このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

元旦の恒例(水木海岸の日の出、泉神社、鹿島神宮)

 おそらく20年以上前からだと思うが、元旦には、恒例の3つの行事がある。

まずは、水木海岸での初日の出。昨日は夕方、風が強く雪が舞う天気だったが、夜中から晴れてきて朝は、すっかり良い天気になった。

寒いので、今年は、次男と娘と車で海岸まで行って日の出を待つことにする。家を出ると月が西の山の端に沈む所、今日は満月である。

 今年の海は穏やかであったが、水平線には、雲がすこしかかっていて、雲からあがる初日の出だった。これが第一の行事。

  

初日の出  いささか雲がかかっている

(夕方、娘が、満月の出るところを写真に取ってきたので、載せてみたが、シャッターを十分開いてとっていないのであまり、良く写っていない)

元旦の満月 海から上がるがいささか暗い

 家に帰って、雑煮を食べ、泉神社に団地の賀詞交換に行く。泉にお参りし、神社に参拝、皆でしばしお神酒を上げて雑談し、手拍子で締める。これが第二の行事。

   

泉の弁天宮                           団地の新年挨拶

 家に帰って、女房などの準備を待って、鹿島神宮へ初詣。これが第三の行事。

鹿島神宮までは、70km近い道のりである。車を運転しない時代は、電車やバスで行ったり、タクシーを借り切って行ったりしていた。

今は、245号線も整備されてきて、昔とずいぶんと違ってきた。

鹿島神宮は、常陸国一宮で、非常に古い神社でもある。この地方に来た人たちの前線基地でもあり、蝦夷などに対する前線基地でもあった。九州の防人としても出て行っており、霞ヶ浦周辺が、大和朝廷の兵站基地でもあったのである。

 何時もは、御手洗のある坂の下から登って行くのであるが、足が弱って、鳥居近くまで車で行き、車は娘に預けてそこから歩いた。

鹿島神宮には三が日には60万の人出があるというが、今年は子供連れが多かったような気がした。

   

初詣の賑わい                            鳥居の姿

   

拝殿前の初詣客                               拝殿

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奥宮(元本殿家康建造、秀忠が本殿を新しくしてここに移設)                御手洗                       

後記) 鹿島神宮

鹿島神宮は、式内社、常陸国一宮で、旧社格は官幣大社である。日本全国に約600社ある鹿島神社の総本社で神栖市にある息栖神社、香取市にある香取神宮と合わせて東国三社と呼ばれる。

武甕槌神を祭神とし、武甕槌神が、香取神宮に祀られている経津主神とともに武芸の神とされていることから、武術の道場には「鹿島大明神」「香取大明神」と書かれた2軸の掛軸が対になって掲げられていることが多い。

鹿島神宮の祭神は、『万葉集』にも詠われる「鹿島の神」という一般名称でも知られ、かつて地震は「地中に棲む大鯰(おおなまず)が起こすものと考えられていて、その大鯰を押さえつける「要石」を、鎮護する地震の守り神として現在にも伝わっている

   

要石

創建は、本当のところはよくわかっていない。『常陸国風土記』では、神代の時代に神八井耳命の血を引く肥国造の一族だった多氏が上総国に上陸、開拓を行いながら常陸国に勢力を伸ばし、氏神として建立されたのが現在の鹿島神宮の起源[だとされている。

平安時代に、「神宮」の称号で呼ばれていたのは、延喜式神名帳によると伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮3社だけだった。

鹿島神宮・香取神宮共に蝦夷に対する大和朝廷の前線基地であった。宝物殿には悪路王(アテルイ)の首と首桶が祀られている。
鹿島神宮の大祭は12年毎御船祭りで、鹿島神宮の神が香取神宮の神と会うという神事であるが、次回は2014年です。

 

香取神宮、息栖神社については『よかっぺ!茨城:常陸の国』『水郷周辺を廻る(その2)』 をご覧下さい。

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