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お手盛り?で、市長の「退職金」や議員への「金時計」

前号で、「町村合併の副産物 お手盛り慰労大はやり 退職金や記念品」(昭和29年5月13日付朝日新聞)の新聞記事を紹介しました。「退職金をお手盛りで」というが、現在の常識では理解できない点です。昭和29年は48年も前であり、当時は、どうなっていたのか、考えてみたいと思います。

◎ 市長や助役、収入役の退職金は、議会との協議で決めた。

この当時の館山市退職手当条例では次のように規定しています。
館山市職員退職手当支給条例(昭和24年3月10日公布)
第13条 市長、助役、収入役及びその他特別の事情がある者に対する退職手当は議会との協議により定める。

現在は、館山市は退職金事務を扱う千葉県総合事務組合に加入し、年々負担金を負担し、退職金はこの千葉県総合事務組合が支払います。市長・助役・収入役の退職金は、勤務年数と給料額で決まり市議会は関与しません。お手盛りで増やす余地は全くありません。しかし、この千葉県総合事務組合が発足するのは昭和30年で、当時はまだありませんでした。

市長・助役・収入役の退職金は、議会との協議事項であり、議会で評判が悪ければもらえないこともありえたのでした。現在の退職手当とは決定的に違う点です。
当然、当時の町村も同様であったと思います。合併すれば失職となる村長・助役・収入役の退職金をいくらにするのか、その財源はどのように調達するのかということは、合併に際してどこでも大きな問題でした。

◎町村合併でお手盛り慰労 退職金と金時計

そこで、村長は、議員に「金時計」など、当時としては破格の記念品を出し、議会は、村長に思い切った額の退職金を認めるという馴れ合いが「町村合併の副産物 お手盛り慰労」として「大はやり」したのです。そこに見られる市町村長や議員の「役得根性」の汚さを批判したのが新聞記事の意味です。ここから読み取れることは、議員への「金時計」贈呈は、高額退職金獲得のための首長の手段となっていたのではないかという点です。

館山市でも、合併の翌年の昭和30年11月に合併当時の市議会議員全員に自治功労の名で金時計(一個1万5千円、現在なら100万円の相当)の贈呈を議決します。現在なら完全な違法行為ですが、合併から1年半も後に合併当時の議員に贈呈するというのはなぜなのか、不思議です。その理由を尋ねた議員の質問の記録はありますが、市の答弁は、まともには答えず、はぐらかしたもので終わっています。「役得根性」と市民や世間から批判されるようなことがやはりあったからなのかもしれません。

◎当時の退職金、いまならいくら?

昭和29年5月3日の六村合併で、6人の村長、助役、収入役らが失職しますが、各村にとってそれらの退職金をいくらにするか、その財源調達をどうするかは、けっして小さくはない問題であったと思います。

財政問題調査特別委員会の委員長の中間報告(前号で報告。参照してください)では、館山市が引き継いだ一時借入金1100余万円を「からくり借金」として問題視していますが、その中味には「村長退職184万、助役139万、収入役80万」(合計403万円)があると指摘していました。6人の村長が同額とすれば一人30万余円の退職金、助役が23万余円、収入役が13万余円であったことになります。それらを村では一時借入れをして支払いましたが、その一時借入金を合併によって館山市が負担することになったというわけです。

この金額が現在ならどれくらいに相当するかですが、予算規模で比較すると(昭和29年度2億2千万円に対して平成14年度171億円で、約78倍)、村長の30万余円は、約2340万円、助役は1794万円、収入役は1014万円になります。三人でおよそ5000万円相当の退職金になりますが、当時としてもかなりの額であったことは間違いないと思います。

今よりもずっと規模の小さかった当時の村で、この退職金の負担は大変だったと思います。合併を期に館山市にその負担をまわしてしまったのです。
当時の館山市にとっても、合併による他の負担もあるなかで、一時に予期しないこれだけの退職金の負担をかぶることは大変なことでした。財政破綻の大きな要因の一つになったことは間違いありません。

なお、現在なら館山市長の退職金は4年間の任期でいくらになるかですが、必ずしも、比較対象にはなりませんが、参考のために示します。次の計算で算出されます。

退職した月の給料月額×在職月数×0.55(平成13年4月1日施行の退職手当条例)
具体的には、865,000円×48ヶ月×0.55=22,836,000円 となります。
館山市長の退職金は4年間で、2283万6千円です。

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