、自家用車に移っていったであろう。

 根本的には、自家用車の所有・利用を制限するしかないが、日本の現行法制下ではこの種の制限を加えることは難しい。まして、公共交通機関保護のための制限など受容されるとは考えられない。

 結果として、公共交通機関が自家用車に優越するのは、駐車場確保に難があり、渋滞のため所要時間に大きな開きがある、都市部のみである。美濃町線沿線のような地域では、公共交通機関が自家用車に対抗するのは至難といわざるをえない。

3.6.3 少子・高齢化の進展

 美濃町線の沿線において、少子・高齢化がどの程度進展しているかは定かではないが、おそらく、全国平均から大きな開きはないだろう。

 少子化の影響が出るのは専ら定期客であるが、タイプⅠは微増傾向であるから少子化の影響を考慮する必要に乏しい。タイプⅡの減少はあまりにも激しいため、少子化以外の別の要因を求めなければならない。いずれにせよ、少子化の影響はないと考えてさしつかえないだろう。

 高齢者がどのような交通行動をとるかについては、諸説ある。労働の拘束から解かれるなど時間の余裕が生じるうえ、年金を受けて収入に不自由もないため、従前に増して行動的になるとの見方もある。その反対に、肉体の衰えとともに行動意欲が減退し、外出する機会が大幅に減少するという見方もある。どちらも一理ある見方であって、つまるところ、実際の行動データから検証するしかない。

 美濃町線沿線の高齢者の交通行動がいかなるものであるか、残念ながら筆者は検証する術を持っていない。しかし、下記の一点は確実にいえる。

 年齢を加えてもなお、交通行動を起こす意欲のある高齢者とは、自らの肉体とその化身である自家用車を使いたがるものである、と。

 勿論、自家用車を保有していない(あるいは運転免許を持っていない)などの理由で、自家用車を自由に利用できない、移動制約者と呼ばれる層は確実に存在している。しかし、移動制約者が公共交通機関を積極的に利用するかといえば、必ずしもそうとはいえない。移動制約者は、制約があるがゆえに、移動する意欲が相対的に少ないのである。そもそも、移動制約者そのものが現在では少数派である。

 移動する意欲にあふれる層は、年齢に関わりなくその大部分が、自家用車を使うはずである。その結果、美濃町線のみならず、公共交通機関は顧みられなくなってしまう。

 

写真−9・10 松森付近の風景

 参考文献(29)p73中段の写真と比較すると、この20年あまりで松森には宅地が急増したことがわかる。とはいえ、新興住宅地では自家用車を保有しているのが一般的で、宅地の増加は必ずしも利用者数増加につながってはいない。


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