このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

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もう南へは行けない


足摺岬

・10月12日

神無月12日、通算19日目。
昨夜は21時に灯りを消して布団に入った。少しウツラウツラして気がつくとまだ22時。 普段と大きく違う就寝時間に体がついていっていないのか、妙に目が冴える。それでも日付が変わる頃には 寝ていたようだ。

38番札所 金剛福寺まで
で5時半。隣の部屋で早立ちの人の朝食が始まって目が覚めた。こちらも6時過ぎに朝食の膳につき、 6:45出発。 前後をゆく通し打ちの人々は、だいぶ足元に疲れがたまっているようで、中には足を引きずる ように歩く人もいる。当方、仕事の都合とはいえ1〜3日に区切って歩いていると、そこまで足に疲れが 溜まらないのは幸いなのか。ただ、自分が10日連続で歩いたらどうなるのか、少し興味が無くは無い。

♪岬めぐりの〜 バスは 走る〜
部分的に拡幅工事は進むものの、まだまだ離合不能な細い道が続く中を、適当に歌など口ずさみながら 四国最南端の足摺岬へ向かう。かつて、足を引きずるように岬にたどり着いた修行者の中には、足摺岬から (地理的に存在しない)西方浄土へ向けて船を漕ぎ出した人も居たという。 生きながらにして仏の世界へ船出をすることを、 補陀落渡海(ふだらくとかい)と呼ぶそうだ。足摺に限らず、紀伊半島(那智山)など南へ向かって突き出た岬には こういった話が多く伝わるという。足摺岬の遍路道が周回コースでなく、行き止まりからの後戻りになっている、 理由のひとつなのかもしれない。

実際、岬までずーっと2車線高規格の国道55号が続く室戸岬に比べ、次第に集落がなくなり、海岸が 険しくなっていく中で細い道をたどっていくと、いよいよ終着駅ですよ、という気分が湧いてくる。 10時半、足摺岬到着。中浜万次郎の銅像が迎えてくれた。

土佐清水まで
納経をすませ、海岸やら岬を軽く観光した後、引き続きこれまで歩いてきた県道27号を海岸伝いに 土佐清水へ向かう。
歩き遍路の多くは元来た道を引き返すし、実際、ここに来るまでにも多くの人とすれ違ってきた。 本来はそうするべきなのかもしれないが、時間と日程の都合でそうする訳にはいかない状況なのである。

今回は、当初は3日行程の予定であり、明日は下ノ加江から39番札所延光寺の方向へ向かうつもりにしては いた。 ところが、金曜日の夕方にあった電話により、明日の月曜日は午後から仕事になってしまったのだ。 だからこれから帰宅しなくてはならない。そんな中で今日、これから下ノ加江方向へ向かっても、家に帰れる時間に 全行程を歩ききれないのである。じゃぁ、今回は時間が許す限りのところまで戻って、次回はそこから再開すれば いいではないか、という問いはもっともだ。でもね、色々と差し迫っているようなので、余分な時間は極力 削りたいのである。という訳で、次回は下ノ加江から直接、延光寺へ向かうことにした。今日は中途半端に 歩き残すくらいなら、いっそのこと土佐清水から直接バスに乗って中村へ向かうのだ。どうせ、須崎の手前で巡航船に 乗っているので全行程徒歩にはなりはしない。なにより足摺岬は浄土の入口。片道切符の終点、早い話が行き止まり なのである。袋小路からはサッサと引き上げるにかぎる。

なにやら訳のわからん理由をでっちあげて西海岸を土佐清水へ向かったが、豪快な景色が楽しい道のりであった。
もちろん、土佐清水から宿毛へ向かうルートも大いにアリなのだが・・・ほら、時間が・・・。

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