このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




中津川線は、昭和42年1月に飯田〜中津川間36.7㎞を単線電化路線とし
て建設することが発表され、昭和42年11月に着工し、昭和49年完成が目
標とされました。しかし、昭和48年4月、神坂トンネル工事で飯田側か
ら1,348mまで掘り進んだ所で機械が故障してしまい、工事が事実上中断
してしまいます。そして、昭和49年には神坂トンネルと並行して掘削が
進んでいた恵那山トンネルが貫通し、伊那谷の地域開発の夢を乗せた太
い交通路が完成しました。そのため飯田線の急行列車の利用客が激減
し、同時に中津川線への地元の期待も無くなっていきました。昭和55年
には工事が完全にストップし、事務所も閉鎖され、飯田市内に完成した
3.4㎞の路盤と神坂トンネル1,600mが宙に浮く形となってしまいまし
た。そして平成元年、中津川線関係の施設は国鉄清算事業団に引き継が
れ、正式に中止が決まりました。しかし、中途半端な形で終わってしま
った中津川線ではありますが、その跡地は三遠南信道の一部として利用
されることになりました。また、神坂トンネル掘削の際に湧き出した温
泉が南信州最大の昼神温泉郷となっていることは有名な話です。


【二ツ山トンネル 中村方面より】
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【二ツ山トンネル 山本方面より】
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