このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

りんご狩りで足を伸ばして

 10月は袋田付近のりんご狩りのシーズンです。女房と娘と3人で、少し足を伸ばして福島県の棚倉から石川方面に行きました。

ここは、母畑温泉とか、猫啼温泉とか幾つかの温泉があるからです。ついでですので、日立鉱山があった本山を抜ける途中も紹介します。

「かみね公園周辺を散策」 (クリックして見てください)で紹介したように、神峰公園から日立鉱山を過ぎて太田方面に抜ける道筋には幾つかの観光地があります。

 

御岩神社から玉簾の滝

 日立の中心を少し北に行った所を山側に進むと、日立鉱山があった本山に抜ける道です。今ではこの道は、常磐高速の日立中央ICへの道ですが、1981年に閉山するまでは、日本鉱業日立鉱山の道であり、そこから発展した日立製作所山手工場への道でもありました。

 少し進むと日立のシンボルで新田次郎の「ある町の高い煙突」にも書かれた155.7mの鉱山の大煙突がそそり立っていたのですが、1993年2月に57mの所から倒壊。今日ではその残りの部分しか見ることが出来ません。

 

                        日立大煙突の昔と今

 昔の面影が廃墟のように残る道を進むと1986年に建てられた「日鉱記念館」があります。江戸時代からほりすすめられてきた鉱山の歴史を知ることが出来ます。

    

    日鉱記念館                          鉱山で使われた電気機関車

ここから先は、以前は、九十九折の狭い山道を登ったのですが今は元山トンネルが出来、交通も簡単になりました。

峠を越えて、坂を下った所が御岩神社への入り口です。ここの集落を入四間と言うのですが、門前市の形態を偲ぶ事が出来ます。

この神社は、常陸風土記に「賀毘礼の宮」と記されて古代(6世紀頃?)から信仰の山でした。(カビレとはアイヌ語で絶壁と言う意味とも言われる)

水戸徳川初代藩主頼房が湯殿山に模して入四間湯殿大権現とし、光圀が御岩山大権現とした21の寺社が立ち並び栄えていました。明治の廃仏毀釈で、仏教的な建物は取り壊され平成に入って仁王門が再建されています。

    

       御岩神社入り口                        仁王門へ(神社なら神門?)

    

      拝殿入り口                             拝殿 

 

 ここを過ぎて349号線の交差点から旧道に入って少し戻ると、玉簾寺があり、この奥が玉簾の滝です。綺麗な滝ですが一帯が寺の所有地らしく、中まで入れてくれません。

 

玉簾の滝(同じ日に撮った写真なのにまだ夏?)

戻って、349号を行き、県道22号に入り、山道を過ぎると461号との交差点に出ます。

この周辺がりんご農家で、いつも461号沿いにある農家の出店でりんごを買っています。

    

リンゴ園の周辺                       たわわに実ったりんご

 ここで、りんごを買い、県道33号、国道118号久慈川沿いに今回の目的地でもある棚倉方面に向かいます。

棚倉には、陸奥国一宮といわれる都都古別神社があるのですが、この辺から北の一宮と言うのは、中々複雑で良く分かりません。この近くには、都都古別神社が3箇所あります。いずれも、大国主命と宗像三女神の一人多紀理比売命の間に生まれた

耜高彦根命を祭っています。アジスキタカヒコネは開拓の神であり、ここの奥宮のある建鉾山には巨石による古代の祭祀遺跡などもあり、7世紀前後に開拓の波が北進してきたことを示すのでしょう。

 北上していくと、まず、最初にあるのが八槻都都古別神社です。ここは、水戸光圀なども尊崇して社殿修復に寄進をしたと言われています。

    

     八槻都都古別神社                                拝殿

ここから、5kmほど進み棚倉の市街地近くには馬場都都古和気神社があります。ここは、江戸時代初期、城主であった丹羽長重棚倉城を築く為に社殿を今の位置に移したと言うことです。大和武尊が始めにこの神を祭ったとか、八溝山の賊を退治たとかの話もあり、国作りの伝承を表しています。

     

馬場都都古和気神社                          拝殿

更に棚倉を抜けて北上し、石川町に行くと、八幡山の山頂に石都都古和気神社があります。

     

    石都都古和気神社                            拝殿

 石川町は、古代から浜通りと仲通りを結ぶ交通の要衝でもあり、母畑温泉、猫鳴温泉など有名な温泉がある所でもあります。

今回の旅行は、これも一つの目的で、結局、猫鳴温泉に行きました。

 

 猫鳴温泉の由来

この地の長者が40過ぎても子が無く、観世音に祈願し、女の子を授かった。この子は13歳の時、今日に上り、和泉式部となった。(和泉式部伝説

一方、残された愛猫は3日3晩鳴き続け、これが温泉の名になったと言う。

(我々が入湯した井筒屋のHPでは、猫が毎日鳴いて身体が弱ったが、ここの泉に入って身体を休め、美しい猫となり、人々もここが霊泉(その名のとおり冷泉)と気がついたのが初めと書いてある。)

 

      井筒屋(HPより)

 

 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください