このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

海外旅行記(中米その2)

3.ホンジュラス

ホンジュラスグアテマラよりやや広い国で、首都は人口約100万人のテグシガルパである。国土の65%は山であるが、火山はない。ホンジュラス内の観光はコパン遺跡のみである。

3.1 コパン遺跡

コパン遺跡はグアテマラとの国境近くにあり、マヤ文化を表す代表的な都市遺跡の一つである。ここにはBC6000年ごろからマヤ人が住みつき、BC500年頃から神殿の建設が始まった。
AD8世紀が最盛期で、先に述べたように737年にキリグアと戦って敗れ、9世紀にはマヤ史から消えた。コパンの文明は高く、1年が365,2420日であることを既に見つけていたと云う。
ここで見学できるのは主に王の住居、祭祀建造物などであり、一般住宅地区は今なお密林に埋没されたままになっている。

コパン遺跡主要部の全容を示した模型

コパン遺跡は、400×600mの広さがある。最大の見どころは神聖文字で刻まれた石段があるピラミッドである。

ピラミッドの石段

 階段は64段、高さは30mである。石段には全部で2500の文字があり、300年にわたるコパンの国の歴史が刻まれていると云う。
階段の石に刻まれている文字の凹凸は薄れているが、階段の縁石に刻まれた文字は凹凸が比較的はっきりしていたので、それを写真に示した。
この階段の上部全体は文字を風雨による劣化から保護するために布で覆われている。当然、ピラミッドの全容を見ることはできない。

  

    石段の神聖文字                             球戯場

写真は球技場を写したものである。左奥に上記の布で覆われた神聖文字が刻まれている石段が見える。
球技の得点方法はどうするのか想像できますか。現代の球技方法とは全く異なります。足で球を蹴って観客席の上にある鳥の形をした石像に当たった時に得点になるそうです。

しかし、そうして得点した人は神への栄誉ある生贄になって、一生を終るのです。現代人には考えられないことです。この球技は定期的に開催されるもので無く、1〜3年に1回か2回の特別な日に催されるとか。毎日競技をして、生贄になる人を出していたら民族が絶えてしまう。

また、ここにも沢山のステラがあった。9世紀頃の最も繁栄した時に造られたのだそうだ。

一方、この遺跡の中で、面白い木にお目にかかった。木の幹には無数の刺がある。その名の通り「刺の木」と云い、刺は矢尻に使うのだそうだ。

またこの遺跡の入り口には綺麗な沢山の金剛インコがいた。こちらではパパガヨと云う。付近に20〜30羽ほどいた。高い木の上にもいた。野生のパパガヨらしいが、餌をやっているから遠くに飛んで行かないのだろうか。勿論、人間が傍に行っても逃げるようなことは無い。

          

            刺刺の木                           金剛インコ

4.エルサルバドル

太平洋に面した中米で最も小さい国で、16世紀に侵入してきたスペイン人を救世主(サルバドル)と思ったのが国名になった。これが間違いのもとか。地震は多く、20世紀には12年間の内戦が勃発し、治安が悪化し、貧富の差が生じ、散々な国である。正に救世主が欲しい国である。侵略者のスペイン人が救世主になれるのだろうか?

この国では自国の通貨を持たない。以前はコロンと称する通貨があったが2001年よりアメリカドルを自国通貨に変更した。それだけアメリカの影響が強いと云うことか。 

首都はサン・サルバドル、首都と国名を間違え易い。サン・サルバドルとは「聖なる救世主」の意味である。「救世主」の好きな国である。この名は多分植民地化したスペイン人が付けたのではないだろうか。そうとすると、スペイン人は何と傲慢な民族ではないだろうか。

4.1 サン・アンドレイ遺跡

この遺跡は1910年に農園の測量中に発見され、まだ発掘中である。15の築山があるがこの中に全てピラミッドが隠されておりまだ手付かずである。写真29はその1つの一部を発掘して展示されているもので、大部分は手を加えて復元している。また、地上部に出ているのはピラミッドの上部部分で、大部分は土の下に埋もれている。当時のこの地の支配者を祀ったものとされている。8世紀の古いピラミッドの上に更に新しいもの(11世紀頃のものか?)が建てられたものだという。神聖文字が見つかっていないことからマヤ人のものでは無いとする説もある。

4.2 ホヤ・デ・セレン遺跡

この地では3世紀頃からマヤ人による農耕が営まれていたが、それらの住宅は640年のロマ・カルデーラ火山の噴火で埋もれた。不思議なことにピラミッド(神殿)は無いようである。エルサルバドルのポンペイとでも云うものである。1976年に、サイロ建設の工事の際偶然に発見された。写真30は地下4.5mの所から発見された住宅跡を示したもので、全て、日干し粘土造りである。壁は竹のような植物で編んだものに粘土を塗って固めたもので造られている。意外に小さい造りである。ガイドは部屋の中の割り振りを寝室、倉庫などと説明していたが、全て解明された訳ではない。

 

5.ニカラグア

ニカラグアの首都は人口100万人を超えるマナグアである。北東部にある富士山に似たモモトンボ火山と南のマサヤ火山に挟まれている。この火山の間には断層が走っており、過去に何度も大地震に見舞われている。最近では、1972年に大地震があり、その復興が進まない中でニカラグア革命が起こってしまった。現在は安定している。

ニカラグアの古都がグラナダで、スペイン人がニカラグアで最初に創設した町である。

ニカラグアに入るとマヤ遺跡は無くなってくる。これから先はスペインの植民地時代の遺跡一色である。

レオンの町で




写真ははエルサルバドルに近い町レオンの中央公園で見かけた子供を写したものである。

貧しそうだが可愛く、幸せそうである。親は何処に居るのだろうか。

周りにそれらしき人は見かけなかった。











マナグアの町で




写真はマナグアの共和国広場で写した子供の写真である。

二人は最高の幸せそうな顔をしている。

何を話しているのだろうか。おもちゃ遊びが面白いのか、あるいは仲の良い兄妹か、果ては幼い男女の中だろうか。

私の方でも、想像するだけでも幸せな思いがする。










この子供達の後ろには、地震で崩れて廃墟となった大きなカテドラルがあった。現在のカテドラルは広告の架け場に代っている。

地震で崩れた教会

グラナダの町で

グラナダのコロン公園付近で、16世紀頃の植民地時代の面影を残している建物に出合った。
こうした建物が今なお使用されている。

 

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