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2003年鉄道旅行記

第2回山陰路遠征


 8月15日(第2回山陰路遠征)


行程:岡山 2:24発→JR山陽本線・伯備線・山陰本線 臨時快速「ムーンライト八重垣」出雲市行(9921レ・伯備線経由)→米子 5:51着(乗換) 6:31発→JR境線 普通境港行(1633D)→境港 7:14着(折返)20発→普通米子行(1636D)→米子 8:09着(撮影)

 米子9:45発→JR山陰本線 特急「スーパーくにびき6号」(現在の特急「スーパーまつかぜ6号」)鳥取行(2016D→米子から鳥取まで延長運転の上、8016D。但し、この日は信号故障の為、米子始発扱いとし、キハ65系800番台オール自由席車での運行・2分延発)→鳥取11:03着(15分延着・折返)31発→米子行ワンマン(239D)→米子13:37着(43分延着・乗換)14:16発→出雲市行ワンマン(137D・8分延発)→出雲市15:46着(11分延着・入浴)

 出雲市21:00発→JR山陰本線・伯備線・山陽本線・神戸線 臨時快速「ムーンライト八重垣」大阪行(9922レ・伯備線経由・25分延発)→大阪 6:05着(8/16)


 2日連続の山陽路遠征を終えた私は、臨時快速「ムーンライト八重垣」出雲市行(9921レ・伯備線経由)で米子へ向かいました。米子へ行ったついでに山陰本線の鳥取〜出雲市間と境線を乗車する計画を立てていました。

 岡山から臨時快速「ムーンライト八重垣」出雲市行(9921レ・伯備線経由)に乗ると早速、寝ました。目が覚めたときには根雨を越えたあたりでした。

 米子に着くと早速、臨時快速「ムーンライト八重垣」出雲市行(9921レ・伯備線経由)と岡山区115系G編成、キハ58系、キハ40系鬼太郎列車を撮影してから境線を1往復しました。なお、米子にはキハ121系、キハ126系増備車、EF64 1000番台の他に後藤所と京都所のキハ58系を見ることが出来ました。さらに後藤では、キハ58系小浜色3両の廃車体を見ることが出来ました。境線を1往復して米子に戻ってみると、とんでもないことが発生しました。それは、山陰本線の揖屋〜荒島間で信号機故障が発生し、列車が発車できない状態になっていました。

 私はキハ187系基本番台の特急「スーパーくにびき1号」(現在の特急「スーパーまつかぜ1号」)益田行(2011D)とキハ126系快速「アクアライナー」益田行(3453D)、キハ37系+キハ47系等を撮影しましたが、鳥取へ行けるかどうか不安になっていました。

 そして、米子9:45発の特急「スーパーくにびき6号」鳥取行(2016D→米子から8016D)に乗りましたが、本来使うはずのキハ187系が到着しておらず、何と、キハ65系800番台(急行「だいせん」用)で、しかもオール自由席として、鳥取へ向かうことになりました。私は特急「スーパーくにびき6号」で鳥取へ行くことになりました。途中、大山口で寝台特急「出雲」出雲市行(7レ)とすれ違いました。しかし、キハ65系800番台を使った、特急「スーパーくにびき6号」は最高速度95km/hしかでず、途中、何度も信号待ちと行き違い待ちがあったので、鳥取には15分遅れで到着しました。鳥取でキハ65系800番台特急「スーパーくにびき6号」(俗に「ニセくにびき」!?)と若桜鉄道のWT2504を撮影してから、米子へ戻りましたが、ダイヤの乱れはさらに最悪となっていきました。

 私が乗った米子行ワンマン(239D)は、各駅に着く度に遅れたり回復したりといった状況でしたが、米子に近づくにつれて遅延は最悪な方向になってしまいました。結局、この列車は米子には43分遅れで到着し、さすがの私でもホンマに怒りたくなる気分でした。だが、いつまでも怒っていても仕方がないので、出雲市へ向かいました。なお、途中の宍道で木次線用のキハ120系200番台を撮影しました。

 出雲市に着いてから、少し、ホテルで休憩して、シャワーを浴びてから出雲市駅に戻りました。出雲市駅高架下のレストランで夕飯を食べてから、寝台特急「出雲」東京行(8レ)、285系3000番台寝台特急「サンライズ出雲」東京行(4032M・伯備線経由。岡山で高松発の寝台特急「サンライズ瀬戸」東京行(5032M)と併結)、381系特急「やくも」「スーパーやくも」色と「やくも」色の混結7両編成)、キハ58系、キハ120系浜田鉄道部色を撮影しました。さらにキハ187系500番台を使った特急「スーパーおき」を見ることが出来ました。

 私が何故、出雲市に来た理由は、出雲市から臨時快速「ムーンライト八重垣」大阪行(9922レ・伯備線経由)の自由席に乗る為でした。米子で臨時快速「ムーンライト八重垣」に乗れないことはありませんが、混雑する点を考えて、出雲市から乗ることにしました。

 臨時快速「ムーンライト八重垣」大阪行(9922レ・伯備線経由)が来るまでの間、私と同じ青春18きっぷを使って旅をしているある1組のカップル(?)の方と会話をして、楽しみました。そして、臨時快速「ムーンライト八重垣」が入線して早速、席取りバトルが展開されました。私は大阪寄りの客車に座ることが出来て、生山を過ぎた辺りから寝ました。途中の新見と岡山で目が覚めましたが、すぐに寝ました。臨時快速「ムーンライト八重垣」は、遅れを取り戻す為に各停車駅の停車時間を短縮する措置をとりました。こうして、臨時快速「ムーンライト八重垣」は大阪に無事、定刻通りに到着しました。

 今回の山陰路遠征では、信号機故障でダイヤが乱れて最悪な遠征となってしまい、キハ58系快速「とっとりライナー」には乗れませんでしたが、境線のキハ58系に乗れただけでも満足していると思いつつ、山陽路・山陰路遠征を無事に終えることが出来ました。

大阪帰還


 8月16日(大阪帰還)


行程:出雲市21:00発(8/15)→JR山陰本線・伯備線・山陽本線・神戸線 臨時快速「ムーンライト八重垣」大阪行(9922レ・伯備線経由・25分延発)→大阪 6:05着

 大阪15:55発→JR大阪環状線(内回り)・阪和線 関空・紀州路快速関西空港・和歌山行(4163M)→和泉府中16:31着


 山陽路・山陰路遠征を終えた私は、臨時快速「ムーンライト八重垣」大阪行(9922レ・伯備線経由)に乗っていて、明石で目が覚めました。明石海峡大橋や神戸の街並みを眺めているうちに大阪へ近づいてきた感じがして、いよいよ旅の終わりを実感しました。尼崎で寝台特急「富士」大分行(1レ)を車内から見ましたが、「何故、こんな時間に走ってんだろうか?」と一瞬、疑いました。こうして、大阪には 6:05に到着し、大阪で知人(同業者)と合うことになりました。

 大阪駅3番線に行ってみると、本来、この時間に通るはずのない寝台特急「さくら・はやぶさ」長崎・熊本行(3レ)、寝台特急「あさかぜ」下関行(5レ)、寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」松山(通常は高松行だが、松山まで延長運転)・出雲市行(5031M)が大阪駅を通過しました。知人の話を聞いてみると、「東海道本線の何処かで大雨で足止めされたから。」と言っていました。

 大阪で寝台特急「日本海2号」当駅止(4002レ)と683系回送列車、113系7600番台+113系5800番台(注意:山陰本線2両編成車ではなく、福知山線用の800番台車を高速化工事に対応した車両)の8両編成、207系2000番台を撮影し、臨時寝台急行「あおもり」と甲子園臨の応援列車の撮影を待っていました。そして、臨時寝台急行「あおもり」当駅止(9510M・京都所583系の10両編成)を撮影しました。

 昼からは485系元しらさぎ編成の甲子園臨の撮影に勤しみました。この甲子園臨は、福井商業高校応援列車ですが、何故か中越高校のステッカーが貼ったまま運転していました。なお、今回で485系元しらさぎ編成による甲子園臨応援列車が最後ということで撮影者の数が多かったです。

 そして、大阪15:55発の関空・紀州路快速関西空港・和歌山行(4163M)で、帰ることになり、今回の4泊5日(うち2泊は車中泊)にわたる長旅を終えることになりました。


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