このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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天塩炭礦鉄道を歩く
そのⅥ〜〜沖内−達布
■沖内−寧楽間
沖内から先は完全に端折り。疲れに加えて、レンタサイクル返却時刻を考えると時間が惜しく、目配りする余裕がない。それに、線路跡が立派な道路となっていて、写真の図柄としても面白味に欠けてしまう。
沖内−寧楽間(奥が留萠方面)
寧楽付近で立ち止まり、線路跡を遠望した写真がこれ。もっとも、この写真では「鉄道らしさ」は伝わらないだろう。営業時代にこの場所に立ったところで、木立の間から登る煙くらいしか見えなかったはずだ。また、このサイズではわかりにくいが、第三トンネル達布側坑口は斜面の防災工事のため失われている様子。かような工事を必要とする場所にトンネルがあったという事実は、天塩炭礦鉄道の不安定さを浮き彫りにする。
■天塩住吉
気ばかり急いて、天塩住吉の探索は極めておざなり(苦笑)。
天塩住吉駅跡付近(奥が達布方面)
小平蘂川対岸には住吉鉱があるなど、重きをなした駅であるはずだが、大幅な地形改変が加えられて、線路跡は判然としなくなっている。筆者の読みが合っていれば、線路跡は写真の歩道あたりを直線で進んでおり、突き当たり左側の建物が「駅前商店」だったものと想定される。
■達布
ようやくの思いで達布に到着。
達布駅跡(右が留萠方面)
駅前通から駅を眺めたつもりで撮った写真がこれ。解説がなければ、ここに鉄道の駅があったとはわからないだろう。
達布駅跡(手前が留萠方面)
小なりとはいえ、終点の駅だっただけに、構内は広闊だ。ただし、営業時代の雰囲気を伝えるものはまったく残っていない。
達布駅跡(右が留萠方面)
天鉄バスの待合室にしても、古びては見えるものの、モルタル壁だから昭和40年代以降の建築だ。おそらくは、天塩炭礦鉄道の廃止に前後して建てられたものに違いない。
■達布鉱
達布のさらに奥には、炭鉱のホッパーが残っているはずだ。せっかくここまで来た以上、ホッパーまで見届けてみよう。
達布鉱ホッパー跡(手前が留萠方面)
遠望する限りでは、今でもその偉容を誇っている様子に見える。
達布鉱ホッパー跡
しかしながら、近づいて見れば老朽劣化の度は著しい。特に一階部分の鉄筋がほぼ完全に露出しているのは致命的で、ちょっとした地震に遭えば、ホッパー全体が倒壊する危険性さえある。たとえ地震による被災を免れ続けたとしても、コンクリートには剥離・亀裂が目立ち、これ以上近づく気にはなれない。
このホッパーは炭鉱全盛期を象徴する遺産として貴重なものである一方、現状では保存でなく放置あるいは放棄に等しい。保存するならば確たる意図を有した管理が必要であり、意図を持てないならば危険を除去するしかないように思えるが、どうだろうか。もっとも、現状では撤去する費用さえ捻出できない、という根本的に厳しい状況があるのかもしれず、まさに「時代に取り残された」悲哀を覚えざるをえない。
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