このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
保和苑のアジサイ
早いもので、もう六月。今月の恒例の同期会の集まりは店の都合で一週間遅れで第二週になりました。そこで、今、丁度花盛りのアジサイを見ようと保和苑に立ち寄っることにしました。
この一体は、水戸八幡宮、保和苑、二十三夜尊、回天館、愛宕神社など古い水戸の面影が残る名所旧跡が多い。これ以外にも、高校に自転車で通った坂道がここを貫通しており、山村暮鳥や光圀ゆかりの格さんの墓などもあります。
結局、色々なところを歩いて、アジサイ以外の方が多くなってしまったようです。
観光協会推奨の散策路と歩いた道筋(緑の線)
14:10頃水戸駅発のバスで、茨城高校入り口で降り、東に進んで国宝水戸八幡宮の看板を左に入ると八幡宮である。ここも、アジサイが咲き揃っています。
水戸八幡宮祭神は応神天皇・神功皇后・姫大神で佐竹義宣が居城を常陸太田より水戸へ移した文禄元年(1592)水府総鎮守として造ったもの(佐竹は八幡宮)。その後、文禄3年(1594)八幡小路(北見町)に本殿を創建した。一時常北那珂西に移され、再びここに戻されました。本殿は四百年の風雪を経て、安土桃山時代の荘厳華麗な姿で現存し、国指定重要文化財となっている。古来より農・工・商の神、厄除・子育て・戌亥年生まれの守護神として嵩敬を集めている。(観光協会HPの概要)
これより、以前はここを天神山と言い、天満宮があったところで、今日でもそれが修造されて残っています。この日はアジサイ祭りの初日でもあり、参拝客もかなりいました。
水戸八幡宮参道 拝殿(改修中)
本殿(重文) 天満宮
この奥に徳川斉昭が涼を取ったと言うお涼処なる所があり、那珂川から青柳( 青柳夜雨 の碑がある)方向が良く見えます。水戸八景は青柳夜雨をクリックするとジャンプできます
八幡宮から(中央の橋の向こうに、水戸八景、青柳夜雨の碑がある)
ここを出て、もと来た方向の狭い道を戻ります。この辺一帯は、古い住宅地で、道幅は何処も大変狭く、車がやっと通れる位です。
進むと、私立茨城高校(中学)の校門の所に出て、そのすぐ横が祇園寺です。茨城中学を母校とする高校同期も大勢います。周辺は昔とあまり変らないのではないでしょうか。
祇園寺(曹洞宗)は水戸光圀が招聘した明の僧心越禅師が開山した所です。光圀はこの外、明の儒学者朱瞬水なども招き、儒学を臣下にも学ばせました。
ここには、心越禅師の墓塔などがあり、ここの墓所には、幕末の諸生派の人達の墓、山村暮鳥の墓などもあります。
茨城高校(ここも改修中) 祇園寺山門
鐘楼と金剛尊天堂(左奥) 本堂
山村暮鳥の墓は、ここを出てかなり先の方で、墓の先の谷の向こうは保和苑です。
墓碑と説明
ここから少し戻って谷の向こう側に出ると、保和苑です。しかし、保和院桂岸寺、俗称、二十三夜尊からは距離があるので、横の入り口から、直接、保和苑に入りました。保和苑は、元は光圀が名付けた名前で桂願寺の庭園でしたが、戦後、水戸市に移管され、昭和30年ごろからアジサイが植えられるようになったと言います。
現在は、30種類、6000本のアジサイがあるそうです。
色々なアジサイの花の写真を取ってみました。名前までは分かりません。
これらは、下記のURLのアルバムに纏めてあります。クリックしてご覧下さい。
保和苑庭園(池は後から作られたとか)
保和苑入り口 桂願寺墓地へ(鐘を突いてはいる?)
保和院はもと、香華院といったのを光圀が改称したもの。その後、現在の寺号を称したものだそうですが、我々の田舎では谷中の二十三夜尊(約して三夜さん)と言っています。縁結び、金運、合格などにご利益ありとして、旧暦23日にお参りするのが常となっています。
最近ではピンコロ地蔵さんと言うのが人気で、水を自分の病気のところに掛けてなぞるとご利益があるとか。しかし、その大きさから子供などは皆、頭をなぜていますがそれでいいのでしょうか??
二十三夜尊参道 本堂
ピンコロ地蔵さん 愛染堂
桂願寺墓地のすぐ隣が、回天神社と回天館です。
パンフレットによると、回天神社は安政の大獄、桜田門外の変、坂下門外の変以後、国のために殉した1,785名の志士の霊を慰め、後世に伝えるため昭和8年忠魂塔(ちゅうこんとう)が建てられた。さらに昭和44年には明治維新百年を記念し、回天神社が造営された。神社の前後に、一定の形の墓石371基が、あたかも行進しているように整然と並んでおり、幕府軍との戦いで殉難した烈士の墓で大正3年に建てられたものです。
回天館は1864年、尊王攘夷の志半ばにして幕府に降伏した天狗党の志士800余名は、敦賀にあった16棟の鰊倉(にしんぐら)に押し込まれ、斬首、追放などの刑を受けた。この鰊倉の1棟を約100年後、敦賀市より譲り受けて水戸の常磐神社境内に移築し、回天館と名付けた。しかし、老朽化が進み、水戸市民の有志が浄財を募り、平成元年、回天神社内に移築された。現在、回天館は保存会によって管理され、天狗党の資料などを展示し、永く顕彰する事を目的としている。扉や板壁などには牢居していた人々の血書の文字が散見され、武田耕雲斎以下処刑されるまで拘置されていた当時を偲ぶことができる。
回天神社 水戸志士の墓(反対側に一つある)
回天館 回天館の中
と言うことでここを見ていると、傍らに根尾村の薄墨桜の若木が植えられていました。天狗党が西上する時、ここを通ったえにしとかで、根尾村が寄贈したと書いてありました。
薄墨桜 献上の弁
自分自身は、水戸浪士とか水戸学とかにあまり興味を持っていなかったので、詳しいことは分かりませんが、天狗党の乱などで有為な若者が殆ど死んでしまった水戸藩が、結局、明治維新での働きが殆ど見られなくなってしまったのは残念です。
ここの少し奥に常盤共同墓地があります。
ここは水戸黄門が藩士のため上市に常磐共有墓地、下市に酒門共同墓地を創設しました。それは水戸藩士民の喪祭が神仏まちまちで、無駄な費用を掛けているのを見て、これを正しく指導する必要を感じ造成しました。藩士には、これら2ヶ所の墓地を無料で使用させるほか、「喪祭儀略」という書を作り、儒式を取り入れた簡素な喪祭の仕方を教え、墓碑も一定の形と大きさを定めて、贅沢に流されないようにしました。このため藩士は後世までその恩恵に浴しました。墓地内には、"水戸黄門"でおなじみの「格さん」のモデル安積澹泊をはじめとする彰考館の学者達、後期水戸学の中心をなした藤田幽谷・東湖父子や、桜田門外の変・坂下門外の変などに参加した烈士の墓が建ち並び、さながら水戸藩の歴史に接する思いを深める場所です。(パンフレットによる)
と言うことで、格さんの墓を詣でてきました。助さん(佐々介三郎)の墓は常陸太田の正宗寺(しょうじゅうじ)に有ります、
格さんの墓 ついでに助さんの墓
さて、ようやくお墓から開放され、更に進み、谷中新道の坂に至ります。この坂道は高校生の頃はもっと狭く、自転車で上まで上がるにはキツイ坂でした。ここまで家から13kmくらいでしょうか、ここを上がると高校はあと少しです。
昔を思い出しつつ坂を下っていくと、一軒だけ50数年前の昔も有ったと思う家がありました。
坂を下り、少し行くと那珂川の堤防です。この先に有った千歳橋は洪水で流され、その後架け替えられましたが、道路が整備されるまでは随分かかりました。
一軒だけ残った古い家(中央) はるかに千歳橋が見える
ここは市をはるかに見て、水戸の台地の下の道を進むと十字路があり、そこを上っていくと曝井(さらしい)です。今でも昼なお暗い道、ここには小さな泉があり、水が湧いています。
この曝井は、萬葉ゆかりの湧き水です。
「三栗(みつくり)の中に向へる曝井の絶えず通はむ彼所(そこ)に妻もが」「萬葉集」に、高橋連虫麻呂(たかはしむらじむしまろ)の作と伝えられている水戸市唯一の萬葉の遺跡です。
「常陸國風土記」の那賀(なか)の郡(こうり)にも「粟河(あわかわ)(那珂川)を挾んで置かれた河内駅家の南に当たり、坂の中程に水量豊富で清い泉が出て。これを曝井といって付近に住む村の乙女達が夏月に集い、布を洗い、曝し、乾した」とあります。
水戸の台地からは各所に湧き水があったのですが、宅地化が進み、枯れてしまったものも多いのです。
曝井への坂道 曝井(上の人の居る所)
ここの横の階段を上って、先に見える森に進むと、そこが愛宕山古墳です。ここは、国の史跡となっており、全長136.5mと言う関東では最大級の古墳で、5世紀終わりから6世紀初め頃のものといわれ、出土品などからこの当時、この変を支配していた
古代「仲国」の初祖建借間命のものと言われています。
古墳の上から見た前方の方形
古墳から少し離れたところに、愛宕神社があります。
パンフレットによると、水戸愛宕神社は、938年に常陸大掾平国香が、京都愛宕神社から、常陸国府中(今の石岡市)に勧請されたのがはじまりで、1019に、国香の子:大掾貞盛が水戸城内に安置し、その後、領主江戸但馬守道勝が水戸城外三の丸に、佐竹義宣が現在地に移したと伝えられています。社殿は東方の水戸城を守護するとともに、火伏せ(火除け)の神様とされています
愛宕神社 参道(こちらに降りた)
さて。これで一巡し、上水戸バス停から水戸駅に戻りました。
この後何時もの店に行き、今回は16名参加と盛況で、盛り上がり、その後、同期の一人が主催し、自分でも飼育している蛍を離すので見に行こうと言うことで、4人で出かけました。今日離したとかで、源氏蛍、平家蛍とも良く見ることが出来ました。
しかし、蛍の写真は無理ですが暗闇の中で写真を一枚。
蛍見物
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