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二本のトンネルの因縁〜〜天塩炭礦鉄道
<完全改稿版>
そのⅣ 天塩鉄道の経路選定
■なぜ二本のトンネルを掘ったのか
天鉄が二本のトンネルを穿ち、達布−留萠間直結を目指した理由はどこにあるのだろうか。遺憾ながら、当初版では理路整然とした分析ができないまま、明快さに欠ける模糊とした書きぶりに終わってしまった。現在に至ってもなお、新材料と呼べるほど証明力ある証拠が得られたわけではない。そのかわり、分析手法に関しては、相当な革新があったと自負している。
完全改稿版を著すにあたり、筆者は「白紙設計」とでも呼ぶべき手法をもって、上記の謎に挑戦したい。具体的にいえば、当時の技術者になったつもりで鉄道路線を設計する、というアプローチである。この手法は確立できたとはいえない段階にあるが、
過去の記事
で既に試行しており、今後も東上鉄道論に応用したいと構想中のものである。
さて、天鉄が昭和 8(1932)年に計画図を引き始めた段階においては、参考文献(01)に明記されているように、小平−達布間に鉄道を敷く計画であった。図−2でいえば緑線が当初計画に該当するはずで、これは最も常識的な発想といってよいだろう。
1.北海道人造石油会社第二工場(留萠に建設予定)向け原料炭の輸送(35万トン/年)。 2.天塩礦の開発に要する作業機械を運搬するために鉄道敷設は不可欠。 3.一般市場向け石炭の輸送(10〜20万トン/年)。 4.御料林から伐り出された木材の輸送(2.5万トン/年)。 帝室林野局は小平−達布間森林鉄道敷設を中止し、全量を天鉄により輸送することと なったため、木材不足の折、天鉄の開通は特に急を要する。 |
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