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  今日は朝からずっーと気分が憂鬱だった。 今は築70年のボロアパートの私の部屋で寝っころがって ジャージ姿で充電しながらぼんやりテレビを見ているわけなんだけど、 いつもは黙っていても笑わせてくれる下らないバラエティー番組も、 今日に限っては全然笑えない。 番組がつまらないからってわけじゃないよ。 明日は、 三年に一度の入院検査の日なんだ。 今から嫌で嫌で仕方がないよ。 だから、 今日はそのことばっかり考えていて何をするのも上の空だよ。
  私の外見は普通の人と全く同じ。 ちゃんと手もあるし、 足もあるし、 自由に動き回れる。でも普通の人と決定的に違うこと。 私の身体で自分のものって言えるのは、 この、 ものを考える脳みそだけ。 それ以外のこの手も、 足も、 身体も、 顔も、 何もかもが作りものの機械だ。 だから、 私は世間的には身体障害者ってことになっている。 国から付与された種別でいうと義体化一級。 差別的な言葉でいうとサイボーグだね。 普通に生活する上では何一つ不便のないこの身体で、 どこが身体障害者なのさっ!って思うんだけど、 一ヶ月に一回は絶対に病院に行って定期検査を受けなきゃいけないことになってる。 三年に一回は必ず入院検査を受けなきゃいけない。 つまりこの身体で生きていくためには一生病院とは縁が切れないってこと。 そういう意味では、 私はやっぱり身体障害者なんだよね。 もっとも病院っていうよりは修理工場って言ったほうが近いのかもしれないけどさ。 実際、 影ではそう呼ばれてるの知ってるしね。はは。
  定期検査の時は、 いやがうえでも自分の身体がもう機械なんだってわかっちゃう。 だから私は嫌いなんだ。 もっとも義体の人で検査が好きなんていう人はいないだろうけどね。 義体の電源落とされて全く身動きできなくなった後でさ、 全身の接続端子にコード差し込まれて、 義体を制御するサポートコンピューターのウイルスチェックをしたり万が一のための補助回路がうまく働くかチェックしたり、 まあいろいろ検査するわけ。 それに、 こんな機械のかたまりみたいな身体でも脳はやっぱり生きてるから、 月に一回は脳みそのために血液交換したり、 純水を補給したり、 老廃物を取替えなくちゃいけない。 その度に身体のいろんなところを開かれて、 いじられるんだよ。 でもね、 まだ定期検査はいいよ。 我慢してれば1〜2時間で終わるんだもの。義体になって六年近くになると、 さすがに慣れてきちゃった。
  私が本当に嫌なのは、 入院検査。 入院検査っていえば聞こえはいいけど、 やることはつまり分解修理だよね。 私の身体なんて電化製品と同じだからさ、 三年もたつと古くなっちゃうんだよね。 だから消耗の激しい部品は交換しなきゃいけない。 それにサポートコンピューターのOSも最新のものに切り替えなきゃいけない。 三年の間に世の中はかなり進歩しているからね。 で、 その入院検査の何が嫌かっていうとさ、 サポートコンピューターをいじくるためにコンピューターの電源を落とされちゃうんだ。 私の感覚は全部サポートコンピューターが作り出してくれてるわけだけど、 それがなくなっちゃうって事は真っ暗。 眼が見えないってことじゃないよ。 それなら、 まだいい。 何も聞こえないし、 身体の感覚もなくなっちゃうってこと。 その状態で丸一日は過ごさなきゃいけないなんて地獄だよ。 寝ても、 眼が覚めても真っ暗闇なんて気が狂いそうになるよね。 これにくらべたら多分本物の地獄のほうがずーっとましなはず。 三年前の入院検査ですっかりトラウマになっちゃったよ。 で、 その入院検査が明日なんだ。 憂鬱になるのも分かるってもんでしょ。

  私がぼんやりテレビのチャンネルを切り替えているとき、 部屋のすみの骨董品ものの黒電話が鳴った。 あーっ、 もう、 誰とも話したい気分じゃないんだけどなあ。 一体誰だよう。 藤原? ジャスミン? それとも佐倉井? 居留守を決め込もうか迷ったんだけど、 電話のベルのうるささに耐えられず、 かといって起き上がるのも面倒なので、 充電用のプラグを抜いて床をずりずり這いながら、 部屋のすみまで移動した。
「もしもしっ。 八木橋さん? 私、 イソジマの松原ですっ」
「ああ・・・、 こんばんは」
  電話の主は私の義体製造会社で、 私の就職内定先でもあるイソジマ電工のケア・サポーターの松原さんだった。 ケア・サポーターっていうのは私みたいに義体化した人のリハビリを手伝ったり、 カウンセリングを行ったり、 まあ医者じゃあケアしきれない様々な部分の面倒を見てくれる人達のことだ。 で、 今の私の担当がこの松原さんっていう若手ケアサポーター。 年は私と二つしか違わない。 だいたい義体になりたての頃はベテランのケアサポさんがつくことになってるんだけど、 私みたいに義体化して六年もたって、 いい加減慣れっこになってる患者には、 若手社員がつくことになってるみたい。
「念のために明日の確認の電話を入れさせていただきました。 明日は入院検査の日ですからね。 忘れてないですよね」
  松原さんも真面目で熱心なのはいいんだけど、 どうにもユーモアに欠けるというか、 生真面目というか、 典型的な女の子学級委員がそのまま大きくなった感じというか、 湯鬱な気分のときに畳み掛けられるように話されると正直しゃくにさわるんだよね。 だからちょっとからかってやることにした。
「あー、 そうでしたっけ。 忘れてたよう。 明日から用事があって札幌に行くことになってるから行けないんです。 悪いけど、 入院検査は延期にしてくれますか?」
「何ですってっ。 忘れてた? 前の定期検査の時にあんなに確認したのにっ! 全くもうっ! 今更延期なんてできませんっ!」
  きっと松原さん、 今頃受話器の前で真っ赤な顔してほっぺたぷーってふくらましてるよ。 くくく。
「ふふっ、 冗談ですよう、 ジョーダン。 ちゃんと行きますから安心して下さい」
「全くもうっ! 悪い冗談はやめてください。 えと、 集合時間、 集合場所を言ってください。 覚えてますか?」
「午前10時、 府南病院の義肢義体科受付前ですよね」
「その通りですっ。 予約時間厳守でくれぐれもお願いしますね。 後がつかえてますからね」
「分かってるよう。 行けばいいんでしょ。 行けば」
  むっとして電話を切った私だけど、 まあ、 確かに松原さんが焦って確認してくる気持ちも分からないではない。 いくら日本の中心、 花の都大東京といっても全身義体の検査施設が整っているところなんて、 そう多くはないからね。 私が遅刻したら他の皆に迷惑かけちゃうからね。 それにしても、 ああ嫌だなあ。 入院検査。


  例によって私は待ち合わせ時間に遅れそうになって、 ただいま府南病院のウンザリするくらい長い廊下を爆走中。 昨日の晩、 検査入院のことを考えてたら怖くて、 怖くて、 それでなかなか寝れなくって、 寝坊したんだよう。 バカバカ。 私の馬鹿。
  府南病院、 正確には東京府立南病院っていうんだけど、 ここはベッド数二千、 お医者さんの数三百人、 ここで直せないのは恋の病だけって巷じゃ言われてるくらいのマンモス病院。 だから、 病院の入り口から病院の隅にある義肢・義体科までゆうに400mは離れているんだ。 走って、 走って病院独特のあのアルコール臭がしなくなったところで、 やっと我が修理工場に到着だよ。 はは。 なんとか集合時間の五分前についたぞう。
  当然のことながら松原さんは先に到着していて、 時計と睨めっこして、 檻に閉じ込められたライオンみたいに受け付け前を行ったり来たりしている最中だった。 やばっ。
「ごめんなさーい! 待ちましたか?」
「あなたが時間にルーズなのはいつものことですから全然気にしてませんよ。 うん、 集合時間5分前。 今日は早いほうじゃないの。 はははは」
  そういいながらも、 彼女のこめかみピクピク震えてる。 ごめんなさい松原さん。 あなたに言わせれば、 集合時間の30分前集合が原則なんでしたっけ。 ケアサポーター部で出勤時間が一番早いのが私だって自慢してましたもんね。
「今日の検査入院は八木橋さんと、 それから西田さんね。 二人は会うのは初めてですよね」
  へー、 今日は私一人じゃなかったんだ。
  受付前の長椅子に座っていた、 髪をキンキラキンに染めた少女が立ち上がった。
「お姉ちゃんが裕子さん? 私、 西田茜といいます。 小学校五年生です。 札幌から来ました。 ヨロシク!」
  最近の小学校五年生は垢抜けてるのかな。 茜ちゃんはティーンズ向けのファッション雑誌から飛び出してきたみたいな奇抜なカッコした女の子だった。 なんかサボテンみたいな髪型だし・・・。 こうして見るとちょっと弾けた、 でもそこらへんに転がってる普通の女の子にしか見えない。 でも、 この娘もやっぱり私と同じ全身義体なんだよね。
「はは・・・八木橋裕子です。 茜ちゃん、 こちらこそ宜しくね」 


  私は黒のタンプトップにジーパン姿っていうお決まりの芸がない格好だ。 特に病院に行く日はなるべく地味に、 目立たぬようにが私のポリシー。 それだけに、 ド派手な茜ちゃんには初対面から圧倒されっぱなし。
「八木橋さんは一日入院。 西田さんは義体の換装があるから、 換装後の調整もあるので二日入院ですね。 今日のスケジュールは・・・」
  面通しが済んだところで、 ケアサポの松原さんが女教師ばりにテキパキとスケジュール説明。 茜ちゃんは二日間コースなんだ。 小さい頃に義体になっちゃった子は、 一年ごとに義体をちょっとずつ大きなものに変えなくちゃいけないって聞いたことがある。 機械の身体は成長しないもんね。 でも、 毎年身体を取り替えていくっていうのは結構辛いんだろうな、 と思ったら
「背はどれくらい伸びるの? 胸、 大きくなるのかな?」
  と、 茜ちゃんの反応は至極あっけらかんとしたものだった。 松原さんみたいな駆け出しのケアサポさんがついているってことは、 茜ちゃん、 義体になったのはもう何年も前、 相当小さい頃のはずだ。 だとしたら、 私みたいに生身の肉体の記憶をズルズル引きずってなくて機械の身体に抵抗感がないのかもしれない。
「えーっと、 じゃあ設定の確認をします。 西田さんは、 さっきご両親からの確認書をもらってますから、 あとは八木橋さん。 この書類にサインをお願いします」
  松原さんがから渡された書面は、 義体設定確認書。 アクセスコンピューターへのパスコードとか、 節電モードの設定とか、 視力設定とか、 頭髪の長さはどうこうとか、 検査入院にあたっての注意事項とか、 いろいろ細かく書いてある。 で、 これで間違いないか、 変更するところはないか確認したうえでサインすることになってるんだよね。 まあ、 いやらしい言い方をすれば、 私の視力が0.1なのは義眼の故障じゃなくて、 本人が望んだことですよ。だからそれが原因で、 何か事故があっても私達イソジマ電工は関知しませんよ。 ほら、 義体設定書に本人サインがあるでしょって言うための証拠書類だよね。


「お姉ちゃん、 私と同じサイボーグなんでしょ。 それなのに視力0.1設定なんだ。 なんでなんで? ありえないー。 プゲラ」
 私が確認書に一通り眼を通してサインを書き込んでいるところを茜ちゃんが覗き込んで、 突っ込みどころで的確に突っ込んできた。
「うるさいよう。 そんなの何だっていいじゃないのさ。 人のプライバシー覗き見るなよう」
  あわてて両腕でかかえこむようにして同意書をふさぐ私。
「ごめんなさい。 お姉ちゃん、 なんで眼鏡かけてるんだろうと思って、 ちょっと気になったさ」
  そういって、 てへって、 照れた感じで舌を出す茜ちゃん。 可愛いな。 私に妹がいたらこんな感じだったりするのかなあ。
「じゃあ、 また準備ができたら呼び出しをしますから、 それまで二人ともここで待っていて下さい」
  私の確認書を受け取った松原さんは、 そう言い残して、 診察室のほうに向かった。 これからお医者さんと打ち合わせだろう。
  そんなわけで、 呼び出しを待つ間、 茜ちゃんと二人で、 待合室の長椅子に腰掛けていろいろ話をすることにした。 これからはじまる恐怖暗黒ショーを話すことで極力忘れたいっていうのが半分。 私には全身義体の友人なんていないから、 年は離れているけど、 こんな時はお互いに共通の悩みを話し合える滅多にないいいチャンスじゃんっていう気持ちが半分。
  でも、 話を聞いてみると、 茜ちゃん、 病気がもとで義体になったのは三歳のときだったんだって。 だから生身の感覚っていっても、 よく分からないし、 覚えていないそうだ。 茜ちゃんにとっては今のサポートコンピューターのもたらす感覚が全てってこと。
「今の身体で何一つ不自由なんてないよ。 むしろ友達よりも便利な身体なんでないかって思ってる。 体育の授業も楽チンだしね、 ぎゃは!」
  なんて言われて私、 困っちゃったよう。 生まれてから高校生二年生までずーっと生身の身体を持ってた私と、 小さい頃から機械の身体が当たり前になってた茜ちゃんじゃあ、 そりゃあ話が合うわけない。 世代間のギャップだよね。
  しょうがないので、 趣味は?って聞いたら
「ハッキング、 ぎゃは!」
  と、 嬉しそうに笑いながら答える茜ちゃん。 この子、 体だけじゃなく頭もちょっとばかし人と違うみたいね・・・。 もし妹がこんな子だったら、 うー・・・微妙。

「ひょっとして八木橋さんじゃないの? こんなとこで会うなんて奇遇じゃん。 どうしたの?」
  私が茜ちゃんと話し込んでいるとき、 馴れ馴れしく声をかけてきた白衣姿の男、 一瞬誰だか分からなくてキョトンとしちゃったんだけど、 すぐ思い出した。 北崎だ。 よりによってこんな時に、 一番会いたくない奴と会っちゃうなんて、 私ってなんてついてないんだろう。 なんで、 なんであんたがここにいるのさ。
「き、 き、 北崎君。 私は・・・私は、 そ、 その・・・、 親戚のね、 お見舞いに来たんだ」
  私は気が動転して、 どもりまくった挙句、 余りにも下らない嘘をついてしまった。
「へー、 親戚のお見舞いですか。 ふーん、 そうですか。 ぎゃは!」
  あわてふためく私をからかうように、 茜ちゃんが、 やけに大きな声であいづちを打った。 なんて子なの! 全く。 私は茜ちゃんを睨みつけたが、 彼女はペロっと舌を出しただけで全く悪びれる様子がない。
「それで、 この子は、 そ・・・その、 私のいとこ。 それより北崎君はどうしてここにいるの?」
  勝手に私のいとこにされた茜ちゃんは、 下を向いて笑いをこらえてる。 もう、 好きにして。
「どうしてって、 学部の研修だよ。 今日は義体患者の検査入院に立ち会って検査の流れを見学することになってるんだ。 ウチの病院には検査入院の設備がないからね。 こういうときは、 他の病院で研修することになってるんだ。 そんなことより、 八木橋さん随分冷たいじゃないかよ。 あのあと、 こっちがメール打っても何の返事もよこさないんだからなあ。 なんかまずい事しちゃったかなって、 結構気にしてたんだけど」
  あんたが何かまずいことをしたかって? しまくりですよ。 思い出すのも忌まわしい。 北崎とは以前にジャスミン繋がりで主催した合コンで知り合った仲で、 一回だけ映画に行ったことがあるんだ。 でも、 会ったのはそれっきりで、 以後奴の存在は私の脳内で抹殺。 そのあとは一回も会ってませんし、 話もしてません。 だって、 こいつ、 義体医師の卵のくせして、 私達全身義体の患者を人形だとか機械のかたまりだとかぬかしたんだよ。
  世の中、 影で私達全身義体の人間をお人形さんって呼んでる奴がたくさんいるのは事実だし、 北崎も私のことを全身義体って知らなかったからこそ出た言葉なんだろうけどさ。 でも仮にも義体医師を志そうって人間が、 そんなこと言うなんて、 私は絶対許せないっ! だから、 映画見終わって家に帰った後、 速攻で奴のメールや電話番号を私の携帯から削除してやったんだ。
  それなのに・・・、 義体患者の検査入院に立ち会うだって? いくら大きな府南病院といったって全身義体患者の検査入院なんて、 一日に何人も受け入れられるわけじゃない。 せいぜい一人か二人。 つまり、 北崎は私達の検査に立ち会うんだ。 こんな奴に私の身体見られちゃうの? 嫌っ! そんなの絶対嫌だからね!
「おーい、 八木橋さん。 どうした? ぼーっとしちゃって。 俺の話、 聞いてる? 大丈夫?」
  北崎の声ではっと我に返る。 気がついたら、 茜ちゃんが私の足元にしゃがみこんで下からじーっと私の顔を見上げてた。 で、 眼があうと、 またぎゃはっ! と可笑しそうに笑う。 私、 バカにされてる? こんなガキんちょにっ!
「八木橋さんのお見舞いが終わったらさ、 俺も昼休みになるからさ、 どっか、 この周りで昼メシでも食わない? おごるよ。 このあたり、 結構いいメシ屋多いんだぜ。 その子も一緒にどうだい」
  北崎は、 私の気も知らず能天気に私を食事に誘った。 どうせ、 私はお人形さんで、 人並みにご飯なんか食べられませんよ。 バーカ!
「食事っていったって、 お姉ちゃんも私も・・・」
「あー、 バカバカ。 茜ちゃんストーップ!」
  私はあわてて茜ちゃんの口をふさいだ。 さっきっから、 この子に振り回されっぱなし。
「私たち、 これから用事があるの。 ホントにごめんね。 食事は無理だわ。 さんねんー。 はは」
「ぎゃはは! ざんねーん」
  茜ちゃんも、 私の声色を真似して言った。 北崎が苦笑いしながら、 松原さんの入ったのと同じ診察室に消えたあと、 私は茜ちゃんの頭を思いっきりこずいてた。

「ははーん、 今のお姉ちゃんの知り合いの人、 これから私達の検査入院に立ち会うんだね。 で、 お姉ちゃんは自分がサイボーグってこと、 今の人に隠してるんだ。 でもどうしたって、 これからバレちゃうもんね。 だから困ってるのかな。 ぎゃは。 なんで? なんで? 別にバレたって困ることなんかないっしょや。 サイボーグで何が悪い」
「うるさいっ、 大人には大人の事情があるの。 こんな機械の身体のことなんか人に話せるわけないでしょっ! 奴とは同じ大学なんだよう。 奴に知られたら、 私の友達もみんな私が義体だって知っちゃうかもしれないんだ。 どうしよう。 どうすればいいのよう。 こんなこと知られたら、 もう大学に行けないよう」
  もう彼女の前でお姉さんぶる余裕もなくなった。
「お姉ちゃんサイボーグってことが恥ずかしいの? こんな便利な身体なのに。 この身体があれば何だってできるっしょや。 私なんて普通の人よりずっーと恵まれてると思ってるっけさ」
「茜ちゃんは学校で馬鹿にされたりしてない? 陰口を言われてない? お人形さんとか機械女とか」
  そう言いながら、 私は自分の高校時代を思い出していた。 私だってみんなと同じ人間のはずなのに、 でもみんなにうす気味悪がられ、 蔑まれた屈辱の日々を。 茜ちゃんだって同じような目にあっているに違いない。 そう思ったんだけど、 彼女の反応はゼンゼン違っていた。
「うちの学校でアタシに逆らえる人なんていないよ。 なんたってアタシは学校のネットワークを全部抑えてるんだから。 先生の弱みもぜーんぶ握ってる。 風紀の先生が出会い系で少女売春してたりさ。 外見処女な音楽の先生は、 実はウチの担任と不倫してたりね。 大人の世界って面白いよ。 ぎゃは! だから、 こんな格好で学校行っても先生はアタシに何も言えないの。 友達のことだって、 私は表から裏から全部知りつくしてる。 誰だってアタシには隠し事なんてできないんだ。 機械女で結構。 アタシはサイボーグだからこそ、 こんな力を持ってる。 お姉ちゃんはそう思わない? そうだ、 お姉さんにもアタシの力を見せてあげるね」
 そうい言って、 茜ちゃんは、 おもむろに自分の首筋のカムフラージュシールを外した。 そして鞄からノートパソコンを取り出すと、 パソコンのコードを自分の首筋の端子につないで、 一心不乱に何か打ち込み始めた。 すんごいタイプの速さだ。 まるで機械みたい。 あ、 そうか。 私達機械みたいなもんだったっけ。 で、 一体何をしようっていうの?
「こんなプロテクトが甘甘で大丈夫なのかなあ。 お姉ちゃんこれじゃあヤヴァイよ」
  茜ちゃんはふとタイプをやめて、 私を見てニヤっと笑った。 その瞬間、 私の身体が待合室の椅子に張り付いたまま、 金縛りにあったように動かなくなっちゃった。
(茜ちゃん! な、 なにしたんだよう)
  あわてた私は、 そう叫んだつもりだった。 でも声が出ない。 手も、 足も、必死で動かそうとするんだけど、 そんな私の努力をあざ笑うかのように、 凍りついたまま。 私の身体、 ゼンゼン私の命令を聞いてくれない。
「じゃあ、 失礼しまーす」
  茜ちゃんはそんな私を見て満足そうにつぶやくと、 下を向いたまま動かなくなっちゃった。
(茜ちゃん、どうしたの。 ねえ、 なんとか言ってよ、 ねえ、 ねえ、 ねえ)
   私は突然立ち上がった。 でもそれは私の意志じゃない。 私は立とうとなんかしていない。 明らかに私の身体は誰かに操られてる。
「アタシ、 八木橋裕子でーす、 ぎゃは!」
  と、 私は言った。 でもこれも私の意志じゃない。 明らかに茜ちゃんのしゃべり方だよ、 これ。
(ちょっと、 茜ちゃん。 私の身体に何したの。 変な悪戯はやめて!)
  でも、 答えは何も返ってこない。
「これから、 服を脱ぎまーす。 みんな私の身体を見てね」
(ちょっと、 茜ちゃん。 ホントにやめて。 お願いお願いお願い。 何やらせるのよう!)
  でも、 私の両手は私の意志とは関係なくタンクトップの裾にかかった。
「ぎゃははは。 お姉ちゃん。 冗談冗談。 身体は返してあげる」
  私、 じゃなくて、 私の身体を乗っ取った茜ちゃんが笑った。 そして、 だしぬけに身体が自由になった。


「ごめんね。 お姉ちゃんのサポートコンピューターを乗っ取らせてもらったの。 びっくりしたでしょ。 こんなこと、 私には簡単なことなんだから」
  自分の身体に戻った茜ちゃんは、 屈託のない笑顔を私に向けた。 でも、 私はもうその笑顔を額面どおりに受け取れなくなってた。 この子は・・・普通の子供じゃない。
  茜ちゃんを怒ることも忘れて呆然とその場に立ち尽くす私。 信じられない思いだ。 タマちゃんは義体のサポートコンピューターは不正アクセスを避けるために、 二重、 三重にプロテクトがかかっているっていってたんだよ。 アクセスコードさえばれなきゃ、 他人に身体を乗っ取られる心配はないって、 断言してたんだよ。 でも、 茜ちゃんは、 ほんの数分で、 そのプロテクトをやすやすと破っちゃったんだ。 開発課の柏木さんにこのこと話したらどんな顔するだろう。 茜ちゃんは正真正銘の天才だ。 この子は私と違って小さい頃からコンピューターと一心同体。 だったら、 この子にこんな不思議な力が宿ってもおかしくないのかもしれない。 でも、 この子はどこか歪んでる。 天才となんとやらは紙一重ってよくいうけど、 私はこの子の精神に、 危ういものを感じた。 取り越し苦労ならいいんだけど。


  義体診察室から松原さんが戻ってきた。 ああ、 いよいよだ。 私達を呼びに来たんだ。 もうすぐ北崎に私の身体のことバレちゃうんだ。 もうすぐサポートコンピューターの接続が切られちゃうんだ。 私は緊張して思わず身体を強張らせた。まるで死刑執行を待つ囚人の気分。 でも、 私の推測は半分当たっていたけど、 半分はずれ。 松原さん、 私が思ってもみなかった意外なことを口にした。
「はい、 では準備ができましたので更衣室で着替えてください。 でも、 その前に、 二人に嬉しいお知らせがあります。 今月から、 サポートコンピューターと脳の接続が切られている間に、 弊社の新製品『癒しの大地』シリーズが作り出す仮想空間内で生身の身体の感覚でお寛ぎいただくことができるようになりました。 今回は第一弾、 南海の孤島。 どうです八木橋さん、 西田さん、 体験してみませんか?」
  松原さんが製品パンフレットを私と茜ちゃんに手渡した。
“イソジマ電工が自信を持って送り出す、 バーチャルリアリティの決定版”
“失われた感覚が今蘇る“
“暗闇にさようなら“
  パンフレットには仰々しいキャッチコピーが踊っている。 このコンセプト、 これって遥遥亭じゃない? そうか! 遥遥亭がようやく製品化されたんだ。 遥遥亭での夢のような出来事、 今でもはっきりと思い出すことができる。あの時の杏仁豆腐、 美味しかったなあ。 あの時の身体の感覚、 懐かしかったなあ。 あの遥遥亭みたいな体験がもう一度できるんだ。 時代は私が知らない間にどんどん進んでる。 南海の孤島だってさ。 じゃあ、 海に入れるってこと? 義体になってから、 身体が錆びるってことで海水に入ることは固く禁止されている。 だから、 私はもう何年も海なんて行ってないよ。 その海にもう一度入れるんだ! 私は北崎のことなんて一瞬忘れて興奮した。 でも、 世の中そんなに甘くない。
「今はお試し期間中だから、 検査費用にたった十万円追加するだけで、 こんな体験ができます。 ねっ、 ねっ、 すごいでしょう。 同じプログラムを使う義体使用者同士で仮想空間を共有するから、 当然二人とも中で話ができるし、 退屈しませんよ」
  松原さんは、 五十円追加するだけでアップルパイがつくみたいにサラリと言ったけど、 十万円ですか? じゅうまんえん・・・しろくま便で何日アルバイトすればいいんだろう。
「検査中はサポートコンピューターと脳の接続はいっつも切られるっしょ? これ使ったら、 本当にお姉ちゃんと話ができるの?」
  茜ちゃんは派手なパンフレットと松原さんのセールストークに早くも心奪われ、 『癒しの大地』 とやらに興味深々だ。
「サポートコンピューターと脳の接続を切っている間は、 この病院の中央制御コンピューターが、 サポートコンピューターの代わりを勤めることになります。 癒しの大地プログラムも、 サポートコンピューターを介さないで中央制御コンピューターから脳に流れてくるわけです」
「ふーん、 じゃあ、 アタシお願いしようかな。 生身の身体の感覚なんて別に興味ないけど、 お姉ちゃんと、 もっといろんな話してみたいっけさ」
  あ、 茜ちゃん。 そんな十万円なんて大金、 親と相談しないで決めちゃっていいわけ。 お姉ちゃんと話してみたいって言ってくれるのは嬉しいけど、 私、 まだ使うかどうか決めてないよう。
「茜ちゃん、お買い上げ有難うございます。で、八木橋さんはどうするの?」
「お姉ちゃん、 もっとさっきの続き話そうよ。 ねえ、 ねえ」
  セールスマンがもう一人増えた・・・。

「うー・・・」
  十万円かあ。 古堅部長! いくら商売だからって、 イソジマ電工が営利企業だからって、 十万円なんて高すぎると思いませんか。 藤原とのデートとか、 ジャスミンや佐倉井達との遊びを何回断って、 アルバイトを何日増やせばいいんだよう。 頭の中で、 ちょっと計算してみた。 でも結論は決まってるんだ。 遥遥亭のすごさを身をもって知っている私は、 その誘惑にとても勝てなかった。 真暗闇で一日を過ごす生き地獄に比べたら十万円なんて安い買い物だ。 そう思うことにした。 今月はアルバイト月間だあ! 頑張るぞ!
「松原さん、 私もお願いします」
  貧乏学生の私にとっては、 陳腐な表現かもしれないけど、 清水の舞台から飛び降りるような気持ちで搾り出した言葉だったよ。ホント。
「あれま、 八木橋さん、 ずいぶん決断が早いですね。 八木橋さんのことだから、 もっと渋るかと思っていたんだけど。 有難うございます。 お陰で、 これで私も今月のノルマ達成です」
  なんだよ、 松原さん。 それって、 私がケチって言ってるのかよう。 まあ、 間違ってないけどさ。
  嬉しそうに受注伝票を記入してる松原さんを見て、 地獄の沙汰も金次第って言葉が思い浮かんじゃった。 イソジマ電工もずいぶんいい商売してるよね。


「で、 お姉ちゃん、 どうするの?」
  私達二人は今、 狭っ苦しい更衣室の中にいる。 で、 二人並んで、 身体をぶつけぶつけしながら着替えをしている最中なんだけど、 茜ちゃん、 身につけてたなんだかゴテゴテ金属製の飾りのついたキュロットスカートを脱ぎながら言った。 そうだよね、 南国でバカンスなんて浮かれてる場合じゃなかったよね。
「どうするって、 北崎のこと? もうどうしようもないよう。」
  本当に、 もう今更どうしようもないんだけどさ、 北崎に機械の身体を見られて、 ジャスミンや佐倉井や研究室のみんなに、 私の身体の事がバレされたらどうなっちゃうんだろう。 ジャスミン達のことだから、 今までと同じように接してくれるって思いたいけど、 でも、 やっぱり変に気を使って、 私の前ではお菓子の話とかしなくなっちゃうんだろうか。 今まで見たいに普通に接してくれればいいのに、 私の前では話題も選ぶようになっちゃって、 自由に話せなくてつまらなくて、 それでなんとなく疎遠になっちゃうんだろうか? 高校の時の友達みたいに・・・。 そんなの耐えられないよ。 今まで、 私の前で食べ物の話をされることほど嫌なことはなかったのに、 いざ機械の身体ってことがばれて、 変に気を使われるのはもっと嫌だ。 北崎にどう思われようがかまわない。 でも友達にだけは言わないで欲しい。 奴にそう頼むしかない。 お願いするしかない。 私は唇をかみしめて覚悟を決めた。
「まあまあ、 お姉ちゃん、 どうしようもないなんて言うんでない。 生身の人間のくせに、 私達のこと機械女だとか人形だとか言うような奴にはお仕置きして口封じしないと駄目っしょや。 お姉ちゃんがサイボーグって人に言いふらされたら困るんだったら、 言いふらされないように協力してあげよっか?」
「ホント? 何かいい方法があるの?」
  私は着替える手を休めて、 下着姿のみっともない格好のまま茜ちゃんを見た。 口封じなんて物騒な言葉が飛び出してるとこがちょっと引っかかるけど、 取り合えず茜ちゃんにすがるしかない。 さっき茜ちゃんの力は十分に見せてもらった。 ひょっとして、 茜ちゃんならなんとかしてくれるかもしれない。
「にゃはは、 まあまあ、 アタシに任せておいて。 お姉ちゃんはアイツに挨拶でもしておけばいいっしょ。 あとは私がうまくやってあげるっけさ」
  私より先に検査用の真っ白い服に着替え終わった茜ちゃんは、 早速ノートパソコンを自分の身体に接続して、 なにやらブツブツつぶやきながらキーボードをたたき始めた。 何をするかってことは、 うまくはぐらかされて教えてもらえなかったけど、 でも何でもいいや。 茜ちゃん、 うまくやってね。 あなただけが頼りなんだからね。
  下着を脱いで、 端子を隠してるカムフラージュシールも全部剥がして、正真正銘すっ裸になった私は、 あらためて自分の身体を見て憂鬱になった。 両脇腹にある電源の入出力端子とか、 両首筋のサポートコンピューターの接続端子とか、 両肩についてる各種検査用の端子とか、こういう私の身体のあちこちについてる端子を覆うカバーはもちろん肌と同じ色に塗られてるけど、 やっぱり人工皮とは材質が違うし、 人工皮との継ぎ目もどうしたって目立っちゃう。 だから、 普段はシールを貼ってできるだけ目立たなくしているんだ。 シールを貼るのが義務ってわけじゃないけど、 一目で自分の身体が普通の人間の身体じゃないって確認できちゃうのは、 やっぱりとても恥ずかしいことだし、 外見だけでも生身の身体そっくりにしておきたいもん。 たとえ、 皮の下は冷たい機械の固まりだったとしてもさ。
 でも、 検査の時は、 身体中の接続端子を全部使うから、 カムフラージュシールを全部剥がすことになってる。 だから、 毎月、 検査の度にこんなふうに端子の継ぎ目だらけの機械の身体なんだって嫌でも思い知らされるんだよね。 で、 この身体で、 端子の蓋を全部開けられて、 全身コードでぐるぐる巻にされてる姿を北崎見られちゃうわけだ。 もっと言えば今日は入院検査だから、 そのうち手も足もバラバラに分解されちゃうはず。 機械の身体を軽蔑しているような人に、 人間じゃとてもあり得ないような姿を見られるなんてぞっとするよね。 サポートコンピューターと脳の接続が切られてるから、 私自身が、 私の身体を見てる北崎を見なくてすむのが唯一の救いだよ。 私はかっこだけのため息をついて、 検査用の白くてぶかぶかの不恰好な服を身につけた。
  長いこと更衣室に入りっぱなしの私達が気になったんだろう、 松原さんが時計と睨めっこしながら更衣室に入ってきて、 熱心にパソコンに向かっている茜ちゃんを見つけて不機嫌そうに唇をとんがらせた。
「西田さん、 もう準備はいいかな。 友達へのメールは後でしてね」
「準備終わり。 ぎゃは!」
  茜ちゃんが私に向かってウインクした。 松原さんは、 それが自分に向けた言葉だと思い込んでにっこり。


  私達は松原さんに導かれて診察室に入った。 診察室っていっても全身義体用の診察室だから、 普通の診察室とは似ているようで、 まるで違う。 診察台はもちろんあるけど、 診察台の横には大きなコンピューターらしき機械が、 でーんと置いてあって、 むしろ診察台よりその機械のほうが目立つくらい。 この機械と身体を接続して、 いろんな検査をするんだよね。 診察台の上には大きなライトとか、 重い部品を交換したり取り付けたりする時に使う細長い鉄製のアームがぶら下がっていて、 どう見たって診察台っていうよりも作業台だ。 たいして広くもなく、 窓もない圧迫感のある部屋に、 そんな診察台が二台もあるうえに、 私と茜ちゃんと吉澤先生と助手らしい人が二人、 それに松原さんと北崎、 そしてもう一人女子学生の計八人もの人がいて、 ずいぶん息苦しい。 いや、 息はしてないんだけどさ。
「八木橋さんも、 茜ちゃんも久しぶりだね。 今日は星修大学から研修生が来ているから、 申し訳ないけど脳とサポートコンピューターの接続を切った後、 二人の身体を見ていろいろ説明することになると思う。 毎度すまんが宜しく頼む」
  私達の前に座った吉澤先生、 私達に向かって両手を合わせて許しを乞うしぐさをした。 全身義体化の技術は、 だいぶ普及してきたとはいっても、 まだまだ東京でさえ対応できる施設は限られているし、 海外ではなおのこと。 だから、 毎月の検査で、 日本全国、 世界各国からの研修生を受け入れるなんてことは日常茶飯で、 それについては驚くことでも珍しいことでもない。 別にお医者さん相手に自分の身体を恥ずかしがっても仕方がないことだし、 それより早く世界中で義体の技術が一般化して、 私もジャスミンみたいにいろんなところを旅行できればいいなあ、 なんて思ってるくらいだから、 協力できるものは協力したいよ。 でも・・・でもね。 知り合い、 それも同じ大学の人に見られるなんて思いもしなかったよ・・・。
「彼らが、 今日研修することになる星修大医学部の学生だ」
  吉澤先生が手を差し伸べた方向、 部屋の隅っこのメインコンピューターの横に、 北崎と女子学生が緊張気味に固まってた。 私は覚悟を決めて彼らに無言で会釈をした。 どうせ、 すぐばれることだからね。
  案の定私を見た北崎の顔色が変わっちゃった。やっぱり私って分かるよね。
「や、や、八木橋さん。なんでここにいるの?」
「はは、 北崎君こんにちは。 私は、 その・・・見てのとおり全身義体のお人形さんなんだ。 機械女でした・・・。 今まで隠しててごめんなさい。 今日検査入院するのは私なの。 それから彼女が茜ちゃん。 札幌から来たんだって」
  私は今できるせいいっぱいの笑顔を浮かべて、 つとめて明るく言ってみた。 本当は泣きたかったんだけどさ。 泣くこともできないし、 しょうがないよ。 だったら、 明るく、 何も感じていないように振舞うしかない。
「さっきはドモー」
  茜ちゃんはノートパソコンのケーブルを首筋に差し込んだまま学生達に挨拶。 そのまま脇にノートパソコンをかかえて立ち上がると、 学生達の近くの診察台にちょこんと腰掛けた。
「そ、 そうなんだ。 えと、 あの・・・」
  北崎は、 私と茜ちゃんを交互に見て、 しきりに額の汗をぬぐった。 北崎と同じ義体科だろう白衣の女の子は、 そんな北崎を不思議そうに見ている。
「あのね、 北崎君は、 実際に全身義体の人と話したことはあるの?」
  我ながら怖いくらいやさしい口調だ。
「いや、 その、 検査入院に立ち会うのは今日が初めてだから・・・」
「そうなんだ。 じゃあ、 お願い。 これだけは覚えておいて。 私たち、 こんな身体でもあなたと同じ人間なんだよ。 私たちだって生きてるんだよう。 だから機械とか人形とか言わないで。 それが私たちが一番傷つく言葉だからさ。 それから大学の友達には、 このことは絶対に言わないで。 私たちだけの秘密にして。 約束して。 お願い」
「・・・分かった。 言わないよ。 うん、 言わない」
  北崎は自分に言い聞かせるようにそういったっきり、下を向いてうつむいた。
(お姉ちゃん、 そんなんでいいわけ。 それじゃあ甘すぎるよ。 コイツ絶対お姉ちゃんのこと、 しゃべるよ。
私がお姉ちゃんの代わりにお灸をすえてあげるから、 見ていてごらん、 ぎゃはっ!)
  頭の中で茜ちゃんの声が響いた。 まさかまさかまさか、 また私の身体乗っ取るの?茜ちゃん、そんなこと考えてたわけ?お願い、 それだけは やめてよう。 私は必死で叫ぼうとしたけど、 声が出せない。 その場を逃げ出そうとしたけど、 身体がゼンゼン 言うことを聞いてくれない。 私のサポートコンピューターはあっさり私を裏切って、 茜ちゃんについちゃった。
  私の身体を乗っ取った茜ちゃん、 立ち上がって北崎と向かい合った。 両手を腰にあててなにやら挑戦的なカッコ。 私の意志とは関係なく、 視線が北崎の全身を舐めるように動いた。
(茜ちゃん、 冗談でしょ! 私の身体で何する気だよう。 怒るよ! ホント)
  私は叫んだけど、 茜ちゃんは私を無視。 悔しいっ。 この糞ガキめ。 あとで、 あとでとっちめてやるから覚悟しろよう。
「じゃ、楽しく遊ばせてもらおうかな?」
  私の手が動いて指をパチンと鳴らした。 それが合図のように、 部屋の蛍光灯が突然切れて、 窓のない部屋は真っ暗になっちゃった。
  次の瞬間、 私の背後の診察台に装備されてるライトが三つ、 パン! パン! パン! 耳障りな音をたててまぶしく光ったかと思うと、 ライトの支柱が、 まるで生き物みたいにゆらゆら揺れながら、 北崎達のほうに伸びていって、 強く彼らを照らした。 真っ暗の部屋で、 強い光に照らされた北崎達の後ろにだけ、 はっきりと黒い影が伸びた。 光は呼吸するみたいに、 微妙に暗くなったり明るくなったり、 不気味にまたたいてる。 北崎やもう一人の女の子の私を見る目、 恐怖で凍り付いてる。 額から油汗が流れてる。 ・・・まるで化け物を見ているみたいな目で私を見ている。
(茜ちゃん。 お願い。 出て行って。 誰か、 助けて。 助けてよう。 松原さん! 吉澤先生! この身体を動かしてるのは私じゃないっ。 誰か気付いて!)
  その化け物の中に閉じ込められている私は、 さっきから必死で叫んでるのに誰も気付いてくれない。 吉澤先生も松原さんも、 あまりの出来事に呆然と立ち尽くすだけ。


「さて、 北崎君とやら。 これから私の力を見せてやるよ。 誰かにチクろうなんて気を二度と起こさないように、 ね! ぎゃははははははー」
  私の身体を借りた茜ちゃんの笑い声に合わせてライトはピカピカとついたり消えたり。 とうとう恐怖に耐え切れなくなった女の子が悲鳴をあげて部屋から逃げ出した。
  私の身体を乗っ取った茜ちゃん、 いったい今どんな顔で笑ってるんだろう。 周りからは私、 どんな風に見えてるんだろう。 もう・・・考えたくもない。 調子に乗った茜ちゃんは、 今度は検査台の上の、 天井から垂れ下がってる作業用のアームを三本、 するすると北崎に向かって伸ばした。 あっさり壁際に追い詰められた北崎のまわりで、 からかう様にアームをぐるぐるまわしたかと思うと、 奴の鼻先でアームの先に取り付けられた爪を閉じたり開いたりしてカチカチと鳴らした。 私は、 義体の人だって同じ人間なんだってさっき北崎に言ったばかりなのに、 私の身体でこんなことされたらまるで説得力がなくなっちゃうよう。 これじゃ、 私は機械か、 妖怪か、 そうじゃなきゃ悪魔じゃないか。
「ひいいいっ!」
  北崎はとうとう腰を抜かして、 悲鳴を上げてその場にへたりこんじゃった。 ごめん、 ごめんね、 北崎。 私はそこまでするつもりなんてなかったんだ。 ただ、 北崎にも義体の人だって、 ちゃんと生きてるし心だってあるんだって事を分かって欲しかっただけなんだ。 それなのに、 それなのに・・・。 私は 茜ちゃんに事を任せたことを後悔するばかり。 でももう遅い。 私の身体は茜ちゃんのいいなりで、 私の意識は身体の片隅に追いやられちゃっている。 茜ちゃんが操ってる私の身体は、 油汗を流して白痴みたいに目と口を大きく開いたままの北崎のところに悠然と近寄ってしゃがみこむと、 上目使いに北崎と目線を合わせた。
「私たちはサイボーグはこんなことだってできるんだ。 舐めんなよ。 ふふ、 例えば、 そうだねえ、 車のコンピューターをのっとってお前をひくことだってカンタンなんだ。 もしも、 アタシのこと、 誰かにバラしたらねえ、 ひょっとしたら、 偶然、 車がお前を跳ねちゃうかもしれないっけさ。 そう、 偶然にね。
ぎゃは! ひょっとして運が良かったら命だけは助かるんでないかい? 私たちと同じ身体になっちゃうかもしれないけどね。 くっくくくく」
  茜ちゃんが私の身体を使って嬉しそうに笑う。 まるで悪魔みたい。 いや北崎には私が悪魔そのものに見えてるに違いないよ。 茜ちゃんはひとしきり笑った後で、 アームを操って北崎の頭をコンコンって軽く叩いた。 そうしたら、 北崎
「ひっ!」
って悲鳴をあげたかと思うと失神しちゃった・・・。 怖かったんだよね。 そりゃそうだよね。 私だって、 怖い。 でも、 私は逃げることも隠れることもできないんだ。 だって恐怖の源は私の中にいるんだもの。
「八木橋さんの電源落としますっ! 伊藤さん! 中村さん! 八木橋さんを抑えてくださいっ!」
  ようやく我に帰った松原さんはそう叫んで助手の人達に指示を飛ばすと、 私の目線をチラッと掠めて部屋の隅に置いてあるメインコンピューターのほうに走っていった。
(お姉ちゃん、 これだけ脅かせば多分やつは誰にも話さないよ。 良かったね。 ぎゃはは)
  茜ちゃんが笑い声とともに私のサポートコンピューターから立ち去って、ようやく私の身体に自由が戻った。 同時に煌々と北崎を照らしていたライトは力を失ってだらんとぶら下がって、 アームは・・・私の頭に落ちてきた。
「痛ったーい!」
  私が頭を抑えてうずくまるのを見計らって助手が二人がかりで私に飛び掛ってきて、 私を床に押し倒した。
「ちょっとまってよ。 今のは私じゃないんだよう。 本当だよう」
  いくら私が義体だっていっても大の男二人の力に適うはずもなく、 なすすべもなく押さえ込まれて、 往生際悪く手足をジタバタさせるだけ。 助手の一人が半ば強引に私の首筋に制御プラグを突き刺した。 そして・・・次の瞬間、 全身の力が抜けていった。 松原さんが私の主電源を落としたんだ・・・。

「八木橋さん、 まだ起きてますね? 聞こえてますね? あなた自分のした事が分かってるの? 今からサポートコンピューターの接続を切ります。 しばらく暗いところで反省してなさい! 言い訳は、 検査が終わった後で聞いてあげます」
  お人形さん状態になって目を見開いたまま床で伸びてる私を見下ろす松原さん。 目が釣りあがってる。 顔だって真っ赤だ。 半端じゃなく怒ってるよう。 なんで、 なんで、私は何も悪くないのに。 サポートコンピューターの接続を切るって? 冗談じゃないよ。 やめて。 お願いだよう。
  松原さんが視界から消えるのと入れ替わりに茜ちゃんが現れて、 私の頭の横でしゃがみこんで面白そうに私の顔を覗き込んだ。 私は茜ちゃんを睨みつけようとしたけど、 もう義眼も自由に動かせない。 焦点の合わない目をぼんやり天井に向けてるだけだ。
「お姉ちゃん。 なかなか面白いものを見せてもらったよ。 ありがとう。 ぎゃは!」
  こ、 このチビ悪魔め。 あとで、 あとで、 たっぷり苛めてやるから覚悟しなさい! なんで、 なんであんたのせいで私がこんな目に遭わなきゃいけないんだ。 悪いのは全部茜ちゃんじゃないかっ! 悔しいっ! 悔しいっ!
  プツン。
  テレビを消したみたいに義眼に映ってる画像が綺麗さっぱり消え去った。
  真っ暗。


 サポートコンピューターと脳の接続を切られた私は五感の全てを奪われて、 上も下もない真っ暗な虚無の世界に意識だけが閉じ込められた。 だって、 私のホントの身体は脳しかないんだもの。 サポートコンピューターの助けがなければ、 もう、 見ることも聞くことも肌触りを感じることも、 何一つできないんだ。 いつも、 コンピューターとの接続を切られる度に、 どんなに機械の身体が嫌でも、 もうこの身体の助けなしには生きていくことができないんだってことをいやおうなしに思い知らされる。
  松原さんはさっき何って言ってた? ここで反省してろって? いったいどれくらい? 松原さんは義体じゃないから、 身体の全ての感覚を奪われることが、 いったいどれほど辛くて恐いことか知らないんだ。 だからそんな鬼みたいなことが言えちゃうんだ。 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 助けて! 助けてよう。 ここから出してよう。 私は何も悪くないんだ。 全部茜ちゃんなんだよう。 なんで茜ちゃんのせいで私がこんな目に遭わなきゃいけないんだ。 あのクソガキっ! 今度会ったらただじゃすまさないからね。
  私の意識は世界中の誰にも届かないって分かっていたけど、 永遠の暗黒に向かって思いつく限りの悪態をつき、 救いを求め続けた。 そうでもしてなきゃ気が狂っちゃうよう。

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  いったいどれくらいの時が過ぎたんだろう。 もう時間の感覚もなくなりかけた頃、 明かりが突然ついたみたいに不意に周りが真っ白になった。 やわらかい乳白色の光の中で、 私は一人で立っている。 立ってるって? はは、 手も足もついてるよ。 身体が実体化してるよ。 この感じ、 前にも経験したことがある。 遥遥亭に入る前の、 あの感じだ。 胸に手をあててみたら、もうなくなったはずの心臓が、そこで確かに脈打っていた。この身体、 プログラムが作り出した幻影のはずなんだけど、 まるで本物みたい。 助かったあ!
“八木橋さん、八木橋さん、聞こえますか?”
  どこからともなく松原さんの声が聞こえた。 相変わらず尖った声だったけど、 それでも、 ずーっと暗いところで一人ぼっちだった私には天使の声のみたいに聞こえた。
「松原さん! 松原さんだよね。 私の声、 聞こえるんだよね?」
“ちゃんと聞こえてますっ! 八木橋さん、 さっきはどうも有難うございます。 あなたのお陰でこのあとの入院患者のスケジュールが滅茶苦茶になりましたから。 私がいったい何人の人に電話して謝ったと思ってますか? 今日の研修が中止になったのはなんでだと思いますか? 吉澤先生が今度の日曜に出勤する破目になったのは何でだと思いますか? そこらへんのところをじっくりとお聞かせ願いたいものですね“
  茜ちゃんがなにかフォローを入れてくれるかなってホンのチョッピリでも期待した私が馬鹿でした。 松原さん、 完全に私の仕業と誤解してるよ。 でも、 研修は中止になったんだ。 そりゃあ、 そうだよね。 北崎も女の子もあんな状態だったもんね。 北崎に機械の身体を晒さなくてすんだのはよかったけど、 私の事、 人間の皮を被った化け物だって思われてるかもしれないと思うと複雑な気分だ。 ああ、 そんなことより、 まずは松原さんの誤解を解かなきゃ。
「松原さん、 違うんだよう。 さっきのは私じゃない! 茜ちゃんが私の身体を操ってたんだよう」
“ふーん、 西田さんが? ですか。 これはまた面白いことを言いますね。 暴れたのは八木橋さん、 ほかでもない貴女自身ですよ? まさか、 西田さんが貴女のサポートコンピューターをハッキングしたとでも言うわけ?“
  松原さんの反応は至って冷ややか。 私には声しか聞こえないけど、 真っ赤な顔して膨れっ面してる松原さんの顔がありありと思い浮かんだ。 松原さん、 真面目で、 いい人ってのは認めるけど、 真面目すぎて融通が聞かないし、 すぐ怒るし、 私はっきりいって苦手なタイプなんだよね。 こういう人の誤解を解くってホント苦労しそう。
「そのまさかだよう。 茜ちゃんが私のサポートコンピューターをハッキングして身体を乗っ取ったんだ。 あの子は天才ハッカーなんだ。 松原さんも茜ちゃんの担当なら、 そんなことくらい知ってるでしょ? 茜ちゃん、 そこにいるんでしょ。 茜ちゃんを出してよう」
“西田さんは貴女より一足先に南の島にバカンスに出かけちゃいました。 向こうで貴女を待ってますっ! あのねえ、 八木橋さん。 私も西田さんの担当になってから二ヶ月くらいだから、 あの子のことは余りよく知らないけど、 義体の制御コンピューターのプロテクトがそんな簡単に破れるわけないでしょ。 あなたに何があったのか知らないけれど、 嘘つくのはやめてくださいっ!“
「松原さん、 私のこと信じてよ。 嘘だと思ったら、 私のサポートコンピューターへのアクセスを解析してみてよ。 ねえ、 考えても見てよ。 私がどうして部屋の明かりを消したり、 診察台のライトやアームを自由自在に動かしたりなんてことができるのさ? そんなこと私やりたくてもできないよ。」
“そうそう、 そこのところは吉澤先生も信じられないって言ってました。 そんな簡単に診察用コンピューターを乗っ取られるなんて由々しき事態だってあわててますっ! だから、 言われなくてもこれからじっくり貴女のサポートコンピューターのログを解析して検証させていただきますのでご安心下さい。 ま、 事実はすぐに明らかになるでしょうけどね。 とりあえずは、 南国リゾートを楽しんでもらって、 話は検査が終わった後でじっくりとしましょうか?“
  
  駄目だ、 松原さん全然信じてくれない。 まったくもうっ! ケアサポーターが患者の言うこと信じなくてどうするのさっ! 私はあなただけが頼りなんだよ。 あーあ、 こんなときタマちゃんだったら私を信じてくれたはずなんだけどな。 松原さんとタマちゃんじゃあ、 ケア・サポーターとしてのキャリアも全然違うから、 比較しちゃ可哀想だと思っても、 どうしても較べずにはいられない。
「うー、 松原さん、 まだ信じてないね。 私ホントに何もしてないんだよう。 あとで謝るのは松原さんなんだからね」
“そうなるといいですけどね。 ははは。 まあとりあえず、 どうぞ、 ごゆっくりおくつろぎ下さい“
  松原さんがそう言い終ると、 遥遥亭の時みたいに、 だしぬけに目の前に古ぼけたドアが現れた。 製品化されても仮想空間への入り口は、 相変わらずこのいかにも重そうな木の扉なんだ。 ふふふ、 これが、 古堅クオリティってやつかなあ。 私、 部長のセンス嫌いじゃないよ。 ここで話し続けても誤解は解けそうにないし、 私も南の島に行くよ。 このドアの向こうに茜ちゃんがいるんだね? 待ってなさいよ! 今とっちめてやるんだから。 茜ちゃんは義体の先輩で、 義体を操ることにかけては私より上かもしれないけど、 でも、 生身の身体の経験は私のほうが上なんだから。 今からそのことを思い知らせてやるっ! 泣かしてやるんだからっ! 海で遊ぶのはその後だよ。


  ノブを掴んで軽く押すと、 ギィってきしむ音だけは重そうなんだけど、 拍子抜けするほどカンタンに開いちゃった。 ドアの向こうからは強い日差しが差し込んで、 目が眩んで、 私は思わず目を押さえた。 はは、 明るさで目が眩むなんて感覚、 とっても久しぶりだよ。 機械の眼と違って、 生身の眼って突然暗いところにいったり、 明るいところにいったりすると、 慣れるのに時間がかかったんだよね。 そういえば。
  ドアの向こう側には真っ白な砂浜が広がってた。 とっても静かで、 ざざーん、 ざざーんって規則正しいリズムを繰り返す穏やかな波の音以外は何一つ物音がしないんだ。 空には夏らしい大きな大きな入道雲がもくもく手足を広げるみたいに広がって、 遠くの、 さんご礁なのかな、 白っぽいエメラルドグリーンの海に黒い影を落としているのが見えた。 海に雲の影が落ちるのがみえるなんて、 よっぽどこの海、 澄んでいるんだ。 砂浜沿いには椰子の木が植えられてるんだけど、 見た目等間隔で、 木の高さもみんな一緒で、 それだけは、 なんだか作り物っぽい。 でも、 他は完璧だよ。 すごいよ、 古堅部長、 本当にすごい。 私、 ホントに今、 南の島にいるよ。
  あらためて、 私の格好を見直す。 素敵な水着でも着ているかと思ったんだけど、 服だけはさっきの白くてぶかぶかの検査着のまま。 なんだか私だけが、 この景色の中で浮いちゃってるよね。 そうそう、 振り返ったら、 今私が開いたドアも、 砂浜の中にポツンとドアだけで立っていて、 違和感ありあり。 これって、 シュールレアリズムの絵画の世界だよね。昔、図書館で、こんな妙ちくりんな絵を見たことがあるよ。 はは。 そこまで来て初めて気がついた。 私、今度は前の遥遥亭と違って、眼鏡をかけたままだ。 まさか眼鏡まで再現できるようになっているとは・・・。日々進化するイソジマ電工に敬意を表します。
「もっともっと元の身体に近づきたい」ってキャッチコピーはやっぱり伊達じゃないね。

 さあ、 茜ちゃん。 どこだ。 どこにいる。 ちょっと歩くと靴の中に砂がどんどん入り込んで、 なんだかざらざらして気持ち悪いから、 思い切って靴なんか脱いで裸足になって、 私は砂浜を駆け出した。
  実際には、 そんな探し回る必要もなかった。 島の大きさは競技場のトラック一周分くらいしかないんだ。 だから、 外に誰もいなければ、 茜ちゃんの居場所は島の真ん中にある、 屋根の両端が尖がった、 高床の涼しげなつくりの家の中しかない。
  その東南アジアチックな家までは、 眼で測ったところでは200mくらい。 ゆっくり歩いたところで、 すぐつくんだろうけど、 私は走らずにはいられなかった。 元陸上部の血がうずくってやつかな。 深い砂に足をとられながら、 意地悪するみたいに砂地に弦を伸ばすハマヒルガオを上手く避けながら、 私は家に向かって全力疾走した。 素足だから、 たまに石をふんずけてちゃったりして、 ちょっと痛かったけど、 でも構うもんか。 走れ。 走れ。
  トーテムポールみたいな飾りが建ってる家の入り口の階段まで走ると、 私はどうって倒れこんだ。 苦しー、 たった200m走ることって、 こんなに苦しかったっけ。 心臓がバクバクいってるよう。 汗が額から流れ落ちてくるよう。 私は階段に腰掛けて、 波の音に聞き耳を立てながら、 雲の広がる青い空を見上げながら、 呼吸を整えた。 走り終わった後の、 この感じ、 苦しいけど、 私大好きだったんだ。 もう二度と味わえないと思っていたのに・・・。
  私、 確かに生きてるよ。 人間だよ。 決して機械なんかじゃないよ。 有難う、 イソジマのみんな、 本当に有難う・・・正直に言うと、もうちょっと、安くなったらもっと嬉しいけどね。

 私の背後でドアの開く音がした。 振り向くと、 もう、 しっかり水着なんか着ちゃってる茜ちゃんが、 ニヤニヤ笑いながら、 ゆっくりと階段を下りてきた。
「お姉ちゃん、 さっきは楽しかったでしょ! ぎゃはは」
  茜ちゃんは、 私の気もしらないで、 ちょこんと私の横に腰掛けた。相変わらず仕草だけは可愛らしい子だ。 でも、 もう騙されないからね。
「茜ちゃん! なんてひどい事してくれたのさ。 いくら子供だからって、 やっていいことと悪いことの区別もつかないわけ?」
  額から流れ落ちる汗にかまわず、 私は茜ちゃんを睨みつけた。
「お姉ちゃん、 何で怒るの。 アタシわからないよ。 北崎ってやつ、 あのあとおびえまくって傑作だったんだから。 お姉ちゃんが、 もう電源落とされて動けなくなってるのに怖がって近づけないんだよ。 最高でしょや。 なんまらウケルるっしょや。 多分、 もう一生お姉ちゃんには逆らえないね。 お姉ちゃんにも見せてあげたかったな、 あいつのカッコ。 もう一人のお姉ちゃんは、 逃げ出したまま帰ってこないし、 結局研修は中止になったさ。 ほら、 全部うまくいったしょや。 サイボーグを馬鹿にするようなニンゲンには思い知らせてやらなきゃ。 ぎゃははは!」
  茜ちゃんは手を叩いて、 心底可笑しそうに笑った。
  パシン!
  私、 思わず手が動いて、 茜ちゃんのほっぺたを平手打ちしていた。


  茜ちゃん、 一瞬何が起こったのか分からなかったんだろう。 あっけに取られてぽかんって口を開けて私を見た。
「私は茜ちゃんに身体を操られたせいで、 北崎にも、 あの女の子にも化け物みたいに思われたんだ。 やっぱり機械女は普通じゃないって、 恐いって思われたんだ。 次に奴と会ったとき、 私、 奴になんて話したらいいんだよう! 私はあなたの道具じゃないよ。 コンピューターでもない。 私はちゃんと自分の意志のある人間なんだよ。 それなのに、 茜ちゃんに身体を勝手に動かされたんだ。 ねえ、 茜ちゃん、 もし自分がそんなことされたらどんな気持ちがする? 確かに、 茜ちゃんはすごい力を持ってる。 コンピューターを自由に操るなんて、 私にはとてもできないよ。 でもね、 いくらすごい力を持ってても人に迷惑をかけたら駄目なの。 分かる?」
  暴力に訴えるなんて好きじゃないけど、 でも誰かが教えてあげなきゃ、 茜ちゃん、 このままだとホントにおかしくなっちゃうよ。 だから、 平手打ちはしちゃったけど、 そのあと私は努めて冷静に諭すように言ったつもり。 でも、 茜ちゃんは憎憎しげに私を睨みつけるばかり。
「私、 お姉ちゃんがサイボーグってこと言いふらされたら困るっていうから協力してあげたのに、 そんなこと言うんだ? 私をぶつんだ? お姉ちゃんは味方だと思っていたのに。 私と同じサイボーグで、 私の気持ちだって分かってくれると思ったのに。 さっき、 誰も私には逆らえないって言ったばかりっしょや。 もう、 どうなっても知らないよ?」
  茜ちゃんの右手が反射的に、 彼女の身体の横をさぐった。 いつも片時も手放さず小脇にかかえてるノートパソコンを取るためだろう。 でも、 今、 そこには何もないんだ。 ここはイソジマ電工が作り出した仮想空間の中だもん。 普段、 茜ちゃんが持ち歩いているノートパソコンなんてどこにもないんだよ。
「あ、 あれ・・・?」
  パソコンがないことに気がついた茜ちゃんの顔が、 怯えた年相応の少女の顔に戻っちゃった。 普段から、 義体やコンピューターに頼ってる子だから、 それらから切り離された今の状態っていうのは、 不安で堪らないんだろう。 ホント、 分かりやすい子だ。 悪いけど、 機械から切り離された茜ちゃんなんて恐くもなんともない。 ただの、 そこらへんにいる小学五年生だよ。
「茜ちゃん、 何しようとしてる? ここがどこだか分かってる? ここは、 仮想空間。 今の私達はサポートコンピューターの制御から離れているんだよ。 だから、 茜ちゃんの力も使えない。 あなたはただのかわいい女の子」
  私、 大人気ないかもしれないけど、 茜ちゃんのおでこを指でつんつん突きながらまくしたてた。
「あ・・・あ・・・」
  茜ちゃん、 さっきまでの勢いはどこへやら。 蒼ざめた顔で、 オロオロ視線を右に左に彷徨わせるばかり。 私の指を振り払おうともしない。    
「所詮コンピューターから切り離された私達なんて、 手も足もないただの脳のかたまりなんだから。 ふん、 サイボーグが素晴らしいだって? 機械の助けがなきゃ何もできない、 ただの身体障害者じゃないか! 茜ちゃんのいう弱っちい人間ていうのは私達のことなんだ。 思い上がるのもいい加減にしなさいっ!」
「うるさいうるさいうるさい! 障害者って言うな! 私は何でもできるんだ! すごいんだ! 誰だって私には逆らえないんだ! もう何も聞きたくない!」
  私の柄にもない偉そげな説教を聞いた茜ちゃんは、 そう叫ぶと下を向いて耳をふさいじゃった。 それで私気がついた。 ごめん・・・ごめんね。 茜ちゃん。 私、 調子に乗ってつい、 言っちゃいけない事を言った。 ただの脳のかたまりとか、 身体障害者とか、 私自身が言われたら一番傷つく言葉じゃないか。 言い過ぎたよ。 悪かったよ。 だから、 私は茜ちゃんの肩にやさしく手をかけて、 謝ろうとしたんだ。 でも、 茜ちゃん、 私の手を乱暴に振り払って、 涙を浮かべたまん丸の眼で私を睨みつけた。
「お姉ちゃんなんでニンゲンの味方するんだ! なんでニンゲンのふりしたがるんだ! 私たちはサイボーグでしょや。 人間なんかより、 ずっーと、 ずっとすごい力持ってるのに、 ニンゲンなんかに馬鹿にされてお姉ちゃんくやしくないの? お仕置きして思い知らせて何が悪いんだ!」
「茜ちゃん、 なんでそんなふうに人間だ、 サイボーグだって区別して考えるの? 私達、 身体は義体かもしれないけど、 みんなと同じ人間だよ。 私はそう思ってるよ」
「同じ人間っていうなら、 みんなが給食を食べてる間、 アタシだけ何も食べられなくてつまんないから一人で校庭で鉄棒してるのは何で!」
「それは・・・」
  思わず言葉に詰まってしまう私。
「同じ人間っていうなら、 アタシの身体だけ、 どんなに練習してもプールで浮かばないのは何で! アタシだけプールサイドで見学してなきゃいけないのは何で! 私の身長が全然伸びないのは何で! 毎年こんなふうに体を交換しなくちゃいけないのは何でなの。 教えて!」
「茜ちゃん・・・」
「それはアタシがニンゲンじゃないからでしょや! サイボーグだからでしょや! いいんだもん、 ニンゲンじゃなくたって。 プールなんかに入れなくたって、 給食を食べられなくたって。 アタシなんて・・・アタシなんて、 ニンゲンよりずーっと偉いんだから。 なんだってできるんだから。 そう思って何が悪いっけさ!」
  そこまで言うと、 とうとうこらえ切れなくなったのか、 茜ちゃん、 顔を覆ってわーって泣き出しちゃった。 茜ちゃんは、 機械女で結構なんて強がってたけど、 でもやっぱり違う。 例え生身の肉体の記憶がなかったとしても、 みんなの身体と明らかに違うってことは、 やっぱり辛いことなんだ。 義体が素晴らしいって思い込むのは、 彼女なりに悩んだ結果に違いないんだ。 いいんだよ。 ここでいくら泣いたって、 ちっとも恥ずかしくないんだ。 泣けるうちに思いっきり泣いて、 心のもやもやをぜーんぶ流しちゃおうよ。


「茜ちゃん、 なんで今、 水着着てるの? 海に入りたいからじゃないの? 人間じゃない、 何か別のものだと思ってるなら、 そんな感情なんてないはずだよ。 私達、 向こうの世界では決して海に入ることなんてできないよね。 普通の身体を持ってるみんなが羨ましいよね。 悔しいよね。 茜ちゃん、 そんなに我慢しないでいいんだよう。 強がらなくてもいいんだよう。 自分に嘘をつかなくてもいいんだよう。 私だって、 茜ちゃんと同じ身体なんだ。 茜ちゃんと同じような思いをしてきたんだ。 だから、 茜ちゃんの気持ちはとってもよく分かるんだ。 ここで話したからって私達の身体が戻るわけじゃないけど、 でも話すことでちょっとは楽になるかもしれないよ。 ねえ、 茜ちゃん。 茜ちゃんのホントの気持ちを話してみてよ」
  私、 話しているうちに昔の自分を思い出して泣きそうになっちゃった。 でも、 お姉さんぶって、 泣くのはこらえたよ。 笑顔で優しく茜ちゃんの背中をさすってあげたよ。 そうしたら、 今度は茜ちゃん、 私を振りほどかなかったんだ。

「アタシだって、 アタシだってさ、 前は自分のこと人間だって思ってたんだよ。 でも・・・でも、 いくら自分でアタシは人間なんだって思いこもうとしたって、 まわりの人がそう思ってくれないんだもん。 もうどうしようもないのさ」
  茜ちゃんはひとしきり泣いた後で、 私の胸の中で寂しげにそうつぶやいた。
「茜ちゃんのことそんなふうに思ってる人は、 きっと、 ごくごく一握りの悪い人達だよ。 中には茜ちゃんを好いてくれる人だって、 人間だって認めてくれる人だって必ずいるよ。 だから、 諦めないで。 そんなに悲しまないで」
  そう、 私がタマちゃんに出会ったように、 藤原に出会ったように、 茜ちゃんにもいい出会いがあれば、 立ち直れるかもしれないよ。 私はそう思った。 世の中、 決して悪い奴ばかりってわけじゃないんだ。 でも、 茜ちゃんには通じなかった。 茜ちゃんは泣きはらした腫れぼったい眼をこすりながら、 こう叫んだんだ。
「そんな人なんているわけないべさっ! 先生が、 友達が陰で何を話してるか私にはすぐ分かるんだ。 先生や友達の携帯やパソコンにアクセスすることなんて私には簡単なことなんだ! どんな内緒話してるかなんて、 すぐ分かるんだ! みんな、 アタシのこと、 人間じゃない、 人間と思えない、 機械人形だって言ってるんだ。 アタシは機械でいいよ。 機械なのに人間だって思いこむから悲しくなるんだよ。 ニンゲンなんて大っ嫌いだ。 みんな嘘つきだ。 友達だって、 先生だって、 アタシの前ではいい顔してるくせに、 結局アタシのことなんて人の形をした機械くらいにしか思っていないっしょや。 憎い憎い憎い! 普通の身体を持ってるみんなが憎いよ。 だからアタシは復讐してやることにしたんだ。 みんなの秘密を握って、 脅してやることにしたんだ!」
  この子は、 コンピューターに自由自在にアクセスできる力を持ってしまったせいで、 人の心の裏を読めるようになってしまったせいで、 心の闇は私が思っているよりずーっと深くなってしまった。 もしも、 私も陰で機械女なんて言われて、 そして、 それが全部私に筒抜けだったとしたらどうだろう。 もしも藤原みたいに、 こんな私でも愛してくれるような人に巡り合わず、 理解してくれる友達もいなくて一人ぼっちだったら、 一体どうなっていただろう。 そうしたら私だって茜ちゃんみたいに、 機械でいいなんて開き直って普通の人を憎んで生きるようになってしまっていたかもしれない。 そんな生き方って悲しすぎるよ!
「茜ちゃん、 そんなこと言ったら駄目だよ。そんなことした駄目だよ。 ますます誤解が広がるだけじゃないか! ますます人間って見られなくなるだけじゃないか。 茜ちゃん、 お父さんもお母さんもいるんでしょ。 お父さんやお母さんは、 少なくともあなたのこと人間だって思ってくれてるんでしょ」
  そう、 少なくとも茜ちゃんには、 茜ちゃんのことを想ってくれる両親がいるはずだ。 さっき、 松原さんが両親の同意書がどうのって言っていたもの。 でも、 茜ちゃんの口から出たのは余りにも残酷な事実だった。
「アタシのパパも、 ママも、 アタシのホントのパパ、 ママじゃないから・・・。 ただの自衛隊の人だから。 アタシは、 ホントは孤児院育ち。 アタシなんて、 ただ、 便利な道具だから拾われただけだっけさ・・・」
「自衛隊? 便利な道具? 茜ちゃん・・・それってどういうこと?」
  突然でてきた意外な言葉に混乱してしまう私。 思わず、 茜ちゃんの両肩をつかんで聞き返してしまった。 すると茜ちゃんは、 私から眼をそらして、 淡々と身の上を語りはじめたんだ。
「パパもママもアタシを大事にしてくれるよ。 他の自衛隊の人だってアタシを認めてくれるよ。 アタシの好きなもの、 なんだってくれるっけさ。 学校のコンピューターをハッキングしたって叱られないし、 かえって褒めてくれるっけさ。 でも、 それだって、 きっとアタシを好きだからじゃないよ。 アタシにはコンピューターを自由に操る力があるからなんだ。 今のカガクでも説明できないような不思議な力があるからなんだ。 そんなことくらいアタシだって分かってる。 でも、 いいっけさ。 アタシは便利な、 使える道具でいる限り捨てられることなんかない。 アタシは機械でいいんだよ。 道具でいいんだよ。 人間じゃなくたっていいんだ。 だってアタシ、 死にたくないもん。 パパやママに見捨てられたら生きていけないもん・・・・」
  そこまで話したところで茜ちゃんの両目から大粒の涙がゆっくりと頬を伝って、 堅く握り締めた両こぶしにポロリとこぼれた。
  そうか、 この子は義体になって、 それで自衛隊に引き取られたんだ。 両親を亡くして、 一人ぼっちで、 こんな身体で生きていくのは、 お金もかかるしすごく大変なことだから、 自衛隊とか、 宇宙開発事業団の世話になったほうがいいかもしれないって、 そういえばタマちゃんも辛そうに私に切り出したことがあった。 それでも私は両親が残してくれた保険金があったから、 なんとか自衛隊の世話にならなくてすんだんだ。 今まで普通に暮らしてこれたんだ。 でも、 両親もいない、 幼くして機械の身体になったこの子に、 自衛隊に引き取られる以外にどんな選択肢があっただろう。 確かに茜ちゃんは、 自衛隊のお世話になってるおかげで、 一見、 何不自由なく暮らしていけるのかもしれない。 さっきみたいに十万なんて大金をポンと出せるのかもしれない。 でも、 自衛隊は、 この子をスーパーハッカーに仕立て上げて、 人間を憎ませて、 歪んで育てて、 何に仕立て上げようとしてるんだろう。 もしも、 人でない、 何か別のものを作り出そうとしているのだったら、 そんなの絶対許せない。
  でも一体どうしたら茜ちゃんを救えるというんだろう。 私が抗議したところで自衛隊の人は言うだろう。 別に、 自衛隊にいることを何一つ強制してるわけじゃない。 自衛隊にいるのは茜ちゃんの自由意志で、いたくないなら出て行ってかまわないんだって。 どのみち私達の身体では、 月々のメンテナンスなしでは生きていくことなんてできやしない。 何かの理由で生命維持装置が故障して、 補助回路も働かなければ、 それでハイさようならなんだ。 どうぞ、 逃げてください。 自由になってください。 死ぬならご勝手にってわけだ。 だから、 結局は茜ちゃんには自衛隊の庇護の下で、 使える機械として生きていくしか道は残されてないのかもしれない。 ただ機械の身体だというだけで、 それはとてつもなく堅い檻の中にいるのと同じことなんだ。 一生檻の中にいなければいけないとしたら、 自分は機械なんだって割り切ったほうが、 ひょっとしたらよっぽど楽に生きられるのかもしれない・・・。
  いや、 駄目だよ。 そんなの絶対駄目。 茜ちゃん。 自分から機械だって言ったら駄目だ。 そんなこと認めちゃ駄目なんだ。 茜ちゃんは、 道具じゃないんだ。 ちゃんとした意志のある人間なんだよ。
「みんなじゃなくていい、 中には茜ちゃんを立派な人間だって認めてくれる人はいるよ。 たとえ世界の誰もが茜ちゃんを機械としか見なかったとしても、 少なくとも私だけは茜ちゃんは人間だと思ってるよ。 だから、 そんな悲しいこと言わないで。 自分を道具だなんて、 機械でいいなんて、 言わないでよう!」
  同じ機械の身体の私が言っても、 なんの説得力もないかもしれない。 でも、 少しでもいい、 私の言葉が茜ちゃんの心に届いて、 茜ちゃんが変わってくれればいい。 そして、 変えようもないはずの運命を変えてくれるといい。
「お姉ちゃん、 アタシ、 本当に人間なのかなあ? お姉ちゃんはアタシのこと人間だと思ってくれてるの? お姉ちゃんは自分の事、 人間だって思ってるの? サイボーグの身体なんて全部機械なのに・・・」
  そう、 茜ちゃんの疑問はもっともなんだ。 私達の身体なんて、 外見だけは普通の人に似せて作られてるけど、 ほとんど機械部品の固まり。 食事だってできないし、 味だって分からない。 どんなに走ったって疲れることもないし、 汗もかかない。 もちろん身体が成長することもない。 月に一度はこうして病院で検査と言う名の点検を受けなくちゃいけない。 私達が人間だっていう確かな証拠は、 自分では見ることができないちっぽけな脳みそだけ。
  でも、 自分が人間かどうかを決めるのは外見じゃないんだ。 他人の評価でもない。 それは自分自身が決めることなんだよ。 自分が機械だって思いこんでたらホントに機械になっちゃう。 でも、 自分が人間だって思う、 その心さえあれば、 それだけで私達だって人間のはずなんだ。
「ホントの身体がなくなっても、 今の身体が機械だったとしても、 私達にだって心はちゃんとあるんだ。 悔しいっ! 負けたくない! 馬鹿にするなんて許せない! っていう気持ちもあるし、 まだ茜ちゃんには分からないかもしれないけど、 人を好きになる気持ち、 恋をする気持ちだってちゃんとあるんだ。 だから、 私達は人間なんだ。 そう思ってるよ。 心と身体が揃ってはじめて人間なんだって言う人もいるかもしれない。 確かに、 私達には心しかない。 ホントは心と身体って切り離せないはずのものなのに、 身体だけ先に天国にいっちゃったんだよね。 でも私の身体だって天国から私のことを、 私の心を、 見守ってくれてるはずなんだ。 応援してくれてるはずなんだ。 だから、 私にはホントの身体はもうないけれど、 その分、 普通の人よりずっと強い心を持ってるに違いないんだ! 私は、 八木橋裕子は、 確かにここにいて、 ちゃんと生きてる! 給食が食べられなくて、 プールに入れなくて悔しいって思う茜ちゃんだって、 ちゃんと生きてるんだ。 人間なんだよ。 そして、 強い心を持ってる。 強い心を持っていれば、 運命だってきっと変えることができる!」
  半分は茜ちゃんに、 でも残り半分は自分に言い聞かせるために言った言葉だ。 本当に生身の身体を持ってたとしたら、 人間かどうかなんて悩むわけないし、 私は人間に決まってるなんて強く自分に言い聞かせたりなんかするわけない。 私自身が人間だか人形だか分からないあやふやな存在だからこそ、 ずーっと悩んできたんだ。 茜ちゃんの苦しみや、 悲しみは、 私の苦しみ、 悲しみでもあるんだ。 でも、 今は言える。 茜ちゃんのためにも言い切らなくちゃいけない。 私達は人間だって事を。 私達にだって、 心があって将来を夢見る権利だってあるってことを。

「ねえ、 茜ちゃん、 茜ちゃんの好きなことってなーに?」
「さっきハッキングっていったっけさ」
「それは違う、 それは茜ちゃんの本当に好きなことじゃない。 茜ちゃんにだって夢があるでしょう。 本当にやりたいことって、 なーに? 将来やりたいことってなーに?」
「ホントは・・・ホントはねえ・・・恥ずかしいから言えないよ」
心なしか、 茜ちゃんの顔が赤くなった。 この子照れてるんだ。 ははは。
「私、 笑わないよ。 何も恥ずかしがることなんかないんだよう」
「じゃあ言うね。 アタシ、 歌手になりたいのさ。 パンクロックやりたいっけさ。 エレキギターをこう、 じゃんじゃか鳴らしてさ。 ホント、 カッコいいっけさ。 こっそりギターも買って練習もしたんだよ。 でも、 パパやママにばれて、 そんなことやるなって怒られちゃったのさ。 ぎゃはは!」
  茜ちゃん、 冗談めかして笑ったけど、 自分の好きなことをしたら、 怒られるってどういうこと? ハッキングはさんざん褒めておいて、 年頃の女の子の小さな夢はぶち壊すってこと? 機械や道具に半端な夢なんていらないってわけ? 私は、 茜ちゃんの笑いの奥に隠された悲しみがよく分かるよ。 でも負けるな茜ちゃん。 自衛隊に負けるな。 運命に負けるな。
「パンクロック歌手って、 なんだか茜ちゃんらしいよね。 とっても素敵な夢だと思うな。 茜ちゃん、 好きなことがあるんだから続けてみようよ。 ばれたって、 怒られたって、 叱られたっていいんだよう。 うー、 ばれたらまずいか・・・えと、 こっそり練習してさ、 それで、 今度、 私が北海道に行くときに聞かせてよ」
「お姉ちゃん、 札幌に来てくれるの! 嬉しいな。 絶対来てね。 約束だよ」
  茜ちゃん、 私に思いっきり抱きついてきた。 こんな素直な反応なんかして、 どんなに不思議な力を持っていたって、 やっぱり根っこは、 ただの11歳のかわいい女の子じゃないか。
  私、 安心したよ。 大丈夫。 茜ちゃんは変わることができる。
「行く。 必ず行くよ。 約束する。 そうだ! 茜ちゃん。 今、 ここで歌ってみない?」
「え?ここで?」
「そう、ここで」
「ギターもないし、なんだか恥ずかしいっけさ」
「観客は私しかいないんだよ。 将来日本武道館を満席にするであろう天才ボーカリスト、 ACCAがこんなところで怖気づいたらいけないっけさ」
  私は茜ちゃんの声色を真似して言ってみた。
「ぎゃははっ! そうだね。 それもそうだ。 じゃあ一曲いきます。 中里忠弘の『素晴らしくロンリーな俺様』お姉ちゃん、 知ってる?」
「知ってる、 知ってる。 タダヒロー! いいぞいいぞう」
  私がはやし立てると、 ノリノリの茜ちゃんは階段のてっぺんに上ってギターをかきならすかっこをした。
  パチパチパチパチ。
  たった二人だけのコンサートが始まった。 主役は茜ちゃん。 観客は私。 バックミュージックは、 涼しげな波の音。 黒いくらいの青空と、 白い砂浜に這うハマヒルガオ、 それから全部同じ形をした椰子の木の並木が舞台装置だ。
  茜ちゃん、 歌、 上手だよ。 中里忠弘よりずっと。 この子、 本当に才能があるのかも。 ひょっとして、 いつの日か茜ちゃんの脇にかかえるものがノートパソコンじゃなくてギターなる日が来るかもしれない。 ううん、 その日はきっとくるはずだよ。
  島に響く茜ちゃんのシャウトをききながら、 私はそんなことを考えていたんだ。

  それから後のことは本当に夢みたいだった。 いや、 仮想空間なんて、 実際夢みたいなものなのかもしれない。 ホントの私の身体は、 大掛かりな検査入院だもの、 きっと今頃手も足も外されてバラバラにされちゃってるに違いないんだ。 私が今の本当の自分の姿を見たら、 私も人間なんだなんて、 とても言えなくなっちゃうくらいにね。
  今、 私がいるこの南の島は、 実際は病院のメインコンピューターに接続された私の脳に送り込まれている偽りの世界、 ただのデジタルな情報、 なんだか難しい数式の羅列が化けたものに過ぎないんだ。 そんなこと分かってるよ。 でもね、 幻想だっていい、 嘘でもいいんだ。 だって、 ここにいれば、 もとの世界ではもうできなくなっちゃったことが何でもできるんだ。 息が苦しくなるまで走ることだって、 海で泳ぐことだって・・・。
  私達のような義体の身体では、 海水なんかに入るのは絶対禁止。 一応防水はしてあるっていっても、 万が一端子の隙間から海水が入ろうものなら、 身体が錆びて大変なことになる。 プールくらいだったらいいって吉澤先生に言われたから、 義体になってから二回くらい行ったことがあるけど、 それだって水の底に身体が沈むだけで泳ぐことなんてできやしないんだ。 馬鹿馬鹿しくてもう何年も行ってないよ。
  だから、 例の東南アジアチックな家の寝室のクローゼットの中で、 私のものらしい爽やかなライトグリーンの、 セパレートの素敵な水着を見つけたときはホントに興奮した。 水着を着るなんて、 いったい、 いつ以来だろう。 野暮ったい検査着も下着も、 安っぽいストリッパーみたいな早業で脱ぎ捨てて、 本当に久しぶりに水着を着てみたんだ。 セパレートの水着だから身体に合うかどうか不安だったんだけど、 事前に身体のサイズをコンピューターが読み取っているだけあって、 私にぴったりだった。 それで、 今考えれば馬鹿みたいなんだけど、 鏡の前に水着姿で立って、 しばらく自分の身体を眺めていたんだ。
「私、 きれい? ぎゃはっ!」
  私もなかなか捨てたもんじゃないよねって自分の水着姿に悦に入っていたら、 突然後ろから、 そんな声が聞こえたからびっくりした。 茜ちゃんは、 私が着替えてる間、 外で待っていたんだけど、 なかなか家から出てこない私の様子が気になって戻ってきたんだ。 そして、 鏡の前に水着姿で立ってる私を見て、 馬鹿にしたようにそういって笑うわけ。
「バカっ! 子供がみるんじゃないっ!」
  茜ちゃんに向かって拳を振り上げて、 ぶつまねをしてごまかしたけど、 その時の私、 恥ずかしさで顔、 真っ赤になっちゃったんじゃないかと思う。 思い出しただけでも恥ずかしい。

  私が水着に着替えた後は、 二人で手をつないで海に出かけて、 波打ち際で茜ちゃんと水の掛け合いっこして遊んだり、 砂のお城を作ったり、 泳ぐのが初めての茜ちゃんにバタ足を教えたり。 私も小さい時に戻ったみたいに二人で無邪気にはしゃいだんだ。 それから、 太陽が水平線の下に沈みきるまで二人で、 砂だらけになるのもおかまいなしで砂浜に寝そべって、 真っ赤な夕陽で赤く染まった海を眺めてた。 ずーっとね。
「お姉ちゃん。 私、 なんだか身体が重いっけさ。 なんでだろう。 眠たくなっちゃったよ」
  二人で、 いつの間にかテーブルに用意されていたエスニック料理をたいらげたあと、 ふかふかのソファに水着姿のままくつろいでいたら、 茜ちゃん、 そんなことを言うんだ。 眼もなんだかとろーんてしてて今にもまぶたが閉じてしまいそう。
  ふふふ、 それはね、 茜ちゃん。 あんなにたくさん、 はしゃいで遊びまわったんだもの。 身体が疲れてるってことなんだよ。 機械の身体では決して体験できない感覚だから、 よく覚えておいたほうがいいよ。 本当の身体をもってる人はね、 動き回ったら疲れるんだ。 人は疲れるってことを知っておけば、 人をいたわる気持ち、 例えば電車に乗ったときお年寄りに席を譲ったりとかさ、 そういうことが自然にできるかもしれないよ。 そんな説教じみた事を言おうとしたんだけど、 言う前に茜ちゃん、 ソファーの中ですーすーと気持ちいい寝息を立て始めた。 よっぽど疲れたんだね。 シャワーも浴びずに寝ちゃったんだ。
  さて、 私も、 もう寝ようかな。 今日はいろんなことがあったけど、 辛いこともあったけど、 でも本当に楽しかったよ。 イソジマ電工御中。 楽しい夢をいつもありがとう。


  目が覚めたら、 私は義体診察室の診察台の上に仰向けに横たわっていた。 寝起きざまに天井からぶら下がっているカニの腕みたいなアームとか、 ライトとかがいきなり、 眼鏡をかけないままの私のぼやけた視界に入って、 昨日のことを思い出して憂鬱になっちゃった。 ああ、 私、 もとの世界に戻っちゃったよう。 また、 機械の身体に戻っちゃったよう。 今、 いったい何時なんだろう。 窓もないこの部屋では、 灯りは蛍光灯のやけに無機質な愛想のない白っぽい光だけ。 朝なのか昼なのか、 それすら分からなかった。
  まだ起き抜けのぼんやりした頭を振りながら身体を起こして、 まわりを見回す。 誰かいるかと思ったんだけど、 機械装置ばかりが目立つ殺風景系な部屋の中には私一人だけ。 向こうの世界で私の隣で寝たはずの茜ちゃんも当然ながらいない。 そうだよね、 茜ちゃんは義体の交換なんて大掛かりな手術しているんだもん。 私達、 仮想空間の中で思いっきり楽しんでいたんだけど、 実際の私達は身体バラバラにされてたんだ。 だから、 今、 隣ですやすや寝ているなんてことはあるはずないんだ。 茜ちゃんも、 もう目が覚めたかなあ。 あっちの世界で一人ぼっちで寂しくないかなあ。
  近くに眼鏡が見当たらないから仕方なく診察室の中を物色しようと立ち上がったんだけど、 その時はじめて、 部屋の中にある複雑な機械装置から何本もコードが這い出して、 私の入院用のぶかぶかの白い服の隙間に入り込んでいるのが分かった。 確かめる気にもなれないけど、 きっと、 身体中の接続端子に繋がってるに違いないんだ。 首筋にも太いコードがご丁寧に何本も接続されてるし。 これじゃ、 自由に歩きまわることもできない。 なんだか、 機械に飼われてる奴隷みたいな気分だよね。 まあ、 実際そのとおりなんだけどさ。 はは。 うざいから、 こんなコード全部引っこ抜きたいところだけど、 勝手に抜いたら松原さんにまた怒られちゃうにきまってるんだ。 だから、 私はひどく惨めな気持ちで、 しばらく診察台の上でじっとしていた。
  待つまでもなく松原さんが私の眼鏡を持って診察室にやってきた。 私の脳波の状態や、 身体の動作状態は逐一モニターされてるんだろう。 何も言わなくても、 私が起きたことはすぐ分かるってわけだ。

「お早うございます。 っていうか今、何時ですか?」
  私は松原さんの顔色を伺いながら恐る恐る尋ねてみた。 昨日の騒ぎ、 ひょっとしたら松原さん、 まだ私の仕業だと思っているのかも、 こってり私の油を絞ってやろうと思っているのかも、 そう思って私ビクビクしてたんだ。
「10時です。 八木橋さん、 ぐっすり寝ていたみたいですね。 お早うございます」
  そう答える松原さん、 なんだか元気がないみたいだ。 無理に作り笑いをしているみたい。 あれほど、 戻ってきたらじっくり話しましょうね、 なんて、 鼻息荒くしてたのに一体どうしちゃったんだろう。

  松原さんに身体中に接続されたコードを全部抜いてもらって、 晴れて自由の身になった私。 眼鏡も受け取って、 やっと視界もはっきりした。 早速診察台から降りると、 ラジオ体操しているみたいに、 屈伸したり、 前屈したりして、 身体の動きを確かめる。 ちょっと前の感覚と違う気もするけど、 一応身体は私の思った通りに動いてくれる。 とりあえず、 何の問題もない。
「磨耗した関節を新しい部品に取り替えましたから、 ちょっと違和感を感じるかもしれませんけど、 身体に馴染んでくれば大丈夫だと思います」
  松原さんは、 いつものようなはきはきした口調で話してるけど、 私と眼を合わそうとしない。 普段だったら、 ぐりぐり私の目を見てストレートに話すくせに。 やっぱりなんだか様子がおかしいんだ。
 しばらく、 部屋の中を無意味に歩き回っていた松原さん、 ようやく意を決したように、 切り出した。
「あの、 八木橋さん。 私、 貴女のことを疑ったこと、 謝らなくてはいけないです。 ごめんなさい。 本当は私が一番貴女のことを信じてあげなければいけなかったのに、 私、 貴女を信じてあげなかった。 ごめんなさい。 私はケアサポーター失格です」
「松原さん、 どうしたのかなと思っていたら、 そんなこと気にしてたの? 私のことはいいんだ。 誤解が解ければそれでいいんだよう。 それより茜ちゃんのことなんだ。 松原さん、 茜ちゃんのケアサポーターでもあるんでしょ。 茜ちゃんを助けてあげなきゃ!」


「そのことなんだけど・・・」
  私が茜ちゃんと口にしたとたん、 松原さんの表情がよりいっそう曇った。 そして、 内ポケットを探って一通の封筒を取り出すと、 なんだか泣きそうな顔で、 私に差し出したんだ。 中をあけるとお金が入っていた。 十万円も。
「なにこれ? 松原さん、 このお金、 何のつもり?」
「会社からのお見舞金です。 今回、 八木橋さんに迷惑をかけたお詫びとして。 その代わり…」
  松原さんの声はだんだんか細くなっていって、 最後はなんだかよく聞き取れなかった。 でも言いたいことは、 すぐ分かったんだ。
「このお金をもらって、 それで、 昨日の出来事も茜ちゃんのことを、 誰にも話すなってことね! そうなんでしょ! なんだ、 それ。 松原さん、 どうしてそんなことが言えるんだよう。 茜ちゃんがどんな目にあってるか松原さんは知ってるの! 茜ちゃんは、 茜ちゃんは、 まだ小学生なのに、 本当は素直な かわいい女の子なのに、 誰からも人間扱いしてもらえないんだよ。 先生からも、 友達からも。 そして血は繋がってないけど両親からも! そんな茜ちゃんのことを忘れろっていうの? 一人ぼっちにしろっていうの?」
  私は目の前にいる松原さんを睨みつけて、 そして怒鳴りちらしてしまった。 松原さんに向かって怒ってもしょうがないって心の底では分かっていたけど、 他に湧き上がる怒りのもってきようがなかったんだ。
「私が昨日報告を上げた後すぐ、 上から圧力がかかったんです。 昨日の出来事は全てなかったことにしてくれって。 きっと、 何か会社の企業秘密がかかわっている話なんでしょう。 私みたいな末端の社員までは、 その理由までは伝わってこない。 ただ、 これを八木橋さんに渡してくれって。 これでなんとか話を収めてくれって言われました・・・」
  悲しそうな顔で、 ポツリポツリと話す松原さん。 そう、 松原さんだって、 決してこんなこと言いたくて言っているわけじゃない。 会社からの命令で仕方なく言っていることなんだ。 それは、 つまり自衛隊だけじゃなくイソジマ電工もなんらかの形で、 茜ちゃんにかかわっているってことだ。
  遥遥亭の中で、 深町さんは、 ウチの会社に入ったら理想と現実の板ばさみって私に話してくれた。 きれいごとばかりじゃない。 失望することも多いとも言っていた。 自衛隊に協力して茜ちゃんを悪魔のように仕立て上げようとしたイソジマ電工、 私に一時とはいえ、 生身の身体の感覚を取り戻させてくれたイソジマ電工。 いったいどっちがホントの姿なんだろう。 いや、 どっちもホントなのかもしれない。 世の中、 表があって裏がある。 遥遥亭が表の顔だとしたら、茜ちゃんの一件は裏の顔なんだ。
  私は自分が人間らしく暮らしたいがためにイソジマ電工に入ろうと思った。 私は、 いわゆる一流と呼ばれる企業のOLになって、 世間では上のレベルの給料をもらうことではじめてこの機械の身体を維持することができるんだ。 そうすることでやっと、 表向きは人間らしく暮らせるかもしれないんだ。 だけど、 もしも、 そうして得られた幸せが、 他の義体の人の積み重ねた悲しみの上に成り立つものだとしたら、 それは本当に幸せって言えるんだろうか?
  でも、 だからといって機械女っていう自分を甘んじて受け入れて、 藤原との暮らしも諦めて、 ひっそりと、 例えば宇宙のどこかで機械らしく生きていくような、 勇気も度胸も私にはない。 私は一体どうすればいいんだろう。 分からない。 本当に分からないよう。

「私はケアサポーターっていう自分の仕事に誇りをもっていました。 八木橋さんみたいな義体の人に、 生きる喜びと勇気を与えられるなんて素晴らしい仕事だと思っていました。 でも、 実際には八木橋さんを信頼してあげられない、 西田さんのことだって、 会社から何の情報も与えてもらえない。 だからなんの力にもなってあげられない。 私は駄目なケアサポーターなんです。 おまけに、 こんなお金で八木橋さんを買収するような真似もしなくちゃいけない。 こんなこと、 きっと後ろ暗いことに決まっているのに・・・。 八木橋さん、 ごめんなさい、 本当にごめんなさい」
  松原さんは、 そう言って、 何度も何度も私に頭を下げた。
「松原さんが悪いんじゃないんだ。 松原さんが謝ることはないんだよう」
  私が知ってる松原さんは、 言い方は悪いかもしれないけどバカかと思うくらい正直な人なんだ。 融通が利かないかわりに、 曲がったこと、 悪いことだって決してできる人じゃないし、 容認できる人でもないはず。 そんな松原さんが、 私に向かってずーっと頭を下げて続けている。 ごめんなさいって言い続けているんだ。 松原さんは会社と私との間に挟めれて一番苦しい立場のはずなのに。
  私は、 はっきりいってケアサポーターって仕事を舐めていた。 私は義体だから、 義体の人の気持ちなんて簡単に分かる。 こんな仕事、 私にだって簡単に勤まるんだって思っていた。 でも、 今、 私に向かって謝り続ける松原さんの姿を見て初めてあの時深町さんが言った「理想と現実の板ばさみ」という言葉の本当の意味を理解したような気がする。 イソジマ電工に入ったら、 毎日こんなことの繰り返しなのかもしれない。 松原さんの姿は未来の私の姿でもあるんだ。 こうして、 いろんな矛盾にぶちあたって、 理想と現実の狭間でもがいて、 それでもいつかは自分なりの答えを出していかなきゃいけないんだ。 それは私みたいに義体だからとか、 松原さんみたいに生身の身体だからとか、 そういうことには関係なく、 人間だからこそ持つ悩みなのかもしれない。
  で、 問題は茜ちゃんのこと。 そのことに、 私は、 八木橋裕子は、 どんな答えを出す? 悪いのは松原さんじゃない。 じゃあ悪いのは誰だ? イソジマ電工? 自衛隊? それとも理不尽なこの世の中? イソジマ電工にだって、 自衛隊にだってそれぞれの立場や中にいる人の生活があるだろう。 茜ちゃんのことを思うと、 私はとても許せないけど、 きっと彼らには彼らなりの主張や、 正義があるはず。 だから誰が悪いなんていってもしょうがないんだ。 それよりも、 一番の被害者は茜ちゃんなんだ。 悪いのなんて誰だっていい、 悪人探しをしているわけじゃない。 ただ、 茜ちゃんを救えればそれでいいんだ。 私はそう思った。 そのためなら、 つまらない意地なんてはらないほうがいい。 もらえるものは何でももらったほうがいいし、 利用できるものはなんでも利用したほうがいい。
「分かったよ。 イソジマ電工がそのつもりなら、 このお金、 遠慮なくもらっておくよ。 口止め料ってことなんでしょ。 安心してよ。 私は昨日のことを誰にもしゃべるつもりはないよ。 でも、 誰にもしゃべらないかわりに、 昨日のこと、 茜ちゃんのことは決して忘れないから。 このお金は有効に使わせてもらうから。 イソジマ電工や自衛隊が一番望まない形でね。 松原さんには悪いけど、 私にだって意地がある。 イソジマ電工にはイソジマ電工の都合があるかもしれない、 自衛隊には自衛隊なりの都合があるんだろうね。 でも、 大企業や国の理屈の前にハイハイ有難がって頭を下げられるほど、 私は素直じゃない。 このまま茜ちゃんを見捨てることなんかできない。 イソジマ電工や自衛隊に比べたら、 私なんかホントにちっぽけな存在なのかもしれないけど、 私は負けないよ。 私は私にできることで茜ちゃんの運命を変えてみせる。 茜ちゃんを救ってみせる」
  もしも、 イソジマ電工の役員達や、 自衛隊の幹部が今の私の言葉を聞いたら手をたたいて笑い転げただろう。 年端もいかない小娘が、 お人形さんが、 たった一人で興奮して何ができるんだってね。 そう、 今の私って人からみたら、 自分に酔ってるたちの悪い道化にしかみえないかもしれない。 でも、 松原さんは、そんな私の言葉を聞いて、 何故かほっとしたような、 安心したような笑みを浮かべて、 こう言ったんだ。
「本当のこというと、 私はずっと、 あなたに嫉妬していたんです。 強くて、 勇気があって、 そしてなにより優しい貴女に。 機械の身体なのに、 私なんかよりずっと人間らしい心を持ってる貴女に。 私は、 こんなふうに駄目なケアサポーターだから、 会社に逆らう気概なんてありません。 たとえそれが間違ったことであっても、 間違ってるって言う勇気なんてありません。 でも、 八木橋さんは違います。 私、 間違ってることは間違ってる、 正しいことは正しいって真っ直ぐに言える八木橋さんが羨ましい。 八木橋さんは私の憧れです。 頑張って! 私のぶんも茜ちゃんのために。 ねえお願い!」
 私は、 いつも自分の身の上を呪って、 普通の人を羨んでばかりいた。 だから、 人から憧れられること、 羨ましく思われることがあるなんて、 ちっとも思わなかったし慣れてもいない。 正直こんなとき、 どう反応していいのか分からなかった。 私が勇気があるだって? 友達の間では臆病者で有名なこの私が? 私に憧れてただって? いつも私を怒ってた松原さんが? 私が羨ましいだって? こんな機械の身体の私が? どうして、 どうして?
  松原さん、 きょとんとしている私の手をとって嬉しそうに言った。
「ね、 八木橋さん。 今度、 飲みにいきましょうよ。 アルコールカプセルなら私が奢りますから。 ね。 そして、 一緒に叫びましょう。 会社がなんだっ! 自衛隊がなんだっ! ってね」
  うー、 松原さん、 相当ストレスためてるみたいだよう。 いや、 その、 そんな酔っ払い親父みたいな真似は、 どうも・・・勘弁してほしいかな、 ははは。
  松原さんは苦笑する私に向かってこう付け加えることも忘れなかった。
「もちろん、 集合時間厳守でね」

  上野行きの地下鉄は、 ちょうど夜の帰宅ラッシュの時間帯だったから、 電車の中は家路を急ぐ疲れたサラリーマンやOLばかりでギュウギュウ詰め。 私、 満員電車に乗ってるときっていつも緊張する。 私の機械でできた身体は普通の人の身体よりずーっと重たいから、 もしも急ブレーキなんかがかかって、 うっかり前の人に倒れでもしたら、 下手したら怪我させちゃうかもしれないからね。 だから、 つり革をちゃんと握ってしっかり立ってなきゃって、 いつも電車に乗ってる間中自分に言い聞かせているんだ。
  でも、 今、 私が緊張しているのはそのせいばかりじゃない。 私、 さっきからずっと周りの人の冷たい目線を浴びてるんだ。 原因は分かってる。 私が持ち込んだ大きなダンボール箱のせい。 こんな、 混んでる車内にそんなモノ持ち込むなよ、 この常識知らずっていうみんなの心の声が私には聞こえる。 だから、 私はうつむいてつり革をぎゅって強く握り締めて、 それで、 ごめんなさいって、 心の中で頭を下げっぱなしだ。 迷惑になってることなんて私だって分かってる。 でも、 周りの人達の持ってる小さな鞄の中に、 家族や会社や自分自身にとって大切なものが入っているのと同じように、 この箱の中にだって、 大きな夢がつまってるんだ。 だから、 今日だけは許してください。

  上野駅、 地下3階、 22番ホーム。 北海道へ行く新幹線はここから出発する。 今日は茜ちゃんが札幌に戻る日。 私は茜ちゃんを見送りに、 ここまでやってきた。 あらかじめ携帯電話で話していたとおり、 茜ちゃんは、 ホームの真ん中くらいにある立ち食いそばのスタンドの横っちょの柱のところにしゃがみこんで、 なんだか一心不乱にノートパソコンに向かってる。 私が、 ダンボール箱を脇に置いて、 茜ちゃんの横にしゃがんでパソコンの画面を覗き込んでも気がつかない。 茜ちゃん・・・、 どうでもいいけど、 人前でサポートコンピューターとノートパソコンを接続するのは、 やめなよ。 そのほうが処理速度が速いのかもしれないけどさ、 みんな、 そば食べながら、 こそこそあなたのこと見てるよ。 あなた恥ずかしくないの? 見ている私が恥ずかしいよ。 私は(気分的な)溜息をつくと、 茜ちゃんの首筋の端子からノートパソコンのプラグを思いっきり引き抜いた。
「ああ、 お、 お姉ちゃん、 来てたんだね」
  茜ちゃん、 そこまでされて、 やっと私に気がついて、 妙にあわてふためいてノートパソコンを閉じたんだ。
「茜ちゃん、 こんばんは。 いま、 何やっててたの?」
「ぎゃははは! なんでもない、 なんでもない。 それより、 お姉ちゃん、 そのおっきなダンボール箱、 一体なに?」
  私の質問は笑ってはぐらかされちゃった。 逆に私の持ってきたダンボール箱のことを聞かれちゃった。 ふふふ、 やっぱり気になるでしょう。
「これはねえ、 茜ちゃんへのプレゼントだよ。 開けてごらん」
「プレゼント? アタシに? なんだろう、 なんだろう。 こんなに大きいものって」
  ダンボールの箱から出てきたもの。 それは、 透明なビニールのプチプチに包まれた新品の黒いエレキギター。 それからギターアンプ。
「うわーっ、 うわーっ! お姉ちゃん。 すごいよ、 これ。 エレクトロライナーの最新バージョンだっけさ。 なんまら高かったんじゃないの?」
「私、 ギターってよく分からないからさ、 店員さんのお勧めをそのまま買っただけなんだけど、 気に入ってもらえたかな?」
「お姉ちゃん、 大好き!」
   茜ちゃん、 そう叫ぶと思いっきり私に抱きついてきた。 不意をつかれた私は勢いあまって、 どうってホームに倒れちゃった。 地面のコンクリートに思いっきり頭をぶつけちゃって、 ものすごく痛い。 茜ちゃん、 ちょっとは自分の体重ってものを考えてよ。 私達の身体は見た目よりずーっと重いんだからね。 気をつけてよね。
  でもね、 本当は私、 とっても嬉しかった。 茜ちゃん、 そんなに喜んでくれて本当に有難う。 こんな痛みなんて、 一瞬で消える。 だってこんなの人間らしく見せるための偽りの反応だもん。 でも、 茜ちゃんが喜んでくれて嬉しいな、 やっぱりギターを買ってよかったなっていう、 私の感情は心に刻み付けられて、 それは消えることはないんだ。
  私、 イソジマ電工から10万円もらってから、 このお金をどう使おうか一生懸命考えたんだ。 そして、 買ったものがこのギター。 茜ちゃんは、 パンクロックが好きだって言った。 歌手になるのが夢だって言ったときの茜ちゃんの眼は輝いていた。 だったら、 好きなことをやってみようよ。 夢を追いかけてみようよ。 私はそう思ったんだ。 将来茜ちゃんがどうなるかは分からない。 ひょっとしたら、 このまま自衛隊にい続けることになるかもしれない。 でも、 夢が適うかどうかは問題じゃないんだ。 大切なのは夢を見続けること、 未来に希望を持つこと。 そうすることで、 茜ちゃんの中で何かが変わるはずなんだ。 いや、 きっと変えることができるはずだよ。 だって、 私達は決して機械なんかじゃなくて意志をもった人間なんだもの。
「お姉ちゃん、 ひょっとして泣いてる?」
  私が倒れたせいで、 私の上に馬乗りで乗っかる格好になった茜ちゃんは、 私の顔を覗き込んで不思議そうにそんなことを言った。
「茜ちゃん、 おかしなこと言うねえ。 義体の私が泣けるわけないじゃないかよう」
  そう言いながらも私は顔を見られないように、 茜ちゃんの頭をぎゅっと胸に抱きよせたんだ。 そして、 しばらくそのままじいっとしていた。 まるで泣き顔を見られるのが照れくさいみたいにさ。 ホント、 私が泣けるわけないのに、 おかしな話だよね・・・。

”19時15分発、 新幹線ひので17号、 札幌行き、 22番ホームより間も無く発車致します ”
  ホームに響く無機質な女の人の声の場内アナウンスで、 やっと我に返る。
「茜ちゃん、 そろそろ出発の時間だよ」
  まだ離れたくないって渋る茜ちゃんを促して、 新幹線の中に乗せた。 それから、 大切な宝物の入ったダンボール箱も出入り口のところに置く。 デッキの中の茜ちゃんと、 ホームで見送る私が向かい合った。 いよいよお別れだ。 茜ちゃん、 頑張るんだよ。
  茜ちゃんは、 もう使いたくて使いたくてうずうずしているのか、 新品のエレキギターを両手で大切そうに抱えている。
「早速、 これを使って狸小路でストリートライブをしてみるっけさ。 お姉ちゃんも聞きにきてよ」
「そうね、 いつか遊びにいくよ。 いつか必ずね」
  私は握手するつもりで手を伸ばした。 そうしたら、 茜ちゃん、 握手すると見せかけて私の手をぐいって力任せに引っ張るんだ。 不意をつかれて思わず車内に引きずり込まれる私。
「いつかなんて言わないで。 今行こうよ。 ね、 ね」
  茜ちゃん、 私を見て駄々っ子みたいにせがんだ。
「茜ちゃん、 何するんだよう。 今、 行けるわけないじゃないか。 ははは」
  私、 そう言って茜ちゃんの肩を軽くこずこうとしたんだ。 そうしたら、 腕が動かない。 足も動かない!一体どうなってるの。 私、 金縛りにあっちゃった。 声も出せないじゃないかっ!茜ちゃんの仕業だね、 また茜ちゃん、 私のサポートコンピューター乗っ取ったんだね。 さっき出会ったとき、 パソコンに向かって何をやっているのかと思ったら、 私のサポートコンピューターをハッキングする準備をしてたんだね!
  カン高い発車ベルが鳴り響いた。 それから、 ぷしゅーって空気の漏れる音がして、 新幹線の・・・ドアが・・・閉まっちゃったあ!
「お姉ちゃん、 一緒に札幌に行こうよ。 ぎゃはっ!」
  ようやく、 茜ちゃん、 私に身体の自由を返してくれた。 だけど、 もう遅いよっ! 私にできることは、 無駄だって知りながらもドアをたたき続けることだけ。 そんな私の気持ちなんかおかまいなしに新幹線はトンネルの中でぐんぐん速度をあげていった。
♪チャンチャ、 チャンチャ、 チャンチャ、 チャンチャ、 チャンチャ、 チャンチャ、 チャン・・・←(鉄道唱歌のつもり)
"このたびは「しR束日本」をご利用いただきましてありがとうございます。 この電車は新幹線ひので17号、 札幌行きです。 上野を出ますと、 終点の札幌まで止まりません。 札幌着は23時20分の予定となっております。 次は終点札幌、 札幌です"
「なにそれ? もう札幌まで止まらないの? 冗談じゃないっ! 降ろして、 誰か、 降ろしてよう。 私、 お金ゼンゼン持ってないんだよう!」
「お姉ちゃん、 大好きだよ! ぎゃは!」
 

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