このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
風呂から戻り、すぐに寝に落ちる。出発は定時より17分ほど遅れる。朝もその遅れを引っ張ったまま高松へつく。結局30分近く遅れ、果たして予定通り行くのか心配だったが、こういうときの無料送迎バスである。あっという間に高松駅に着く。ただ寒い。コンビニで昼のパンを買い、1500形3連の列車に乗り込む。車内はキレイで広く、転換クロスシート。1両目には誰もいない。高徳線は非電化単線ながら高架を走ったりして不思議な雰囲気だ。 ↓船内のようす こんなにガラガラだとは... 左 N2000形の先頭車両が居座る 左 快適な1500形 いつの頃からか記憶も絶え絶えになり、気がつくと徳島に着いた。しかしやけに空が広く感じるのは、どこにも架線が張り巡らされていないからか?(徳島県には電車はどこにも走っていない。つまり、全路線非電化というわけ) 徳島線の1000形に乗り、途中で1人がけのイイシートに移り、前面展望を愉しむ。行き違いをする回数が多い。府中(こう)で待ち合わせたので、思わず下車して撮影。 他の駅でもよく行き違う。 ↓たぶん府中ではありません 桜がきれい 学駅に着き、まずは入場券セットを購入。(大)リュックを待合室において、吉野川へ。沈下橋を渡り、探索に入る。が、すぐにボーズを覚悟する。下草が長すぎる。もはや越冬採集のシーズンではないようだ。絶対出てきそうな良い倒木からも現れず、またある木からはヒメスズメバチの集団越冬というありがたくないものに遭遇し、クワガタ、カミキリの幼虫が非常に多い。だからといって野外活動をしているのかと、色々ひっくり返してもその姿は現れない。一体どこにいるのだろう。そもそも生息密度は関東より大分低いらしい。カタツムリの殻はよく見かけるのだが。 アワマイマイ?と思われるカタツムリを1匹採集。 ↓学 駅舎と地名の由来 左 沈下橋を渡って対岸へ 右 夏だったらここから飛び込みたくなる←死ぬかも 帰りがけ、トタンの下からかっこいいプテロを1匹、学駅待合室にいたツチハンミョウを採集。ツチハンミョウは初めてみたが、触ると擬死をし、黄色い液体を出した。可愛いヤツだ。でも、ひょっとしたらカンタリジンなのかも? 左上 スズメバチが一箇所から複数出てきた経験はそういえば初めて 右 ツチハンミョウ 左下 このシチュエーションがたまらない 穴吹に着き、折角なので窓を開けてみたところ、ものすごい風で息ができない。列車は結構飛ばしているようだ。非電化だからといってなめてはいけない。 右 あの辺にマイマイはいるのだろうか… 左 江口駅 江口に着き、裏手の山に向う。この駅はサクラがきれいだ。 ほどなく、オオオサ1♀を掘り出す。今回初オサである。墓地の脇を通り、いよいよ山道にならんとしている所にいい崖を見出す。ここで、5匹のオオオサを次々と!こいつらは割合崖の深い所に越冬しているようだ。しかし、やっとのことで採集できたオサムシだというのに、一種しか採れないのはつまらないと、他のオサを探すも出てこない。山道を詰めていくと、廃屋が出現。 左 待ってました!!ようやくオサに出逢えた… 右 こんな崖に潜んでいました 道の奥へ向うバイクと軽自動車に追い抜かれるが、ここで引き返して、行きに目星をつけておいた別の崖に問いかけ、2匹掘り出す。シコククロナガオサを発見したかったが、ダメでした。 左 ヒヲドシチョウが日向ぼっこ 春になりにけり 右 その輝きは黒き真珠の如し 駅に着く前にコーラを買い、駅でおばあさんにペンを貸したら、ヤクルトを一ついただいた。コーラ買わなきゃ良かったわ。 阿波池田に到着、来る坪尻訪問に向けて胃を満たす。駅前の店で”湯だめうどん”を頂く。なかなかおいしい。高松で食べ比べてみることにする(食費を切り詰めるという目標は今いずこ...)また、お土産も購入しておく(徳島のお土産は高松では変えないかもしれない)しかし、荷物の容量がキビシイ。 阿波池田駅と駅前通り この廃れっぷりが胸を打つ ふと、頭に手をやると、パラパラと落ちてくるものが。頭髪ではなく、オサ掘りのときかぶった土だ。 左 湯だめうどん 右 手前が高知行きキハ32、奥が乗車予定キハ54(北海道と違ってロングシート) 佃について、大きくカーブして吉野川を渡る。いよいよ坪尻だ。一緒におじいさんが下車。ここに泊まっていくのか?と問われる。この人は地元の利用者にしか見えない。おじいさんは険しい山道の中に消えていった。 坪尻停車中のキハ54 右側が本線 出発の際、運転士は一旦後ろ側の運転席に移って本線に出、再び戻ってきてトンネルへ向かう スイッチバックしていく列車をビデオに撮り、待合室に荷物を置き、オサを探しにいまおじいさんが登っていったと見られる道に向かう。見事スジアオゴミと一緒に1♀のオオオサを掘り出す。しかし、俯瞰して見ると坪尻はすごい駅だなと思わずにはいられない(駅の紹介については、色々なサイトで沢山開設なされているので、割愛します)よくこんな所に駅を作ったものだなぁ。昔の人たちの苦労に頭が下がる。 左 国道32号線を見上げる あの道へ出るのに要する時間は20分 もちろん徒歩 右 坪尻駅舎 利用者がいる限り、その灯りは消えぬ 駅に戻って特急を流し撮り(大失敗!)してから三脚の活用、下り列車のバルブ撮影に入るが、うまく行かない。驚いたことに、駅では携帯が普通に使えるらしい。かといってそのことを証明する為に誰かに連絡を取るようなことは考えない。 左 下り列車をバルブ撮影 レンズのゴミが... 右 時刻表 新十津川 の倍もある 意外と多いほうだと思います 2時間半ほど待って、ようやく次の琴平行きに乗る。スイッチバックを体験し、琴平へ向け山を下っていく。外は真っ暗で、新快速のときのように車窓を愉しめないが、眠ることなく琴平に到着。ここからダッシュで、JRから離れている琴電の駅舎へと向かう。 予定を変更し(当初はことでん全線乗車するつもりだった)琴平線しか乗らないことにするが、ここから高松築港までの運賃は¥610!乗った車両は京急旧700形。もしかしたら私の記憶の無いころに、向こうで乗っていたのかもしれない。途中中学時代の友人から電話が入る。明日軟式テニスのクラブに行かないかと聞かれても...不可能です。 左 モケットの色は違うが、まるでKQに乗っている気分 右 京急700形改め琴電1200形 築港で乗車券に無効印を押してもらい、高松駅へ。お土産を買い、遂にリュックだけでは処理が出来なくなってしまう。で、ジャンボフェリーのバス乗り場が分かり辛く、しばらくフラフラした後交番で道を尋ね、その場所についてみたのだが次のバスは0:10!となっており、これなら沖松島まで行ってそこから歩いていこうじゃないかということになる。という訳で築港に再び戻って志度線に乗り換える。 左 こっちは元京急1000形の1300形 右 元名古屋市営地下鉄東山線250形の600形 駅からは約20分ほどでフェリー乗り場に到達できるという。しかし、通りにあるうどん屋は悉く店じまいしており、しかも辺りの様子がよく分からないし、しかし変なビルばっかりで、本場の讃岐うどんを食べることなく四国を去らなければならないようだ。節食の予定で行けばこれはこれでいいのだが、如何せん腹が減ってきてしまった。お菓子はチョコと生姜上げしかない。フェリーのうどんを頼むか。ただでさえ風呂で睡眠時間を削っているのに、また減ってしまう! 途中のコンビニで明日の朝食を購入。しかしさすがに疲労もきている様に感じ、方が崩壊してしまう!一応(小)リュックには磯ぐつ、タッパーなど昆虫採集用具が入っており、糸魚川のヒスイ?が入っているためやや重いのだが、問題は大きい方だ。時刻表、三脚、上着、勉強道具、下着などがあり、どれが一番の原因だか知らねどもとにかくバカみたいに重い。5〜6kgはあるだろうか。教科書販売の時ほど痛烈ではないが、グッと肩にくる。それに(小)リュック、さらに加わった土産など、肩が飛んでしまいそうになるばかりか、手も不自由となり、歩くスピードも遅くなる。 とりあえず空腹を紛らわすため、”生姜つまみ”を食すも、えらくまずい。どうしてこんなもの買ったのか。もう捨ててしまえ! 腹がへり、身も疲れ果て、すぐにでも寝てしまいたい。勉強?この状態でやっているようでは気が狂ってしまう。この参り様は1日中部活をぶっ続け手も得られるもんじゃない、強行旅行特有のものと思われる。何だかもう、自分の置かれている立場を文章で表現することが出来ない。船が早く来ればなぁ。 時刻表を眺め、富士ぶさに乗りたいなぁと鉄道唱歌を2回くらい聴いて、乗り場に向ってみる。昨日よりは人が多く、もしかしたらコンセントの近くにいけないかも、と思ったからだ。ほどなく、昨日とあえて場所を買え、きちんと電源を確保して風呂へ。そのとき、うどんはこの時間には販売されていないという衝撃の事実を知る。だから風呂のあとはすぐに寝ることにする。船はほゞ定時に出港! ↓ことでんのきっぷより 翌日へ |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |