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2003年鉄道旅行記

第2回山陽路遠征


 8月13日(第2回山陽路遠征初日)


行程:中村区役所前 6:10発→名古屋市交桜通線 野並行ワンマン→名古屋 6:12着(乗換)20発→JR東海道本線 快速「ムーンライトながら」大垣行(375M)→大垣 6:56着(乗換) 7:01発→快速網干行(米原まで211F→米原から735T)→米原 7:37着(乗換)49発→JR琵琶湖線・京都線・神戸線 新快速姫路行(3615M)→姫路10:13着(乗換)11:04発(1分延発)→JR山陽本線 普通三原行(岡山まで1415M→岡山から445M)→三原14:01着(乗換)15発→JR呉線 普通広行(945M)→広15:39着(乗換)45発快速「安芸路ライナー」広島行(5637M・ワンマン運行)→広島16:21着(3分延着)

 広島16:30発→JR呉線 快速「安芸路ライナー」広行(5632M)→広17:05着(乗換)19発→普通糸崎行(142M)→三原18:30着(乗換)41発→JR山陽本線 普通広島行(375M)→広島19:51着(乗換)20:00発快速「通勤ライナー」岩国行(7337M)→岩国20:40着(4分延着・乗換)41発(4分延発)→普通小郡行(徳山まで1583M→徳山から561M)→小郡22:31着(2分延着・乗換)34発(1分延発)→普通下関行(3575M)→下関23:38着(乗換)49発→普通小倉行(5263M)→門司23:55着(ホテル泊)


 名古屋の宿泊先で一夜を過ごした私は、この日から3日間に渡って山陽路・山陰路遠征を実施することになりました。

 朝5時に目が覚めて、荷物を整理してから朝飯を食べました。朝6時に友人と別れ、大急ぎで名古屋へ向かいました。名古屋から快速「ムーンライトながら」大垣行(375M)乗ったものの、大混雑していました。大垣に着いてから「大垣ダッシュ」(「大垣席取りバトル」)がありました。大垣から米原までは何とか座ることが出来ました。

 米原で新快速姫路行(3615M)に乗り換えて、大阪まで座りました。今回も彦根を過ぎてから車内検札がありました。車内検札後は殆ど寝てしまい、気が付いたら東淀川辺りに差し掛かっていました。大阪に着くと飲み物を買ってすぐに車内へ戻りましたが、三ノ宮まで座ることが出来ませんでした。けれども三ノ宮からは座ることが出来ました。

 姫路で岡山方面への列車を50分待ったので色々と電車を眺めていました。姫路11:04発の普通三原行に乗りましたが、普段は115系の3両または4両編成で運転するのが、何と網干所の113系7両編成で運転していました。しかも姫路と岡山と三原で113系を撮影しましたが、不思議なことに三原寄りの先頭車は「普通」表示、大阪・京都・米原寄りの先頭車は「岡山」表示とバラバラでした。行先表示をきちんと統一して欲しいと思いました。岡山で快速「サンライナー」快速「マリンライナー」等に乗り換える客が多かった為、岡山から三原までは結構、空いていました。

 三原で呉線に乗り換えて、呉経由で広島へ向かいました。途中、広に着くまでの間、2回も車内検札がありました。広で快速「安芸路ライナー」広島行(5637M)に乗り換えましたが、103系3両編成のワンマン運転でした。私が快速「安芸路ライナー」広島行(5637M)は、席が殆ど埋まっていて、立ち客が少しばかりいました。

 広島には3分遅れで到着して、撮影する時間がありませんでした。折返し16:30発の快速「安芸路ライナー」広行(5632M)に乗りました。電車は103系ですが、4両編成で車掌が乗っていました。広から三原まで105系基本番台2両編成に乗りました。私が乗った105系基本番台には、ワンマン化改造工事が施行されていましたが、運賃箱や整理券、運賃表示器は段ボールとかにカバーされていました。

 三原に着いたら、雨が降っていました。105系基本番台を撮影した後、普通広島行(375M)に乗りました。ここでは車内検札が1回ありました。

 広島に着いてからすぐに快速「通勤ライナー」岩国行(7337M)に乗り換えましたが、結構、混んでいました。ところが、雨が止む気配すらないどころか列車は4分遅れで岩国に到着しました。岩国では、普通小郡行(徳山まで1583M→徳山から561M)が出発待ちをしていました。遅れの方は2分程回復していき、小郡には2分遅れで到着しました。小郡から普通下関行(3575M)に乗り換えて、1分遅れで出発しました。下関に近づくにつれて、「いよいよ本州西端に来たんだなぁ。」という気持ちでいっぱいでした。さらに小月ではキロ59系「ふれあいパル」を車内から見ました。

 しかも、私は三原から下関まで乗った電車が115系3000番台にずっと乗るという珍しい乗り鉄を体験しました(途中、広島と岩国と小郡で3回乗換)。

 下関で一旦、降りてホテルを探しましたが、満席でした。

 結局、下関23:49発の普通小倉行(5263M・JR九州415系4両編成)の最終列車で門司へ向かうことにしました。小倉へも行きたかったんですが、夜が更けてきたということで門司で降りて、門司駅近くのホテルで宿泊しました。


 8月14日(第2回山陽路遠征2日目)


行程:門司 8:25発→JR山陽本線 普通下関行(228M)→下関 8:31着(乗換・食材購入) 9:03発→普通小郡行(5232M)→小郡10:09着(乗換・撮影休憩)46発→快速「シティライナー」岡山行(徳山まで3354M→徳山から5354M)→広島13:18着(乗換)45発→JR可部線 普通加計行(1239D)→加計15:32着(乗換)48発→三段峡行ワンマン(241D)→三段峡16:19着(入浴)

 三段峡17:21発→JR可部線 加計行ワンマン(250D)→加計17:45着(乗換)59発→可部行ワンマン(252D)→可部18:56着(乗換)57発→普通広島行(794M)→広島19:39着(乗換)50発→JR山陽本線 快速「通勤ライナー」糸崎行(1380M)→糸崎20:59着(乗換)21:00発→普通備前片上行(岡山まで1776M→岡山から1982M)→岡山22:33着


 門司の宿泊先で一夜を過ごした私は朝早く起きて門司で撮影するはずでしたが、昨日の疲れがとれていないせいか起きたのが朝8時でした。門司で朝飯を食べる時間が全くなく、荷物を整理してから下関へ向かいました。

 下関に着いてから早速、特急「いそかぜ」の送り込み回送列車(キハ181系国鉄特急色3両編成)とキハ58系広島支社色、JR九州415系を撮影した他、寝台特急「さくら・はやぶさ」、EF81 400番台の重単回送を見ることが出来ました。

 あまりにもお腹が空いていたので普通小郡行(5232M・JR九州415系)の車内で朝飯を食べましたが、ロングシート車の車内では何かご飯を食べにくそうでした。こうして小郡着を以て山陽本線全線踏破を達成しました。

 小郡に着いてから、キハ187系基本番台特急「スーパーおき」小郡止(1001D)と山口線キハ47系、宇部線・小野田線用の123系両開扉車(クモハ123−5か6のどちらか)を撮影した後、快速「SLやまぐち号」津和野行(9521レ)の撮影を待ち続けました。

 そして、快速「SLやまぐち号」津和野行(9521レ・C57 1号機+12系レトロ客車5両編成)が小郡駅1番線に入線して来ましたが、C57 1号機のヘッドマークがいつもの「やまぐち」マークではなく、白地に虹を描いたような(?)ヘッドマークが付いていました。雨が降っているにもかかわらず、たくさんの観光客や一般客、鉄ファン等で賑わっていました。ただ、展望車のオハフ13 801を撮影する時には、魚の匂いが漂ってきましたので、我慢して撮影しました。

 快速「SLやまぐち号」津和野行(9521レ)の撮影が終わってから、可部線に乗る為に快速「シティライナー」岡山行(3354M→徳山から5354M)に乗りましたが、岩国・広島へ進む毎にだんだん混雑していきました。

 広島に着いて早速、113系(先頭車が阪和快速色・中間車が湘南色編成)、105系基本番台を撮影してから、JR可部線の普通加計行(1239D)に乗りました。しかも広島〜可部間の電化区間にディーゼルカーが入ってくるのは本当に珍しいというよりも可部以北から非電化である為でした。列車の方は、あまり混んでいませんでした。可部からは列車の本数が減って、市街地→山間部への変化を車内からじっくり見ました。加計に着いてから10名前後の鉄ファンが撮影に勤しんでいました。私も加計駅でキハ40系をたくさん撮影しました。加計〜三段峡間は1日5往復しかなく、ホンマの過疎地域でした。可部線非電化区間(特に加計〜三段峡間)にお客様が殆ど乗ってこない状況では、廃止は仕方がないのかなぁ。と思いつつ、三段峡へ向かいました。

 三段峡に着いてから折り返しまで1時間もありましたので、三段峡駅近くの温泉で入浴することになりました。入浴してからご飯を食べて、三段峡駅前で静態保存をしているC11 189号機を撮影してから、帰りの加計行ワンマン(250D)の出発を待ちました。そして、三段峡17:21に加計行ワンマン(250D)が発車して、三段峡を後にしました。

 途中の加計で可部行ワンマン(252D)に、可部から普通広島行(794M・105系4両編成)に乗り換えて、広島へ向かいました。

 広島着を以てJR可部線を全線踏破しました(但し、可部線の起点は横川)。広島で105系基本番台回送列車を撮影した後、快速「通勤ライナー」糸崎行(1380M)に乗り換えました。私が乗った快速「通勤ライナー」糸崎行(1380M)は115系8両編成(4+4)でしたが、一番後ろの車両のクーラーある部分の座席が座ることが出来ない状態でした。ふと、座席が座れない箇所の上を見るとクーラー部分にビニールシートで応急処置をしていた箇所がありました。こうして19:50に快速「通勤ライナー」糸崎行(1380M)は広島を出ました。途中、八本松に着くまでの間、車内検札が行われました。糸崎で普通備前片上行(1776M→岡山から1982M)に乗り換えましたが、103系岡山色の4両編成でしたが、あまり乗っていませんでした。

 岡山に着いてから103系岡山色を撮影しましたが、何か電車が遅れていました。携帯電話からJRおでかけネットの方を確認すると、JR京都線管内で人身事故が発生して、電車が遅れていることが分かりました。岡山では夜行列車を撮影する鉄ファンが数名いました。私は翌日の山陰路遠征を控えて臨時快速「ムーンライト八重垣」出雲市行(9921レ・伯備線経由)の到着を待ち続けました。


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