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2002ヨーロッパ旅行 フォト・アルバム(写真でつづる旅日記)
2002年6月23日〜30日まで、ひとりで8日間のヨーロッパ旅行をしました。訪問国はフランス・ドイツ・ポーランドの3ヶ国。成田からソウル経由でパリに飛び、列車で3ヶ国間を移動、最後はフランクフルトからソウル経由で成田へ。今回は第2次世界大戦・ヨーロッパ戦線の戦争遺跡見学がメイン。ポーランドの現役大型SLにもえらく感動したりしましたが・・。中学や高校で学んだWW2の大半は「太平洋戦争」=日本と連合軍の戦争、であり、ヨーロッパ戦線についてはあまり学ばなかったのですが、個人的には太平洋戦争以上に興味があり、ここ数年来本や資料を読んだり見たりして研究してきました。実際に遺跡を見たくなったのが今回の旅のきっかけ。前回(2000年)のヨーロッパ旅行(ドイツのみ)でもUボートやドイツ国内の強制収容所を見学したりしましたが、今回はより追究ということで・・・。
では、写真をごらん下さい。
フランス
(左)スマートな単行ディーゼルカー、幹線の各駅停車・快速用 (右)有名なかつてのTEE牽引機、いまでも国内列車を牽引。
(左)ノルマンディー戦争博物館にデンと居座るドイツ軍戦車 (右)同博物館内のドイツ軍の展示の一例。カギ十字のナチス旗。連合軍が勝った場所なのに展示は枢軸軍とほぼ平等。
いまなお戦争の跡、ノルマンディ地方・アロマンシュ(通称オマハビーチ)の連合軍のはしけの跡
同じく枢軸軍(ドイツ・オーストリア・ハンガリーなど)の遺跡、トーチカの跡。トーチカ内部の穴もそのまま残っている。
(左)パリ・ルーブル美術館の威容 (右)パリと近郊を結ぶ二階建て電車。一両につき200席も!ただし冷房・扇風機なしで車内は40度以上の地獄!落書きも多い。
ドイツ
(左)最高160キロ運転、RE用客車。二階建てで車内はとても清潔。(右)ドイツのタクシー(ベルリン)。やっぱりメルセデス・ベンツ!
ポーランド
(上)入換中の現役蒸気機関車(SL),Ol49型(ポズナニ駅) (下)ウオルシュティン機関区で休むSL達
(注)ポーランド西北部のウオルシュティン機関区には数両の現役SLが毎日稼動!標準軌間の現役の大型SLは世界的に数少なく貴重な存在。なおポーランドの鉄道は近代化されているが、「産業技術の伝承」を目的としてここだけSLをあえて残している。旅客も貨物も引く。
(左)社会科見学の小学生とSL (右)ポーランドの電車。ソ連の影響を受け、似ている。
(注)厳密にはポーランドでは鉄道の撮影は禁止(SLは可)。 みなさんもし行かれる場合、自己責任で撮影を!
(左)ポーランド陸軍、共産主義時代の名残なのか、あるいは他国に侵略されつづけた歴史のせいなのかポーランドでは至る所に軍・軍人の姿が。もしかして失業者救済も兼ねているのか?(右)カトビチェ市街を走る市電。すごく細身。
有名なアウシュビッツ強制収容所。ポーランド南西部に位置。ゲートにそびえるドイツ語でARBEIT MACHT FREIの意味は「働けば自由になる」。なんという皮肉!実際は28ヶ国、100万人以上が犠牲になった。
(左)アウシュビッツで最も悪名高いガス室と焼却炉。内部も自由に入って見学可能。(右)やはり恐ろしい場所、「死の壁」。規律違反者を男女とも全裸にしたうえここで銃殺。6000人が犠牲に。
アウシュビッツの3キロ北、ビルケナウ強制収容所。ヨーロッパ各地から鉄道にてここまで直通輸送。奥の建物は管理棟。アウシュビッツより数倍広大な敷地を占める。収容者の子供を慰める動物園もあったとか。
(左)ビルケナウ敷地内、人の灰を捨てた沼。 (右)撤退直前に爆破されたガス室の残骸。いまなおこのままの状態で展示。
ビルケナウの粗末なバラック群。全部で約300建てられたとか。そのうち50〜60棟が残存。
バラック内のトイレ。超簡素な構造!疲れきって穴から落ちてしまう人もいた。
フォトアルバムはここでおしまいです。ご鑑賞ありがとうございます。スキャナーの性能上、見にくい箇所がありますが、おわびします。
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