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海外旅行記(中米その1)

 

はじめに

2003年にメキシコに旅行し、初めてマヤ民族の遺跡に接した。そこではアステカ帝国の惨状、ティオティワカン遺跡、ユカタン半島のチチェンイツァー遺跡などを見ることが出来、マヤ民族の優秀な文化遺産に驚き、感心した。神殿と称する大きなピラミッド、これはエジプトで見たピラミッドとは一風変わっていた。変わったピラミッドもあるもだと感心していた。

そしたら、ツアーのメンバーの一人から「マヤ文化に接するならグアテマラのティカル遺跡、ホンジュラスのコパン遺跡が素晴らしいですよ」と話してくれた。この当時、そんな所に行く考えもなかったが、海外旅行も回数が重なるにつれて行き先が限られてきたので、それならベリーズからパナマまでの中米7カ国に行って見ようかと思うようになって、それが実現したのは2008年の11月になってしまった。

加えて、16世紀からこの地に侵入してきたスペイン人の植民地跡がどうなっているかを見ることにも興味が湧いた。

中米と云っても、北部のベリーズから南西のパナマまで弧を描いて線で結ぶと約2500kmになろうか。東京—福岡(約1180㎞)の往復距離よりも長い。それを19日間のバス旅行で見学しながら行こうと云うのだから、先ず、バス旅行に自信のある人でないと無理である。

「私はバスに弱いので前の席に座らしてくれ」と云う人に時々出っくわすが、こう云う人は長距離バス旅行を遠慮すべきだと思う。

それに、日本からアメリカ・ヒューストン経由ベリーズ行きの飛行機旅である。

アメリカの出入国は、トランジットでも時間がかかり待たされる。こうした条件の中では身体の健康に自信のある人でないと無理であろう。

幸い足と体に自信のある当時76歳の小生は中米に行くことになった。

ところで、中米(ベリーズ、グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル、ニカラグア、コスタリカ、パナマ)の7カ国で、一番大きい国がニカラグア日本の1/3程度の面積、最も小さい国がエルサルバドルで九州の1/2程度の面積である。

7カ国の旅行中、国境通過が何度もあって不便だが、通貨はアメリカドルがこれら7カ国全てでそのまま使用できる。この点は便利である。

但し、国境越えは中米と云えどもチェックが厳しい。初めは型通りのことをするのだろうと思っていたが、結構真面目にやっている。勿論付近の写真撮影は禁止である。

こうした国々の中でマヤ遺跡がある国はベリーズ、グアテマラ、ホンジュラスおよびエルサルバドルの中米北部4カ国に集中している。

7カ国19日間の限られた期間で凡そ30箇所の多くの見学地を見聞したので、書き留めたいことは沢山あり、その上多くの写真もある。しかし紙面をあまり多くしたくないので、私の関心を引いた主だった所を写真中心に話を進めた。それでも可なりの頁になった。

各国の特徴については本文中の写真で折に触れて述べることにした。

(常陸国住人注記

中米7カ国といっても我々にはなかなかぴんと来ません。

ここは、地図に示すように、メキシココロンビアの間の北米と南米の間の回廊の国々です。

中米7カ国の位置関係

1.ベリーズ

ベリーズは中米で唯一のイギリス植民地になった国で、イギリス植民地時代の面影を残している。中米で2番目に小さい国である。

ここでは中西部のグアテマラ国境近くにあるシュナントゥニッチ遺跡とカル・ペチ遺跡を見学した。
先ず、その遺跡近くの人口8000人程のサンイグナシオの町に宿をとり、遺跡は翌朝から見学することになった。宿は町外れの高台にあったので、この町の全景を見ることが出来た。朝晩の景色の素晴らしかった。

1.1 サンイグナシオの町






















これは夕焼けの景色と霧の中に沈んでいたサンイグナシオの町が次第に姿を現してくる朝の景色である。

何れもホテルのベランダから撮ったもので、このような景色には空気が澄んでいないとお目にかかれない。特に高台からの展望は見応えがあり、あまりの素晴らしさに暫し見惚れてからシャッターのボタンを何回も押した。早朝の高台から町の景色を見ていると、町を覆っていた霧が刻々ととれていく様子が手に取るように見られた。初め、町はミルクスープ状の霧の中に漬かっていたが、その霧は次第に取れて町の全容が視野の中に入ってくる。緑の樹木の中の町並みはまた素晴らしい景色であった。

1.2 シュナントゥニッチ遺跡

シュナントゥニッチ遺跡にあるエル・カスティージョ(神殿)と呼ばれるピラミッドである。

この周囲には住居が造られている。神殿の高さは40m、頂上部のちょっとしたテラス状の所までピラミッドの右側面にある石段から登った。石段は狭く、急勾配でおっかない。
片側には直接ピラミッドの下方が見え、手すりがないので躓きでもしたらピラミッドの下に落ちてしまう。頂上部からは樹海の中に浮かぶもう一つの神殿が見えた。恰も樹海の一部から筍が生えているようであった。素晴らしい景色である。
下りは登り以上に危険でおっかなかった。自分の歳を考えて、十分に注意して降りた。

頂上部の側面に彫られているマヤ文字である。

マヤ文字の大きさは高さ4〜5m位だろうか。ガイドに文字の意味を聞いたら知らないとのこと。しかし、マヤ文字は全て解明されている筈である。ガイドの勉強不足か。

この遺跡は古いものでBC3〜2世紀、新しいものでもAD7ー9世紀に造られている。シュナントゥニッチとは「石の女」と云う意味である。この国は9世紀頃最も繁栄し、850年頃になって住民は忽然と姿を消している。ここから直線距離で約40km離れている同じマヤ民族のティカルとの抗争に負けたためとも云われている。

1.3 カル・ペチ遺跡

ここのマヤ文明の歴史はBC10〜AD9世紀と云われている。現在残っている遺跡はBC3〜AD3世紀とAD6〜8世紀のものが混在したものである。構造物はマヤ系のモパン族とユカタン半島から来た先住民が共同して築いたという。

遺跡はまだ完全に発掘が進んでいないものが多く、樹木に覆われているものが多い。

これはそうした樹木に覆われてしまったピラミッドの例である。

ピラミッドを覆っている樹木の根っこが見える。一般に、マヤ遺跡はこうした樹木、ないし密林に覆われたものが多く、これからの遺跡の発掘は大変なようだ。

 

2.グアテマラ

グアテマラは中米で最もマヤ系民族の多い国で全国民の52%になる。首都はグアテマラ・シティで人口が1260万人もあり、東京と同じくらいの大都会である。
 1775年迄、この国の首都はグアテマラ・シテイから西に約30km離れたアンティグアにあった。しかし、他の中米諸国と同様に地震が多いので、なるべく地震が少ないとされる標高1500mのグアテマラ・シティに遷都した。以後大きな地震に見舞われることなく、現在にいたっている。

グアテマラは見る所が多い。この国の最大の見所はグアテマラの北部に位置し、メキシコとベリーズの国境に近いティカル遺跡である。

2.1 ティカル遺跡

ここはマヤ最大の神殿都市遺跡として知られている。ここにはマヤ民族がBC9世紀頃から住み始め、AD4〜9世紀が最盛期で10世紀になると急激に衰退し、住民はこの地を放棄して何処かに行ってしまったらしい。原因は明らかになっていない。ここの遺跡は1696年にスペイン人宣教師によって発見された。ティカル遺跡の広さは全体で凡そ16kmあるという。

 

ティカル遺跡の主要部を示した模型で、凡そ2×3kmの広さである。

神殿とされるピラミッドは6つある。こうした遺跡はジャングルの中にあり、我々はその中を歩き廻って見学することになる。

これは4号神殿の頂上部石段から見た景色である。

ジャングルの樹海で覆われた壮大な景右が「失われた世界」と呼ばれている神殿である。4号神殿が70mの高さで最も高いが、神殿そのものの全容は周りがジャングルに覆われていて残念ながら見ることが出来ず、見られたのは我々が登った上部だけである。

完全な神殿全体の例を示す。これは高さ57mの5号神殿である。

上部の狭いテラス状の所までは写真の左に見られる急勾配の階段を上って行くことができる。それは階段と云うよりは梯子に近かった。相当おっかない。しかし、そこからの景色は素晴らしく、樹海の中から頭を出している遺跡群を見ることが見える。神殿の周りは綺麗に整備されている。

樹海から頭を出す遺跡群

写真は高さ51mの1号神殿で修理復元されたものなので、この遺跡の中で最も綺麗である。この神殿の内部は1958年に調査されており、中には更に古いピラミッドがあってそこに大墳室が発見されている。王のものと思われる遺骨の周りには数多くの翡翠の装飾品、生活必需品などが発見されている。ティカル遺跡には、まだ未発掘のものが少なからずあるという。

ティカル遺跡見学の翌日は宿のあるフローレスの町に面したペテンイツァ湖のクルージングと近くの島巡りである。

  

      ペテンニイツア湖の夕暮れ                    なにやら覗く鳥

写真はクルージングの帰りに遭遇したペテンニイツァ湖の夕暮れを写したもので、空気が澄んでいるのでその景色は素晴らしかった。
翌朝、宿の窓から何気なく外を眺めていたらこの写真に示した風景に出合った。何の鳥か知らないが自分の顔を水に映して何やらしている。綺麗な相棒がいるとでも思っているのだろうか。或いは、下に魚がいるのであろうか。

2.2 キリグア遺跡

今日は朝からキリグア遺跡へバスでの移動である。フローレスからは南南西の方向に直線距離で260km位あろうか。休憩を挿んで凡そ4時間半要した。途中休憩の時、取り立ての熟れたパイナップルを御馳走になった。写真のように彼女が豪快にブロック状に切ってくれたものを鱈腹食べた。傍で女の子が「この人達はパイナップルが珍しいのかしら」と言いたげに、物珍しく見ていたのが印象に残った。

キリグアのマヤ人はAD3世紀頃からここに住み着き近くのコパン文化の影響を受けながら独自の文化を築いた。737年にコパンのマヤ人と戦って勝利するが、何故かこの後1世紀足らずでキリグアの歴史は閉じられた。因みに、コパンはキリグアから南に約50kmの所にあり、現在はホンジュラス領である。

キリグア遺跡には沢山のステラと呼ばれる石碑と祭壇が見ものである。

   

ステラ(石碑と祭壇)

ステラの表は王様の像が刻まれており、横や裏にはその王の業績を称えた神聖文字(紋章文字)と称するマヤ文字が刻まれている。こうした遺跡は風雨による劣化を避けるために藁屋根で覆われている。

ステラは殆ど8世紀のもので、この時代にキリグアのマヤ人が如何に繁栄したかが解る。



写真は遺跡広場の奥にあるアクロポリスからこうした沢山のステラが散在している広場を写したものである。
広場の奥には住民が住んでいた遺跡が見られた。住んでいたと云うだけで何も無いのだが。ここは遺跡を発掘した所を公園風にしている。

キリグア遺跡見学の次はホンジュラス領のコパン遺跡への移動である。距離は近いがグアテマラからホンジュラスへの国境越えである。
 コパン遺跡への移動の途中で面白いものに出会った。これは何だと思いますか。果物とお思いですか。


私はガイドに説明されるまで解りませんでした。マラカスの木と実です。この実がマラカスと云う楽器になるのです。一寸気が付かないでしょう。 

コパン遺跡についてはホンジュラスの項、3.1で述べる。

2.3 パナハッチェル、チチカスティナンゴおよびアンティグア

コパン遺跡を見学した後再びグアテマラに戻り、南西部の風光明美なパナハッチェルと、標高2030mのチチカスティナンゴの町およびスペイン植民地政策の3番目の拠点として1543年に建設された古都アンティグアを見学した。

パナハッチェル

パナハッチェルには世界で最も美しいと云われるアティトラン湖が標高1560の所にある。周りには綺麗な裾野をひく円錐状の三つの火山がある。

アティトラン湖

3つの富士山が湖畔に聳えているようである。この山が湖面に映す姿がまた素晴らしい。まるで箱庭に中にいるようであった。
 我々はこの綺麗な湖面を汚すかのようにクルージングをした。でも、湖面に描かれた航跡もまた綺麗であった。

チチカスティナンゴ

チチカスとは「紫の刺のある花」と云う意味である。チチカスティナンゴは標高2030mの高地にあって、マヤ人が多く住む人口1万人の町である。キチュ族(マヤ人)の神聖な場所でもある。訪れた日は市が催されており、大変賑わっていた。色取り取りの綺麗な衣装を着ていて、我々外国人には大変興味深かった。マヤ人の色彩豊かな服装に注目したい。

  

町の風景

アンティグア

アンティグアは植民地政策華やかなりし頃の一大拠点で、現在のグアテマラシティの西30kmの所にある。現在までに何回もの地震で破壊されたが、その都度復興され、今日でも当時の繁栄の面影を留めている。




 写真は5a北通りと云われる

目抜き通り。

ここは当時の様相を良く残している場所である。

















付近の家で見かけた屋根のひさしの裏に描かれているフレスコ画がまた素晴らしい。裕福であった当時が偲ばれる。


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