このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

海外自転車旅行 フランス編3

○自転車を列車に乗せる

ロワール川古城巡りを終え、ボルドーまで内陸をサイクリングする計画を変更、アンジューナント、ナントで乗継いで
ボルドーまで列車で行くことにしました。

ヨーロッパでは自転車を列車に乗せられるとは聞いていたのですが、ではどうやって?となると分らないことばかり、
しかも日本では調べようがないので、現地に行ったら、人に聞いてみようと腹を決めていました。

フランスでは数回、その後ドイツ、オーストリア、シチリアと多くの国で実際に自転車と一緒に列車に乗ったのですが、
そのシステムは実に様々、一口で説明出来るものではありません。しかしともかく乗せられるのです。


 ホームまで階段でなくてスロープでした。さすが自転車天国フランス

 感激したのですが、甘かったです。スロープはあったり、なかったり、


 おまけにスロープのないホームから乗車するケースが多かったり。














  写真右:ヨーロッパというより日本以外の国のホームは低い。

  .従って自転車を持ち上げるのに一苦労します。多くの場合、

  車掌がいて手伝ってくれるのですが、いない場合もあります。



自転車専用スペースのある車両

フランスでは一画に自転車置き場専用のスペースがある車両があります。アンジュでは最初、間違って、普通の車両に乗せてしまい
乗客から別の車両に乗せるよう注意されました。
ナント行きのローカル線の始発駅だったので、時間にゆとりがあって助かりましたが、中間駅の場合は大変です。

問題は、その自転車を乗せられる車両が前にあるのか後ろにあるのかです。
ナント
からボルドーに行く列車ではこれが前の方にありました。
途中の駅で若いカップルが、後方からホームの上を自転車に乗って走ってきます。

途中で女性は車両に飛び乗り男性は女性が残していった自転車を脇に走らせながら駆けつけてきました。

自転車を乗せるのを手伝ったので仲良くなり、ボルドーまで同席しました。スイスから夜行列車で来たそうです。
駅員から、自転車用車両は後ろだと聞いていたとのことです。
若くて体力があり、フランス語が話せてこれだけの苦労ですから、我々にはとてもとてもです

サイクリストには親近感が湧きます。サイクリングをしていなければ見逃してしまうところです

  

様々なタイプの自転車置き場がありました。最も多かったのが車両の一部が専用置き場になっているタイプ。

写真右:吊り下げるタイプもありました。合理的だと思いました。

 

○農家の民宿(シャンブル・ドット)に泊る

フランスの農家の民宿に一度は泊ってみたいとの夢がかないしました。
それも難行苦行の末実現したのですから、今回のフランス旅行の中でも、良い思い出として残っています。

見つける手段は勿論インターネットから。シャンブル・ドット関係のHPがありその中で「English Spoken
と明記されているところと交渉しましたが、「English Spoken」なるものがきわめて微妙で、
家族の中の一人でも英語が話せれば「English Spoken」になるわけです。

今回のシャンブル・ドットでは息子の高校生がその役割を勤めていました。

おぼつかない英語同士の会話ですから大変なものでした。
地名のスペルをアルファベットで言ってもらって、それを書き留めたのですが、3割方間違っていました。
何しろフランス語では「H」は無声音なのですから。

「フランス人の英語は分りにくい」とぼやくと、すかさず家内から先方では「日本人の英語は分りにくい」
と言っているわよとちゃちゃを入れられました。

何回も道に迷い、その都度携帯電話で確認「Go Back(これはよく分りました)を繰り返してようやく農家にたどり着いたのでした。



  村の教会の前でいったん待ち合わせました。

  ここまで車で来て来てくれて家までの地図を画いてくれたのですが、

  それでも、また道に迷いました。

  通い慣れた道の地図を書くのは難しいのですが、それにしても!












   泊るのは別棟でしした。

隣に泊ったのはドイツからオートバイクで来たカップルでした。






  

にんにくスープ                         自家製パテ

ここでも宿泊者全員でテーブルを囲みました。料理は大きな皿から各自が自分の小皿に取り分ける方法です。ニンニクスープ

このあたりはフォアグラの名産地である、ペリゴールに近く、ガチョウの置物がありました。料理は自家製パテ。美味しかった!!

自家製アップルパイです。レストランでは味わえない家庭料理の素朴な美味しさを味わいました

泊った農家の全景。畑の中の一軒家です。よくたどり着けたものだと思いました。

   

       隣に泊ったドイツ人のカップル。          轟音を響かせて走っていきました。様々な楽しみ方があるものですね

 

○携帯電話のこと

いざというときのためにプリペイド式の携帯電話を出発地点パリで購入しておいたのが、役立ちました。
農家にたどり着くまで何度も携帯電話で連絡を取り合いました。

この当時日本から海外旅行向けの短期間レンタル携帯電話はなかったように思います。
電話機本体も購入しなければならず、高価だったのですが、結果としては、大成功でした。
何しろ英語も伝わりにくいとはいえ、これしか方法はないのですから。

ただ、フランス製なので、購入してしばらく、フランス語によるダイレクトコールには参りました。
そのようなこともあって、その後の海外旅行では、日本の携帯電話で海外でも使える機種、当時は一種類だけだったのですが、
それを購入して使っています。
使用するケースは、一回の旅行で1−2回と非常に少ないのですが、切羽詰まった時に役立っているので、手放せないところです。
それと携帯電話を使い慣れていないと、いざというときに使えないという苦い経験をしたことがあったのです。
ボタンの長押しが判らず、電池切れかと途方にくれたことがありました。
若い人から見れば、何でそんな初歩的なことが判らないの?と思われるのでしょうが。

 

○フランスの最も美しい村に泊る

ガイドブックに「美しい村を巡る旅」というページがありました。
余り関心がなかったのですが、たまたま途中で見つけて、 最も美しい村の一つ に泊りました。

「小さいが歴史的価値を持った村の景観を保存するため1982年に始まった登録制度で、現在フランス全土で
193の村が"ボー・ヴィラージュ(美しい村)"の認定を受けている。
住民が2000人を越えない村であることが条件で、全体の景観や建物の保存状態が審査される。
観光地として有名なところはあまりなく、中世の頃から時間が止まったようなひなびた村がほとんどだ。」

その村の名前はLa Roque-Gageac。昼前に着いたのですが、「最も美しい村!! 今日はここに泊ろう」と決めました。
個人旅行の最大の特権でしょう。それにしても素晴しい村でした。


"ボー・ヴィラージュ(美しい村)”の道路標識がありました。
一目で気に入りました。

今日はここに泊る。














崖にへばりついているい家々。
ヨーロッパではよく見かける風景です。
日本とは地層の性質が違うのでしょうか。
それとも外敵に対する防衛の意味からでしょうか。
日本では余り見かけない光景です。

 

ドルドーニュー川がゆっくりとながれていました。住民が2000人を越えない村、観光地とはほど遠い小さな村でした。
ヨーロッパに来るたびに感じることが一つあります。時間が止まっているのではないかと思うのです。ここもそうでした。

泊ったホテルです。居心地の良い小さいホテルでした。

ホテルの裏側が急な傾斜の細い山道になっています。屋根くらいまでの高さを登って裏の家になります。
シチリアにもありました。
よくこんな狭い空間で長い歴史を過ごしてきたのだろうと思わずにはいられません。そして至る所花が咲いていました。

裏庭の道から眺めたドルドーニュー川。真下の家との関係で高低差がおわかりいただけると思います。

 

○田舎の村にあるべきホテルがない

美しい村から、ドルドーニュー川に沿ってサイクリング。
このあたりの風景は地平線まで菜種畑だったイルドフランスの趣とは違っていましたが、印象に強く残っています。
イルドフランス
と違って、丘と農家が見えるところが気持ちを落ち着かせてくれるのでしょう。

 

途中の村にあるはずのホテルがありません。村にある小さな「お食事処」で聞いてみると、あることはあるけど、山の上だから、
自転車では無理だろう。次の町に行って探した方がとのこと。

やむを得ない、あと20㎞ 何とか頑張ろうかと覚悟を決めようとした時、中で集っていた若者のグループの一人が、
「俺が連れて行ってあげる」と声をかけてくれたのです。

なんと、車で先導、坂道に来た時には、自転車と家内を車に乗せ、私には片手で車をつかんで片手運転で走ってこいとのこと。
ゆっくり運転するからと言われたのですが、私にはとてもとてもそれだけの運転技術はなく、断念。
そうとわかると、家内を連れて行って、直ぐにUターン私を迎えに来てくれました。大感激でした。


連れて行ってくれたホテルの正面。

ホテルとはイメージが全く違います。

といっても、民宿にしては大き過ぎるし、何なんでしょうか?。















写真右:昔のサイロ?、泊った部屋?それとも建物。

全くわけが判らなかったのですが、またとない経験をしました。


○フランス人はお高い?

サイクリング旅行中、このような親切を何度か受けました。
よくフランス人はお高くとまっていて英語が話せても話せないふりをするなどと言われていますが、
フランスの田舎
ではそんな感じを受けたことは一度も有りませんでした。むしろ日本人と同じく、シャイなのではと感じたのです。

話たくても、遠慮がちに離れてみていると言うところなのではないかと思います。

このようなことは、田舎に来て初めて判ったことです。

フランスでもパリと田舎ではいろいろな点で違いがあるようです。今回特に気付いたのは「ゴミ」です。

パリの道路
の汚さは定評のあるところです。犬の糞が何日もそのままで、折角買った超高級のハイヒールで踏んづけてしまったとの笑い話が実際に起こるのですから。吸い殻一つ落ちていない銀座の街と比べるとよくここまで違うものと驚かされます。

一方フランスの田舎の美しさは見事なものでした。細かく見ればゴミはいくらでもあるのですが、全体が実に美しいと感じたのです。
四国のお遍路さんをした時に、「ゴミを捨てないで」という看板の下に、腐れかかったミカンが山になっていたことと思わず比較をしていました。

日本人とフランス人の公徳心の違いではなさそうです。東京とパリ日本の田舎とフランスの田舎が何故これだけ違うのか?

多くのフランス人がパリはフランスではないと言うそうです。日本ではどうでしょうか。東京が日本だというところではないでしょうか。
そのくらいフランスを回って地方がそれぞれ特色を出しているのに気付きました。

 

○図らずもオーベルージュに泊る

若者が連れて行ってくれたところ。ホテルではなさそうだし、といって民宿にしてはレストランが大きすぎる。おまけに小さいながらプールまである。一体何なんだろう?この辺がフランス語が出来ない弱みでした。ヒントは建家の前にあった看板にありました。

  

民宿にしては大きなレストランでした。                         大きな看板がありました

"Auberge"早速これで検索してみると、日本オーベルジュ協会のHPが見付かりました。

オーベルジュの発祥はフランスであり、“郊外や地方にある宿泊設備を備えたレストラン”のことを指します。

フランスにおけるオーベルジュの歴史は中世まで遡るとも言われますが、1900年に創刊されたミシュラン・ガイドが星によるレストランの格付けを1926年から始め、自動車が普及するようになると地方にあるオーベルジュも注目されるようになりました。


「その土地でその土地の食材を使った料理を楽しむために、お目当てのレストランへわざわざ出かける。
食べた後はレストランに併設している客室に泊まる」という美食大国フランスらしい、グルメ旅行を代表する施設がオーベルジュといえるでしょう。



泊った部屋です。



       小さいながらもプールもありました

オーベルジュからみた朝焼け

オーベルジュの全景です。看板がなければ普通の農家です

 食事は鴨のコンフィ(鴨のコンフィは鴨の肉を鴨の油の中につけてゆっくりとオーブンで火入れをし、そのまま油の中に漬け込んだフランスの保存食)何しろここはフォアグラの名産ペリゴールの近く。最高の地方の名産を味わいました。

オーベルジュの隣は普通の農家で、おやじがトラクターで畑を耕す傍らで、おかみさんがデッキチェアーに寝転んで、雑誌を読んでいました。翌朝の朝焼けは素晴しいものでした。

ここに住んでいれば、何も海外に旅行したいとも思わないだろうし、英語も必要とは感じないでしょう。
調査不足のところは恥ずかしいですが、実に良い経験をさせてもらったと感謝。

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