このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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天塩炭礦鉄道を歩く
そのⅣ〜〜第二トンネル−天塩本郷
■第二トンネル−本郷公園間
もう一度大迂回を繰り返し、小平市街から小平蘂川沿いに遡上、第二トンネルへの肉迫を試みてみる。路面の荒れた林道(線路跡でもある)に入りこみ、尾根筋を目指してみたものの……。
第二トンネル−本郷公園間(奥が留萠方面)
この小広場でリタイアである。まだ進めそうにも見えるが、轍を走ろうとすると、両脇から覆いかぶさる丈の高い草が邪魔をする。轍の間を走ろうにも、レンタサイクル如きで踏み分けていくのは厳しい。国土地理院 1/2.5万地形図によれば、林道はまだ約 500mも続き、さらに第二トンネルまで 500mほどの距離を余している。草木の繁茂を避け、羆をも避けようとすれば、いったいどの季節に来ればいいのだろう。
第二トンネル−本郷公園間(奥が達布方面)
小広場から振り返って撮った写真。ここまではまともな道、などと思ってはいけない。所詮、レンタサイクルのスペックで走る道ではないのだ。凹凸が多く、踏み固められてもおらず、走りにくいったらありゃしない。時折草もタックルしてくるし。
■本郷公園
線路跡は急カーブを描き、切り通しに吸いこまれていく。これはレンタサイクルが写りこんだ、唯一の写真。
本郷公園駅跡付近(奥が達布方面)
この切り通しの向こうに、本郷公園駅があったはずである。もっとも、駅といっても、簡易乗降場のような設備であったらしい。観光・行楽繁忙期のみ営業する臨時駅だった、天塩本郷駅構内扱いの飛地ホームだった、という説もある。「十五年史」はこのあたりの消息を詳しく伝えておらず、実際どうだったのか興味深いところだ。
本郷公園駅跡付近(奥が達布方面)
■天塩本郷
線路跡は一旦完全に消滅する。河川改修に削られ、農地に取りこまれ、痕跡がうかがえない。次にそれとわかるのは、天塩本郷駅の構内だ。
天塩本郷駅跡(奥が達布方面)
空間の広がりもさることながら、駅前にある(下の写真右手)くすんだ色の倉庫の風情が鉄道時代を彷彿とさせる。
天塩本郷駅跡(奥が留萠方面)
駅前の様子は、鉄道時代も今もそう変わらないかもしれない。なぜなら、天塩炭礦鉄道は活気あふれる鉄道でなかったからだ。一列車に何人乗っていたのか。一列車にどれだけの荷があったのか。一般論としてローカル鉄道に全盛期と呼べるほどの時期はなく、さらに輸送量が減じてくれば、衰退の坂を転げ落ちるのも当然の成り行きではあった。
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