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天塩炭礦鉄道を歩く
筆者は平成 3(1991)年夏、荒天のなか天塩炭礦鉄道の全区間を自転車で走破している。 3年後の平成 6(1994)年夏には、第一トンネルの留萠側坑口までレンタカーで近づいている。これら経験を踏まえ、天塩鉄道「十五年史」を参考にしつつ、
「二本のトンネルの因縁〜〜天塩炭礦鉄道」
という記事を著したのは平成12(2000)年であった。
同記事は「以久科鉄道志学館」における最初期のもので、思い入れ深い内容である一方、書きぶりには苦しいものがあることをも認めなければなるまい。予め筆法を確立していたつもりが、試行錯誤の要素も含まれており、今となってはもはやこの文体では書けない。まっとうな歴史物記事を記すにあたり、語りかける文体、文語調の筆法は、筆者にとって採るべき道ではなかったのである。事実に対する分析や解釈も、近年の記事とは必ずしも平仄が合っていない。
よって、同記事はいずれ改稿すべき、との思いが筆者にはある。そして、改稿の前に、天塩炭礦鉄道の現地再訪を願う思いも募った。一度目は大雨に祟られて、二度目は撫でただけ。好天の許、せめて一日をかけて、じっくりと見直してみたくなった。本稿は、天塩炭礦鉄道の線路跡を自転車で踏破した記録である。行動記録が中心となるから、文語調がおり混ざろうと、違和感も抵抗感もないはずである。書き手たる筆者にとっても、そして読者諸賢にとっても。いざ。
執筆備忘録
訪問:平成19(2007)年夏
執筆:平成20(2008)年夏
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