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海外自転車旅行(シチリアーその1)
何故シチリアを選んだのか
通常は目的地を1年ほど前に決め、事前の調査と計画を楽しむのですが今回は例外で、当初予定していたオランダサイクリングが満 席になっていたため、急遽1ヶ月前から代りの旅行先を選び始めました。
フランス・ドイツ・オーストリアにはすでに行っているので、その他の国。中でもギリシャに行きたかったのですがアップダウンが厳しく初 心者には無理だと判りました。
となると残りはイタリア、スペイン、ポルトガルになりスペイン、ポルトガルも山岳地帯が多そうなのでイタリアとなりました。
実際にはイタリアも山岳地帯が多く適切な判断とはいえないのですが時間がないので「いい加減」に決めたと言うところです。
シチリアの位置
イタリアの中のサイクリングパックを探してトスカーナとシチリアを見つけ、トスカーナ近辺には行ったことがあるのでとシチリアに決 めたのでした。
いい加減に決めたのですが、期待以上に、歴史的にも、自然的にも素晴しいとこでした。
準備・調査編
早速インターネットで検索しManndalatourのページを見つけました
http://www.mandala-tour.com/index.php
この中の「Eastern Sicily and Syracuse Biking through Eastern Sicily」を選択。
その他にシチリアにあるエトナ山麓を巡るコースもありましたが、私達夫婦はサイクリングの山登りは苦手なので、平地コースを選びま した。
また自転車で回る地域が世界遺産「ヴァル・ディ・ノート・後期バロック様式の町々」に登録されていることも魅力でした
(常陸国住人注釈)
このホームページは、イタリア語で出てきます。
IE(インターネットエクスプローラー)にGoogleのツールバーがインストールされていれば、「このページはイタリア語のページです。
Googleのツールバーを使用して翻訳しますか?」と出て、「翻訳」をクリックすると日本語に翻訳してくれます。
グーグルは、非常に便利なので、ツールバーを入れておきましょう。
インターネットならではの出会い
このツアー会社はアウトドアスポーツ好きな大学生を中心とした小さな会社でした。
事務所に机だけその他に必要なのはは携帯電話。小さな会社なのでクレジットカードが使えなかったのですが、考えてみればそれで十分 なのです。
今回のサイクリングツアーにしても彼らがすることは
1,民宿の手配
2,レンタル自転車の準備
3,空港への出迎え
4,電話連絡先の設定(机一つの事務所で十分)
だけです。
民宿はまさにB&B(Bed and Breakfast )でしたた。そのうちの一つ、老夫婦が運営する民宿では英語が全く通じませんでした。
この民宿のドアには「呼び鈴を押して10分待って下さい」との張り紙がしてありました。
呼び鈴を押して待っていると夫婦二人で駆けつけてくれた。自分たちの住まいが近くにあるのでしょう。
そして、夕方突然ノックがして「Emergency!! Emergency!」と娘さんを連れてきての通訳で「明日行く予定の民宿は11:00まで誰もい ない」とのこと。
ツアー会社からの伝言があったのでしょうが、老夫婦にとっては大変なことだったのでしょう。
また今までのツアー会社の場合、契約書とか必要な書類は郵送で前もって送ってくれていたのだが今回は、各民宿のクーポン券、地図 などすべてメールに添付でした。
印刷物だけは、空港に出迎えた時に手渡されました。今回空港に出迎えてくれたのは、サイクリングツアの最初の出発地点と空港が車 で2時間強かかるためでした。
多くの場合は最初のホテルが待ち合わせ場所です。と言ってもツアーの人が現れるのではなく、ホテルフロントが代理を勤めています 。今回の場合、ツアー会社との接点は、空港での待合せだけでした。
インターネットに不慣れな人にとっては信じられない話でしょう。
もし空港に相手が来なかったら、飛行機が遅れたら・・・多くのリスクがあります。
先に述べたように個人旅行にトラブルはつきものですから。但し、今までの私の経験からは、欺されたということは一度もありません。
もしトラブルが発生したら、その時はその時と楽天的に考えることにしていますが失敗したら何と言われても弁解しょうがない所ではありま す。
トラブル(これは日本でのこと)
自分で計画する個人旅行にトラブルはつきものです。今回もありました。
旅行会社が金を指定銀行に振り込めとのことで、カードではダメかと聞くとNGだという。 国内ではいとも簡単に振り込めるが、これが外 国となると! しかたなく銀行に行く。
女子行員が、送金に必要な書類ということで、コピーした用紙に記入しろという、記入欄が小さすぎて、代わりに記入してくれというとNG だという。
銀行支店名、振込人先の住所の記入が必要とのことなので、やむを得ず帰宅してメールでやりとり。
ツアー会社の言い分は「銀行支店名は判らない、必要な情報はすべて連絡してあり今までなんのトラブルもないとのこと」でらちがあかな い。
以前米国に送金する際も、銀行支店名で苦労したことがあるので、念のためとネットで調べるとSWIFTコードなるものがあり、銀行支店 名、振込人先の住所など不要なことが判った。 尚米国でもイタリアでも支店名という感覚はないようだ。あるのは銀行名と住所だけ。
翌日再度銀行に行くと、なんのことはない! SWIFTコードの一覧表があるではないか。
知らないのは昨日対応した女子行員だけ!あいにく当人が休みだと言うことなので真相は分らずじまい。
次の問題は、送金の場合送金側の手数料と、受金側の手数料が必要なのだが、受金側の手数料は不明だという。一回の手数料が4千 円、不足があるといけないので余裕を持って受金側の手数料。6千円として、送金する。
個人旅行の場合、このようなことが多いのです。そんな場合効率と経済性・損得は考えないことにしています。考えていたら進まないと思 うので個人旅行をする時の必要経費だと割りきっています
これで準備が整いました。現地の空港(カターニア)で印刷物などの資料をもらい、出発です。
順路 カターニア空港出迎え →パラッツォーロ・アクレイデ(2泊)(1日は、近郊をサイクリング) →モディカ(2泊)(1日は、ラグーサへ往復) →ノート(1日は、近郊をサイクリングの所、ノート市内見学) →シラクーサ(サイクリングで行く予定を汽車に変更) |
世界遺産:ヴァル・ディ・ノート・後期バロック様式の町々
「世界遺産に指定された8つの町。赤印:その中で今回訪れた町」
サイクリングで回ったこの地域「ヴァル・ディ・ノート・後期バロック様式の町々」について少し説明をしておきます。
1693年シチリア東部に大地震が発生し多くの都市が壊滅した。都市復興の方向が三つに分かれた。
□古い街の上に新しい街を作る
□古い街に隣接する地域に新しい街を作る
□古い街を捨てて、全く新しい土地に新しい街を作る
復興した後の各都市にその特徴が見受けられます。
時期的にもイタリア後期バロック時代に重なり、バロック建築の華が開いたのです。
この地域が世に知られるようになったのは、比較的新しく、この地域に住む写真家が一連の写真で紹介したのがきっかけになりました。
ギリシャ・ローマ時代の大きな遺跡が残っているシチリアでは、この遺産はその陰に隠れてしまうようです。観光客も少なく今回たまたま サイクリングで回ることが出来たのは貴重な経験でした。
サイクリングでの苦労 暑かった!!
暑いのには弱りました。当初の予定オランダを諦めてから日数がなかったので、結局6月下旬に行くことになったのですが、シチリアは まさに真夏でした。
しかも朝食が8時から、昼はシャスタで2時から4時半くらいまで昼寝の時間、夕食は9時からと私達のペースとは全くずれていまし た。
朝食を済ませて出かける時間には、太陽は真上という感じで日に焼けた皮膚に突き刺さるようでした。
おまけに宿泊したところが石の家で朝晩は涼しいので日焼け対策を日焼け止めクリームだけで大丈夫と軽く考えたのがたたって飛んでも ない結果になりました。
最後は朝食抜きで朝の涼しいうちに出発しました。走行距離は1日4ー50kmでたいしたことはないのですが暑さには堪えました。
また目的地に到着してからの民宿探しが大変でした。情報は番地だけです。
それまでのドイツ・フランス・オーストリアの場合GPSが機能してくれて余り苦労した記憶はないのですが、シチリアは大変でした。
1,詳細な市内地図を持っていなかったこと
2,道が曲がりくねっていること(外敵からの侵入対策)
3,入口が階段という道もありました(遠回りをすれば普通の道があるのですがその入口を捜すのが一苦労)、GPSで方向はわかるので すがそこに行く道が見つけられないないという状況になりました。
多分シチリア特有の問題なのでしょう。
サイクリングで立ち寄った街
パラッツォーロ・アクレイデ
最初の街、パラッツォーロ・アクレイデの民宿。左の壁にB&Bの看板が見える。
古びた玄関だが当時は貴族の建家だったのでしょうか。古びた門を開けると中にはマリア像がありました。
古びた玄関 中のマリア像
部屋の中はこんな具合
石造りの家です。家の構えと安っぽい家具のアンバランスがなんともいえません。この石造りには、欺されました。朝晩が寒いくらいなの です。
それが日中になると様変わり。湿気がないので日陰に入ればしのぎやすいのですが直射日光のすごさは、日焼け止めでは到底かなわず 長袖が必要だったのでした。
パラッツォーロ・アクレイデは後期バロック様式の町々の一つとして世界遺産に登録されているのですが、もう一つ顔がありました。
ギリシャ時代、アテネより繁栄したというシラクーサの副都心として栄えた街なのです。
シラクーサから内陸に約30km、当時は交通の要衝だったのでしょう。今は、ごく普通の田舎町でした。
ギリシャの野外劇場跡が残っています。
野外劇場の跡
シラクース、タオルミーナのそれと比較するとあまりにも小さすぎるのですがそれにしても見学者は私たち夫婦二人だけという私たちに とってはこの上ない記念の場所でした。
モディカ
三つのパターンの中では、古い街の上に新しい街を建設した街です。
それだけスペースは狭隘です。イタリアの街ではしばしば見受けられる狭い路地が入り組んだ街です。
モディカの街路:この狭い所に自動車が
こんな狭い路地にも自動車が走るのですから驚きです。民宿がこの路地の通りにあったのですが、路地の入口を捜すのに苦労しました。
とんでもないところにありました。敵が侵入してきた時、迷路にしようとして作られた路地ですから当然と言えば当然のことでしょう。
この町で地図を頼りにレストランを探したのですが結局判りませんでした。
モディカにあるサンジョルジョ聖堂(ドゥモ) モディカの町
モディカは古い街の上に新しい街を建てたところ。中央通りは大きな立派な道路ですが一つ中に入ると細い道が迷路のように入り組んで います。
ラグーサ
ラグーサは古い街に隣接した場所に新しい街を建設した街です。
新しい街から古い街を見下ろす。遠くに高原がいくらでもあるのにわざわざ山の頂上に街を作っています。異民族からの襲撃に備えてで す。日本では考えられないことです。
ラグーサの市街(新しい街から古い街を見下ろす)
古い街にあるサン・ジョロルジョ聖堂 新市街にあるサン・ジョバニ聖堂
古い街にあるサン・ジョロルジョ聖堂は迷路のように入り組んだ路地に囲まれた一角にありました。
対照的に新市街にあるサン・ジョバニ聖堂、碁盤の目のような道路の一角に大きなテラスと広場がありました。」
ラグーサの貴族の館の持ち送り
バルコニーの支持部を持ち送りというそうです。これはラグーサの貴族の館のコセンティーニー館です。
ボランテイアのシニアのガイドに訪ねてみたのですがしばらく、判りませんでした。
持ち送り自体、シチリアでは至る所に見受けられ特に珍しいものではないのかもしれません。」
ノート
サン・ニコロ教会(ドゥモとも呼ばれる)は新しい土地に作られただけあって、広々とした階段が、正面に位置する昔の王宮、(今市庁舎)とエマヌエル通りを挟んで、広場の役割を果たしています。」
サン・ニコロ教会
ノートの王宮 貴賓室
王宮の中の貴賓室の見学に当たっては支庁舎として使われている事務員が執務している室を通過して中に入りました。
普通の小路のようなのだがシチリアでこれだけまっすぐな通りは珍しい。新しい土地の上に計画された都市だから出来ること。春になると、右図のように花のカーペット が敷かれる。
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