このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の好きなインドネシアインドネシアで働いて(index)

第零話 初ジャカルタ出張はゲロゲロ・最悪

mixiチェック   ツイート

1990年×月×日。上司に呼ばれ『※※君、インドネシア出張を云々』と切り出される。ジャカルタへ出張予定だった同僚が急に渡航不可となり、急遽私が行くことになった模様。それまでずっと北米担当。米国出張は慣れっこだったが『俺が東南アジアだって!?』 驚愕の展開である。

当時、私の関心・興味は常に西欧へ向けられており、アジア、特に東南アジアなんて全くの関心外(~_~;)。『なんで俺が東南アジアなんぞに。。。トホホ。。。』状態で出張準備に取り掛かった。

(1) 到着日からトラブル
他部署からの出張者とは現地ホテルで集合となり、単身でガルーダ・インドネシア航空に搭乗。入管手続きは機内で対応してくれたので一安心したのだが、到着後ホテルでトラブル。ホテル(4星クラス)のカウンターで「貴方の予約は入ってません」(~_~;)だと。大慌てでホテルの公衆電話から現地受け入れ元の会社へ電話。事情を話して、ホテルをプッシュしてもらい、なんとかチェックイン可能となる。アメリカじゃこんな目にあったことないよ!

(2) パダン料理を全部食べようとした
今から思えば笑い話。他の出張者(3名)と市内のショッピングセンターへ食事に出かけた。私を含め全員インドネシアは始めてである。「インドネシア料理を食べよう!」となり、それらしいレストランへ入った。ビールを注文すると「ない」という返事。それからメニューが置いてない(~_~;)。どうなってんだと思っているところへ、次々と皿が運ばれてくる。4人で座ったテーブルの上は皿だらけになる。「なんだこれは?! 定食かセットメニューか?!」 全員インドネシア語は全く駄目。店員はインドネシア語以外駄目みたい(~_~;)。「全部食ったって4人いるから支払いに心配はなかろう!」で、食い始める。しかしだ、皿が空になるたび、次々と補充されるのである。う~む、これは「わんこそば」のようなシステムなのか? 「とにかく食え~!」とばかり、頑張ったのだが、しばらくして降参。お勘定をたのむとたいした金額ではなかった。

このときは全く分からなかったのだが、「パダン料理」(※1)のお店だった模様。ショッピングセンターのフードコートに隣接している場所だったし、ビールがないのもうなずける。

しかし、食いすぎで気持ち悪くなった。

(3) カラオケ屋で損する
滞在中のある日の夕食後、現地受け入れ元の担当(日本人)が気を利かせて、われら出張者一行をクラブ(当時は知らなかったが日本人向けカラオケ屋)へ連れて行った。女の子が一緒に席についてくれて、水割り作ったりetcというお店。しかし、こっちはインドネシア語分かりません。女の子はインドネシア語以外駄目みたい。当然、うちらのテーブルは盛り下がる(~_~;)。で、なんだかわからないけど女の子と一対一でゲームをやることになった。どんなゲームだったか忘れてしまったけど、一種の罰ゲームだったか。罰はお金の支払いである。(注:インドネシアは賭け事禁止である! 当時は知らなかった) で、私の負け。(だって、勝つわけにいかないじゃん。) 確か五千円相当のルピアを支払った。

なんだかな~。こうゆうお店は二度とお断りである。

(4) トドメ!
約一週間の滞在も終わり、いよいよ今夜のフライトで帰国という日の朝。来てしまいました。下痢が止まりません。なんとか搭乗時間までには、コントロールできるまで回復したものの、成田では検疫カードを提出。かかりつけの内科で検査したけど、特に異常なし。でも、3~4週間ずっとお腹は不調となる。

以上、米国では体験したことがないような目に遭わされ、『もう二度とあんな国行くか!』となったが、まさか仕事で赴任することになるとは思わなかった。

※1:パダン料理。さまざま料理が一皿づつテーブルに並べられ、手をつけた皿の分だけチャージされる。全部食うヤツなんていないはず(~_~;)。店員は驚いたに違いない。

▲このページの先頭へ

私の好きなインドネシアインドネシアで働いて(index)

Copyright © 1997-2018 Dien

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください