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広域合併で過疎化が加速? いわき市で中山間地の人口半減
安房11市町村の面積は576.84平方キロメートルあります。東京23区の総面積が604平方キロメートルなので、東京区部の総面積にほぼ匹敵する広さです。山あいの中山間地もあり、146,740人(平成12年度)がそのなかに住んでいます。
安房の合併の是非を考える上では、この広大な面積の問題をどう考えるのか、合併論の論争の中でも、市町村の人口規模だけでなく、面積の規模も重要な論点になっています。
実際に広域合併をした実例があります。
昭和41年(1966)10月に福島県「いわき市」が14市町村(五市四町五村)の合併で成立しました。日本一面積の広い市で、1231平方キロメートルもあります。合併で、旧市町村は地区となり、35年が経過しましたが、この間に、旧14市町村(地区)のうち、人口が増えたのが4地区、減少したのが10地区でした。
例えば平地区は、40.2パーセント増ですが、逆に田人地区は、55.0パーセント減少しています。合併当時から平成12年10月現在までの人口動態と比を一覧にした表が別表です。
広域合併は中山間地域にとっては、その地域が丸ごと「廃村」のようになることもあるのだということが、その人口動態の数字からわかります。
安房の合併では、はたしてどうなるのか、真剣な検討が必要になる重要なテーマです。
「昭和の合併」以降、人口が半減した富崎や船形
いわき市の広域合併で人口が半減した地区のあることをお知らせしましたが、館山市の「昭和の合併」ではどうだったのか?というご質問がありました。
昭和29年の合併の翌年昭和30年から、平成12年までの45年間で館山市全体の人口は、59,416人から51,408人へと14%程減少しました。なかでも富崎地区は、3,109人から1,256人へと60パーセントも減少しました。船形地区も7,299 人から3,071人へと44パーセントも減少しています。
富崎・船形とも漁業を中心とした漁村で、「海辺の街」でした。「海辺の街づくり」ということがファッションとしていわれますが、現実の「海辺の街」は、館山市内でももっとも人口の減少がはげしいところだったのです。
「昭和の合併」は、人口増減に関していえば、市内に著しい不均衡をもたらしたといえます。この実状を「館山市の統計」から、お示します。
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