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近世幕藩体制国家
から近代国家の成立へ
複雑な動きがわかるから面白い!
『教』は教科書・『攻』は『歴史攻略ノート』の略です。
先頭の番号は『攻』のテーマ番号を示しています。
本文には空らんを設けていて,マウスで反転させると,隠された文字が読めます。復習のヒントしよう。
スタートは戦国時代を復習しつつ,天下統一へとつなげていきます。
世の中は「中世」の末期です。
31特別授業 「戦国地図のぬりかえ」
※戦国時代の主役「戦国大名」の中から,やがて天下統一をめざす勢力が現れる。
さて,どんな地域性があるかな。
①「下剋上」により,戦国大名となったのはどのケースだろうか。
1 薩摩の島津氏,駿河の今川氏,甲斐の武田氏など守護大名から戦国大名になった者
2 越後の上杉氏,尾張の織田氏,越前の朝倉氏など守護代やその一族から戦国大名になった者
3 安芸の毛利氏,土佐の長宗我部氏,三河の徳川氏など国人領主など小領主から戦国大名になった者
4 相模の北条氏,美濃の斎藤氏など,上の1〜3にあてはまらない立場から戦国大名となった者
→2,3,4
②戦国大名とは何か。その課題から考えよう。
軍事力の強化→つまり,家臣団の統制である。そのために地侍などを惣村から切り離して城下町に集住させ,
分国法を定めて守らせる。
経済力の強化→治水工事や新田開発をして,収入の安定と増加をはかり,指出検地を実施して収入を確保する。
③天下統一をめざす勢力は,どういう地域から出てきたか?
→豊かな近畿地方でも,遠く離れた東北,関東,九州,四国でもない,中部地方や中国地方などの中間地帯である。
※「戦国地図のぬりかえ」を楽しもう。守護大名と戦国大名の違いを整理しておこう。
34 南蛮人
※戦国の日本人とヨーロッパ人との出会い− 鉄砲伝来に注目!
①南蛮人が日本にもたらした鉄砲とキリスト教について
鉄砲→ポルトガル人が種子島に伝え,のち国産化される。国内の生産地としては和泉の堺,近江の国友村,紀伊の根来寺
などが知られる。
キリスト教→イエズス会の宣教師フランシスコ=ザビエルが鹿児島に来て伝える。カトリックである。のち多くの宣教師が来
日する。
②鉄砲の影響について
戦闘方法の変化→一騎打ちの騎馬戦法から,足軽鉄砲隊の集団戦法へ
天下統一への時間→短くなったと考えられる。
※『攻』で,ヨーロッパ人の海外侵略の地図,南蛮人の来航に関する地図を確認しておこう。
35 天下統一 36 「織豊政権」
※戦国乱世の終わり 近世社会の基礎を築く− 織田信長と豊臣秀吉の天下統一過程をシミュレート!
①織田信長の敵対勢力についてまとめよう。最も長期にわたって戦った相手はだれ?
外部勢力→今川義元(桶狭間の戦),浅井氏・朝倉氏(姉川の戦),武田勝頼(長篠の戦)など
内部勢力→石山本願寺を中心とする一向一揆や寺内町,自治都市の堺など
②豊臣秀吉の2段階の戦いとは何か?
織田信長の後継者となる←明智光秀を山崎の戦で,柴田勝家を賤ケ岳の戦でやぶる。
全国統一←小牧・長久手の戦で徳川家康を,四国征伐で長宗我部氏,九州征伐で島津氏を従え,
小田原攻めで北条氏を滅ぼして全国統一を完成。
③徳川家康が天下をとる戦いと,豊臣氏を滅ぼす戦いは何か。
→関ヶ原の戦で,石田三成ら豊臣方をやぶり,大坂の陣で豊臣氏(豊臣秀頼)を滅ぼした。
④豊臣秀吉が政権を担当した地位と徳川家康が政権を担当した地位は何か。
豊臣秀吉→関白・太政大臣・「豊臣」姓を賜るなど朝廷の権威を利用した。
徳川家康→征夷大将軍となり江戸幕府を開く。将軍の地位を子にゆずったのちも大御所として権力をにぎる。
※なぜ織田信長にできたのか?そしてどう豊臣秀吉と徳川家康に受けつがれたのか。
「なぜ」が大切です。地図と合わせて考えよう。『攻』の地図も授業で出てきたところは見ておこう。
36 「織豊政権」
※なぜ織田信長や豊臣秀吉は,こういう政策を行ったのかを考えよう。
①織田信長の政策についてまとめよう。
→楽市楽座令,関所の廃止,キリスト教の保護と仏教勢力への攻撃(比叡山の焼き討ち,石山本願寺の討伐)など
②豊臣秀吉の政策についてまとめよう。
直轄都市→摂津の大坂,摂津と和泉の堺,山城の京都と伏見,筑前の博多,肥前の長崎など
直轄鉱山→佐渡金山,但馬の生野銀山,石見銀山など
宗教政策→バテレン追放令などキリスト教への弾圧,本願寺の活動許可や比叡山延暦寺の復興など仏教を保護する。
③豊臣秀吉の朝鮮侵略についてまとめよう。
秀吉の目的→明の征服のため朝鮮に日本軍の通行と服従を求めた。
出兵の経過→文禄の役、慶長の役と2度出兵,朝鮮民衆の抵抗や,明の援軍,李舜臣の亀甲船の活躍などで苦戦。
結果→秀吉の死で撤退する。朝鮮の多数の犠牲者と国土の荒廃,豊臣政権の崩壊を早める。
※『攻』35と関連づけながら授業を進めています。「なぜ」の理由をつなぎつつ受けて下さい。
37特別授業 「太閤検地」
※本物の検地帳を使って太閤検地について学ぶなど豊臣政権の内政についてとりあげます。
①全国統一の基準とは何か。
→長さ(検地尺を使用)や面積・容積(京桝を使用)の単位,土地のよしあしごとの見込み収穫高など。
②検地帳に記録されていることって何か。
→土地のよしあし,面積,見込み収穫高を石高で表す,土地所有者であり耕作者であり年貢納入者である農民の名
③これまでの惣村との違いは何か。
→武士や商人・職人は城下町に集められ,農村には基本的に検地帳に記された農民が住む。荘園制度はなくなる。
※『攻』37の検地帳こそ太閤検地が行われた証明なのです。
38「桃山文化」
※建築ではお城とお茶室,唐獅子図屏風や洛中洛外図屏風をしっかり見ましたか。
①お城の役割とは何だろうか?代表的な城郭建築をあげよ。
→権力のシンボル,軍事上の拠点,行政の中心,城主の居館
国宝の天守閣を持つ城には→兵庫県の姫路城,滋賀県の彦根城,愛知県の犬山城,長野県の松本城
②建築物といえば?
→天守閣を持つ城郭建築,茶室建築など
③絵画の中でも障壁画や風俗画といえば?
→狩野永徳の「唐獅子図屏風」など狩野派が活躍した。
④茶の湯といえば?
→千利休が茶の湯を大成した。
⑤歌舞伎といえば?
→出雲阿国らが活躍し歌舞伎踊りが流行する。
江戸時代に入ります。
39・40 江戸幕府の内政Ⅰ「大名統制,朝廷・寺社統制」
※幕府が,いかにたくみに大名を統制したか,
そして伝統的な権威をいかにうまく活用したかについてについて学びます。
①大名統制の方法についてまとめよう。
種類→親藩大名(尾張藩・紀州藩・水戸藩の御三家をふくむ),譜代大名,外様大名
配置→主として関東・東海・近畿などに親藩大名や譜代大名を,東北・北陸・九州などの遠隔地に外様大名を配置した。
大名の「鉢植え」化がはかられた。
法令→将軍の代替わりごとに発令された武家諸法度などが定められた。
徳川家康による1615年のものが始め,次の徳川家光による1635年のもので参勤交代が制度化されている
監視役→大目付が大名や幕府の役人を監視した。
処分→領地没収の「改易」,領地削減の「減封」,領地替えの「国替」など
②江戸幕府の組織のうち,政治の中心となる役職は何だろうか。
→ふだんは,老中とそれを補佐する若年寄が合議制により政務を担当する。
非常時にはその上に臨時の大老が任命され独裁権を与えられる。
③寺社統制についてまとめよう。
支配→寺社奉行の支配を受けた。
寺請制度(檀家制度)→宗旨人別帳(宗門改帳)を作成し,結婚・就職・旅行の書類などを発行するなど民衆統制に利用された。
④朝廷統制の方法についてまとめよう。
監視役→京都所司代を設置した。
法令→禁中並公家諸法度が1615年に定められた。
※江戸幕府の組織の表は『教』と『攻』右頁を見比べておこう。大名の配置はぜひ地図で確認したい。
当時の『武鑑』から幕府のしくみの特色を読み取ってみよう。
41 江戸幕府の内政Ⅱ「農民統制」
※幕府が,いかに農民に負担させたか。農民の生活について学びます。
①村のしくみについてまとめておこう。
→土地を持つ本百姓の中から村役人である名主(関西では庄屋),組頭,百姓代が選ばれた。
→村寄合に出席できる本百姓と,その資格のない水呑百姓などに区別された。
→五人組制度により,年貢納入や犯罪防止に連帯責任を負わせた。
②農民統制のための法令にはどんなものがあったのだろうか。
→1643年の田畑永代売買禁止令や,1649年の慶安の御触書など。
③農民の生活の実態は?
→天候により大きく収穫が左右される。年貢は不作の時はもちろん豊作の時もそれなりに重く大変だ。
借金をするとなかなか返せない。計画的に切りつめないと生活を維持できない。
ぜいたくはできず,ぎりぎりの生活で,米が口に入りにくい。
※『教』で人口の割合のグラフを見ておこう。
『攻』では「五人組御改帳」を載せておいた。当時の農民の生活の実態がわかりましたか?
42 江戸幕府の外交Ⅰ「初期外交」
※広く近隣諸国やヨーロッパの国々との関係について学びます。
①朱印船貿易の主な貿易品と日本町の例をあげてみよう。
輸入品→中国産の生糸や絹織物など
輸出品→銀・銅・刀剣など
日本町の例→シャム〔現在のタイ〕のアユタヤ,カンボジアのプノンペン・ピルヤルー,
安南〔現在のベトナム〕のフェフォ・ツーラン,ルソン〔現在のフィリピン〕のサンミゲル・ディラオ など
②「鎖国」中も開かれていた4つの窓口とは?
肥前・長崎→幕府領〔天領〕。
人工島である出島にオランダ(蘭領東インド〔現在のインドネシア〕のバタビアから東インド会社の船が来る)
唐人屋敷に明のち清との私貿易が行われる。
対馬→対馬藩〔藩主は宗氏〕を通じて朝鮮と貿易が行われる。朝鮮通信使が来日する。
薩摩・鹿児島→薩摩藩〔藩主は島津氏〕が琉球王国〔王は尚氏〕を支配し,中国などと貿易を行う。琉球使節が来る。
蝦夷地・松前→松前藩〔藩主は松前氏〕が場所制度によりアイヌ人を支配し,アイヌに不利な交易を行う。
※日本人が,幅広く東南アジアで活動していたことを地図で確認したい。
『攻』には,朱印船の渡航先や,日本町とそれ以外の日本人が在住した町を紹介している。
43 江戸幕府の外交Ⅱ「禁教令と鎖国令」
※なぜ鎖国が行われたのかについて考えます。
①「鎖国令」の目的って何だろうか。
→幕府による貿易の独占,キリスト教の禁止,日本人の海外渡航・帰国の禁止,外国船の来日制限など
②「禁教令」が出された背景には何があったのだろうか。
→大坂の陣の直前にあたり,外様大名が幕府の命令に忠実に動くかを確かめる必要があったといわれる。
③5度にわたった「鎖国令」の内容をいくつかあげよう。
→海外渡航の船には「朱印状」以外に「奉書」が必要である。長崎に出島を築造した。
日本人の海外渡航と帰国を全面禁止とした。ポルトガル人の来航を長崎の出島に限り,のち来航を禁止した。
→鎖国令の後,オランダ船を長崎の出島に限った。
④「鎖国」の結果をまとめよう。
→幕府により貿易が独占された。海外への発展が途絶えた。海外の情報が入ってきにくくなった。
ヨーロッパの植民地化から免れた。寺請制度が実施されキリシタンの取り締まりが強化された。
※年表にして流れをつかもう。『攻』の「宗旨人別帳」には何が書かれていますか。
44 元禄の政治と正徳の治
※江戸時代中期の政治について学びます。徳川綱吉や新井白石を知ってるかな?
①5代将軍徳川綱吉の政治を調べよう。
→学問(特に儒学,なかでも朱子学)を奨励し,江戸に湯島聖堂をつくる。そこには附属学問所も設けられる。
→上野国館林藩主であったころ以来の側近である柳沢吉保を側用人として取り立てる。
→極端な動物愛護令である生類憐みの令を出し「犬将軍」とあだなされる。
→これまでの慶長金銀に比べ質を落とした元禄金銀が勘定奉行の荻原重秀により発行される。
②質を落とした金銀の発行の目的とは何だろうか。
→幕府の財政難を克服するために差額〔出目〕をかせぐ。
→産業が発達し,貨幣を使う機会が増えていることに対応して通貨量を増やす。
③6代・7代将軍の時代の「正徳の治」を調べよう。
→6代将軍が甲斐国甲府藩主であったころ以来の側近であった朱子学者の新井白石が取り立てられる。
→生類憐みの令を廃止し,柳沢吉保,荻原重秀を免職とする。
→質をもとにもどした正徳金銀を発行する。
→長崎貿易を制限する海舶互市新例を出して金銀の海外への流出を止める。
※現在の通貨に対する考え方とどう違うのかわかりましたか?『攻』で徳川氏の系図も見ておこう。
45 商品生産の発達
※農業の発達とともに,他の産業がどのように発達していったかについて学びます。基本は農業!
①江戸時代の17世紀から18世紀にかけて農業生産力が高まる理由は何だろう?
→農具の改良…備中鍬,千歯扱,千石どおし,唐箕,踏車,龍骨車など
→肥料の開発…干鰯や油粕などの金肥を使用するようになる
→農学書の普及…宮崎安貞の『農業全書』がロングセラーとなる
→新田開発の進展…特に町人請負新田など大規模な開発を行う
→用水路の掘削…箱根用水などを掘る
→商品作物の栽培…四木三草〔桑・楮・漆・茶・紅花・藍・麻〕をはじめいぐさ,木綿,菜種,生糸など
②農村の家内工業であった手工業が,どのように発展していくのだろうか?
→問屋制家内工業〔問屋が各家庭に道具や材料を与えて,出来高に応じてお金を支払う〕
→工場制手工業〔労働者や道具・材料を作業場に集め,分業と協業による生産を行う。マニュファクチュア〕
③なぜこの時期に新田開発が進んだのか。『大阪府史』から見てみよう。
◎幕府や各藩が,年貢の増収を見込んで奨励した。 ◎綿などの商品作物の栽培が許可された。
◎開発後の一定期間は年貢が免除された。 ◎灌漑用水が整ってきた。
◎町人(特に商人)が大規模に開発できるほどの財力を蓄えてきていた。
※農具の開発以前と比較できますか。各地の特産物の発達を『攻』の右の地図でも見ておこう。
46 商業の発達
※「天下の台所」といわれた大坂,「将軍のお膝元」といわれた江戸などをふくめ,
商業や交通・都市の発達について学びます。
現代の都市の原型がこの時期に形成されていきます。
①三都とは?
大坂→「天下の台所」。商業の中心地で,各藩の蔵屋敷が集中する(商都)。堀や水路がめぐらされる(水都)。
江戸→「将軍のお膝元」。人口約100万の大消費都市。各藩の大名屋敷が集中する。日本橋は五街道の起点。
京都→天皇・公家,寺社も多い。伝統文化の中心地。 ☆京都・大坂をあわせて「上方」とよぶ。
②江戸時代の貨幣はどこで造られていたのか。
大判・小判など→金座,丁銀・豆板銀など→銀座,寛永通宝などの銅銭→銭座,藩札などの紙幣→各藩など
③「蔵屋敷」や「株仲間」って何?
蔵屋敷→各藩の年貢などを保管・販売し,藩に送金する機関で,江戸や大坂,特に大坂の中之島などに集中していた。
株仲間→幕府や藩から公認されて保護を受け,御用金を納める,同業の問屋の組合のこと。
※語句(用語)だけではなく,その意味や背景までわかっているかな?
※三都をはじめ,城下町・門前町・宿場町などの特徴をまとめておこう。
48・49 元禄文化
※上方の町人の経済力を背景に花開いた元禄文化について学びます。どんな文化人を知ってるかな?
※ 町人文化が育つ,豊かになった都会での生活について補足します。
①元禄文化を代表する文化人をあげ,何をした人かまとめておこう。
○井原西鶴→浮世草子の作者・『好色一代男』『日本永代蔵』なと゜
○近松門左衛門→人形浄瑠璃の脚本家・『曽根崎心中』など
○松尾芭蕉→俳諧を芸術にまで高める・『奥の細道』など
○宮崎安貞→農学者・『農業全書』
○関孝和→数学者・和算とよばれる日本式数学を確立した
○俵屋宗達→画家・「風神雷神図屏風」
○尾形光琳→画家・「紅白梅図屏風」
○菱川師宣→画家・「見返り美人図」
◇水戸藩が歴史書を編集→『大日本史』
②儒学のひろまり
朱子学→忠義や孝行を大切にする。「君臣長幼の序」を説き,幕府によって奨励された
陽明学→実践を重視。「知行合一」を説き朱子学を批判し,幕府に弾圧された
③代表的な建築物には?
→徳川家康をまつる日光東照宮(下野),八条宮智仁親王の桂離宮(京都)など
※言葉だけでなく,視覚で見ておこう。
50 享保の改革
※徳川吉宗は,どのような幕政改革を行おうとしたのか?
①徳川吉宗とは?
→8代将軍,御三家の一つ紀州藩出身,徳川家康の政治を理想とする。約30年間政権を担当した。
②享保の改革の目的とは何だろうか。
→幕府の財政再建,幕府の支配体制の強化など
③どんな政策を行ったか。
ぜいたくをいましめ支出を減らす→倹約令
大名に石高の百分の一を幕府に上納させるかわりに参勤交代の江戸滞在期間を半減する→上米令
在職期間中に不足分を補うことで才能のある武士を上級の役人に取り立てる→足高の制
主として町人に大規模な開発を促す→新田開発(町人請負新田)
何年間かの平均を出して豊作・不作に関係なく一定の年貢とする→定免法
江戸に投書箱を設けて民衆の意見を参考にする→目安箱
④結果は?
→幕府の収入は増加し,ある程度の財政安定につながったが,米価は安定せず,彼は「米将軍」とあだなされた。
貧富の差が拡大し,百姓一揆や打ちこわしの原因となる。享保の大飢饉もおこり,江戸で初の打ちこわしもおこる。
※徳川吉宗を『攻』右頁の系図で確認しよう。各政策の説明ができますか。
51 田沼の改革と寛政の改革
※田沼意次と松平定信,タイプの違う2人の老中による幕政改革に注目!
①田沼意次と松平定信の出身と幕政改革を行った時の役職についてまとめておこう。
田沼意次→父は紀州藩士で8代将軍徳川吉宗の将軍就任で幕臣(旗本)になる。
10代将軍の側用人から老中に出世し,幕政改革を行う。
松平定信→父は御三卿の一つ田安家の当主。8代将軍徳川吉宗の孫にあたる。陸奥白河藩主の養子となる。
11代将軍の時に老中として幕政改革を行う。
②2人は,それぞれどういう点を重視して改革を行ったのか。
田沼意次→都市の大商人の財力を利用して財政の建て直しをはかる。
松平定信→天明の大飢饉後の農村の復興による年貢確保で財政の建て直しと政治の引きしめをはかる。
③それぞれの具体的な政策をあげておこう。
田沼意次→町人請負新田など新田開発,株仲間の積極的な奨励による御用金の徴収,
蝦夷地の開発と長崎貿易の奨励など。
松平定信→武士の心構えの徹底と支出の削減をはかる倹約令,都市への出稼ぎ農民を帰村させる旧里帰農令,
旗本・御家人の借金帳消しの棄捐令,幕府役人に朱子学を勧め,他の儒学の学習を禁じる寛政異学の禁など
※『攻』51右頁の2人の略歴を比べよう。各政策について説明できますか。
52 53特別授業 百姓一揆と打ちこわし
※江戸時代の農村は大きく変化しつつあった。それは百姓一揆のおこし方まで違ってくるのだ。
①農民の「階層分化」とはどういうことだろうか。
有力農民・商人→土地を集めて,寄生地主となる。
貧しい農民→土地を失って小作人になる。都市に流出する。
②「百姓一揆」や「打ちこわし」についてまとめよう。
どういう時期に起こっているか→飢饉の時に多発している。江戸時代の後期から幕末にかけて増加している。
どういう理由で起こしているか→幕府や藩の重税や専売制などの政策に対する不満。村役人の交替を求めるなど。
幕末には政治的な要求など「世直し」を求めるようになる。
百姓一揆の型→前期=代表越訴型一揆・中期=惣百姓一揆・後期=世直し一揆
③三大飢饉とは何か。
→享保の大飢饉・天明の大飢饉・天保の大飢饉
※幕藩体制の崩壊に大きな影響を与えたことがわかりましたか。なぜ佐倉惣五郎は義民と称えられたのだろうか。
特別授業 リサイクル・暦と江戸時代の人々のくらし
※江戸時代の人々は,ごくあたりまえにモノを大切にした。江戸時代のリサイクルについて学びます。
※今と違う時間の刻み方,分刻みで動く現在とはかなり違うぞ!当時の暦をもとに人々の暮らしについて学びます。
※子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の「十二支」は,年だけではなく,一日の時間や,方角も表している。
江戸時代の時間は「明け六つ」と「暮れ六つ」の間を6等分する「不定時法」であった。
つまり「春分」と「秋分」以外は昼の一時と夜の一時の長さが違う。
暦は「月」の満ち欠けを基準とし,月を見れば今日が何日かだいたいわかった。
「お八つ」や「正午」などに江戸時代の時間のなごりが見られる。
江戸時代の暦や時間は自然に沿った暮らしに関わっている。
※二十四節気を「備忘録」で調べてみよう。
54 55 藩政改革
※幕府や多くの藩が改革に成功しない中で,薩摩藩や長州藩などが藩政改革に成功していく共通点などについて学びます。
①多くの藩の藩政改革の共通点
→年貢増徴,藩札の発行,家臣からの半知・借上,国産品の専売制,藩校の設立など。
②改革の中心となったのは?
18世紀後半→藩主の個性や能力による改革。
19世紀中頃→人材登用による下級武士が中心となる改革。
③薩摩藩や長州藩の政策とは?
→借金の整理,専売制(薩摩の砂糖,長州の紙・ろう)の強化,密貿易や海運の利益(薩摩の琉球貿易,長州の下関の海運)
藩校の設立,下級武士の登用,洋式軍備の整備など。
※『攻』の地図で,必ず各藩の位置を確かめよう。藩札の図も見ておこう。
57 化政文化
特別授業 「浮世絵に見る江戸時代の旅」
※江戸時代後半の江戸町人などを中心とした「町人文化」について学びます。幕政への批判も表面化してきます。
※歌川広重の東海道五十三次から江戸時代の旅を探索します。
①町人文化を代表する作品や作者をあげてみよう。
小説→十返舎一九の『東海道中膝栗毛』は滑稽本といい,滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』は歴史長編読本として喜ばれた。
俳諧・和歌→俳諧を与謝蕪村や小林一茶が民衆に広めた。川柳や狂歌が作られて広まった。
浮世絵→美人画の喜多川歌麿,風景画では葛飾北斎の「富嶽三十六景」,歌川広重の「東海道五十三次」が人気であった。
②国学と蘭学とは何か。またこれを発展させた人物をあげてみよう。。
国学→古典を研究して,儒教や仏教の影響を受ける前の日本人の考え方を明らかにしようとした。本居宣長が大成する。
蘭学→将軍徳川吉宗がキリスト教に関係のない漢訳の洋書の輸入の禁止を解いてから,西洋の学問の研究が発展した。
医学書を翻訳した前野良沢や杉田玄白らの『解体新書』,寒暖計や発電機を作った平賀源内,
全国の沿岸を測量して正確な日本地図を書いた伊能忠敬,オランダ商館の医者シーボルトは多くの弟子を育てたなど。
③教育はどのように普及したのか。
幕府・藩→幕府の昌平坂学問所や各藩の藩校の設立。
民間→寺子屋が普及していく。蘭学塾なども設立される。
④幕政批判の例をあげよう。
身分制度や封建社会への批判→安藤昌益はすべての人々が農業に励む,差別のない社会が理想だと説いた。
鎖国への批判→渡辺崋山や高野長英は,幕府の外交政策を批判して処罰される。
※『攻』で,旅行案内『宿々里数ならびに人馬賃銭記』を読んでみよう。
宿場の名物の楽しみや,関所・川渡しなどの困難には何があったのだろう。
58・59・60前編 絶対王政〜市民革命と近代ヨーロッパ世界
※イギリスは,どのようにして絶対王政を終わらせ,議会政治の基礎を確立したのかについて学びます。
※アメリカ独立戦争の原因と,合衆国の成立・南北戦争について学びます。
※フランスは,どのようにして絶対王政を倒し,ナポレオンの外国遠征を経て民主主義が発展したのかについて学びます。
※年表を作ろう。
①絶対王政を支えたものは何だろう。
→忠実に命令を実行する官僚制と,国内のおさえと国外への進出のための常備軍,これらを資金的に支える重商主義政策である。
②イギリスの絶対王政から市民革命までの政治の流れをまとめよう。
絶対王政→「権利請願」・清教徒革命→共和政→王政復古→名誉革命・「権利章典」→議会政治
③アメリカの州名の由来となっている言語には何があるだろうか。
→1 「インディアン」の言語(過半数・ミシシッピ州など中央部) 2 英語(ニューヨーク州など東海岸に集中)
3 スペイン語(カリフォルニア州・フロリダ州など西部や南部) 4 フランス語(ルイジアナ州など少数)
5 ポリネシア系の言語(ハワイ州のみ)
④アメリカ独立宣言・独立戦争開始・南北戦争・アメリカ合衆国憲法を年代順に並べよう。
→独立戦争開始→アメリカ独立宣言→アメリカ合衆国憲法→南北戦争
⑤フランス革命が起こるまでの流れを確認しましょう。
→ルイ14世が,絶対王政の最盛期で,ルイ16世まで続く。三部会では,特権階級の聖職者や貴族に対して,税負担の不公平や,
議決方法をめぐって対立し,平民は国民議会を設立し,バスティーユ牢獄を襲撃し「フランス人権宣言」を発表した。
⑥フランス革命以降のフランスの政治の流れはどうなっていくのだろうか。
→国民議会から始まる不安定な第一共和政→ナポレオン1世の第一帝政→王政復古→第二共和政→
ナポレオン3世の第二帝政→第三共和政…
※年表を作成してみよう。
56 大御所時代と天保の改革
※天保の改革の内容と失敗の要因について考え,それが幕府の権威を大きく損なっていくことを学びます。
①大御所時代はだれどのような時代だったのか。
→寛政の改革後の11代将軍徳川家斉の時代で,大奥のぜいたくや政治腐敗が目立つ一方,
天保の大飢饉が起こり,餓死者が増加,全国的な百姓一揆や打ちこわしが起こり,大坂では大塩平八郎の乱も起こった。
②天保の改革についてまとめよう。
担当者→老中の水野忠邦(遠江浜松藩主)
政策→倹約令,人返しの法,株仲間解散令,軍制改革,上知令など
※天保の改革の各政策について説明できますか。『教』や『攻』でまとめておこう。
『攻』右頁の「かわらばん」には「大坂大火」と見出しにあるが,なぜ大火が起こったのかわかりますか。
60中編 世界史年表から ドイツ・イタリアの統一
①統一が遅れていたドイツとイタリアはどのようにして統一が実現しましたか。
ドイツ→プロイセン王国が,ビスマルクの鉄血政策などで強力な国となった。
そして,オーストリアやフランスを破り,「ドイツ帝国」として統一した。
イタリア→サルデーニャ王国が,最後まで残った教皇領を占領し,「イタリア王国」として統一した。
②ロシア・ポーランド・オーストリアについて
ロシア→ロマノフ王朝の絶対王政が続く。南下政策をとる中で,クリミア戦争に敗北する。
ポーランド→プロイセン・オーストリア・ロシアに分割され,最後はロシアに併合される。
オーストリア→ハプスブルク家による絶対王政が続く中,革命は失敗する。
※年表を作って,各国の歴史の流れと,同時代の事件を比較しよう。
なぜ,欧米は「先進国」,アジア・アフリカは「途上国」になるのか?
→欧米のアジア侵略。植民地化。そして格差の拡大?
60後編 産業革命
※イギリスにはじまる産業革命と資本主義の発達,その後の海外侵略の背景について学びます。
①なぜイギリスで産業革命が起こったのだろう。
→囲い込み運動による安い労働力の確保,植民地からの安く豊富な原料の調達,蒸気機関などの機械の発明,植民地などの市場の確保。
②産業革命の進展
→綿織物工業から鉄工業
③産業革命の国内外への影響
国内→資本家と労働者の対立から労働運動が起こる。ロンドン以外の新興工業都市が発展する。
国外→資本主義を確立したイギリスが,軍事力や経済力を背景に植民地を広げ「世界の工場」とよばれるようになった。
※産業革命の早い遅いが,どんな結果をもたらすか。もう一度年表を整理しておこう。
61 列強のアジア侵略
※産業革命の影響が,アジアにおよんできます。
①イギリスのインド・中国への侵略についてまとめよう。
インド→イスラム教の国家であるムガル帝国がヒンドゥー教との対立などから衰えてきていた。
税をとる権利も持ったイギリスの東インド会社が,戦争のたびに支配範囲を拡大する。
イギリスの同社に雇われていたシパーヒーの乱がおこり,ムガル帝国も滅ぼされ,イギリス領とされる。
中国→満州人による清が衰え,アヘンを売るイギリスと対立し,アヘン戦争がおこる。
戦争に敗北し,中国に不利な南京条約を結ばされる。
清朝に反発した太平天国の乱がおこり,清は地主やイギリス軍に助けを求めてこれをしずめる。
②アジアの三角貿易の主な貿易品をあげてみよう。
中国からイギリス→茶
インドから中国→アヘン
イギリスからインド・中国→綿織物
③アジアへの侵略で,どこを植民地にしたか,まとめよう。
イギリス→インド,スリランカ,パキスタン,バングラディシュ,ビルマ(今のミャンマー),マレーシア,シンガポール
フランス→ベトナム,カンボジア,ラオス
オランダ→インドネシア
アメリカ→フィリピン
※必ず地図で確かめておこう。『攻』の地図の作業をしよう。。
いよいよ幕末の日本史につながりました。
62・63 開国
※いよいよ鎖国が破れます。列強の日本接近と幕府の対応について学びます。
①どこの国が,いつ頃から日本に来ていますか。
18世紀後半〜19世紀初め→ロシア・イギリス・アメリカ
19世紀→フランス ※オランダは鎖国中も来ている。
②日本のどこに多く来ているか。
→長崎,浦賀,蝦夷地,琉球など
③幕府の対応はどうか。
1825年→異国船打払令を出す。
1853年→アメリカのペリーに対して,来年の返事を約束して,老中阿部正弘は朝廷に報告し,大名らに意見を求めた。
1854年→日米和親条約で,下田・箱館の2港で,薪・水・石炭・食料を補給することや,下田に総領事を置くことなど。
同年→他に日英約定,
日露通好条約では,他に,択捉島より南を日本領とし,樺太を両国人雑居地として国境を定めないなどの領土協定もふくまれる。
日蘭和親条約
1858年→日米修好通商条約が大老の井伊直弼と下田総領事ハリスとの間で結ばれる。
同年→日蘭・日露・日英・日仏修好通商条約も結ばれる。(安政の五カ国条約)
④欧米列強が,日本に開国を迫る中で,幕府がかかえた大問題とは何か。
→将軍のあとつぎをどうするかと条約勅許を得られるのかの問題である。
⑤日米修好通商条約など条約の不平等の内容としては?
→関税自主権が日本にない。治外法権を相手国に認めている。日本からの自主的な改正ができないなど。
開港地は…神奈川→横浜,長崎,函館,新潟,兵庫→神戸の5港。ただし江戸時代中に開いたのは横浜,長崎,函館の3港
⑥開国による経済混乱としては,どういうことが起こっていたか。
輸入面…毛織物や綿織物,武器などが輸入される中で,木綿などの綿織物産業が衰退した。
輸出面…生糸や茶などが輸出の中心で,国内の生糸の品不足が起こった。
金銀の交換…日本と外国の金銀の交換比率が違い,日本の金が海外に流出したため,
幕府が金貨の金の含有率を下げると物価が上昇するなど混乱した。
※年表で,日本人の漂流による外国訪問や北方探検,外国船の接近を見ておこう。
64 公武合体と尊王攘夷
※激動の幕末の複雑な流れを理解しよう。
①欧米列強が,日本に開国を迫る中で,幕府がかかえた大問題とは何か。
→将軍のあとつぎをどうするかと条約勅許を得られるのかの問題である。
②「尊王論」と「攘夷論」が結びついたのはなぜか。
→開国の影響で人々の不満が出てくる中で,攘夷論が高まったが,大老の井伊直弼が,孝明天皇の意志を
無視して条約に「無勅許調印」した上,開国や幕政に反対する人々を安政の大獄で弾圧したことから,結びついた。
やがて尊王攘夷論は,倒幕の中心的な理論として発展していくことになる。
③大老暗殺された後に幕府がとった幕府存続策とは?
→朝廷の権威を利用して,幕府の権威を保つこと。具体的には,孝明天皇の妹の和宮を将軍徳川家茂の妻とすること
により,幕府と朝廷の結束を図ろうとした。
④薩摩藩や長州藩が攘夷の不可能なことを知るきっかけとなった事件は何か。
薩摩藩→生麦事件の報復である薩英戦争の敗北。
長州藩→下関砲撃事件の報復である四国艦隊下関砲撃事件の敗北
※幕府や朝廷,長州藩,薩摩藩,会津藩などの動きを時間の流れとともに場所まで確認しておこう。
65 大政奉還
※薩摩藩と長州藩の接近と倒幕への動き,そして幕府と朝廷のトップ交替の影響は?
①薩長同盟の成立についてその代表者名と仲介者名をあげておこう。
薩摩藩→西郷隆盛・大久保利通
長州藩→高杉晋作・木戸孝允
仲介者→坂本龍馬(土佐藩出身)ら
②第二次長州征伐のころの民衆の動きにはどういうものが見られ,そこから何がわかりますか。
民衆の動き→世直し一揆や打ちこわしの多発,お陰参りの流行や「ええじゃないか」の乱舞がはやる。
→現状を変えてほしいと願う様子が考えられる。新しい時代への不安と期待がある。
③大政奉還はどういうねらいで行ったのだろうか?
→難しい言葉でいうと「公議政体論」の考えであるといわれる。
薩摩藩や長州藩の武力による倒幕計画が進む中で,政権を朝廷に返し,
新政権で権力を保とうとするねらいがあったといわれる。
④戊辰戦争での主な戦いの場所はどこかな?
→鳥羽伏見の戦い〜江戸城の無血開城〜
会津藩を中心とする奥羽越列藩同盟の抵抗・越後長岡藩など〜箱館の五稜郭の戦いまで
※流れとして理解しよう。また地図で位置を確認したいね。『攻』右下地図の作業をしておこう。
近代史スタート!
明治政府成立! どんな国を創ろうとしたのか?
新政府は世の期待に応えられるのか?
66 明治維新
※天皇を中心とする中央集権国家の確立をめざした明治政府の諸改革について学びます。
①「五箇条の御誓文」と「五榜の掲示」の共通点と違いは何だろうか。
共通点→戊辰戦争の最中に出された。特に江戸城無血開城の直前であった。
相違点(形式)→前者…明治天皇が神に誓う形。後者…五枚の立て札で示された
(内容)→前者…議論を重視し世論に沿った政治を行うことや外国の文化の取り入れなど
後者…儒教の精神の尊重や一揆,キリスト教の禁止など江戸幕府と変わらない政策。
(対象)→前者…新政府につくか,旧幕府側につくか迷っている東日本を中心とする諸藩に対して。
後者…民衆(国民)に対して
②明治政府が中央集権国家とするための政策として何を行ったのか。
→まず版籍奉還(1869年)を実施し,次いで廃藩置県(1871年)を行って府知事・県令を任命した。
③今までの身分制度は,「四民平等」によって,どうかわったのだろう。
天皇の一族→「皇族」とよばれ,特別な待遇となる。
大名・公家・維新の功労者→「華族」とされ,高い俸禄がもらえるなどの特権がある。
武士→「士族」とされ俸禄が支給されたが,のちにこれが廃止となり,不満が高まる。
農・工・商→「平民」とされる。
「えた」・「非人」→「解放令」で「平民」とされるが,生活改善のための施策はない。
④明治政府成立直後の三大改革とはなんだろうか。
◎兵制改革→徴兵令(1873年)で,「国民皆兵」となり,20歳以上の男子に兵役の義務が課せられたが,「免役規定」もある。
◎教育改革→学制(1872年)により,「国民皆学」となるが,国民の負担は増える。
◎税制改革→地租改正(1873年)が実施される。
※四民平等の平等というのは,何が平等だったのだろうか。
特別授業 維新の顔
※幕末〜明治維新のころの人物の顔を見てみます。
出身はどこ?
西郷隆盛・大久保利通・黒田清隆・松方正義→薩摩藩
木戸孝允・伊藤博文・山県有朋・井上馨→長州藩
板垣退助・後藤象二郎・中江兆民・植木枝盛→土佐藩
大隈重信・江藤新平→肥前佐賀藩
三条実美・岩倉具視→京都の公家
67特別授業 「地租改正」
※税制改革「地租改正」とは何か。その前後を比較し,地租改正を通じて明治維新当時の時代を学びます。
①地券(土地所有権証明書)には,何が書かれているのだろう。
→土地の所在地(旧国名での表記),持主の住所と氏名(姓名を名乗る),
「地目」(田畑や耕地だけではなく,宅地,山地,藪,原野まで)と面積(変わらない「町反(段)畝歩」の単位),
「地価」と「地租」(地価の3%のち明治10年から2.5%)の金額(「円銭厘」の単位),発行年月日(明治の年号),
発行府県名(現在と同じ府県だけでなく,堺県,小倉県,浜田県の現在の都道府県にない統廃合前の県名や,東京府などもある)など。
②地租改正により,政府の財政はどうなったのだろうか。
→米などの年貢は,輸送や保管も大変で,価格も変動したが,政府収入の大半を占める地租は一定の金納となり,財政は安定した。
③江戸時代の負担と変わらないよう計算されたといわれる地租により,農家の生活にどんな影響があっただろうか。
→地租が払えずに土地を手放し,小作人となったり,都市に出て行く者も増えた。
一方で,たくさんの土地を持つ大地主(寄生地主)も出現した。
※『攻』に本物の地券を載せているので,ぜひ実際に見て,何が書かれているか調べてみよう。
68 殖産興業・文明開化
※欧米諸国をモデルとした文化の影響と社会の変化について学びます。
①近代産業を育てるための「殖産興業」とは,実際に何をしたのだろう。
→富岡製糸場などの製糸業をはじめ,紡績,造船や鉱山などで官営模範工場を設立し,欧米から機械を導入し技術者を招いた。
→貨幣制度(「円銭厘」の単位)や銀行制度(はじめ民間銀行,のち日本銀行が設立される),
前島密による官営郵便制度や東京の新橋と横浜間に最初の官営鉄道を整えたことなど。
②「文明開化」で都市を中心とした衣食住の洋風化が進む中で,啓蒙思想家も活躍するが,代表的な人をあげてみよう。
イギリス流自由平等思想の紹介→福沢諭吉,中村正直など。
フランス流天賦人権思想の紹介→中江兆民,植木枝盛など。
※その他に新しくどういうものが始まったか『攻』で調べておこう。太陽暦の採用や日刊新聞の発行などなど…。
70 新政府分裂
※今日にも通じる日本の領土確定と,政府の改革に不満な士族の反乱や民衆の一揆について学びます。
※近代日本の基礎がためのころ。近隣諸国との関係や,沖縄県・北海道の成立事情を知っておこう。
※そして「新政府分裂」では,成立間もない明治政府に最大の危機がやってきます。
①近隣諸国との関係を整理しておこう。
中国(清)…日清修好条規(1871・相互対等)
朝鮮…西郷隆盛らの征韓論。江華島事件(1875)→日朝修好条規(1876・不平等・欧米外交との二面性あり)
ロシア…樺太・千島交換条約(1875)
沖縄…台湾出兵(1875)→「琉球処分」(1879)により沖縄県を設置
北海道…「蝦夷地」を北海道と改称(1869)・北海道開拓使の設置と屯田兵制度
②岩倉使節団の目的と主張,留守政府側の主張はどう対立したか。
岩倉使節団→条約改正交渉の失敗で欧米視察になる。国内政治の優先を主張した。
留守政府→不平士族の不満を海外にそらせるためといわれる征韓論を主張した。
③なぜ不平士族が増えたり,農民一揆が数多く起こったのか。
士族→特権の廃止に対する不満,藩閥政権に不満など。
農民→学制にともなう授業料などの負担の増加,兵役の負担が増える徴兵令,
以前とかわらず重税であった地租改正などに反対した。
④不平士族の反乱が起こった場所にはどんな特色があったか。
→佐賀の乱・萩の乱・西南戦争など,明治維新で活躍した藩の場所が中心となった。
※ 地図で確認しておこう。現在の国境や,領土問題とも関連があることがわかりましたか?
近代史に入りました。あと百年余が次の頁へ続きます。がんばれますね。
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |