このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


欧州10日

年月日行動
第00日目 2001年08月25日土曜日 東京→名古屋空港
第01日目 2001年08月26日日曜日名古屋→台北→市内観光→空港→アブダビ
第02日目 2001年08月27日月曜日アブダビ→フランクフルト→ロマッチック街道→バイエルン州
第03日目 2001年08月28日火曜日バイエルン州→白鳥城→スイス
第04日目 2001年08月29日水曜日スイス→チューリッヒ→パリ
第05日目 2001年08月30日木曜日パリ→モン・サン・ミッシェル→パリ
第06日目 2001年08月31日金曜日パリ市内とヴェルサイユ宮殿
第07日目 2001年09月01日土曜日ヴリュージュとヴリュッセル
第08日目 2001年09月02日日曜日ライン川クルーズとフランクフルト
第09日目 2001年09月03日月曜日フランクフルト→アブダビ→台北へ
第10日目 2001年09月04日火曜日台北→名古屋→東京
反省 後日あ〜あと思ったことを書いている



第00日目  8月25日土曜日 大垣夜行〜ムーンライトながら



名古屋空港集合。東京都内に住むものにとってこれは第一関門であった。とはいうものの私は初の海外旅行であり、非常にわからないことだらけだった。それは後々明らかになることであろうから、ここでは詳しく述べぬことにしたい。さて、名古屋であるが、東京発の名古屋停車の寝台特急はない。新幹線では集合時間には間に合わない。そこで我々はムーンライトながらを使うことにした。もちろんこの時期青春18切符を使えるからそれを使ってである。これを使って東京〜九州間を往復しているだけにこれを使うしんどさは実にしみている。もちろん旅行かばんをもってである。指定券は半月前に購入しようと買いに行ったら売り切れ。毎日サイバーステーションで調べるも5日前に1枚出てきた。これを買いに行くと売り切れ〜。その翌々日に喫煙が取れる。さらに当日調べると2枚とることができた。4人で行くので一枚は足りない。そこで一人は小田原で乗ることにしてあらかじめ車内で空席を取ることとなった。東京駅23:43発。予定通り小田原に到着連れが乗ってきて、指定した席を一時小田原から乗ってきたものに占拠されたが4人座れることとなった。それからきつい車内での夜が始まる。
トップ




第01日目  8月26日日曜日 名古屋空港集合



名古屋には定刻通り到着した。車内は混雑して空席などはなかった。それから空港行きのバスに乗って空港へと向かう。30分前後で空港の国際線旅客ターミナルにつき、それからカウンターへ向かう。荷物検査だけは先に済ますのことである。荷物あけるわけにも行かず、夏であるし汗が…ということであったが着替えは大きなかばんの中でどうにもならない。このままフランクフルトまで…ということになる。この後我々より後に来たものもいたので、遅刻ではなかった。旅行者の添乗員の人が来て一通りの流れを説明してくれて、それから売店でいろいろ買って出国手続きへ。私にとっては初めての経験である。随分と込んでいたがそれからまもなく旅券を提出して判を押してもらって完了。中では免税店があって確か1,000円の香水と汗止めを買ったかな?飲み物も買いました。それから航空機に乗って一路台北へ向かいました。名古屋空港発09:20である。今回の航空会社はすべて中華航空である。名古屋空港、恐らく名古屋空港で中華航空機が事故を起こしたことはが承知されていることと思うが、航空機内に乗った時点でそのニュースが思い出された。機内後方の席であったがなんかガソリンくさい…。航空機はそれからまもなくして離陸。あのスピード感とそれによる引っ張られる感じ、あがるときの妙な感じこれはいつにしても嫌なのである。飲み物が出され、しばらくして機内食が出た。これが機内食なのか!随分温かいと思った。国内線では廃止の傾向の機内職、沖縄に行ったときはサンドウィッチか何かが出たが、それとは違うものだった。それから台北へ到着した。予定よりも早かったのではないか?中華民国桃園中正國際空港とか蒋介石國際空港なんていわれているが、台北の空港は那覇空港とイメージが似ていた。空の色のせいかな?すぐにすぐに入国手続きへ。待合室でしばらく待っていてその間に両替して、それで自動販売機で飲み物を買ってみる。何しろ初めての海外だから。現地ガイドも加わり台北中心部へ、まず、はじめに食事をニューヨークタイムズ紙世界10大レストランいわれている鼎泰豐でとる。小籠包を含めたセットになっていた。台湾ビールなんていうのも頼んでいた人もいた。食事が終わると市内観光ということで総統府を通って中正紀念堂へ。記念写真を撮らされ、そこの建物を見学した。人形かと思うような兵士も立っていた。それから忠烈祠にいき兵士の交代を見学できた。この後は故宮博物院に行き一部分を見学(全部を見ることはできなかった、全部見るには時間がかかるそうな)して大山茶藝教室へ行く。ここではお茶のセミナーを行い、予想通り販売が始まる。ここの店については賛否両論あるので他のページも見てみるとよい。いわゆるリベート狙いなのだろう。ここを出るとすぐに国内線の松山空港が見える。バスは空港に戻る。空港に着くと手続きをしてくれて、出境となる。中華航空は第一旅客ターミナルだが、出境をするとここは食べ物屋さんの数は少ない。仕方がないので口に合わないがビーフンを頼む(最近は慣れてきた)。飲み物もしっかり買い、機内へ。20:10発である。辺りは既に真っ暗になっているのである。最新鋭の航空機らしく画面も各席備わっている。席は後方右側窓側席である。離陸して飲み物が出てしばらくすると食事が出た。名古屋〜台北線と似たり寄ったりのものだ。それが終わると機内販売と続き、機内が暗くなる。窓側席だったので下を見ると海が見えたり町の明かりが見えた。アブダビ今一度食事が出され、それからそれが終わるとやがて降下する。待ちは裸電球色の街灯が綺麗に整備され、ああここは石油の国なんだとその町の綺麗さや整備に驚いた。日本人にとってアラブは未知の国であるから。
トップ




第02日目  8月27日月曜日 アブダビ〜フランクフルト〜ホテル



アラブ首長国連邦アブダビ国際空港に到着する。駐機場はターミナルに接していなくて、ターミナルまではバスで移動する。手荷物は半分置いていったが。中ではアラブ色を感じさせるものであった。某航空の客室乗務員の女性はアラブ調の制服(頭を隠している)であったし音楽もコーランがかかっていたような?感じであった(あまりいい加減なことは言えないが)。そこでちょっとした買い物をして機内に戻る。1時間10分の滞在だが実際にはその半分だったと思われる。因みに食事が合わなくてトイレに駆け込んだらなんか様式が違ってしかも綺麗ではなくて…。我慢は当分続くのである。離陸をしてすぐに食事が出される。しばらくしてカスピ海上空だったかその辺りで明るくなった。日の出を見ることができた。私はそれからしてしばらく寝ていたと思うが、気がついたのはフランクフルトに到着する2時間ほど前だったであろうか。軽食が出されそれを食べてやがて降下していく。機内の外にはドイツの欧州の建物が見えてきてやがてドイツ連邦共和国フランクフルト・アムマイン国際空港に到着した。日本から南回りの航路は何時間かかったのか?その計算はあえてしまい。明らかにシベリア上空よりも時間はかかっている。因みにエコノミー症候群にならないよう一時間に一度はトイレなどに出かかけるなどの対策を取った。2−4−2の席だったからよかったのかもしれない。これが3−4−3だとますます悪化ですな。それから経由便だったこと。これなら経由地で体を伸ばすことが出来ますしね。飲み物もペットボトル3〜4本買いましたね。トイレの回数多くなるのは当たり前ですが…。航空機から降りてすぐに入国手続きをする。入国カードは書かなかったような気がする。現地係員が着て(添乗員も同行だが)その後バス乗り場に行きそこでバックを開いて着替えを出しバスの最後部をゲッツして着替える。すっきりした!これよりバスでの移動が始まる。確か空港からアウトバーンに乗った記憶があります。アウトバーン初体験ですが、それほど猛スピードを出していた車はなかったようです。ドイツのアウトバーンEU化に伴いドイツ以外の車を見かけます。ドイツを単なる通り道にしているのだと。無制限とされるこの道路もかなり今変わりつつあるようです。我々はハイデルベルグへ。丘の上に位置するハイデルベルグ城、そこからの市街地の眺めは素晴らしいです。地下にワイン倉庫もありました。このハイデルベルグ、学生の街でもあるとのことです。哲学の道なんていうのもあるそうですが、それは時間の関係上お城だけ。ツアーの宿命です。このあと古城街道を通り、ローテンブルグへ向かう。ここで食事時となり簡単なドイツ料理をいただきます。食後は市内散策となり、我々は旧市庁舎に登りそこからの眺めを、満喫しました。このローテンブルグにロマンチック街道と書かれた看板がありました。しかも日本語で書かれている!こんなところ日本語表記しなくてもいいのに。これから先ドイツの観光地では到るところで日本語に出くわします。三国同盟から?でもドイツ人はそれほど日本人に嫌悪感を持っていることはないようです。むしろ友好的?ローテンブルグからロマンチック街道を通りノインシュヴァンシュタイン城麓のフュッセンに向かいます。ロマンチック街道これは観光用のもので、もともと別の街道をつなげ合わせたとか。因みに道路は80と表示されていました。まあどちらでの日本では80も出せませんな。この地域はバイエルン州といいドイツでは一番大きい州であり、ドイツ語も標準のものとは違うそうです。さて、ホテルに着くと我々はやっとベッドで寝られること実感します。ホテル名はヒルシュであります。部屋がなかったのか我々の部屋は他の部屋より一回り大きかったのです。但しお風呂に鍵がついてませんでしたが…。夕食は到着してすぐに出ました。なんかメイン大きなソーセージでそれにジャガイモなどが出ていました。それほど量はなかったですが、夜コンビニで何か買うにもコンビニは見当たらず、その夜はお腹がグゥ〜っとなっていました。それからシャワーをしました!夏なのになかなかこれが出来なくて。やっとさっぱりしました。航空機内での時間がなかったのがその晩はすぐに寝て他の記憶しています。
トップ




第03日目  8月28日火曜日 ノイシュヴァインシュタイン城〜グリンデルワルト



次の日はモーニングコールで起きました。朝食をとり、朝食もそれほどではなかったですが、それから出かけたのはノイシュヴァンシュタイン城所謂白鳥城であります。夏だというのに城は霧に覆われ幻想的な雰囲気を見せてくれました。午前9時ごろのことであります。城の中をよくよく見学いたしまして、城の内外ともに知ることが出来ました。売店で白鳥城の絵葉書やパンフレットを買い、Was kostet ist das?なんて使ってみたりして買い物もしました。ドイツ人では英語はほとんどの人が出来るとのことで、会話は英語で結構なのだそうです。城はだいぶ上のほうにあり、帰りは馬車に乗って下のほうまで行きました。麓で早めの食事をレストランで取り、ここれでも普通のドイツ料理でしたが、それから我々はスイスへ向かいます。スイスへ向かう途中、ボーデン湖が見えてきました。見えてくるとまもなく、オーストリ共和国へ。国境は開放され誰もいない寂れた感じでした。ボーデン湖を見ながらさらに進みやがて永世中立国スイス連邦へ。ここで我々の旅券には印を押されることはありませんでしたが、入国に関してはEU域内とは異なるようです。入国をして高速道を使いながらしばらく走ると右手側にリヒテンシュタイン公国が見えてきました。お城?らしきものが見えそこを横手に取りながらさらに進みます。チューリッヒ近郊を通ったのでしょうか。ところで途中お土産店によることになっていましたが、そろそろ食事の頃からだいぶ時間がたっています。私はここでかつてないほどつらい体験をしました。そう、バスの中でしかもお茶を飲みながら…、これではお手洗いが近くなります。既に私の場合限界を超え青ざめていたと周りのものは言っていましたが、それほど我慢をして確か2時間以上我慢していたのでしょうか?距離としてはフュッセンからインターラーケン?と言えばいいのでしょうか?お土産店ででお手洗いを借り難を逃れましたが。この後北壁で有名であるアイガーの麓の村、グリンデルワルトのホテルに到着しました。ホテル名はベルナーホフであります。部屋に入り我々はふぅ〜とため息。疲れたなと思いながら、食事はホテルですませ、ここでもおいしくいただきましたが、ボリュウムはいまいち…。ここで私はいい体験をしました。8時45分のことですがもちろん夜ですが、ちょうどこの頃の日本だと6時半ぐらいの日が沈み西の空が赤くなり東は薄暗くなる感じでした。スイスはじめこの地域でも夏時間を使っています。ここでスイス人は友達同士でビールを飲んだり楽しんでいたりと、夏時間をとてもうらやましく思いました。夏時間はある意味カルチャーショック?でした。で、買い物をしようと思いましたがあまりいいものは買いませんでした。もちろんコンビニもありませんしね。その後シャワーして寝てしまったのかと思います。
トップ




第04日目  8月29日水曜日 登山電車とTGV



この日は朝から晴れていました。グリンデルワルトに宿泊していた我々は、旅行カバンをバスに積み、手荷物だけでホテルの目の前の駅を出発し、クライネシャイデックに向かいました。ここで写真を撮り(もちろん旅行社がです)、ユングフラウヨッホ(標高3454m)に向かう電車に乗りました。日本語の説明もありましたので、この点はよかったのですが。ユウグフラウヨッホ、この駅はヨーロッパ最高所の鉄道駅であるということであります。途中の交換駅で気分悪くなりましたが、それでも平気だったので富士山は3776m、富士山登山も大丈夫かな?なんて思いながら、展望台に向かいました。因みに展望台はスフィンクス展望台であるが3571mであり、エレベーターで30秒かからないほどで昇ります。この展望台へは長いトンネルを通って行きます。その他ここには氷像がある氷の宮殿・アイスパレスや駅からすぐのプラトー展望台などがあり、それぞれ楽しめるところであります。私はスフィンクス展望台からの眺めが一番好きになりました。そこから見えるU字谷や氷河の全体像など、これは一度見てみる価値は十分にあると思います。ここでの滞在の後、我々はクライネシャイデックまで降り、そこで、昼食をとり、売店で販売されてた食べ物を口にして、お腹いっぱいになりました。食後しばらくして登山電車でラウターブルンネンという方へ降りました。ここで乗ってきたバスに乗り、ベルン近郊を通りながら、ジュネーブへ向かいます。市内の要所要所をみながら、リベートお土産店へ立ち寄り、駅に向かいます。ここでフランクフルト・アム・マインからのバスの運転手さんとはお別れした。荷物は預けますので、両替をした後、ここで我々は時間までジュネーブ地下街を買い物のため歩き回ります。下着が足りなくて買おうと思ったのですが、袋に入ってないものばかりで…。それでも東京よりは安く買えたので何枚か洋服などを買いました。但し、スイスの物価は東京に匹敵するぐらいだとは思います。それから集合時間で、我々はTGVに乗るためにホームへ。ここの駅は結構車両にホームの高さがあわせてありました。車内ではすぐに和食の弁当が出て、なんだかおいしくはなかったような気がしますが、それからTGVの車窓を満喫しました。と言いたいがあいにくの雨で雷もなる始末、しばらくうとうとして起きたら電車が止まっていたような…。到着はだいぶ遅かったのでした。フランス共和国パリ・リヨン駅に到着したのは日付が変わるちょっと前ぐらい…と言ってもオーバーではないくらいです。バスの中で両替をしてもらいながら、夜のパリを眺めて、バスはホテルに到着。ホテルはパリの近郊で地下鉄8号線終点バラール駅に近い位置にありました。ホテル名はフォレスト・ヒル・バラール隣にガソリンスタンドがあってそこで飲み物を買おうとしたら時間だと言って断られました…。今晩の水足りるかしら?と思いながら、添乗員に聞いたところフランスでは夜酒の販売はしないのだそうです。それで我々が酒を買いに来たと思ったのか、断ったのでしょう。と言うわけでこの日はシャワーして寝ました。
トップ




第05日目  8月30日 フランス〜モン・サン・ミッシェル



この日は自由行動の日になっていました。我々はオプショナルツアーを頼むことにして、マイバスによるモン・サン・ミッシェル観光をする。食事は時間上せずに、出かけました。集合場所はマイバス社前だったので地下鉄で移動しました。フランスもサマータイムですので7時ごろでもこの直の5時ぐらいな感覚です。バスは1台ではなく数台でモン・サン・ミッシェルへ向かいました。バスの中で、おにぎりが配られこれを食べました。市内を通り、セーヌ川を見ながらエッフェル塔やダイアナ妃事故現場などを通り、高速道路へ。フランスは高速道を地方路線は有料、都市部は無料であり、日本とは有料でも値段が違うのだそうです。上り車線は非常に渋滞していたのが印象的でした。しばらく走ると、高速道路のサービスエリアのようなところで休憩をして、そこでサンドウィッチを買い、それも食べました。朝食食べていませんしね。フランスは高速道を地方路線は有料、都市部は無料であり、日本とは有料でも値段が違うのだそうです。上り車線は非常に渋滞していたのが印象的でした。バスの中では添乗員がこの寺院や聖書の話をしていましたが、申し訳ないですが私はお休みしてしまいました。モン・サン・ミッシェルに到着するとまず昼食が入ります。ドイツ料理よりはボリュウムがあり、お腹いっぱいになったという感じです。シードルも飲みました。その後は観光になり寺院を到ることを見学してその周辺の孤島の様子や景色を満喫しました。そこを出たのは16時ごろでしょうか。まだ14時か15時くらいの感覚でしたが。パリに向かうにつれて渋滞もひどくなり21時くらに到着です。夕食、食べていなかったので、ホテル近くのピザ屋で買ってきて、それを部屋で食べました。その後はシャワーをして寝たのでした。後で気がついたことなのですが、モン・サン・ミッシェルは西経に位置していて、これで私も西経体験?したのであります。それから、高速道路で買ったサンドウィッチは当たってしまってあとで大変でした。一時間ぐらいトイレにお世話になったと思います。
トップ




第06日目  8月31日金曜日 ヴェルサイユ宮殿と市内散策



今日は自由行動にしました。我々4人のうち2人は市内観光を申し込みましたが、我々2人はのんびり楽しみたいことから、ツアーには参加しないことにしました。食事は普通に取ります。それで、レストランに行きましたが、、ここでトラブルが発生しました。このホテルのレストランはパンと飲み物以外別料金なのだそうです。我々はバイキングし始めると直に係りの人がやってきて、さすがに英語で話してくれましたが、It is extra charge.とか言われ、しぶしぶ払いました。同じツアーの人曰く、「あら、私たち昨日払ったの」まあ、トラブルがあった後その人たち来ましたからね、仕方ないのですが。食後は支度をしてホテルの近くバラール駅を超えて真っ直ぐ進むとヴェルサイユ方面の郊外列車RERの駅にたどり着きます。ここで2枚のチケットをもらいヴェルサイユへ。それほど時間はかかりませんが、私は電車の中で寝ていまして、同行したものは、寝ていることに対してフランス人はそろって目線を私に向けたと後で言っていました…。TGVではみられなかったのですが…。まず門に入りチケットを購入して中を見回りました。中の豪華さはここでは語りつくせませんので、他の頁を参考にされたいと思います。ただ、ベルサイユの鏡の間などを見ましたが、よい経験をしたのでした。せっかくであると言うのでトラムで中を散策しようと思った矢先、旅先での出来事が起こりました。腹痛であります。トイレは有料でして、30分ぐらいロスしたましたが…。気を取り直してトラムに乗ると広いその宮殿にただただビックリです。日本語ガイドブックも買いましたし、写真も取りましたのでそれで見学は終わりです。駅に戻ると前にマクドナルドがありましたのでそこで昼食を取ります。もちろん、照り焼きはありません。記憶ではフィレオフィッシュを頼んだと思いますが。それからRERに乗り市内へ。途中地下鉄に乗り換えて、三越や高島屋へ向かいました。ちょうど三越の前で後の二人とばったり出くわしましたので、ヴェルサイユに行くことを勧め、行きました。我々二人は別行動をとることにしましたが、もう一人が地図を持っていってしまったので、私はパリを右往左往しました。ちょうど札幌ラーメン店があったので、そこで食事をしながらどうするか考え、買い物をしながらホテルへ帰りました。5時ごろだったと思います。その後、私は近くのスーパーカルフールを訪れ、買い物をしました。見て驚いたのは缶詰、それもキロ単位の大きなものが並べられています。スーパーと言うより卸売り?に近いような印象を受けました。食べられるものや水などを買って、歩き回った私は疲れて少し横になりました。夜近くに中華料理店があると言うのでそこで食事をしました。疲れていてあまりおいしくはいただけませんでしたが…。その後はすぐにシャワーして寝てしまい、パリの最後の夜を台無しにしてしまったのです。
トップ




第07日目  9月1日土曜日 パリ〜ブリュージュ〜ブリュッセル



朝はゆっくりめの朝食です。昨日の失敗はしませんでしたが。聞いたところではフルーツもいいらしいのですが、私はパンと牛乳のみで終わり。でレストランで見かけた事のある人がいました。ジュネーブで別れた運転手です。彼はあの後、ジュネーブからドイツに戻り、昨晩遅くパリに到着したとのことなのです。すごい!その距離は我々でもダウンしそうな距離なのに…。と言うわけで同じ運転手によるバスでヴェルギーに向かいます。途中高速道路上でシャルル・ド・ゴール空港の下を通りバスの上方に大きな航空機を目にしました。やがてバスは北へ向かい、ユーロスターなども見かけながら、ベルギー王国、ヴリュージュへ到着します。北のヴェネチアとも称された運河の街綺麗な街並みは私の中にまだまだ浮かび上がってきます。まず、両替店で両替をしました。そのあと昼食時でカフェと言うのかヴィストロといのか、とにかく外にテーブルがある食事所で食事を取りました。私はムール貝のワイン蒸しを頼み、ぺろりと平らげました。因みに量はラーメンの丼より大きい入れ物でしたが。その後、洋服店や香水店それからヴリュージュの町の広場、鐘楼、愛の湖、ベギン会修道院、馬車などと見て回り、一路ヴリュッセルへ。比較的近代的なビルも立ち並ぶEU本部のあるヴェルギーの首都です。市内をバスで回りながらら、ホテルへ。ホテルはプレジデントワールドトレードセンターでここらではいいホテルだそうです。それからしばらく部屋で休んで、添乗員が食事場所を案内してくれるとのことで、グランプラスの市役所、織物店、宝石店。土産物店、小便小僧、小便少女などを見て回り、食事をすることに。我々は改選のレストランで私は生牡蠣や貝類などのセットを頼みました。感じの悪い店で食べているのに片つけようとするし、片つけた容器の食べ残しを食べているの物の中に落としたり、故意か否か判断はつきませんが、或いは差別?かはわかりませんが、東洋人は多かったですからね、チップとかやりませんでした。と言ってもクレジットカードなのでしっかりサービス料取られていますが…。この食後の後市庁舎の前広場で光のショーがあり、これを楽しみました。この後、ホテルへ戻りますが、タクシーをお願いしてホテルへ。途中120㎞/hくらい出たぐらい、神風タクシーでした。チップも取られ、350で500出したらおつりが帰ってこなかった感じでしょうか?他の参加者も同様なことを言っていました。意外と治安が悪いので、9時過ぎは電車(LRT)は使えないとのことでした。因みに運転手はアラヴ系の人で移民政策の一環として来たのだろうということであります。ドイツも同様であった思いますが。ホテル前では不思議な女性が立っていました。割りに美人な人であります。この人、添乗員曰く、国公認の売春婦であるとのこと。定かではありませんが、翌日ツアーの参加者が声をかけられたと言うことです。まあ、その人奥さんがいたので断ったと思いますが…。で、その晩は疲れてそのままバタンキューでした。シャワーをしましたが。
トップ




第08日目  9月2日日曜日 ライン川



朝から腹痛である。昨日の夕食が…。とにかく大変な状況です。それでも朝食だけはしっかり取りまして、バイキングではありませんでしたが、その後出発しました。ドイツのザンクトゴアルスハウゼンへ向かいます。途中かつての西ドイツの首都ボンなどを見ながら、ザンクトゴアルスハウゼンに到着。ここで昼食となる。ここでは量はありました。ここの女の人が片言の日本語を使ったりして、とても面白かったのが印象に残りました。ドイツ人曰く、今度はイタリア抜きにしてやろう!真意は定かでありませんが、学校でドイツ語やりましたしね、少しドイツという国が気になり始めたことは否定しない。さて、ここのレストランの前がライン川クルーズの船の乗場であります。ここから、リューデスハイムにむけて約2時間の船旅を楽しみます。船では日本語の音声も流れていましたので説明はわかりました。すぐに進行方向右手にローレライの岩が見え、それから要所要所の聞いたことがある古城も見ることが出来ました。リューデスハイム到着後売店などを見ていた。ちょうど試飲できるというのでワインを試飲。甘い!これはアイスワインであるが、その飲み口のよさに2本買いました(家に持って帰ってきて2本とも自分で飲み干しましたが)。その後バスでフランクフルトに向かう。到着したのは4時過ぎの頃でホテルは駅前のインターシティというところであった。添乗員が近くを紹介してくれるとのことであったのでLRTを乗って教会等を見て回る。その後駅に戻りキャッシュコーナーで現金を下ろし、夕食などを買う。日曜日でフランクフルト中心部も休みの店が多かった。駅でICEをバックに写真を撮って、駅でアラブ風の肉などを買って部屋で食べました。しかし、たくさん買った割りにおいしくなくて…となったはずです。後日気がつきましたが、フランクフルトにテディー・ベアーのお店があるとのこと。行き忘れました。それからフランクフルト・アム・マイン、ここは金融の中心のはず、日曜でも…と思ったのでした。最後の欧州の夜…、私は寝て過ごすことになるのでした。
トップ




第09日目  9月3日月曜日 帰国の途



ゆっくち食事とはいかない。帰国に向けた支度があるからである。今回の場合四人だから80kgが航空の預け荷物の限度である。私一人の分だと35kgかもしれないが…。12:05発であるので、我々は2時間前までには空港へ。ホテルは9時過ぎに出発である。いろんな経験をした今回のたびもこれで終わりになると、そう思いながらである。フラクフルト・アム・マイン国際空港の免税店ではいくつかの買い物をする。CDなども買いました。旅券と航空券と住所の記入を求められた。使えるお金はすべて使い切る。そして出発時刻である。経由地アブダビへ向けて出発。席は中4席で私は通路側に座った。日本人が多いのか、中華航空の客室乗務員は中国語・英語に続き日本語でもアナウンスしてくれた。中華航空の魅力は日本語雑誌などもあるが、日本線以外でのこうしたサービスは非常に好感が持てる。離陸後しばらくして食事が出され、アブダビ到着前にも再度出される。
トップ




第10日目  9月4日火曜日 台北での出来事



アブダビは行きも帰りも夜であった。アブダビでは荷物はすべて機外に持っていくとのことであった。両手に荷物を抱えて、ターミナルビルへ。そこで我々は交代で買い物をして、私はキャビアなどを買った。それからアラブの歌手の
CDも買いました。時間は来て、すぐに機内へ一時間ほどありましがろくに買い物は出来ませんでした。離陸してからは飲み物が出て、それから軽食が出されたような気がする。そして台北到着前にも食事が出るのであった。台北到着10:35であった。ここからは地獄である。出発は16:40であるから、それまでの間…。免税店、レストランあらゆるところにいっても時間は余る。入国することも出来たが、念のため別行動の念書を書くことが求められた。やむなく空港ないで待機。まあ一人だけ羽田行きにしてもらってもよかったのですが、正規航空券だとね…。最終的に名古屋に着いたのは20:25であった。機内は後方が空席だらけであった。日本アジア航空名古屋行きの便から振り替えられた人もいたとのことであるが…。行きと同様なんとなくガソリンくさい臭いは残っていた。名古屋に到着後、駅に行く。またムーンライトながら…それはもう腰が痛くてだめだということから、最終一本前ののぞみで新横浜まで帰る。これなら横浜線に間に合い!と言うことで家に帰ったのは翌日となっていました。
トップ




反省



私はこれが初めての経験であった。よくわからない中で結構精力的に行動できたと思うので自分自身に及第点をあげたい。旅行に先立ち様々な支度をしたが、現地で購入することの楽しみも知った。なるべく行きはよいよいで行くのが好ましいのだろう。通貨にも気を使った。マルク、スイスフラン、フランとドルを東京三菱銀行で両替しておいた。ベルギーフランとニュー台湾ドルは交換できなったので現地でした。しかし、この後こうした行動は不要のものとなる。ユーロの登場で。次に欧州に行くならこの経験を生かして、個人行動を主に旅行したと考えている。カルチャーショックもあったしね、様々なことを実感・体感できるこの旅行しばらくはいけないかもしれないが、いろんなところに行ってみたい気持ちは湧いてきた。しかし、この帰国からわずか一週間後のことである。合衆国で同時多発テロが起こったのは。
トップ




趣味の頁

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください