このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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日 | 月日 | 行動 |
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第1日目
| 2002年8月18日月曜日 | 新宿駅23:09発 |
第2日目
| 2002年8月19日火曜日 | 高崎→函館 |
第3日目
| 2002年8月20日水曜日 | 函館→稚内 |
第4日目
| 2002年8月21日木曜日 | 稚内→函館 |
第5日目
| 2003年8月22日金曜日 | 函館→東京 |
反省
| 後日 | この旅行での反省点を書いています |
第1日目
2003年8月18日月曜日
北海道は未だかつて行った事がなかった。いつか行ってみたいと思いつつ、国内航空路線がまだまだ高くツアーでないとなかなか行けない。しかし、旅なんて行きたくなったら行く、これがよいのではないだろうか?さて、急にここを訪れる気になったのは、札幌で前から探していたパソコンが販売されているとわかり、このため急きょ北海道行きを決めたのである。まあ、このパソコンの話はやめておくものであるが、そういうわけで何とか北海道に行くように計画を立てたのである。すぐに話は決まった。昨年に延伸した東北新幹線のおかげで、東北本線は分断されることとなった。私がいつも使う青春18切符は羽越本線・奥羽本線経由でしか使えないことになる。そこで、以前から目に付けていた北海道&東日本パスを使用して北海道まで行くことにしたのである。もちろん普通列車限定であるが、この切符は5日間で1万円という価格であり、青森〜札幌については急行はまなす号利用できるのである。詳しくはそれについて書かれているホームページがあるので、省略する。さて、この日8月18日であるが、私はまず最寄の駅にムーンライトえちごのの指定券を買いに行った。いつもは取れないのにな…。すぐに出てきたのは幸いであった。新宿駅に着いたのはこの日の22時40分頃。急いで北海道&東日本パスを買った。いよいよ行く覚悟が出来たのである。それから飲み物などを買って、乗場に移動する。新宿駅7番線。ここは中央本線の上り線として使われているが、山の手貨物線とはつながっている。前回この列車に乗ったのは、確か北陸本線を制覇しようと思ったときであると思う。車両が置き換わっている!この数年青春18切符の利用者は何だか妙な具合に置かれている。この話も専門の部屋で見てもらうと詳しいことはわかる。この日の23時09分ムーンライトえちごは新宿駅を出発した。それから山の手貨物線・東北本線を、大宮からは高崎線を北へと向かい高崎に着いたのは日付が変わった午前0時48分であった。
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第2日目
2003年8月19日火曜日
高崎では1時9分まで停車していた。急行能登の待ち合わせとでも言うのだろうか?列車はやがて走り、上越線を北に向かう。渋川辺りまでは記憶があるがあとは知らない。寝てしまったのであろう。余談だが上越線水上〜越後中里は難所である。隧道(トンネル)についてもそうだが、列車の本数的にもである。私も18切符を利用した際この区間の本数には悩まされた経験はある。上り方面はまだ経験したことがないが、面白いらしい。さて、気がついたのは長岡を過ぎた頃であると思う。ここで乗降があるからであろう。ここから新潟までは35分弱である。新潟に着いたのは4時52分。あたりは明るいが、あいにくの天気で曇り時々雨の天候であった。ここから隣の乗場の快速、村上行きに乗る。白新線、そして新発田からは羽越本線である。村上着は5時52分である。ここでは雨に降られる始末。帰ろうかと思ったぐらいだった。ここから同じ乗場の普通列車6時3分発8時25分酒田着に乗る。前の電車とは直列に停車している形だ。この頃は東北地方ではすでに学校が始まっているのであろう。途中で通学する学生たちが乗り込む。私のボックス4人がけも女子高生が座る始末。窓側にいる私をまるで囲むように。この話はやめておこう。途中、前に来たことがある温海温泉を通り、中学生の頃来たから懐かしい風景が列車の中から見ることが出来た。酒田に着くと列車は9時35分までない。駅前をフラフラしたが時間時間ですぐに駅で戻って座っていた。この列車秋田着11時29分である。実は秋田県は始めてである。今回の旅終了で行かない県は徳島・高知のみとなるが、実に秋田に着いたときはうれしさがあった。山形・宮城・岩手・青森は既に行っているのに。秋田だけ…。さて駅についてイトーヨーカ堂に向かい。この日は営業時間が12時ぐらいからとのことで、秋田の駅周辺をそれまで歩いた。新幹線効果はどうなのか?しっかり考えてもみた。さて時間が来て、そこの上に100円ショップがあったので、後に使う予定の折りたたみ椅子(布と鉄パイプのもの)を買った。下着なども買ったのかな?まあ、それで駅に戻る。駅に戻ると東京行きの新幹線があって、これに乗れば…、と思いつつ奥羽本線下り普通列車13時11分発青森17時12分着に乗る。途中大館で27分ほど止まりながら、定刻に青森駅に到着した。ここで弁当を買い、それから急行はまなすの乗場に行ってみたが誰もいない。22時45分発…。誰もいないな。事前のインターネットでの調査では2時間ほど前には…との記載があった。ここから出発までの退屈な5時間半が始まる。今考えてみれば、あればさっと時間が過ぎたと思う。何度も改札を出入りしては駅員に変な目で見られ、迷惑がられた。駅前の駅ビルで買い物もしたが、たいした物は買ってない。秋田で買った椅子は思いのほか座っていると腰が痛くて…、駅の長いすで座って待っていた。同じ新聞を10回ぐらい読み直して、推理小説も読んでいた。やがて列車は入線すると一目散に自分の席を見つける。途中函館までは、二人がけを一人で座っていたと思う。それほどすいていたのが印象的だった。一昔前までの臨時快速大垣行きの品川駅7番線の光景とは天と地の差である。以前品川から大垣まで座れなかった事があるから自由席に関しては時間に余裕を持つのがこの切符での方針なのである。さて列車は津軽線と津軽海峡線に進む。どこでどう青函隧道に入ったのがわからぬままいつの間にか列車は隧道を走っていた。もちろん初めての青函隧道である。このあたりはこの時間非常に真っ暗である。そんなこともあって、よくわからなかったのであろう。その後は寝てしまって気がついたときには函館を過ぎ、列車は反対方向に進んでいた。目が覚めたのは2時過ぎである。あまり寝ていない。。
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第3日目
2003年8月20日水曜日
青森で買った弁当を食べたのは2時過ぎのことであった。夏なのにね…、まあ大丈夫でしたが、それからトイレを占領して着替えて、列車は東室蘭を過ぎて南千歳には5時25分に着きました。旭川方面に行くことを考えていたので、その方法を事前に調べていたら、途中駅でタクシーを使えてとか、いろいろ方法が書いてありましたが、まあ札幌駅まで行くことにして、そのまま列車には乗り続けます。新千歳空港を左側に見ながら、列車は札幌へと向かいます。札幌着は6時7分のことでありました。時刻表の前のほうに稚内駅で仮眠をさせてくれるとのが書かれていた。どうせ来たのだから稚内行ってみるか!ととっさに思いつき、すぐに電話。OKが出たのですぐに稚内行きを決行。でも乗り継ぎが…、実は宗谷本線は本数が少ないのに加えて函館本線の岩見沢〜旭川は特急が多いのです。このままでは普通列車だけでは稚内に到達できない…。ここで何か方法をと考えて、地図を見ると都市間バスがあるのに気がついた。7時発旭川9時着のバス。これに乗ることにしました。値段は2000円。バスでは一番前の席に座る。運転席とは反対側のである。景色を見ていると途中で眠くなってうとうと、高速バスの運転手の問題が取り上げられている昨今こういう乗客がいたら、運転手も…。まあ、そんなわけでしっかり北海道の高速道路も体験して定刻に旭川に到着。天気はすっかり晴れていた。梅雨が明けたか否か不明の関東とは違う。途中、みずほ銀行があったのでそこでお金を下ろして、駅近くの100円ショップによる。稚内の観光案内売ってないかと思ってである。簡単なやつを買って駅に。まだ時間は早かった。11時14分発なよろ1号名寄行き。これに乗る。途中有名な塩狩峠の塩狩駅のしっかりと見ることが出来た。さらに列車は進み、終点名寄には12時32分に到着であるが、すぐに乗り換えて12時44分発車。普通列車稚内行きである。(実際には幌延行きで、同じ電車が稚内行きとなる。)かつて北見線のあった音威子府を通り、もう秋の虫が聞こえる大地をさらに北へ進む。幌延辺りに来ると何にもない…。因みにここから羽幌線があったという。随分列車であちらこちら回ったがああいう何もなさは初めての体験でなんとも言い難い。やがて、利尻富士を見ながら、南稚内16時35分着、稚内駅16時39分着。その駅にはここで鉄道が終わりなのだと示すものがあった。さて、夜までには時間がある。そこで私は2つの場所を見に行くことにした。野寒布(のしゃっぷ)岬と宗谷岬である。本土最北地域であるこの2つの場所をしっかりと見ておきたい。宗谷岬へのバスは…、時間が迫っていることに気がついた。両方見に行きたいが、まず野寒布岬へバスで向かう。10分ぐらいである。行く途中風力発電用の羽がくるくると回っていた。それから防衛庁の通信施設があった。大韓航空機事件、この時、日本側がソ連の通信を傍受した事によってこの重大性が明らかになったわけだが、この傍受した施設はここなのかな?と思いながら、バス停に到着。バス停からは走る。急いでこの岬の灯台近くの場所で記念撮影。それから5分もしないうちにバス停に戻る。バスで駅に戻り。今度は宗谷岬行きへ。これは高いし、非常に長い距離である。詳しくは
こちら
を参照されたい。途中稚内空港を見ながら、宗谷湾を東へ向かう。宗谷岬についたのは日も暮れた頃であった。この両岬からは樺太を見ることは出来なかったが、いい経験になったことは間違いない。15分ほど滞在して、稚内に戻る。途中西條というショッピングセンター風のデパートで洋服を買う。ここの一回では半額になった弁当を買う。このあと駅に戻り無料宿泊所に入る。ここで弁当を食べて、着替えたりして寝た。
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第4日目
2003年8月21日木曜日
この日は、早めの起床である。宗谷本線上り普通列車6時38分。ここからまた始まる。列車は名寄に958分に着く。深名線と名寄本線がここを通っていて、交通の要所であったがその面影はもはやない。ここで11時43分発の旭川13時27分着の普通列車に乗り込む。到着するまではクタクタで寝ていた。旭川に着くと、13時41分発岩見沢行き函館本線上り普通列車に乗る。岩見沢に15時26分に到着し、ここで15時40分発区間快速石狩ライナーに乗る。札幌に着いたのは16時18分のことであった。ここから地下鉄と市電を乗り継いでパソコンショップに行き、こちらも最後の一点であったが、買うことが出来た。その安心感かこのあと時計台、大通り、新しくできた駅ビルなどといった場所を回って、もちろん徒歩であるが、駅に戻る。(念のため、すすきのは行っていません。)夕食はラーメンを取り、それからホームで急行はまなすを待つ。通勤時間帯の自由席待ちは実に気まずい。じろじろと見られるわけであるし…。この気まずい状況を耐え、22時発青森行き急行はまなすの乗る。ここでも一番乗りであったわけだし、座ることは何のことはない。
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第5日目 2003年8月22日金曜日
一週間を北海道行きに費やしたわけであるが、この日は最終日である。函館に着いたのは2時42分でここから方向が変わる。今度は青函隧道の入り口はわかった。そして、そのまま5時35分に青森に着くまで起きていた。この場所での日の出のまぶしさは今でも記憶に残る。この日も天気は良好であった。さて、青森駅に着くと6時10分発の普通列車八戸行きに乗る。この電車が8時16分に到着する。八戸は新幹線の開業に伴い、綺麗な駅に変わったという。駅前はそれほどでもないが駅舎は綺麗であった。ここで東北本線から分離した青い森鉄道〜岩手銀河鉄道を東へ向かう。8時56分に八戸を発して、途中JR貨物の待ち合わせなどをしながら、10時54分に盛岡に到着する。盛岡での改札口はJRとは別のものになっていた…。前は違ったが…。盛岡を発したのは11時06分で一ノ関着が12時34分である。ここからすぐに乗換えで、12時51分発14時37分発である。この後が問題である。仙台で駅ビルの100円ショップに行って必要なものを買い、駅に戻る。大津港というところで魚を買ってきて欲しいと頼まれて、常磐線経由で帰ることに。途中岩沼まで東北本線を走った常磐線はここから海岸側を走る。仙台発15時25分発である。常磐線は途中単線である場所が多い。東北本線よりも時間がかかる。かつて2時間ドラマでこの常磐線経由青森行きの寝台列車が走っていたとのことであるというが…。まあ、それはいいのだが、いわきには18時11分に到着する。大津港はここから6つ目の駅だ。ここで18時38分発の電車に乗る。到着は19時8分だ。既に当たりは真っ暗、以前にもここ、電車で訪れてバスで魚を買いに行って、東京まで発泡スチロールを持って帰ったことがある。今度もそれで行こうと思ったら、バスがない、所謂○×交通系のバスがなくて、マイクロバスなのだ。私はわけもわからず、それに乗っていったら山の中へ進む。他の乗客が降り、といっても5人ぐらいだったが、お客さんどこで降ります?と聞かれた。終点まで…。見栄っ張りが災いしてかついに山の中のバス停で一人下ろされる。詳しくはしたのをごらんいただきたい。中心部はおろされた所だと推定される。
こちら
がその部分。 バス停の時間表を見ると既に今日はない。真っ暗で人もいない…。仕方なく、もと来た道を戻る。やがて高速道路の高架が見え、その下をくぐる。町の明かりだけを頼りに、とにかく下へ下る。時には列車の音を頼りに。牧の原の二の舞である。1時間半ほど歩いたと思いますが、21時頃駅に着く。魚は諦めである。汗だくだくで気持ちが悪い…。駅前のコンビニで飲み物を買って、21時22分発水戸行きの列車に乗る。水戸着22時23分着。ここで22時34分発我孫子行き列車に乗る。23時59分着。我孫子からは0時2分発の常磐線快速で日暮里へ向かう。日暮里着が0時33分着。ここで山手線内回り0時39分新宿着1時の新宿への最終電車に間に合う。ここで新宿発1時1分の中央本線各駅停車に間に合い、なんとかこの切符を使い切ったのである。まあ、最後の経緯から見ると奇跡かもしれませんが。
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反省
もっとゆっくりとした旅行を楽しむべし。特に5日目の行動は大いに反省しなくてはならない。ここでも携帯電話という道具を使うことはなかったのである。それから、時間の使い方も極端ですな。それから、日本の鉄道旅行はわりと韓国の方が青春18切符などを使い旅行されています。大体東海道本線〜山陽本線が多いと思っていましたが、北海道にも足を伸ばしているようです。北海道は結構アジアでも人気の場所で台湾や香港のサイトでもここの旅行を東京都同様に大きく取り上げられています。彼らに人気があるのが美瑛だということです。こういう広大な土地で美しい風景が好きらしいのです。それから冬の雪の季節も好きらしいですね。雪がない国の人にとっては。稚内でもロシア人の船員を多く見かけました。北海道は日本人だけでなく様々国の人に出会う場所であるといえる?かも知れません←うそだったら指摘してね?この北海道、東のほうに行ってみたいのと利尻などの島々も訪れてみたい。今回のようなぎりぎりセイフ旅行ではなくてね、そう思ったのでありました。
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