このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

写真集

2005.4.24撮影 館山城山公園(孔雀苑)
 
城山公園はつつじと桜の名所。孔雀苑にはウサギや鶏などもいて子どもたちに人気です。

♪恋の季節 

「どう、かっこいい〜。そこの娘さん、こっち向いてよ、向いてってば・・・。」

「いやよ。フン、フン、フン。私が好きなのはこの方。大好き〜〜。」


2004.9.20撮影花倶楽部 

  http://www.town.tomiura.chiba.jp/top/biwakurabu/hanac/

道の駅 おおつの里 花倶楽部 富浦町
花倶楽部は枇杷倶楽部の姉妹施設として、約 4,000坪の敷地を誇ります。施設内には菜の花をはじめ、金魚草・ポピー・ストレリチアなど、南房総ならでの草花が植えられています。各種の花狩りツアーも常時開催されており、鑑賞と花摘みを楽しむことができます。

 


2004.9.12撮影 赤山地下壕 入口近くの彼岸花

赤山地下壕の解説は以下にあります。

http://www.awa.or.jp/home/tkk/taiken50/senseki/senseki_main.html

http://furusato.awa.jp/modules/dbx/?op=story&storyid=815

 

赤山地下壕出入口

要塞地帯

明治13年(1880)から昭和7年(1932)までの長期間をかけて、首都東京を防衛するための東京湾要塞の建設が行なわれました。東京湾口に位置する鏡ヶ浦周辺では、大正時代の末から昭和初期にかけて、各種施設が建設されていきました。軍事上の最重要地帯として東京湾口の西岬地区に 洲崎第一砲台(昭和7年)・洲崎第二砲台(昭和2年) 、大房岬にも砲台(昭和7年)がおかれ、首都防衛の第一線部隊として館山海軍航空隊(昭和5年)、訓練施設としての 洲ノ埼海軍航空隊 (昭和18年)、 館山海軍砲術学校 (昭和16年)が開設されていきました。館山には軍人があふれるようになり、軍都とよばれるようにもなりました。太平洋戦争末期には本土決戦に備えて、有人特攻ロケット「桜花」・水上特攻艇「震洋」・水中特攻艇「海竜」の基地や海軍航空隊の地下要塞もつくられ、敵軍の上陸に備えて7万人の兵が安房地方に配置されました。アメリカ軍は房総半島への上陸作戦も視野に入れた本土決戦も計画していました。市内にはいまも数多くの地下要塞や関係施設が残されています。


2004.06.13撮影 日運寺(丸山町)のアジサイが見ごろです。  

ふだんは静かなお寺に観光バスが次々とやってきたのには驚きました。日蓮宗のお寺です。

http://furusato.awa.jp/modules/kanko/?op=story&storyid=403

 


2004.01.02撮影 お正月の崖の観音 (船形)

大福寺(船形)
 「船形山大福寺」という真言宗のお寺で、崖の観音の名で親しまれています。
 本尊は、堂山(船形山)中腹の観音堂内陣の自然の壁に刻まれた十一面観音立像です。
 寺伝には、養老元年(717)に僧行基が、東国巡歴の途中ここに立ち寄り、神人の霊を受け、船形山中腹に、漁民の海上安全を祈願して十一面観音像を刻んだことを開基とし、後に慈覚大師が寺門を建立したとあります。
 また、江戸時代の正徳5年(1715)旗本石川氏によりへ庇懸式の観音堂に整えられたと言われています。安房国観音巡礼札所第三番の霊場として、また、風光明媚な 館山湾(鏡ヶ浦) を一望のもとに見渡せる観音堂のあることから、多くの人々が参けいに訪れます。
 本尊の 麿崖十一面観音立像 は市の指定文化財となっています。村社諏訪神社は、向ってすぐ左隣りにあります。

南房総データベース   より

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