このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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天塩炭礦鉄道を歩く
そのⅠ〜〜留萠−第一トンネル
■留萠
本線という名乗りも、今や既に昔なごり。すっかりローカル線と化した留萠本線の列車を降りる。留萠駅前では安価なレンタサイクルがあることが、事前の調べでわかっている。これを借りて、天塩炭礦鉄道の跡を走り回ってみよう。
留萠駅
留萠はもともと、留萠本線と羽幌線が分岐しており、さらに天塩炭礦鉄道も留萠を起点としていた。留萠本線と羽幌線・天塩炭礦鉄道がY字をなす格好の、規模宏壮な拠点駅であった。もっとも、今も営業しているのは留萠本線のみで、交換機能を生かしているだけにすぎない。のこされた空間が広闊なだけに、雰囲気は空虚だ。その留萠駅の裏手、元の天塩炭礦鉄道ホーム近くの一角に、天鉄バスの本社兼営業所がある。
天鉄バス本社
留萠川は全国的な知名度こそ低いものの、かなりたちの悪い暴れ河で、
北海道開発局の記録
を見るだけでも、昭和26・28・30(二回)・36・37・38・39・40・48・50(二回)・56・63年に水害が発生している。特に昭和63(1988)年の大水害は市街地にも氾濫、氾濫面積 1,290ha、浸水家屋 3,376戸という、きわめて甚大な被害をもたらした。
大水害拡大の一因として、大水害前年の昭和62(1987)年に廃止された羽幌線の橋脚が河積を阻害したため、という声があった。羽幌線と留萠川は浅い角度で交差しているから、この見方には一理も二理もある。実際のところ、留萠川改修の際、羽幌線の橋脚は跡形もなく撤去されている。
留萠川付近の築堤(奥が羽幌・達布方面)
そのため、留萠川付近の鉄道の痕跡は、前後の築堤のみ。単線ぶんの幅員しかない点が気になるものの、米軍撮影の航空写真(※)を判読する限り、どうも鉄橋を共有していた様子である。
※
国土地理院空中写真閲覧サービス
USA-M395-82<昭和22(1947)年撮影>等より判読
■春日町
天塩炭礦鉄道は市街地を離れ、人気の乏しい沢筋に入っていく。鉄道としては急勾配を上りつつ、尾根筋を穿つ第一トンネルに向かう。
おそらく下の写真の手前側が、春日町駅の跡。線路跡はいちおう農道に転用された様子だが、今ではすっかり自然に還っている。背景に見える木は、おそらく線路跡に根づいているのであろう。なんと立派に育ったことか。
春日町駅跡付近(奥が留萠方面)
線路跡は道道と交差し、右に折れていく。鉄道としては急な曲線に見えるが、両側から丈の高い草が覆い被さってきていることで、目が錯覚しているのかもしれない。
春日町付近(奥が達布方面)
せっかく道路に転用されているというのに、河川改修でぶった切られているのは、どうにも無粋だ。一旦いま来た道を戻らなければならないのも癪。迂回して川を渡ってから、留萠側を望んでみる。
春日町−第一トンネル間(奥が留萠方面)
同じ場所で振り返り、今度は達布側を遠望。なんとも鉄道らしい眺めではないか。好天にも恵まれ、実にすがすがしい。
春日町−第一トンネル間(奥が達布方面)
この眺めなど、実に素晴らしい。最高だ。二車線のアスファルト舗装道路となり、趣がだいぶ変わってはいるものの、トンネルから緩やかに下ってくるSカーブのなめらかさ! ゾクゾクするほどの美しさとは、まさにこれだ。もっとも、天塩炭礦鉄道の営業時代には、この場所に近づくことすら困難を極めたに違いない。鉄道が失われることで、鉄道の美しさが露わになるとは、皮肉な状況ではある。
春日町−第一トンネル間(奥が達布方面)
かくして天塩炭礦鉄道の線路跡は、最初の尾根筋に立ち向かうのである。
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